話し合い=言葉での殴り合い
――イルフェナ・王城とある一室にて(グレン視点)
ここは話し合いのために用意された一室。ハーヴィスの使者殿は勿論のこと、当事者であるエルシュオン殿下にルドルフ様、カルロッサの宰相補佐殿と儂が顔を揃えていた。
さすがに使者殿だけでは頼りないと思ったのか、彼の背後には案内役だったクラレンス殿が控えている。
いくら元凶であるハーヴィスからの使者だろうとも、個人的な感情で害して良いはずはない。それがどれほど納得できるものであろうとも、国同士の話し合いの場では抑えるべきなのだ。
――それ故に。
エルシュオン殿下の心境を察している騎士達は案内役兼護衛役に、エルシュオン殿下を抑え込めるクラレンス殿を抜擢したのだろう。
何だかんだ言っても、殿下は身内に甘い。クラレンス殿とその奥方のシャルリーヌ嬢は、エルシュオン殿下にとって兄や姉のような方だと聞いている。
日頃から窘めるような言動をすることもあるらしいので、エルシュオン殿下の抑え役を任されたに違いない。
ここで重要なのは『イルフェナが気遣っている対象はエルシュオン殿下』ということだ。
今回の一件の被害者とも言うべき王子がくだらない中傷をされぬよう、悪意ある者達にその言動が利用されぬよう、守っているだけである。
これを見るだけでも、今回の一件に対するイルフェナの心境が透けて見えると言うもの。
彼らは争いを避けるべく腑抜けていたのではなく、じりじりと報復の時――周囲への根回しを終え、報復を正当なものにするため――を待っていたのだろう。
……。
魔導師ミヅキとその友人達は予想以上に素晴らしい働きをしたようだ。
少なくとも今回の一件に限り、十分過ぎるほどイルフェナの役に立っている。
ミヅキは友人達を通じて他国へと情報を知らせただけだろうが、それを受け取った側が友人という立場を利用し、イルフェナに集結してしまっているのだ……ハーヴィスへの加害者判定は確実であろう。
つまり、この場で『ある程度のこと』(意訳)を言ってしまっても、正当性があるのである……!
今回ばかりは失言しそうなエルシュオン殿下にとっても、良い状況と言えるだろう。血迷ったことを口走ろうとも、周囲のフォローさえあれば『子猫を案じる保護者』という形にできるじゃないか。
ミヅキの家出により、親猫様はガチでお怒りなのである。
その八つ当たり対象は当然、ハーヴィスに該当する全て。
ただでさえ過保護なのに、自分が切っ掛けとなって、報復という名の遠足に出発されてしまったのだ……日頃を知る者からすれば、涙を誘う事態である。
誰だって、こう言うだろう――『貴方は何も悪くない』と!
冗談抜きに、彼は今回の一件において被害者なのだ。その弊害が魔導師の家出なんて、エルシュオン殿下からすれば踏んだり蹴ったりな状況だろう。胃薬は必要だろうか?
「……とりあえず、君の言い分を聞こうか」
目の前にはハーヴィスからの使者。彼を見据えて、エルシュオン殿下は口火を切る。
そう言って、うっそりと笑ったエルシュオン殿下は――
誰がどう見ても魔王だった。怒り心頭の親猫様だ。
「ひ……っ」
抑える努力など必要ないとばかりに放たれる威圧に、ハーヴィスの使者は小さく悲鳴さえ上げている。
……が。
ここはイルフェナ、実力者の国。
ついでに言うなら、ハーヴィスの舐めた態度に、イルフェナの騎士達はお怒りだった。
「ああ、しっかりしていただきませんと。どれほど情報を持ち帰れるかは、貴方に掛かっているのですから」
気絶することは許さないとばかりに、背後に居たクラレンスが使者殿を支える。その目が僅かに笑みの形を刻んだ気がしたが、儂はあえて見なかったことにした。
誰だって、火の粉は被りたくないのである。知らぬふりで回避できるならば、喜んで視界を閉ざそうじゃないか。
「これまでミヅキの友人達から、『色々と』聞いたと報告されている。言っておくけど、イルフェナの対応とあの子の行動は別物だよ?」
「へ?」
「イルフェナが振り上げた拳を下げれば、それなりに考慮してくれるだろうけど……今のままだと一切の配慮はないだろうね。あの子、『化け物扱いするなら、人の法に従う謂れはない』っていう方針だから」
淡々と告げられる事実に、使者殿は益々、顔色をなくす。その遣り取りを眺めながら、儂は生温かい目でエルシュオン殿下を見た。
殿下……そこで『私が止めれば、とりあえず止まる』とは言わないのですね……?
