本当の目的
今回、主人公は出てきません。
――バラクシン王城・ある一室にて
「やれやれ、貴族達も随分無謀なことをする」
溜息と共にテーブルのカップに手を伸ばした青年は深々と溜息を吐いた。
青年の憂いも当然だろう……この国の問題児に外交の一端を任せるなど。
エドワードは優秀だが、元々穏やかな性格をしておりキツイ事を言うタイプではない。彼だけならば若干不安は残るものの、不興を買うことなく役目を全うするだろう。
問題は彼の妻である。
一応、使者の一人とはなっているが実のところ単なる観光客でしかない。
同行理由が『異世界人に会う為』というものなので要はイルフェナの異世界人との接点にされただけだ。
本人は何も知らず無邪気に喜んでいたが、せめて役割だけでも教えておくべきだったろう。
外交経験の浅い、立ち回りに不慣れな者と何も知らない異世界人を送り出すなど何を考えているのか。
「ライナス様は反対されてましたからね」
「当たり前だろう! 身分制度さえ理解していない彼女は不安要素過ぎるだろうが」
護衛の騎士の一人――王子の幼馴染で友人のリカードが苦虫を噛み潰したような顔で呟くと、ライナスは当然とばかりに大きく頷いた。
傍に控えていた年配の侍女もひっそりと溜息を洩らす。主達の苦労を知っているからこそ、諌めきれなかった自分が不甲斐無いのかもしれない。
彼等の不安を煽っているのはエドワードの妻、アリサだ。
異世界人として三年前にこの国に保護された彼女は当初から酷く無邪気で純粋だった。
見た目も愛らしく、不幸な立場ながらも明るく一生懸命な姿に周囲の者達は挙って手助けをしていたものだ。
だが、それは間違いだったのだ。
助けるのも過ぎればただの甘やかしである。この世界で生きていかねばならないのならば最低限の知識は身に付けさせることが絶対条件の筈だ。
言い方は悪いが彼女自身がバラクシンにとって価値はないと判断された為、用意された婚約者達は最高位でも子爵だった。日頃の彼女を知っていれば家に迎え入れようとする貴族はいまい。
……いくら異世界人だからと全ての不敬が見逃されるわけはないのだ、あの奔放さは害にしかならない。
エドワードが優秀だった為に今まで何とか取り繕われて来たのだ。
そもそも婚約者の中にも守護役として彼女を諌めようとした者がいた。
その筆頭がリカードであり、年配の侍女達も今後婚姻する可能性を考え躾てくれようとしたのだ。
だが、当の本人が厳し過ぎると逃げ出す傾向にあった為に未だ達成されていない。リカードに至っては守護役を解任されているのだから。
『異世界人だからこそ許される特別扱い』だと現実を彼女に教える者は拒絶されれば手が出せないのだ、結果として彼女にとって優しいことばかり言う者が周囲に残る。
……それが本当に彼女を思ってのものか、利用しようとしてのものかは不明だが。
それに彼女が成長しなかったのも『異世界人だから利用できる』と決め付け媚を売り続けた貴族達の所為である。高位に在る者達から特別扱いを受け続ければそれが当然と思っても仕方が無い。
それなのに価値がないと思うや放置するのだからいい加減にしてもらいたいものだ。
エドワードに対してさえ、今までの様に泣いて反省すれば許されると思っているのだから手におえない。
だが彼女が一つ勘違いしていることがある。
異世界人優位である以上は『対処する術』を国とて用意しているのだ。
「今回の訪問はあの二人を試すものだ。エドワードは出来る限りアリサから引き離すようになっている」
「エドワードは必死でしょうね、彼女が認められる最後の機会と思っていますし」
そう、必死になるだろう。そう伝えてあるのだから。
『異世界人との繋がりを持てるのならば彼女に価値を見出せるだろう』、と。
だが、実際は違う。2人を試す為に実力者の国と言われるイルフェナへ向かわせたのだ。
「イルフェナの目は厳しい。彼等に認められなければ今度こそアリサの処遇を考えることができる」
王族同士は横の繋がりがあるのだ。今回はアリサのこれまでの態度を諌める決定打として協力を仰いでいる。
他国に不敬を働く者が外交できるだろうか。
現実を知れば少しは思うところもあるんじゃないのか。
そしてエドワードも自分だけでは庇いきれない現実を知るといい。
「今回イルフェナから『否』と言われれば決定的です。徹底的に躾られるか民間へ下るか。貴族連中もあの国を敵に回してまで彼女を利用しようとは思わないでしょう。エドワードも思い知る筈です」
「イルフェナには異世界人も居るしな、違いをはっきりと見せ付けられるだろう」
