後日談 其の六『聖人様は達観する』
――教会の一室にて(聖人視点)
「……」
真っ青な顔で酒の入ったグラスを持つ男を、私は微笑んだまま見つめていた。私の役割は『目撃者』であり、『証人』。言葉で甚振るのは『彼女』の役目だ。
「ふふ、『上等の酒』と『料理』を望んだのは貴方でしょ」
「そ、それは……」
「アルベルダ王陛下から直々に賜った酒と、各国の王様達に好評だった異世界の料理……文句は言わせない」
上機嫌で話すミヅキの言葉に嘘はないのだろう。彼女は各国の王族や貴族達と繋がりを持ち、友好的な関係すら築いているのだから。
……そう、それは事実なのだ。
まさか、アルベルダ王陛下が飲み仲間とは思っていなかったが。
『上等の酒』……これは『弱い奴が飲んだら死ぬ』とまで言われる酒精の強いものであり、いくらある程度は酒に慣れていようとも、迂闊に飲めば、酩酊状態は避けられまい。
そんなものを女性であるミヅキに贈るアルベルダ王陛下に呆れたものだが、本日、その理由が判明した。
魔導師ミヅキ。彼女は酒に全く酔わないタイプの酒好きだったのである……!
現に、ミヅキの手には男と同じ酒が注がれたグラスがある。先ほどから、男に勧めがてら自分も飲んでいるが、全く酔う気配がない。完全に素面である。
こんな奴に絡まれ、酒の場に巻き込まれたのだ……男の抱いた恐怖はどれほどのものだろう?
ただでさえ恐れる相手に、酔い潰されようとしているのだ。その後に待ち受ける未来も含め、怖くて仕方がないに違いない。
「ほらほら、毒なんて入ってないでしょ。私も同じものを飲んでるんだし」
そう言って、ミヅキは手にしたグラスから一口飲む。
……まるで水を飲んでいるようだ。毒以前に、そちらの方が恐ろしいと思うのは気のせいか。
と、言うか。
ミヅキ曰く、『【相手を泥酔させ、自分に有利な契約書にサインさせたり、言質を取る】といった行為は、割と取られる手段』とのことなので、男の態度も半分は仕方のないものなのだろう。
なお、もう半分の理由が『それらを仕掛けてきたのが魔導師ミヅキであること』なのは、言うまでもない。
以前の一件から、教会派貴族達は魔導師であるミヅキを非常に恐れているため、どんな目に遭わされるのか想像できず、戦々恐々としているのだ。
……。
そ う だ な 、 確 か に 怖 か ろ う 。
こいつは味方になれば頼もしいが、敵になったら最悪だ。その性格の悪さが立派に反映された手段を用いて、容赦なく報復に興じるのだから。
現に今とて、その性格の悪さが大いに発揮されている。
一国の王から賜った酒……こんなものを断れるはずがないじゃないか。
しかも、別に罪を犯しているわけではない。
毒を盛ったわけでも、魔法を使ったわけでもない上、『上等の酒』を望んで嫌味を言っていたのは目の前の男自身。
『望まれたから用意した』と言われてしまえば、それまでなのである。そもそも、普通は教会にそのようなものがあるはずもない。
結果として、『友人である聖人から相談された魔導師が、己が持つ最高の酒を提供した』という事実が出来上がってしまったのだ。
しかも、自分自身が毒見役として同席中。提供された酒がどのようなものかを知らなければ、ミヅキの見た目も相まって、酒量を見誤った男に非があると噂されるのは確実だった。
相変わらず、この女は悪魔である。
あれほど善良な保護者が居て、何故、こいつはこうなのか。
「おや、あれほど厭味ったらしく上等の酒と食事を望まれていたではありませんか。用意できぬ私の不甲斐なさを察した友が、『わざわざ』持って来てくれたのです……まだ何かご不満がおありなのですか?」
「い、いや、そうではなくてだな……」
「それとも……アルベルダ王陛下からの賜がお気に召さない、と?」
「そ、それはないっ!」
すいっと目を眇めれば、慌てて否定してくる男の必死さに、『正しく』状況把握ができていることを確信する。
視線をミヅキに向ければ、こちらも私と同じ意見らしく、にやりと口元を歪めた。
「そうよね、だから……『貴方は私が勧めるものを断れない』。迂闊に断れば、『不満がある』と言っているようなものだもの」
――そもそも、自分が望んだ結果よね?