儂と同じことを思ったらしいセリアン殿も、生温かい目で親猫の奇行……いやいや、本心駄々洩れの言動を眺めていた。
これまでのエルシュオン殿下からすれば、考えられない言葉である。冷静沈着で確実に結果を出す、決して感情に踊らされぬ魔王殿下――
それが今では、過保護な親猫様。別の意味で、泣けるかもしれない。
だが、頭の片隅では納得してもいた。
愛情深く優しい親猫は、黒い子猫を得たことによって『今』があるのだ。それを判っているから、より過保護になるのだろう。
そんなエルシュオン殿下の姿は、誰が見ても甲斐甲斐しい保護者……孤独な異世界人が得られるはずはなかったもの。
それ故に、国の上層部――異世界人の扱いを知る者達は、過剰にも見える二人の仲の良さに納得できるのだろう。その得難さが当人達にしか判らないものであったとしても、思い遣ることはできるのだから。
得られるはずがなかったものを与え合った二人の絆が強固なものであることなど、今更ではないか。
その片方が失われかけた以上、黒猫が牙を剥くのは当然であり。
子猫に泥を被らせたくない親猫が元凶相手に怒るのもまた、当然のこと。
使者殿は本当の意味でそれを判っていなかった。二人の間にあるのは一般的な忠誠心なんてものより遥かに重く、過保護と言うには過ぎるもの。
だが、そうでなければ『今』はあり得ない。ウィルと似たような絆を築いた儂だからこそ言えるが、『誰にでもできること』なんて甘いものじゃないのだ。
この世界にはありえない『異物』が、この世界の流れを覆した。
運命とやらの流れを変えてしまったと言ってもいい。
ミヅキでさえ、自己保身なんて考えていられないのだ。多くの者は『ミヅキは自己保身を考えない』などと呆れるが、実際にはその余裕がないだけである。
……そんなものを考えていたら、望んだ結果は出せないのだから。
悪になることさえ厭わぬ姿勢と、あらゆるものを使い倒して組み上げた策。この二つが我らの武器であり、覚悟の証。それこそ、儂も辿った道である。
「随分とこの状況に理解があるのね? グレン殿」
儂の視線に含まれる感情に気付いたらしいセリアン殿が、こっそりと話しかけてくる。
「貴方は小娘と同郷……いえ、この世界でほぼ唯一と言って良いほど、似た立場にある方ですもの。貴方が理解を示す程度には、エルシュオン殿下の態度に納得できるのでしょう?」
「そうですなぁ。まあ、儂と陛下は『イルフェナの猫親子』の先輩とも言える立場でしょう」
「……」
セリアン殿が目を眇める。時代的に、儂と陛下の若かりし頃は今とは比べ物にならないくらい荒れていただろうから。
その頃を知っているなら、単純に『異世界人とアルベルダ王の友情物語』とは言えないはずだ。
「儂と陛下は自国の統治に全力を向けた。ミヅキ達はその労力が他国に向いた。それだけの違いだと儂は思うのですよ。まあ、ミヅキの遣り方は随分と破天荒ですが、望んだ決着をもたらしたことは事実。必要なことだった、とも思うのです」
「……。そうね、並の方法では成し遂げられなかった。それは理解できるわ」
「命の危険があったことを知っています。ミヅキ自身の性格が影響していることも事実でしょう。ですが、そう見せることさえも計算されていたと、儂は思っているのですよ。儂自身、随分と己を偽ってやらかしましたからな」
幼く見える外見を利用し、無邪気さを装って情報を得、ウィルに勝利をもたらした。正攻法で崩せぬ壁ならば、崩せる方法を取るまで。
だからこそ、儂とウィルは向けられる悪意を否定しない。そう思われることもまた、当然と思っているのだから。
