精霊姫
――ハーヴィス・とある一室にて(ハーヴィス王妃視点)
イルフェナからの抗議を受け、事実かと問われたアグノスは不思議そうに首を傾げた。
「そうよ、それのどこが悪いの?」
――だって、私の『物語』に相応しくなくなってしまったんですもの。
その答えを受け、私は言葉をなくす。目の前のこの子は一体、何を言っているのだろうとすら思ってしまった。
そう思ってしまうほど、アグノスからは悪意らしきものが感じられない。聞かれたから答えている、程度の認識しかないようなのだ。
「どこが悪い……ですって? 他国の王族、それも名の知れた第二王子を害したのですよ!?」
冷静にならなければと、内心で己を戒めるも、じりじりと湧き上がってくる感情は否定できない。そこには紛れもなく『ある感情』――所謂『恐怖』が含まれていた。
アグノスが何らかの言い訳を述べたり、襲撃への関与を否定しようとするならば、こんな風に思うことはなかっただろう。甘やかされた王女の我儘……と思うこともできたかもしれない。
だが、私の追及を受けたアグノスはあっさりとそれが事実と認め、先ほどの台詞を吐いたのだ。アグノス以外の人間が一斉に顔を引き攣らせるのも無理はない。
誰もが得体の知れないものを見る眼差しを、当のアグノスへと向けている。もっとはっきり言うならば……それは『恐怖』だった。
か弱い王女に向ける感情ではないのだろうが、アグノスの異様さを感じ取っているのだ。今回の一件の重大さを知っているからこそ、あっさりと認めるアグノスの姿が奇妙に映る。
「私は『お姫様』なのでしょう? だったら、王子様にも『御伽噺のような方』でいてもらわなくちゃならないわ。だって、私はそう在ることを求められてきたのだもの」
「求められて……きた?」
「ええ。亡くなった乳母もよく言っていたわ。『御伽噺に出てくるような、優しいお姫様におなりなさい』って。そう在ることが『私の幸せ』なのでしょう?」
何の疑いも抱いていない、幼子のような言い分。その根底にあるのが乳母の教育と知り、私は顔から血の気が引くのを止められない。
何せ、その元凶たる乳母はすでにこの世になく。間違いを正そうにも、アグノスが他者の意見を素直に受け入れるとは思えなかったのだ。いや、それ以前の問題だろう。
予想以上の事態に、私は気を失うことさえできぬ己が立場を呪った。ここで私が倒れてしまっては、アグノスへの追及ができなくなってしまう。
アグノスの世界は、どこまでも御伽噺が基準となっているのだ。それも『お姫様が主役に据えられている物語』が!
アグノスの特異性を考えれば、これは致命的だった。主役とは『物語の中核たる者』……せめて、脇役として『優しいお姫様』が存在する物語であったならば、こうはならなかったのかもしれない。
アグノスが知る御伽噺とは、『お姫様が主役』であり、『必ず幸せになる物語』。調べた限り、その条件が当て嵌まる。アグノスの幸せを願うならば、どうしてもそうなるのだろう。
そして御伽噺の『主役』は大抵の場合、どのような苦難が降りかかろうとも、必ず幸せな結末が待っている。……そう、『必ず』だ。苦難には自身で立ち向かうなり、他者の助力をもって乗り越えていく。
ならば、今回の襲撃もアグノスにとっては『正しいこと』なのではなかろうか。
物語から外れた王子様の存在は、御伽噺を重視するアグノスにとっての『苦難』。
ゆえに、アグノスは『自ら』排除を試みて、己が世界を保とうとした。
それに『助力』したのは、アグノスに助けられたシェイム達。
シェイム達が助力したのは、アグノスが『優しいお姫様』として接したから!