そう続けられて、男は今度こそ沈黙した。逃げ道などないと、痛感したのだろう。
諦めと恐怖、そしてこの後起こるであろう『不幸』を予想したのか、男は勢いよくグラスを呷った。自棄であろうと、それ以外に道がないのだから。
逃げ道を塞いだのは、彼自身。
教会にくだらぬ要求をし、強者の立場を見せ付けようとした『愚か者』。
そのようなことをしなければ、男は今後も変わらない傲慢さを保てていただろう。だが、かの魔導師はそれを許さず、彼の所業を逆手に取って、状況を覆した。
恐怖から逃れるためとばかりに、男は酒や料理に手を付け始める。そんな男を眺めながら、私はテーブルの上に伏せてある、秘かに用意した数枚の誓約書――まだサインは入っていない――へと視線を走らせた。
本来ならば、このようなものは必要ない。『教会に高価なものを要求しない』『害を及ぼさない』なんて、やらないのが当たり前じゃないか。
だが、長く続いた教会上層部と教会派貴族との癒着は、それらのことを平然と行ってきた。
それが教会派貴族達の認識を狂わせ、教会は自分達に従うのが当然だと思い込むようになったのだ。
勿論、今となってはそんな要求に従う義理はない。そう、義理はないのだ……教会の運営や信者達の安全が脅かされることさえなければ。
王に訴えるにしても、証拠がない。しかも、今は叩き出されているとはいえ、元々は教会上層部の愚物どもが行っていたことである。
『それらを始めたのは教会であり、我々は感謝の気持ちと言われていた』
こんな風に言われてしまえば、どうしようもなかったのだ。事実である以上、王に直訴しようにも、明確な被害がないままでは、王家とて対処しようがない。
……ただし、自己中外道魔導師さえいなければ、だが。
『それじゃ、【おもてなし】してやればいいじゃん!』
内情を暈して相談したところ、奴は笑いながら言い切った。
『存分に【おもてなし】を味わわせてあげようじゃない。その後に、【もうしません】っていう誓約書を書かせればいいんだよ』
『嫌なことがない限り、学習しないと思うのよ。だから、体と頭で理解させてあげればいいと思うの』
……以上、今回の舞台裏である。その時は何をする気だと思っていたが、目の前の光景に、『確かに、体と頭で理解させる【おもてなし】だな』と納得してしまった。
男は既に酔っているのだろう。こちらを窺ってくる視線が、どことなく危うかった。
だが、そんなことは知らぬとばかりに、更なる酒を注ぎ足してくるのがミヅキである。
止めようにも、男に勧めた以上にミヅキは酒を飲んでいるため、上手い断りの言葉が思い浮かばないのだろう。
と、言うか。
ミヅキがあまりにも素面であるため、男は妙なプライドが邪魔をして断れないという気もする。
魔導師と言えども、見た目は小娘。
これに『酒で潰されました』なんて、間違っても言えまい。
『王族・貴族って、プライドで生きているところがあるよね』とミヅキは言っていたので、この展開も予想していたと思われた。
見た目を利用する手口といい、酔わせて誓約書にサインさせようとすることといい、どこかの悪徳業者や詐欺の手口のようだが、やらかしているのは『断罪の魔導師』。
……教会のため、奴の善性を信じる人々のため、私は口を噤もうと思う。
「聖人様~、ほらほら、あっさりサインしてくれたよ!」
気が付くと、ミヅキがひらひらと数枚の紙を振って見せてくる。男は既に酔い潰れ、テーブルに突っ伏していた。
……。
本当に、死んでいないだろうな……? 死ぬなら、自分の屋敷で死んでもらいたいものだが。
「どうやってサインさせた?」
「え? 『もうこんな目に遭いたくないなら、これにサインすればいい』って言った」
「……? それだけか?」
「うん。あ、あと、『酔い潰れて寝るのは勝手ですけど、起きなかったら邪魔なので、フライパンをガンガン鳴らして起こしてあげますね』って言った。他には『次はもっと色々用意します』とも言ったかな」
……悪魔の所業である。
こいつが有言実行なのは男も知っているだろうし、そりゃ、慌ててサインするだろう。下手をすれば、第二回、第三回と飲み会(強制)が続いてしまう。
男は正しく己の状況を理解したのだろう……『今サインをしなければ、近いうちに体を壊して死ぬ』と!
