幸せな人生とは 其の一
『とある愚かな乳母の場合』(乳母視点)
――このお方を必ず守ってみせる。
それが私の役目なのですから。姉のように慕った方の遺した、大事な大事なお姫様。
乳母を任された時はとても誇らしく、必ずやその期待に応えてみせると一人決意しました。その気持ちに偽りはなく、今もそれは変わっておりません。
ですが、男性優位のこの国において『側室から産まれた王女』とは、有力貴族との繋がりを得るための駒。それだけはどうしようもありませんでした。
好いた方との婚姻が許されぬことはお気の毒ですが、それは王家に生まれし者の義務。それ以前に、身分に相応しい暮らしというものがありますから、『王族との婚姻に釣り合う身分の家』以外での暮らしに耐えられるはずもないのでしょう。
まして王女ならば、自由に生きることなど不可能と言ってもいい。王子と違って学ばれるものも、行動範囲も、知り合う者達さえ、両陛下の管理下にあると言っても過言ではないのですから。
――全ては、余計な知恵を付けさせぬため。
……いえ、こういった言い方は良くありませんね。自由を知らなければ、今の状況に納得するしかないのです。手に入らぬものを中途半端に教えてしまうより、初めからそれらのものを『教えない』。これもまた、愛情ではあるのでしょう。
荒れた時代において、自国内での結束は必須。時には政略結婚の駒として他国へと嫁がれる方もいるようですが、我が国は内部の足場固めを優先したと聞いております。元より、部外者を受け入れにくい気質もそれを後押ししたのやもしれません。
ゆえに、他国との縁を結ぶ機会も少なく、王家の血はそれなりに『近い』家々に受け継がれて参りました。そして、その家々から王家の皆様は婚姻相手を選ぶことも多く。
結果として、他国よりも遥かに濃い血を保ったまま、今日まできてしまったのでしょう。
私がお仕えしたお嬢様とて、その影響を受けておりました。侯爵家のご令嬢としてお生まれになったお嬢様はとても美しく、お心も優しい方でしたが……その代わりとでも言うように、お体が弱かった。
子を産むことを求められる女性にとって、虚弱であることは致命的です。お子ができない可能性もありますが、ご本人とて、出産に耐えられるか判らないのですから。
お嬢様は『家の役に立てぬ』と、ご自分の欠点を憂えていらっしゃいましたが、ご家族が責めたことなど一度もございません。心安らかに、穏やかに暮らしていければいいと、そう願っておられました。
……そのように素晴らしい方ですから、誰の目にも留まらないはずはなく。
お体の弱さを考慮し、正妃こそ無理と判断されましたが、側室として王家と縁を結ぶことになりました。お嬢様も陛下――当時は王太子殿下ですが――のことは慕っておられたようですから、お家のためになることも含めて『幸運』と言ってしまっても宜しいでしょう。
――ですが、やはりお嬢様のお体は出産に耐えられる状態ではなく。
身籠られてより、我が子の誕生を心待ちになさっていたお嬢様は。我が子に己が命を与えたかのように、そのまま亡くなられてしまいました。
医師からは『命の保証はできない』と苦い顔で断言され、お嬢様ご自身も何かしら感じ取るものがあったのでしょう。信頼のおける者達へと、お子様のことを頼むようになりました。勿論、私にも。
『貴女はずっと私の味方だったわ。だから、貴女にこの子の乳母を頼みたいの』
『貴女も、貴女の子も、この子の一番の味方になってくれるのでしょう?』
『だから』
『貴女に託すわ。私の大事な、大事な愛しい子ですもの』
『どうか、この子に【幸せな人生】を』
……お嬢様に我が子の性別が判っていたとは思えません。ですが、ご自分亡き後、『亡くなった側室の子』という立場が決して楽なものではないことだけは悟っていらしたのでしょう。
幸いにも、ご正室が王子をお産みになられましたが、それもまだお一人だけ。お嬢様が王子をお産みになられた場合、その才覚が兄王子に勝ってしまえば、争いの火種となりかねません。お命とて、狙われてしまうでしょう。
ですから……お生まれになったのが女児と知った時。お嬢様に味方していた者達は揃って安堵したのです。『最悪の事態だけは免れた』と。
それでも、安心はできません。お嬢様の願いである『我が子の幸せな人生』。それを叶えるため、私達は周囲への警戒と対処を怠らぬよう努めてまいりました。
我らが姫様……アグノス様。銀の髪に淡い空色の目をした、美しい王女様。
お嬢様によく似た顔立ちは美しく、その淡い色彩も相まって、儚げな印象を抱いてしまいます。幸い、お嬢様のようにお体が弱いということはないようです。
――そう、『お体』は。
美しく健やかに成長されるアグノス様は……『血の淀み』を受けた方だった。まるで、お嬢様がその素晴らしさと引き換えに、脆いお体をしていたかの如く。アグノス様は狂気を内に宿していらした。
それでも数年は全く気付かなかったのです。子供特有の残酷さ、そして王族や貴族だからこその傲慢さなどは、珍しくありませんから。
ですから……気付くのが遅れてしまった。
『アグノス……様? そ……その小鳥は……』
『だって、私の髪を乱したのですもの。卑しい生き物如きが私を害するなど、【許されないこと】なのでしょう?』
不思議そうに首を傾げるアグノス様には、罪悪感や悲しみなど浮かんではいませんでした。だからこそ、判ってしまった。
血塗れになった小鳥は、すでに生きてはいなかったのです。そうしたのは……アグノス様なのだと!