納得したような表情になるセリアン殿をよそに、エルシュオン殿下は話し合いとやらを始めている。
……。
いや、八つ当たりとお小言か。
イルフェナからすれば使者殿のような小物……じゃない、お使いに来ただけの生贄が何らかの対処を約束できるなんて思っちゃいない。単に、状況を正しく知らせたいだけだ。
それ故に、エルシュオン殿下は話し合いの場に参加する権利を勝ち取れたのだろう。脅すならば、彼が適任だ。
「アグノス殿が『血の淀み』を持つなら、ハーヴィスは管理する責任がある。それなのに、随分と自由にさせているんだね? これはどういうことだろうか」
「し……失礼を承知で申し上げます。情けない話ですが、私はアグノス様の状態を把握しておらず……いえ、大半の者達が私と同じ認識をしているでしょう。今回のことも驚いたはずです」
「へえ?」
「隠蔽が可能だったのは、アグノス様の周囲の者達、そして……陛下、もしくはその周辺の者でしょう。王妃様は時に苦言を呈していらしたようですが、陛下が聞き入れることはありませんでした」
正直に話すことが怒りを和らげると察したのか、使者殿は怯えながらも口を動かしている。その内容は当然、同席している我らにも筒抜けだ。
「随分と危機感がない」
「仰る通りです……ですが、これだけは信じていただきたい。アグノス様は本当に大きな事件など起こしていなかったのです。貴方様とて、王族ならばご存じでしょう……証拠がないならば、幽閉などできません。それまで普通に過ごしていたことによる『実績』ができてしまっているのですから」
「それは判るよ。下手をすれば、単なる王女の追い落としだからね」
理解を示すことを口にするエルシュオン殿下だが、我らの関心は『使者殿がそう判断できたこと』に向いている。
ハーヴィス王妃の書によれば、王家の力を削ぐことを狙っていると思われる者達――あくまでも予想の範囲――が一定数はいたはずだ。彼らがアグノス王女を利用しようとしていたならば、『普通に過ごせている王女』という姿を意図的に作り上げていただろう。
危険性を感じられないならば、王が溺愛する王女を強固に囲い込むことはない。
それ故に、決定打とも言うべき事件を起こせる状況になっていた。
王妃がいくら優秀であったとしても、王を説得することはできなかっただろう。問題行動を起こしていないならば、『現状維持で十分』と判断するだろうから。
そこで独自の調査をしないあたり、王の甘さが透けて見える。『王妃が苦言を呈する【何か】があった』――そう判断していれば、今回のことも起こらなかった可能性が高い。
「だが、王妃の苦言を退けたのは王の落ち度。勿論、無条件に王に従った者も同罪だよ。アグノス王女が『血の淀み』を持つことは事実なのだから、最低限、調査はすべきだった」
当然、エルシュオン殿下は使者殿の言い分をばっさりと切り捨てる。俯きがちになる使者殿とてそれは判っているのか、反論はない。
「私達にはハーヴィスの事情など関係ない。実行したのがアグノス王女の子飼いで、主犯はアグノス王女。そして、『血の淀み』を持つ王女を管理せず、野放しにしていたのがハーヴィス。それが今回の見解だ」
「……っ」
「関係ないんだよ、君達の国の事情なんて。全ては判断の甘さと身内贔屓が原因じゃないか」
「お……仰る通り、です……」
鋭くなるエルシュオン殿下の視線と共に、威圧が高まる。その不機嫌な表情のまま、殿下は苛立ちを隠そうともせず、感情のままに言い放った。