「確か守護役は全員公爵家の者でしたね。守護役抜きに公爵家は婚姻を望んでいるとか」
「……それも規格外なんだがな」
「一体どのような『教育』が行われたのでしょうね」
イルフェナは良くも悪くも実力が全ての国なのだ。そこで認められる程になるまでに一体どのような教育が施されたというのか。
間違いなく『特別扱い』という甘やかしは行なっていないに違いない。徹底的に教え込むという『特別扱い』ならありえるのだろうが。
外交で胃を痛める者が多く、敵に回したくないと言われる国イルフェナ。その異世界人はよくぞそんな環境に馴染んだものである。それだけで十分脅威だ。
「ま、全ては二人が帰って来てからだ。準備は既に整っているからな」
「そうですね……」
「何だ? アリサに対し思うことでもあるのか?」
「哀れだとは思います。あの娘は本来この世界にいるはずはないのですから」
「だが、自分にとって都合の良いことばかり受け入れ厳しい現実に目を向けなかったのは彼女だ」
「わかっております」
彼女にも本当に心配し気にかけてくれる存在は居た。それを拒絶したのは他ならぬ本人なのだから同情はできない。
民間に下れば意外と幸せに暮らせるかもしれないじゃないか。慎ましやかに暮らす程度ならば面倒を見てもらえるのだから。
計画を知る者達は二人にとって良い方向に傾くことを心から願った。彼等がアリサを案じていたことも事実なのだから。
※※※※※※※
――イルフェナ・エルシュオンの執務室にて
エドワードはエルシュオンより手渡された手紙と告げられた言葉に呆然としていた。
室内にはエルシュオンの他に黒騎士、そしてミヅキの保護者であったゴードンが集っていた。
「これは……事実なのですか」
確認と言うより否定を願う心を匂わせたエドワードも頭では理解しているのだろう。
心当たりがあり過ぎるのだ、無理も無い。そもそも今回の訪問に疑問を感じていたように見えた。
日頃のアリサを知っていれば貴族が何と言おうとも王が許可する筈はないのだ。まして相手がイルフェナであるのなら。
「返事が必要かい? 君はその筆跡に覚えがあると思うけど」
「はい……そう、ですね」
手紙の筆跡はバラクシンの王だ、見間違える筈はない。
そこに記された内容をエドワードが信じたくなかっただけなのだろう。
手紙の内容はバラクシン王からの協力依頼である。
『この訪問はエドワードとアリサの二人を試すものである』
この一言で全てが判ってしまう。相応しい態度が取れない場合は切り捨てられる、そういうことだ。
貴族達はアリサに価値を見出せる『最後の機会』だと言っていたが、本当の意味は違った。
アリサに媚びていた貴族達はそう信じていたようだが、王を始めとする忠臣と呼ぶべき者達は今後の扱いを決める『最後の機会』だと言っていたのだろう。
そしてエドワードも何らかの処罰を受ける。アリサを庇い続けて結局は甘やかしたのだから。
だが彼はどこかで予想していたように見受けられる。
実際エドワードはこれ以上彼女を縛ることもあるまい、と思っているのだ。
「ミヅキはこの世界で生きなければならないと受け入れた後、実に貪欲に知識を求めたよ。判らなければ何でも聞いた。周囲もそんな姿を知っていたから生きる術を教えることを厭わなかった」
ゴードンは言葉を紡ぎながらも当時に思いを馳せる。
村で保護された初期はそれこそ民間の常識さえ知らなかったのだ。話を聞く限り随分とこの世界と差があるように感じた。
だが、彼女はさっさと現実を受け入れ自分が生きる為の術と知識を得ることに力を注いだのだ。本人曰く、
『泣き喚こうがどうにもならない、帰れないと判っているならやる事はこれしかありません!』
だそうだ。この世界での生活をまず最初に考えたらしい。泣くだけ時間の無駄だと言い切った。
……大変逞しい発想である。一応、若い女性としてそれはどうなのか。
「魔法に興味を持ったのもその一環だ。しかも通常の方法では使えなかったから自分で組み立てるしかなかった。あの子は魔法を使うなら魔導師になるしかなかったのだよ」
「ですが、簡単にできるものではないのでは?」
「そのとおり。だが、簡単に出来なくとも不可能ではない。そしてそれが出来たからこそ、ミヅキは城に呼ばれた」
「魔導師は危険だ。我々としても放置しておくことはできないからね。だが、監視はしても飼い慣らそうとは思ってないよ」
都合の良いことを吹き込み味方につけることはできただろう。だが、魔導師ならばそのうち矛盾や自分の置かれた状況に気付く。知識を貪欲に求める彼女のことだ、真実に辿り着くのは容易いだろう。
本人が『守られるだけの生活』を望まないのだ、どう考えても無理である。
