王妃は楽しげに微笑む
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――イルフェナ王城・王妃の私室にて(イルフェナ王妃視点)
「うふふ……エルは未だ、気付いていないようねぇ」
「……。王妃様、随分と楽しそうですね」
ついつい楽し気な口調で呟けば、護衛としてすぐ傍に居たジャネットにそう返される。やはり、彼女の目から見ても浮かれて見えるのだろう。
勿論、今がそのような時ではない――己が息子であり、この国の第二王子が隣国の王と共に襲われ、負傷したのだ――ことくらい、私だって理解できている。
だが、仕方ないではないか。生まれ持った体質ゆえに、随分と理不尽な評価を受けてきた子が、これほどに愛されていると実感できるのだから!
その息子……エルは生まれ持った魔力による威圧から、長い時間を孤独に過ごしてきた。完全に一人にならなかったのは偏に、理解ある少数の者達ができる限り寄り添ってくれたからに過ぎない。
彼らが意図的に関わらねば、エルは本当に一人になっていただろう。あの子は優しい。無自覚の威圧に怯える者達のことを気遣い、きっとどこかに引き籠もってしまう。
そして、エルに向けられた負の感情は『どうしようもないもの』が原因になっているばかりではなく。
容姿、能力、身分……そういったものへの僻み、王族である以上は避けられない『様々な悪意』。それらがエルより劣る、もしくは敗北した者達は、挙ってあの子を『魔王』などと言い出したのだ。
ふざけるなと言ってやりたかった。あの子はひたすら努力したではないか。
その結果さえ、悪意を向ける要因にするなんて……!
それでも私自身が庇うわけにはいかなかった。王妃が個人的な感情で動けば、そういった輩はそれさえもエルを侮る理由にしてしまう。何より、エル自身が私に守られることを拒否したのだ。
『この程度の悪意に耐えられねば、将来的に潰されるだけです』
……返す言葉がなかった。それは事実であると同時に、エル自身に逃げる気がないことを知ってしまったから。
幼馴染達との誓いはいつしか、エルの支えとなり。エルもまた、彼らの主に相応しい王族となる未来を見据えていたのだろう。
結局、子供達の覚悟を軽く見ていたのは私達……『味方気取りの大人達』だけ。良くも、悪くも、この国の気質を強く受け継いだ子供達には、『逃げる』という選択肢など最初から存在しなかったのだろう。
悪意の視線には、余裕のある笑みを返し。
悔し紛れに呟かれる言葉を逆手に取り、より相手を追い込み。
誰より結果を国に捧げて、あの子達は己が居場所を築いたのだ。
その結果、より『魔王殿下』や『最悪の剣』といった印象が強くなってしまったが、侮られるよりはマシと判断したのだろう。
事実、エルは立派に『強者』となってみせた。悪意を持って噂する者達が圧倒的に多い中、エル達は見事にそういった輩達を捻じ伏せたのだ。
他国にさえ恐れられる『魔王殿下』の真実に気付く者とて居ただろうが、そんな者達は極少数。味方が極端に少ないせいか、エルとあの子の騎士達の絆はとても強固になっていく。
……それもまた、エルを恐れさせる要素になってしまったのだが。
ただでさえ、王族に接する時は緊張し、粗相を恐れるのだ。そこにエルの威圧が加わり、更には『主を傷つける輩は許さない』と言わんばかりの騎士達が両脇を固めている。
『恐れるな』という方が無理だろう、どう考えても。
騎士達の過剰な警戒とて、その必要性も理解できるため、改善されるはずがない。
『どうにもならない状況』だったのだ……『彼女』がこの世界にやってくるまでは。
「エルは少し、思い知ればいいのよ。あの子、ルドルフ様のことはともかく、自分のために国が動くことは大袈裟だと思っているようだから」
「お労しい限りです。幼い頃より、殿下は悪意を向けられ過ぎました」
「そうね、それも一つの原因でしょう。だけど、あの子自身、国への貢献が『存在を許される理由』みたいに思っていた節があるわ。確かに、王族とはそういうものでしょう。でも、個人の幸せを全く望まないわけじゃない」
一言で言えば、エルは必死になり過ぎたのだ。そして、それが当たり前になってしまった。
エルが出した功績の数々は、彼自身の努力によるもの。それなのに、いつの間にか周囲が『魔王殿下ならばできて当たり前』という認識をしてしまっていた。
エルからすれば、『期待されている』とも『一種の脅迫を受けている』ともいえる状況であろう。『結果を出さねば、居る意味がない』――それは幼い頃からエルが散々、突き付けられたことだったのだから。
無能な王族などどんな国でもいらないだろうが、エルの場合、『威圧が原因で、外交がろくにこなせない』というマイナス要素がある。
実際には、それなりにこなしているのだが、その成果でさえも『威圧によって、相手が畏縮してしまったから』と言い出す輩がいる始末。
エルもこういったことに対する技術は低かったようで、『君達がそう思いたいなら、それでもいいよ。重要なのは結果を出すことだから』などと言ってしまうものだから、余計に相手は煽られてしまう。
我が子の不器用さが判明した瞬間だった。ろくに人と接してこなかったことが、ここで影響を及ぼすなんて……!