「あっさり襲撃された我が国の防衛体制も問題ありだけどね? ……うちの子、家出しちゃっただろ!? 私が倒れている隙に動いていたと思ったら、協力者を作った挙句、さっさと報復に行ったよ。こうなっては、私にも止める術がない。うちの馬鹿猫が盛大にやらかしたら、どうしてくれるんだ!」
「は……? 馬鹿猫……?」
怒りのあまり叫ぶような状態になったエルシュオン殿下の言葉に、使者殿はぽかんとした表情になった。
……。
まあ、そうだろうな。いきなり『馬鹿猫』と言われたところで、一体何のことを言っているのか判るまい。精々、飼い主に構ってもらえなくて拗ねた愛猫の家出にしか思われないだろう。
また、エルシュオン殿下の剣幕も使者殿の困惑に拍車をかけている。これまで比較的冷静だったため、殿下が感情を露にするほどのものが『猫』という事実に付いて行けないに違いない。
だが、儂とセリアン殿は揃って死んだ目になっていた。心境を言葉にするなら、『何言ってんだ、この人』である。
殿下……重要なのは貴方が襲撃されたことです。ミヅキの家出じゃありません。
親猫根性を出さないでくださいませんか。フォローに大変困ります。
「エルシュオンにしか懐かない、凶暴な黒猫がハーヴィスを狙っているんだよ」
補足するかのように紡がれた言葉は、それまで黙って彼らの会話を聞いていたルドルフ様のもの。
……だが、ルドルフ様はミヅキの親友になるような方であって。
安堵しかけた儂をよそに、ルドルフ様は清々しい笑顔で容赦ない追い打ちをかましてくださった。
「そいつが例の魔導師な。『魔王殿下の黒猫』って通称は知っているだろう? 騒動ばかり起こすから、エルシュオンにとっては『馬鹿猫』なのさ。まあ、誰もが認めるほど可愛がっている愛猫なんだけど」
違 う ! そ う じ ゃ な い !
と ど め を 刺 し て ど う す る ん で す か ぁ っ !
儂とセリアン殿の声なき悲鳴が上がった気がした。思わずそちらを見れば、同じくこちらを見ているセリアン殿と目が合い、互いを同士と悟る。
そうですよね、ここはエルシュオン殿下を落ち着かせ、話し合いをさせるところですよね? 間違っても、更なる燃料を投下し、使者殿を恐怖に陥れる場ではありませんよね!?
「ルドルフ、煩いよ」
「事実だろ? どう考えても、子猫に家出されたことを怒っているじゃないか」
「ぐ……!」
睨まれようとも、ルドルフ様は動じない。エルシュオン殿下の威圧をものともせず、さらりと言い返す。
その親しげな遣り取りに、使者殿は暫し、唖然とし。やがてルドルフ様のことを思い出したのか、じわじわと顔色を変えていった。
ルドルフ様もそれに気づいたのか、改めて使者殿に向き直る。
「あ、俺も今回の被害者だから。一応言っておくけど、ゼブレストの王ルドルフだ。魔導師ミヅキの親友だけど、俺もエルシュオンのことで怒っているから、ミヅキを止めないよ」
頑張れよ、あいつ本当に凶暴だから! キヴェラも〆られたし!
大変いい笑顔で、言葉の爆弾を投げつけるルドルフ様。『隣国の王を巻き込んだ』という事実に加え、怒っているはずの人――しかも、一国の王――が笑顔で報復を魔導師に丸投げしている状況に、使者殿はとうとう己の許容範囲を超えたらしく。
――声もなく、気絶したのだった。
一方的だろうとも、状況的には話し合い。
単に、ハーヴィスに反論の余地がないだけ。
※番外編やIFなどは今後、こちら。
https://ncode.syosetu.com/n4359ff/
※Renta! 様や他電子書籍取り扱いサイト様にて、コミカライズが配信されています。
※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。