誰から見ても無茶苦茶な言い分だが、アグノスにとっては正しい流れなのだろう。だからこそ、批難される理由が判らないに違いない。
――『自分は望まれた役割を果たしているのに』と。
どこまでも純粋に、歪な教育を信じているだけ。そう在ることを決めたアグノスにも非はあろうが、そのような姿であるべきと誘導した周囲も罪深い。
そこまで考えて、私は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。今回の一件を起こさせてしまったのは、アグノスへの対処や彼女の周囲の者達の選定を間違った国にもある。イルフェナにそこを突かれれば、言い訳のしようがない。
この場に居る誰もが国の今後を想定し、暗い未来を思い浮かべた。そんな重苦しい雰囲気の中、アグノスは再び不思議そうに首を傾げた。
「皆、どうしてそんなに暗い顔をしているの?」
この期に及んで事態を理解できていないのか。そう思うも、アグノスは『血の淀み』を受けた者であると思い直し、言葉を飲み込む。それに加え、この子の根底にある常識が歪んでいる以上、簡単には理解させられまい。
「……アグノス様。ご自分の仕出かされたことを、本当に理解していらっしゃらないのですか? 貴女様の行動によって、我が国は窮地に立たされようとしているのですよ!?」
さすがに黙っていられなくなったのか、侍女の一人が声を上げた。このような状況であろうとも、王女に対する不敬であることは変わらない。それが判っているだろうに、批難せずにはいられなかったのか。
「お止めなさい。今のこの子に言っても無駄でしょう」
「ですが!」
「この子にそう思い込ませた者達、それを許していた我が国にも非はあります。勿論、私にも。陛下の甘さが最も大きな原因でしょうが、それでも……私が無理に介入することもできたはずなのです」
「王妃様……」
お労しい、と言ってくれる侍女の忠誠は嬉しいが、私の言葉は事実だった。アグノスに忠誠を誓う者達に拒まれようとも、陛下に叱責されようとも、行動すべきだったのだ。
そうすれば、ここまで問題になる前に何らかの対策ができた。……回避できる事態だった。そこに気付いている以上、言い訳はすまい。
そんな決意を込めた私を再び凍り付かせたのは、アグノスの澄んだ声音だった。
「『要らないもの』を排除して、何が悪いの?」
「……え?」
「私の物語に『不要なもの』だもの、物語から退場させるのは当然でしょう?」
どこまでも無邪気に、微笑みすら浮かべて語るアグノス。けれど、その内容はとても残酷なもの。
貴族や王族である以上、政敵と潰し合うことはある。それをアグノスが知っていても不思議はないし、誰かが教育した可能性も捨てきれない。
――だが、アグノスにはその『敵』に対する憎しみすら感じられない。
何なのだ、『これ』は。
そんな言葉が思い浮かぶ。アグノスのあまりな言い分に、私は再び絶句した。どこが『優しいお姫様』なのだ……これでは『他者を命とさえ思わぬ残酷な姫』ではないか!
個人的に憎んでいるわけでも、政敵と思っているわけでもない。純粋に『要らないもの』と思っているからこそ、『消す』ことに躊躇いがない。
いや、それは役割から逸れた者だけが対象ではないだろう。アグノスにとっては自分以外の人間の人生……人の命さえ、己の物語を飾る『物』に過ぎないのだ。
今回はその対象となったのがエルシュオン殿下だった。本人の了承を得ずに割り振った役割のくせに、物語にそぐわないという自分勝手な理由で、何の関係もない他国の王子を殺そうとした。
その身勝手さが『別の誰か』に向かないと、誰が言える? 己の邪魔をするならば……御伽噺の世界にそぐわないならば、同じ扱いをする可能性があるのに?
アグノスの物語、彼女が主役を務める『世界』。その理想に適わなかった人は、物は、国は、一体どうなる?
これが無力な民間人ならば、恐れる必要はないだろう。だが、アグノスは王族、そして『血の淀みを受けた者』。そのカリスマ性に心酔し、尽くす者達が存在する以上、排除や破壊が不可能とは言い切れまい。
現に、エルシュオン殿下への襲撃を成功させているのだ。排除対象が自国へと向いた場合、どうなるか判らない。
アグノスの本性を知らない者達を巧みに利用し、味方にされてしまったら最悪だ。邪魔する者達を悪意なく排除し、己のための国を作り上げようとするだろう。
アグノスにとって、それは『正しいこと』なのだから!