「『君は異世界人というだけでなく魔術の面でも異端だ。できるだけ周囲に溶け込むよう努力なさい』……私が保護した当初ミヅキに言った言葉だ。あの子はそれを守っているから身分制度といった以前は縁のなかったものも受け入れている」
「『最初はそうでもなかった』って言っただろう? 城に呼ばれた時はあまり理解していなかった。生活の場を移した事で自ら学び馴染む努力をしたんだよ。君の妻はそんな努力をしたのかい?」
貴族やその使用人達にとって身分制度など当たり前のことなのだ。だから生活する上で相応しい行動を取れなければ目立つ。
それを危惧してアリサに身に付けさせようとした人達は必ずいた筈である。彼女に好意的かは別として『場を乱す事を望まない』なら。
「初めから出来るなんて誰も思っていない。だが、拒絶されようと彼女にその重要性を説いていたならば別の未来もあったんじゃないかな? 前向きな子ならば理解できれば努力はしたんじゃないのかい?」
「……」
そう、努力はしただろう。そしてそんな姿を見せていれば周囲は教師役となり、味方でいてくれたのかもしれない。
厳しいことを言われたと涙ぐむアリサを慰めるだけでなく、その必要性をちゃんと伝えられていたら。
彼女に守護役を解かれた人物を知っているだけに、自分は単に嫌われたくなかっただけなのだとエドワードは思った。
彼女が大切ならば嫌われようと泣かれようと理解させるべきだったのだ。
それができなかったから主達の手を煩わせ、こんな舞台まで調えさせることになってしまった。
ミヅキに味方をして欲しいなどと思っていた自分を今は恥ずかしく思う。彼女の拒絶は当然だ、そして『一切関わらないことが優しさ』だという意味も理解できた。
……比較対象を作らない為、だろう。
劣等感に苛まれる可能性を回避しアリサならではの良い部分を伸ばすならそれが最適だ。
ミヅキの実力は本人の性格によるところも大きい。個人差があるのだ、同じを期待するのは無理である。
すでに実績のあるミヅキが傍に居ることはマイナスにしかなるまい。
「ミヅキには今回の事を伝えていない。異世界人として明確な比較対象であった方がいいだろうしね」
「そうですか……」
「公の場であることは伝えたから後は本人の判断だよ」
「今更ですが感謝いたします。ミヅキ殿にも本当ならば直接伝えるべきなのでしょうが、今は関わらない方が良いでしょう」
「そうだね。伝えておくよ」
エドワードが深く礼をし、顔を上げた時には表情に決意が宿っていた。
感謝と謝罪と……おそらく決別と。下される判断に否を唱えることはないだろう。
その時、クラウスが声を上げた。
「殿下。彼女が庭を散策するようですが……」
その言葉にエドワードは拳を握り締める。そこに浮かぶのは失望と怒り。『部屋を出るな』と言い置いていた筈なのだから当然か。
「殿下。彼女が抜け出そうとも護衛の騎士達に処罰を下されないよう御願いしたいのですが」
「いいのかい? 君の奥方はミヅキの所に向かうのかもしれないよ?」
「ミヅキは騎士の宿舎に部屋を持っていますな、貴族の奥方が一人で向かうことはありますまい」
ゴードンの言葉どおり普通ならそれはありえない。男しか居ない宿舎に貴族の女性が許可なく向かえばどんな噂を立てられることか。
ミヅキは守護役の二人が基本的に宿舎で生活していることから部屋を持っているのだ。そもそも貴族ではない上、職員扱いである。実際に仕事をしているので問題にはならない。
「君の奥方がミヅキに謝りたいとあまりに言うからね? 『彼女は騎士の宿舎にある自分の部屋から出てこない』って教えてあるんだよ。それを聞けば諦めるだろうと思ってね」
「おやおや……殿下はいつからそれほど親切になられましたかな?」
「与えられた情報を元に行動することはミヅキもやっているだろう?」
つまり自己判断に任せるということだ。今回の目的を考えれば罠とも言える。
「御迷惑をお掛けします。私は一切庇いませんので」
「そうかい。君はちゃんと理解できるんだね」
「思い切るまで随分と時間がかかりましたが、陛下への忠誠は濁っておりません。優先すべき物を今度こそ間違えはしません」
きっぱりと告げるエドワードに彼以外――珍しくクラウスまで満足そうな笑みを浮かべた。
それは1つの選択をしたエドワードを勇気付けるに十分なものだった。
本人の努力次第で状況は随分と変わってきます。
『学び、馴染む努力をした主人公』と『馴染む努力をしなかったアリサ』。
『体で学べ・結果を出せ』という教育方針の主人公とは差がついて当たり前。結果を出せなければ今とは違った扱いになったでしょう。