アグノス様の仰った『許されないこと』。それは先日、アグノス様を狙った賊を切り捨てた騎士の一人が口にした言葉でした。
当時、幼いながらもアグノス様には信奉者とも言える者達がおりました。彼らからすれば、主たるアグノス様を害そうとする輩など許せるはずもございません。
余裕があれば拘束するのですが、あの時はアグノス様の目前にまで賊が迫っておりました。辛うじて間に合った騎士はアグノス様の目の前で賊を切り殺し、怒りと共に先ほどの言葉を口にしたのです。
ゆえに――アグノス様は彼らの言葉と行動を『学習』し。
それを常識の一つとして『覚えてしまわれた』。
血の淀みだけでなく、アグノス様には先祖返りの影響も多少はあったのでしょう。『惨劇を前に泣き喚くこともしないとは、さすが古き血を持つ王女殿下』……そう褒めてしまったことも良くなかったのかもしれません。
即座に『それは間違いですよ』と諭しましたが、アグノス様はまるで癇癪を起したかのように激昂され、手が付けられないほどになったのです。何より、諭した侍女を憎しみの籠もった目で見るようになり、完全に敵として認識してしまいました。
私達は焦りました。アグノス様の今後を左右するような問題を前に、私達はあまりにも無力だったのです。
元から『そのような状態』なのか、それともあの一件が切っ掛けになったのかは判りませんが、このままではアグノス様のことを排除しようとする者が出ることは確実です。
かと言って、下手に一度根付いた『常識』を否定しようとすれば、諭そうとした者が排除されてしまいます。
……いえ、排除しようとするだけならば、まだマシなのでしょう。幸いにも、アグノス様は幼い。人を本格的に排除するだけの力はお持ちでないのです。
ですが、このまま成長された暁には、どうなってしまうか判りません。これはアグノス様の評価だけでなく、私達自身にも危険が迫るということを意味します。
王族にとっての『排除』とは。『その存在を亡き者にする』という意味もあるのです。
いえ、私のことはどうでも良いのです。最も憂うるべき問題は、アグノス様の将来のことなのですから。
危険視される『血の淀み』、そして『先祖返り』。アグノス様には美しさだけではなく、人の心を掴む不思議な魅力がございました。ある種の魅了、と言ってしまってもいいかもしれません。
そのような人物が己が世界のため、その【正しさ】を維持するために、邪魔な者達を排除する。アグノス様に無条件に従う者達がいる以上、悪い予感で済ませるわけにはいきませんでした。
私は何とかできないものかと、あらゆる伝手を使って調べました。幸いにも、先祖返りの中には真っ当に人生を終わらせた者も存在するのです。ならば、可能性はゼロではありません。
そして……私はバラクシンの教会に残されていた聖女の記録に、希望の光を見つけたのです。
それは誘導とも、洗脳とも言える方法でしょう。ですが、その措置を施すことによってアグノス様が穏やかに生きていけるならば、それは救いではないでしょうか。
その後、私が選んだのは『御伽噺の【お姫様】とアグノス様を混同させ、物語の姫君のような性格になってもらう』という方法でした。
『アグノス様も王女……【お姫様】なのです。ですから、誰に対しても優しく、労わらなければなりません』
『ほら、物語の中の王女様方は優しく、美しいでしょう? アグノス様もその一人なのですよ』
――結果として、私の目論見は成功し。アグノス様の評価は『多少危ういところはあるが、美しく優しい王女』というものに落ち着きました。特に民間からの受けは良く、王家はそれを利用することを思い付いたのでしょう。
アグノス様には元より野心などございませんので、『時々起こる不都合』にさえ目を瞑れば、『精霊姫』と称されるほどに美しくて優しい王女は、良い駒のように思えたのかもしれません。
……。
ですが、私は不意に不安に思ってしまうのです。
近しい者達にとって『精霊姫』という呼び名は、『どこか現実を見ていない様子のアグノス様』という意味も含まれます。民間にはそのような話は流れませんが、正しくは『虚ろの精霊姫』なのですから。
そして何より、アグノス様は相変わらずご自分の世界が壊されることを許しはしない。日頃は『御伽噺のお姫様』を演じていらっしゃるので問題はないのですが、ご自分の世界、もしくは価値観を違えた場合、激しく拒絶されるのです。
それでも……そういった面を恐れていたとしても。私が頭を垂れ、お守りしたいと思うのはアグノス様なのです。私もいつの間にか、アグノス様に絡めとられてしまった一人なのでしょう。
……ですから、アグノス様。
『どうか、そのまま箱庭で幸せな夢を』
伝わるかは判りませんが、掠れた声で最後にそう呟きます。もっと貴女様にお仕えしたかったのですが、病に侵されたこの身ではそれも叶いません。
私亡き後も、皆が貴女様をお守りするでしょう。ですが、それでも足りずに破滅へと向かわれるならば……私を『悪役』になさいませ。
それで貴女様の名誉が守られるならば、私は本望にございます。お嬢様とのお約束とて、果たせたような気がするのです。
……ああ、とても眠い。私にも永い眠りにつく時が来たのでしょう。
アグノス様。私の大切なお姫様。美しくて残酷な、狂気を秘めた『精霊姫』。
どうか、最期の時までご自分に振られた『役』を演じられますように。
母親の過ちは『幸せな人生』を具体的に告げなかったこと。
乳母の過ちは『自分が死んだ後のことまで考えなかった』こと。
一番の軌道修正役が居なくなれば、当然……。
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