「だからね、私は酷いことを言っていると言われようとも……ミヅキがこの世界に来たことに感謝してるのよ」
くすりと笑う。目撃した数々の『楽しいこと』を思い出して。
「あの子には野心なんてない。偏見どころか、柵さえないわ。だから、与えてもらった好意を同じかそれ以上に返してくれる。ミヅキの懐き方が不思議だという人達は一度、『これまでの異世界人の扱い』を調べてみればいいのよ」
「そう、ですね。そこに気づけば、自然と殿下の善良さが浮き彫りになりましょう」
「こんなことは言いたくないけれど、良くて『飼い殺し』ですものね」
勿論、そうしなければいけない理由も理解できている。だが、異世界人からすれば、たまったものではない。
そんな状況とミヅキの現状を比べたならば……『誰がその差を作ったか』なんて、明白のはず。
「もっとも、可愛らしい黒猫ちゃんの『恩返し』は、随分と物騒なようだけど」
思い返して、ついつい笑いが込み上げる。あれは『恩返し』というには随分と……その、遊び心に満ちていたのだから。
思い出すのは、数か月前のこと。たまたま一人で居たミヅキに絡んだ貴族達がいたのだ。しかも、ミヅキを心配する振りをして、エルに対する悪意を刷り込もうとする醜悪っぷり!
……が。
各国の王達と渡り合い、修羅場ともいえる状況を生き残ってきた黒猫は逞しかった。
『判りました! 皆さんは自分が比較できる状況にないからこそ、魔王様の有能さが理解できないんですよね? では、その場を設けましょう!』
『は?』
『各国の友人達に頼んで、外交の場をセッティングしてもらいます! あ、勿論、身分差云々とか言われないために、皆さんと同格の身分の人を用意してもらいますね。そこで皆さんが結果を出せなければ、ただの言い掛かりと気付くでしょう。ちなみに、国への貢献のチャンスでもあります! ……断りませんよね?』
『それはっ……だ、だが、君の友人ならば、我々に不利ではないかね!?』
『あはは! 何を馬鹿なことを言ってるんですか! 貴方達が先ほど口にした案件、相手は宰相と王じゃないですか。彼らが魔王様の威圧に怯えたとか言ってる時点で、すでに喧嘩を売ってますって。……ん? 同じ人の方が良いってことかな? それでも構いませんが、確実に負けますよ? だって、相手はカルロッサの宰相閣下とアルベルダ王ウィルフレッド様じゃないですか。戦狂いの脅威や、自国の内乱を抑えきった猛者ですけど』
『な……!?』
『まさか、知らずに魔王様を馬鹿にしていたとか言いませんよねぇ? 私でさえ、相手をしたくない人達ですけど、お望みならば、頼んであげますよ? ……正式な外交案件なので、無様に負ければ家がやばそうですが』
『ま、待て!』
『ちなみに、断れば不敬罪確定。あと、異世界人を取り込もうとした罪が加算されますねぇ?』
……貴族に囲まれてなお、この態度。相手の誤解を解こうとするように見せかけて、しっかりと相手を追い込んでいる。
その後、本当にカルロッサとアルベルダに交渉し、家柄が同格の相手を用意してもらっていたことには呆れたが。一体、あの子の人脈はどうなっているのだろう……?
なお、同格の相手にすら負けた貴族達には、エル直属の騎士達からの報復が待っていた。『不敬罪で処罰されるのと、私達の怒りを買うのと、どちらがよろしいですか?』とは、中核になっていたアルジェントの言葉である。
……。
確かに、不敬罪という『一族郎党が拙い状況になるもの』よりは、『本人だけが死んだ方がマシな目に遭うもの』を選ぶ。家族や何も知らない一族の者達に罪はないのだから。
エルが慌てて止めたようだが、彼らを激怒させた者達は痛感したことだろう……『魔王殿下は本当に優秀であり、ヤバイのはあの異世界人と騎士達だ』と!
