無知がもたらす未来とは
――イルフェナ・牢にて(襲撃者視点)
牢の中で一人、これまでのことを反芻する。こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。
気付かせたのは魔王付きの騎士。俺達の術を打ち破り、俺を拘束した騎士達は『最悪の剣』の名に恥じぬほど優秀で、残酷だった。
※※※※※※※※※
「俺達が望む『断罪』の相手は、お前達ではない。我らが主を害するよう命じた者だ。勿論、お前達にも相応の罰は受けてもらうがな。ああ、何も言わなくていい。初めから期待していない」
「……」
「だが、覚悟するがいい。俺達は必ずそいつに辿り着く。その程度のことができなければ、『最悪の剣』などと呼ばれはしない。貴様らのような輩など、少し前までよく湧いていた。その全ての『敵』を狩って来たからこそ、俺達はそう名乗ることを許された」
「……っ」
淡々と語られる言葉に、初めて恐怖を覚える。片目を隠すような髪型ながら、この男の容姿がとても整っていることも恐怖を煽る一因になっているような気がした。
「他者に恐れられることもまた、俺達の誇り。主の敵を噛み殺せぬ猟犬など、飼われる価値はない。唯一と決めた主に傷を負わせたんだ……それに見合った『対価』を払ってもらうぞ」
冷たい目で告げる黒衣の騎士の言葉に、俺は固まった。口を割りさえしなければ、罪に問われるのは実行した俺達と思っていたからだ。あの方の身分からしても、それは不可能だと。
「できもしないことを……!?」
そう言いかけて、口を噤む。……俺を見る黒衣の騎士の目に、何の感情も浮かんでいないと気付いて。
正確に言うなら、『俺を見ていない』。黒衣の騎士の目は俺を通り越し、すでにその背後にいる存在へと向けられていたのだ。
気付いた途端、言いようのない恐怖が襲い掛かって来た。
黒衣の騎士の言葉、それをわざわざ俺に告げたのは理解させるためではなく、報復の一環なのだ。強者ゆえの余裕……『何もできないまま、ただ見ているがいい』と言わんばかりの傲慢さ!
だが、それが現実だと理解できてもいた。感情の籠らない深い藍色の目、変わらぬ表情の裏で、黒衣の騎士が……いや、彼とその同志達は、すでに報復を決めたのだと……!
馬鹿な、と思わず呟けば、黒衣の騎士は薄らと笑った。
「おや、俺達の本気に気付いたか。俺達を出し抜けるだけあって、馬鹿ではないらしい。今更、気付いても遅いがな……ああ、一つだけ教えてやろう」
「……。何を、だ。俺に情報を与える気はないんだろう?」
好奇心に負けて尋ねると、黒衣の騎士は緩く口角を上げた。
「過去、我らの主を狙った者達は今現在、『誰も存在していない』」
その言葉に、俺は恐怖を一時忘れて訝しむ。いくら何でも、それはおかしい。相手が相手だけに、こちらとてそれなりに調べたのだから。
だが、そこから判るのは『襲撃は数多く行なわれたが、そのどれも未遂に終わっている』ということのみ。勿論、実行犯は処刑されているだろう。王族を狙って、ただで済むはずがない。
俺のような者が秘密裏に処理されている可能性とて、考えなかったわけではない。だが、『襲撃に携わった者』という意味ならば当然、『それを命じた者』とて当て嵌まるはず。
事実、黒衣の騎士は先ほど、『俺達が望む【断罪】の相手は、お前達ではない。我らが主を害するよう命じた者だ』と言っていたじゃないか。俺が奇妙に感じたのはそこだった。
自国ならばまだしも、かの魔王を狙っていたのは圧倒的に他国の者が多かったはず。イルフェナが他国にまで処罰を望んだ形跡はなかった。そんなことをしていれば、それなりに情報があるだろう。
俺の感じた疑問が判ったのか、黒衣の騎士は軽く目を眇めた。感情の見えない藍色の目が、僅かに不快げな感情を宿す。
「誰が『処罰を望んだ』と言った?」
「は?」
「俺達は『主の敵を狩る』んだが。そもそも……俺達は他国からも『最悪の剣』と呼ばれている。ここまで言っても、その理由が判らないか? それとも、認めたくないのか?」
呆れたような口調で、まるで世間話でもしているかのように話す黒衣の騎士。けれど、紡がれる言葉は……そこに含まれる意味は。とてもではないが、世間話などと言えるものではない。
――手を出してはならない存在に刃を向けたと、俺は唐突に自覚した。その理由も、おぼろげながら察してしまった!