無邪気と無知、無垢と残酷さ。それらを併せ持つのがアグノス。
人の心など判らず、他者のことなど気にしない……残酷な精霊姫。
偶然とはいえ、アグノスの『精霊姫』という渾名は的を射ていたのだ。人と異なる価値観を持ち、己を至上とする精霊に、他者を慈しむ心などありはしない。
そのようなこと、『気にする必要がない』。全ては、彼女の人生を彩る『物』でしかないのだから。
精霊姫の名が示す真の意味に気付かず、表面的な美しさや優しさに心酔した者達はいつしか、己の人生をアグノスに絡め取られていく。忠誠という名の鎖に繋がれ、その在り方を疑問に思うこともない。
思わず、一歩下がる。アグノスが得体の知れない、恐ろしいものに思えてしまって。
そもそも、『血の淀み』とは、血の近い者同士の婚姻が生み出したもの。血の薄まりと共に発散されていくはずの、長い年月の果てに溜まっていったドロドロとしたもの――王族・貴族の業――が凝縮し、人の姿をとって現れるならば、今のアグノスのような存在ではないのだろうか?
「王妃様?」
不思議そうに首を傾げるアグノスは相変わらず美しい。幼さが残る仕草も、彼女の容姿と相まって無垢な印象を与えるだろう。
だが、この場にそう思う者は皆無だった。アグノスの狂気を垣間見たせいか、皆の視線には若干の脅えが含まれている。
駄目だ、『これ』は我が国に残せない。
陛下には申し訳ないが、『これ』を制御するなど不可能だ。誰かを身代わりにするなんて甘いことを言わず、排除してしまえる機会と思った方がいい。
陛下は反対するだろう。だが、今回ばかりは私も退く気はない。泥を被ることになったとしても、アグノスにこれ以上好き勝手をさせては駄目だ。
『血の淀み』を持つ者の中には、無害な者もいることは知っている。だが、アグノスはそれに該当しない。『無欲』でも、『己が望み』がないわけでもないからだ。
アグノスからすれば、『幸せになれるよう、努力した』ということなのだろう。『自分は【御伽噺に出てくるようなお姫様】でなければならない』と、どこまでも純粋に考えているだけなのだ。
そうしてしまったのが周囲の者達だったとしても、私はアグノスに同情する気にはなれなかった。全てはアグノス自身の意思で行なってきたこと……アグノス自身が選択し、行動してきた結果なのだから。
――ごめんなさい。貴女の娘を守ってあげられない。
胸中で、今は亡きアグノスの母へと謝罪を述べる。ろくに会うこともなく、親しかったわけでもない。それでも命と引き換えに娘を産んだ彼女への敬意がないわけではなかった。
そんな彼女の最期の願いであろうとも、国にとって害となるならば排除する。それが王妃である私の誇りであり、責任であろう。
「……もう十分です。これ以上は無駄でしょう」
深く溜息を吐いて、アグノスへと背を向ける。陛下への説得は気が重いが、やるしかない。あとは、イルフェナへの謝罪だ。陛下やアグノスの信奉者達が勝手なことをする可能性があるから、きつく言い含めなければ。
アグノス、貴女にとって私は御伽噺の悪役に等しい存在なのでしょう。どのような罵りも甘んじて受けますから、『悪役に殺された、可哀想なお姫様』になってくださいな。
「私は『お姫様』を演じなければならないのだから、他の人も当然よね」
アグノスの思考はこんな感じ。他者に役割を強要するのは彼女なりの理由があります。
そして、前話で決意した直後、精霊姫の予想以上のヤバさを知る王妃様。
精霊姫に罪悪感などありません。彼女にとっては正しい行動なのだから。
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