ミヅキ達はエルに説教されていたようだが、彼らは揃って満足そうであったと聞いている。絶対に、反省などしていない。
そもそも、エルとて自分の行動がどう見られているか知っているのだろうか。
「エルもねぇ……あの子、自分がすっかり親猫じみた行動をしているって自覚があるのかしら?」
「……」
目を逸らしたジャネットに、私の考えが単なる杞憂ではないことを知る。
そう、周囲の『猫親子』という認識には……エル自身にも十分な原因があるのだ。
「ミヅキを伴って歩く時のエルってね、時折、ちゃんと付いて来ているか確認するように振り返るのよ。ミヅキも歩幅が違うせいか、小走りになって追う時もあるし」
偶然見たエルとミヅキの姿は、本当~に猫の親子のようだった。寧ろ、そうとしか思えない。
だが、見ている方からすれば和むというか、微笑ましい光景であって。猫好き達からは『尊い』とさえ、言われているものだったのだ。
ちらちらと子猫(=ミヅキ)を気遣う親猫(=エル)に、子猫は必死に付いて行く。高く結い上げた髪を尻尾の如く揺らしながら、小走りで親猫の後を追うのだ。
そして、時にはミヅキを叩いて叱る。そんな姿はどう見ても、躾をする親猫だった。後見人は普通、叩いて庇護対象を躾けない。
……。
エル……貴方こそ、親猫と言われても否定できないわよ?
だけど……和むのも事実だった。寧ろ、エルからそのような言動を引き出す存在があっただろうか?
ミヅキがエルを恐れていないことも一因だろう。だが、エルの態度も随分と砕けたものになっている。はっきり言って、女性に対する扱いではない。
叩き、叱り、呆れ、ジトっとした目でミヅキに睨まれて。それでもエルと騎士達がミヅキに向ける眼差しは、『信頼できる仲間』を見るような温かいもの。
そこまでされれば、嫌でも気付く。ミヅキは……エルや騎士達を自分なりの遣り方で守っているのだ。エル達に『当たり前の日々』をもたらす一方で、自分の管理者としてのエルの善良さを周囲にしらしめている。
どちらか片方が一方的に守るのでなく、互いに守り合う関係。
それはあまりにも、エルと騎士達の関係に酷似していた。
アルジェント達がミヅキを仲間と認識するのも当然というものだ。泥を被ることになろうとも、守るべくは主たる存在。『唯一』が共通している上、自己犠牲を厭わぬ態度は彼らには成し得なかったこと。
『国に仕えるか、否か』……その違いを存分に活かし、ミヅキは飼い主たるエルを守っている。その根底にあるのが己が生活というあたり、ミヅキらしいのだろうけど。
「叱られても、叩かれても、あの子はエルの傍に居たがるわ。本当に、猫みたいよね……大好きな人の傍に居たいことは勿論だけど、そこが一番安全だと知っているのよ。だから、飼い主が害された時は躊躇いなく牙を剥く」
黒猫の忠誠はとても単純だ。エル以外があの子に対し、『それなり』の対応をしたからこそ、あの子はエルを飼い主に定めた。
誰だって、居心地のいい場所で生きていたいじゃないか。それがとても得難いものであることを知ったならば……叶えてくれた飼い主に悪意を向ける輩なんて、消し去ってしまいたいに違いない。
「あの子は自分を『化け物』と称しているし、エルを飼い主と認識しているけれど、それはごく当たり前の感情なのよ。『そこまであの子を守り、人として生きさせてくれたのが、エルだけだった』。勿論、今は違うわ。だけど、最初の段階でそれができたのはエルだけだった。だから、ミヅキはエルを無条件に信じている」
最初に守ったのも、好意を以て接したのも、エルだけだった。おそらくだが、ゼブレスト王もそれを察している。だからこそ、ミヅキが……己が親友と呼ぶ存在が、エルに懐く姿を当然と認識しているのだろう。
恩には恩を。
悪意には悪意を。
ミヅキの行動理由なんて、そんなものだ。だが、単純だからこそ強い。
自分のことなど全く考えない『忠誠』だからこそ、ミヅキはエルの望んだとおりに遣り遂げようとするのだろう。
賢く優しい親猫に守られた子猫が、親猫の背を追うのは当然のこと。少々、凶暴過ぎるような気もするが、傍に居るのがあの騎士達なので、大人しさを要求するのは無理というものだろう。第一、彼らは自国からさえも恐れられているじゃないか。
「ふふ……エルは今度こそ自覚するわ。自分がこの国に必要とされていること、そして他国にさえ危険を承知で守ろうとしてくれる存在がいることを! 今はハーヴィスの返事を待っているけれど、個人的には許してあげたいくらいよ。エルの自己評価が覆るかもしれないんですもの」
私だって、『実力者の国』と呼ばれるイルフェナの王妃なのだ。ならば、この事態を利用したっていいでしょう?