しかも、その場合は教会にあるまじき要求をした男の自業自得。あまりの情けなさに、周囲からの失笑も免れまい。
「じゃあ、こいつを連れて王城に行こうか。ついでに王様にこの誓約書を渡して、承認してもらおうよ」
「え゛」
「証拠の管理って重要だよね! あと、酔い潰れているこいつを王城に預かってもらおうよ。駄目な大人の見本だし、子供達の教育に悪い」
「……そ、そうか」
……更なる地獄が存在したようだ。目覚めた時、この男はどのような扱いを受けるのか。
ま、まあ、自業自得であることは事実なので、こちらが案じてやる必要もないだろう。
そこでふと、気になっていたことを口にする。
「こいつは以前、こちらの返答によっては、教会に暮らす者達を害するようなことを口にしていた。あれはどうなった? 確か、血縁や派閥に属する騎士達を子飼いにしていたようだが」
脅しか、実力行使するためかは判らないが、以前、こいつは数名の騎士を連れていたはず。今回とて、連れてきているだろう。
……が。
ミヅキは納得の表情で頷くと、酒を口にしながら、ひらひらと手を振った。
「多分、そいつら私が連れて来た騎士達の玩具になってるわ」
「は?」
「だって、教会派に属するバラクシンの騎士って、前に来た時、守護役や魔王様直属の騎士達を私のご機嫌取りみたいに言ってたもの。顔だけの男扱いされたから、激おこです」
「い、いや、その怒りには納得するが、それを口にした本人達とは限らないのでは?」
私自身も初めて聞くことではあるし、同情もしないが、八つ当たりでしかないような。
そう思って口にするも、ミヅキはにやりと笑った。
「連帯責任って言葉知ってる? 私達にとって、バラクシンは教会派か王家派の二択だ。お仲間がやらかした以上、そいつらも同罪」
「お前達は良くとも、バラクシン王家とて、そのような言い分は困るだろうに」
さすがに、隣国の騎士達が暴れるのは拙かろう。向こうが手出しをしたならばともかく、八つ当たりで攻撃というのは駄目な気がする。
しかし、私の懸念を遥かに超えてくるのが、このミヅキという自己中魔導師だった。
「先にレヴィンズ殿下に話を通しているから大丈夫! 私の話を聞いて不安になったのか、弟夫婦の安全を確保するため、教会に寄ってくれるってさ。あ、勿論、教会の人達のことも心配してるって」
「え゛」
「弟夫婦から『教会の人達に色々と良くしてもらってる』って聞いているみたいだよ? なお、私はレヴィンズ殿下の婚約者のお友達! そして、レヴィンズ殿下は弟夫婦に『頼りになるお兄ちゃん』と認識してもらいたい! 皆の思惑が一致した上、レヴィンズ殿下にとっては自国の恥を雪ぐ行為なのよ。問・題・なし!」
「……。そうか……」
いい笑顔で、ぐっと立てた親指を突き出すミヅキに、乾いた笑いが漏れる。
アグノスを受け入れたのは、彼女の生い立ちと境遇を哀れに思ったからだったが、私は想像以上に強力な切り札を手に入れていたようだ。
そして、改めて痛感する。……この自己中魔導師だけでなく、その周囲の者達も割と同類だ、と。
言葉による殴り合い、第一幕終了。
基本的に魔王殿下に迷惑が掛からないように動くので、バラクシン側の許可は必須。
そして、次はアル達ですが、当のアルはレヴィンズ殿下と割と仲良しです。
人脈って大事ですね。
※来週はお休みさせていただきます。お盆ですねぇ。
※アリアンローズが8周年を迎えます。記念のキャンペーンやってますよ!
特典(?)SSに、私も魔導師の短編で参加させていただきました。
主人公(子猫の姿)&ルドルフ(子犬の姿)、魔王殿下(保護者)が居ます♪
※番外編やIFなどは今後、こちら。
https://ncode.syosetu.com/n4359ff/
※Renta! 様や他電子書籍取り扱いサイト様にて、コミカライズが配信されています。
※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。