情報がないのは当然だ。それが『病死』や『事故』ならば、対外的には報復と認識されまい。報復と気付いたとしても、自分達の側に非があると知れば、その国とて口を噤む。下手に突けば、被害が拡大するだけだろう。
彼らが『最悪の剣』と呼ばれるのも頷ける。『他国においてもそんな真似ができる』ならば、国は間違いなく脅威として認識するに違いない。
そして、他国から脅威として認識されながらも、彼らが滅多に出てくることがないのは……偏に『主が命じないから』ではなかろうか。イルフェナは基本的に他国に攻め入ることをしないため、『必要がない限り行なわれない』というだけ。
勿論、戦にでもなれば話が違ってくるだろう。過去、有事の際にそういったことが行なわれた結果、彼らは他国においても『最悪の剣』という評価を得たのでは……。
体が震えてくる。止まらぬ思考は徐々に最悪の未来を想定させ、今更ながらに震えが止まらない。自分の命は惜しくなくとも、あの方にまで被害が及ぶならば話は別だ。命令に従った俺達の行動が、あの方の未来を脅かす原因を作ったなんて……!
そんな未来をたやすく思い描かせたのは、黒衣の騎士の存在も大きい。目の前の騎士はそういったことを平然と語った挙句、何の罪悪感も抱いていないのだから。俺にわざわざ話を聞かせるあたり、妨害されても遣り遂げるという自信もあるのだろう。
黒衣の騎士に見惚れる女は多いだろうが、今の俺にはとんでもない化け物にしか見えなかった。いや、この騎士だけじゃない。あの魔王も何かおかしかったじゃないか。
先ほどの一幕を思い出す。会話こそ聞こえなかったが、ゼブレスト王と呑気に話をしている魔王の姿に、俺はこの仕事の成功を確信していた。『生まれ持った魔力はあろうが、魔法の一つも使えぬ王子』と。
だが、そんな余裕は魔王と対峙した途端、吹き飛んだ。『本能で感じる力の差』というものを、一瞬で理解できてしまった!
ぞくり、と体に震えが走った。ただ視線を合わせただけなのに、だ。
圧倒的な魔力を前に、俺が感じたのは『恐怖』。そして『本能による警告』。
容姿だけを見れば、非常に美しい王子と言えるだろう。だが、その深い蒼の瞳に見つめられると……それなりに修羅場を経験したはずの俺が、情けなくも逃げ出してしまいたい衝動に駆られるのだ。
何だ、『あれ』は。本当に人なのか?
恐怖を誤魔化すように喋り続けたが、あまり時間がないことも判っていた。仲間達が命を賭して作ってくれた貴重な機会を潰すわけにはいかない――そんな想いが、俺を奮い立たせていたと言ってもいい。
それでもできるだけ顔を合わせたくなくて……あの眼差しから逃げてしまいたくて。俺は狙いを首ではなく腹にし、手にした短剣を突き立てた。
途端に、馴染のある感触が手に伝わってくる。同時に、俺は安堵したのだ。『ああ、こいつも人間だった。ちゃんと殺せるじゃないか』と。
……だが、そんな気持ちも一瞬で消えることになる。
術を破って乗り込んで来た騎士によって俺は拘束され、魔王の腹に突き立てた刃はその勢いで抜け落ちていった。その後は……更なる赤が傷から勢いよく滲み出す『はず』だった。
『……!?』
手には肉を切り裂く感触が残っていた。落ちた短剣は血に染まり、刃を突き立てた部分の衣服とて赤く染まっている。
だが……『それだけ』だった。新たな血が滲み出す気配もなく、魔王の手は傷のある個所をそっと触れるだけ。その手が次々に滲み出す血によって染まることを期待したのに、痛みすらもあまり感じていない、ような。
――おかしい。こんなことは今まであり得なかった。
これでも『仕事』をきっちりとこなせるよう仕込まれていたはずだ。これまでのことを思い浮かべても、致命的な失敗はしていない。
確かに、魔力による威圧に中てられ、多少は腕を鈍らせた可能性も否定できない。だが、狙った場所は腹部……柄までめり込めば、命に関わる傷となることは明白だった。しかも、短剣の刃には毒が塗ってある。
突き刺さった短剣を引き抜けば勢いよく血が流れ、毒も体に回り始めるはず。致命傷であるゆえに治癒が優先して行われ、気付いた時には毒が回っているという状況だ。これは治療が間に合わないこともある方法だった。
身に着けていた魔道具を取り上げた以上、騎士達が乗り込んできたところで、助かる可能性は低い。解毒か傷の治癒、どちらか一方が間に合わなければ、待ち受けるのは死のみ。
なのに――
何故、ろくに血が流れないんだ。
弱っているとはいえ、何故、会話ができるんだ。
どうして魔王を支えた騎士は……治癒魔法すらかけないんだ!?