そもそも、私は実の父を追い落とした者。対外的には従兄弟であるウィルフレッドが王位を簒奪したことになっているが、その後押しをし、彼を庇護し続けたのは自分である。
私は……王族の姫たる教育を受けた私自身は。
決して、大人しくはないのだ。必要ならば、父の首さえ括ってみせたと言い切れる。
そうならなかったのは、従兄弟が頑張ってくれたからに他ならない。
冷徹な判断ができるくせに、意外と情に脆い従兄弟は。……拾った異世界人を弟分と公言するような情の厚さを見せる一方で、歯向かう者達を容赦なく消し去っていた。
従兄弟がその心を闇に染め上げなかったのは、保護した異世界人が味方してくれたからだろう。
ミヅキと知り合いらしい彼は、己が持つ英知を従兄弟のためだけに使い、王位へと導いてくれた。
部外者ゆえに、グレンは本当に容赦なく『敵』を退けた。
正義や悪などどうでもいい、兄のような保護者……主のためだけに。
ミヅキから教えを受けたというグレンが成し遂げたことを知る私からすれば、エルの状況の変化はミヅキの功績に見えて仕方ない。
あの異世界人達は本当に自己保身など考えず、結果を出すことに拘るのだ。その副産物で己が化け物扱いされようとも、まったく気にしない。寧ろ、それさえ利用する逞しさを持っている。
その功績を受け取るのが……評価されるのが、自分でなくとも構わないのだ。望んだ結果を出すためならば、世界中に悪と罵られても構わないとさえ考える自己中心的な存在。それがミヅキとグレン。
「あの子は何も言わない。評価されることさえ、望まないのだから。だけど、エルだって相当よ」
そもそも、エルは気付いているのだろうか? 目覚めてから気にしたことが『騎士達の処遇』と『ミヅキ』ということに。
普通に考えれば、王族失格である。というか、これまでは絶対にしなかった反応だ。
「健気な黒猫は怒り心頭ですもの。猟犬達だって黙ってはいないでしょう。唯一、彼らに『待て』を命じることが可能な存在がエルなのよね。……私達がそれを望まない以上、ハーヴィスとは『お行儀の良い遣り取り』をすればいいの。どんな状況になろうとも、選ぶのは国よ? だけど、怒っていないはずはない。私もあの子の母親なのよ」
国として、きっちり対応はする。だけど、これほどに他国からのお客様が来ている以上、『ほんの少し』、ミヅキ達から目を離してしまっても仕方がないことだろう。
いくらミヅキの性格が知られていようとも、エルの騎士達が危険な存在であろうとも、優先すべきは彼らではない。なに、『お客様』をこちらに向かわせた各国とて、それに納得してくれている。
「エルがいなければ、本当にあの子達は言うことを聞かないものねぇ」
「……そうですね。殿下が唯一、言うことを聞かせることが可能です。ですが、今は当の殿下が静養中。こればかりは仕方のないことでございましょう」
「そうよね、仕方ないわよね」
――だって、ハーヴィスの自業自得ですもの。
そんな気持ちのままに、ジャネットと微笑みを交わす。長い付き合いのある友人である彼女とて、エルのことを案じ、ミヅキを可愛がっている一人……お気に入りの『猫親子』が見られない日々にお怒りなのだ。
その元凶達への情など、あるはずもない。それでもエルを納得させるためには、大人の対応を心掛けなければならないのだ……つい、子猫と猟犬達に期待してしまうのも仕方のないことだろう。
「どうなるのかしらね?」
今後の騒動を予想し、私は口元に笑みを浮かべる。エルが見たら顔色を変えそうな笑みを浮かべたまま、私は今後に思いを馳せた。
必要以上に、主人公と魔王殿下を会わせない理由。
主人公の凶暴性を理解した上で、『待て』と命じられない状況にしています。
※番外編やIFなどは今後、こちら。
https://ncode.syosetu.com/n4359ff/
※Renta! 様や他電子書籍取り扱いサイト様にて、コミカライズが配信されています。
※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。