魔王を支えた黒衣の騎士はその傷を見るなり驚愕の表情となり、次いで呆れたような、どこか誇らしげな表情になった。魔王すらも似たような笑みを浮かべている始末。
俺が大人しく拘束されたのは、その光景が信じられずに呆然としていたからだ。……いや、『信じたくなかった』!
得体の知れない存在を前に、俺の体は恐怖に竦んでいた。『仕事』に対する矜持、あの方への忠誠、俺に任せてくれた同志達への感謝……それら以上に恐怖が勝ってしまった。
魔王はやはり人間ではなかったのだろうか。あれは単なる噂ではなく、本当に『そう呼ばれるだけの要素』を持ち得ていたからなのか!?
混乱したままの俺はたやすく拘束され、その間に魔王とゼブレスト王の姿は消えていた。そして……俺の前には、魔王を支えていた黒衣の騎士が居たのだ。
――思い返せば、奇妙なことばかり。一体、誰がこんなことを信じると言うんだ。
そう思えども、俺が魔王を狙ったことも、こうして拘束されていることも事実。最後の意地を見せ、いつしか俺は目の前にいる黒衣の騎士を睨み付けていた。
「化け物が……! どうやら、あの魔王は本物のようだな! お前達も化け物なのか?」
虚勢であることは判っている。だが、それでも言わずにはいられなかった。『異端』は人に疎まれる。それが常識となっている以上、俺の言葉は奴らを傷つけるものになるはず。
だが――
「ああ、そうなんだろうな。だが、それがどうしたんだ?」
「……何だと?」
「以前はともかく、今は化け物呼ばわりされることを喜ぶ奴がいる。そいつ曰く『人間の法で裁けなくなる素敵な渾名』だそうだ。事実、そいつは化け物扱いされることを強みにしてきた。今となっては、俺も化け物でありたいと思うよ。中々に楽しそうだ」
「な……」
あまりな言い分に固まっていると、黒衣の騎士はにやりと笑った。
「ちなみに、そいつは魔導師だ。聞いたことがあるだろう? 異世界人ながら、魔導師になった奴の噂を。……そうそう、エルシュオン殿下はとても賢くて悪戯盛りの黒猫を飼っているんだ。その猫が今回のことを知れば、盛大に祟るだろうな」
「……?」
何故、唐突に飼い猫の話題を? 意味が判らず訝しむが、黒衣の騎士は楽しげに笑みを深めた。
「クク……俺達の出番など、ないかもな。あれはとても義理堅い上に、飼い主が大好きだ。捕らえようとする者達の手を擦り抜け、勝手に獲物を狩りに行くだろう。しかも、一度狩りに出たら、獲物を狩るまで戻らない」
意味が判らない。そう顔に出たはずなのに、黒衣の騎士も、俺を拘束している騎士達も、周囲に居る者達全てが、楽しげに俺を見ていた。明らかに面白がっている。
……。
そういえば、魔導師は『魔王殿下の黒猫』とも呼ばれていたような気がする。だが、それ以上に『魔王がとても可愛がっている』という情報が多かった上、手駒にはしていないようだった。
その魔導師が『祟る』とでも言うのだろうか? かの魔導師の功績は広く知られており、『断罪の魔導師』と謳われるほど、厳しくも善良な存在であるように感じたのだが。
「そのうち、嫌でも判るさ」
「……」
『最悪の剣』が主の報復を譲るほどの、『黒猫の祟り』。楽しげな彼らには、それがどのようなものか判っているのだろう。
あえて詳細を教えないことで、彼らは俺にささやかな報復をしているのだ。何も知らない俺が不安になることなどお見通しで、黒衣の騎士は俺との会話に興じただろうから。
「本当に……楽しみだな?」
その言葉を最後に、俺は牢へと連れて行かれた。それでも襲撃の時に感じた恐怖が、黒衣の騎士との会話が、俺の思考を捉えて離さなかった。
※※※※※※※※※
牢の中で一人、これまでを反芻していた俺は溜息を吐く。いくら思い返しても時は戻らず、『黒猫の祟り』も何のことやらさっぱりだ。
ただ、一つだけ理解できたことがある。それは『俺達が重大な間違いを犯した』ということ。命令に忠実であることが最善と思っていたゆえの、取り返しがつかない過ち。
あの方に拾われる前、あの国での俺達に自由なんてものはなく。任される『仕事』は当然、公にできるようなものではない。それが当たり前だった。望まれたのは『従順で、使い勝手の良い駒』なのだから。
ろくな教育を受けておらず、ただ『仕事』のみを覚えていた俺達は、『主に従った果ての行動が、最悪の結果をもたらすこともある』なんて知るはずもない。
俺達にとって重要なのは『仕事を完遂すること』であり、考えることではない。ただ与えられた仕事をこなすだけの日々は幸せとは言えなかったが、重い責任を背負うこともなかったと思う。
……もっとも、それは俺達を思い遣ったからではない。
『命じた者』が責任逃れをするにしても、俺達に押し付けるには無理がある。
俺達では、『命じた者』の身代わりにすらなれなかっただけのこと。
『命じた者』と同格、もしくは『そういった命を下せる者』でなければ、世間は納得しないのだ。俺達の隷属を決定付ける物が俺達を守るとは、何とも皮肉なこと。
だから……俺達に難しいことは判らない。余計な知恵を付けないこともまた、日々を生きる上で重要なことだったから。
――その『無知』が主を脅かすことになるなんて。
命令に忠実である生き方は楽だが、時にはとんでもない過ちを犯すことがある。黒衣の騎士との会話で十分、思い知った。
それでも今の俺にできることはない。同志達がどうなったのかすらも判らず、この牢で処罰が下される日を待つことになるのだろう。
ああ、悔しい。あの方の望みを叶えるどころか、俺達こそがあの方を窮地に追い込んでしまう。あの方に危険が迫っているというのに、俺には何もできないなんて……!
どこか呆然としながらも、胸に湧くのは深い後悔だった。思考の停止も、ただ流される生き方も、いつか自分に牙を剥く。自分だけではなく、唯一と慕う方さえも危険に晒す。
それを教えてくれる者がいたら……何か変わったのだろうか? あの方はずっと優しい箱庭で暮らしていけたのだろうか?
主の命に忠実に動いたことに後悔はない。だが、それがもたらす未来を察せていたら、同じ行動をとることはなかったと思う。
俺が普通の生き方をしていたら、様々なことに気付けたのだろうか……?
魔王殿下があまりにも甲斐甲斐しく面倒を見ていたことと善人じみた噂が災いし、
襲撃者は主人公を騎士達の同類と思いませんでした。
……実際は、騎士達よりも遥かに酷い思考回路の生き物なのですが。
そして、主人公や魔王殿下と違い、全く評価の変わらなかった騎士寮面子。
魔王殿下を守る過程で、奴らはガンガン凶暴化していきました。
彼らは実力者の国の精鋭であり、隊長達は高位貴族なので、泣き寝入りは絶対ない。
※『魔導師番外編置き場』ができております。IFなどは今後、こちら。
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※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。
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