忠誠抱きし者の矜持 其の二
――キヴェラ・夜会会場にて(ヴァイス視点)
――『腸が煮え繰り返る』というのは、このような気持ちのことを言うのだろう。
脅えた様を見せる目の前の令嬢が口にした暴言を思い出し、苛立った気持ちを何とか落ち着かせようと試みる。折角、機会を与えていただいたのだ。みっともなく喚き散らす真似だけはしたくない。
護衛としてこの場に居る私にとって、このような抗議は過ぎた領分であることは十分に承知していた。だが、それでもこのまま口を噤むことだけはできなかった。
そして、これまでのことを思い出す。この夜会は彼女達のための『茶番』なのだと。
令嬢が愚かで、強かな性格であることは、これまでの遣り取りで十分判っている。……いや、そのような者だからこそ、私を含めた他国の者達がここに集ったと言ってもいい。
令嬢はキヴェラ王の姪にあたり、自身も公爵令嬢という立場を有しているという。また、母親である公爵夫人はキヴェラ王の妹であり、彼女が王家と非常に近しい間柄であることは周知の事実。
……だが、彼女には王家の皆様方のような責任感も、その血の重さに伴う覚悟もないという。
正直、聞いた時は耳を疑った。確かに、キヴェラは大国として傲慢なところはあれど、属する民から見た場合は紛うことなき『賢王の治世』と呼べるものなのだから。
ただ傲慢なだけ、他者を見下すだけでは、こうはならない。そのような者に国を治めることなど、不可能だろう。
『好意はないが、尊敬の念はある』。私がキヴェラ王に抱く感情はきっと、これが一番正しい。サロヴァーラが荒れたからこそ、国を治める難しさは身に染みていた。まして、多くの国を飲み込んだ大国なれば、その難易度は跳ね上がるだろう。
夜会の前にお会いした王家の皆様は皆、此度のことに酷く心を痛めていらした。特に、第二王子の生母にあたる側室様の悲痛振りは、言葉に表せない。
王妃様ともう一人の側室様が慰めていらしたが、元凶どもが全く反省していないのでは、その憂いが晴れることはないのだろう。
いくら公爵夫妻が血を残すことだけを望まれた存在であったとしても、生まれ育った家が王家に迷惑をかけているのだ。情けなさと申し訳なさで、側室様は胸が一杯なのではなかろうか。
対して、ルーカス様の弟君達――腹違いの弟王子様方――に悲痛な様は見られなかった。どうやら、失望する時期はとっくに過ぎていたらしく、今回の茶番を歓迎しているらしい。
妙に迫力ある笑みを浮かべた第二王子殿下の口から『兄上と魔導師殿が奴らを仕留めてくれますから』という言葉が出た時、第三王子殿下はそれはそれはいい笑顔で笑っていた。そこから感じられるのは、兄上様と魔導師殿への信頼、そして元凶達を排除できる喜び。
……少々、キヴェラ王の側近の皆様が引いていたような気もするが、弟王子様方の言い分は当然のことだろう。まして、母上様をあれほどに嘆かせているのだ、許せるはずがない。
だが、未だ成人前だという弟王子様方は……決して、個人の感情だけでそれらの言葉を口にしたわけではない。
勿論、まだ感情が表に出てしまう点は未熟だろうが、お二人は国のことを第一に考えていらっしゃった。……ルーカス様を交えたご兄弟の遣り取りに、つい、サロヴァーラの姉妹姫を思い出してしまうほど。
楽しげに言葉を交わそうとも、王族としての矜持は揺らがない。
キヴェラだけではなく、それはどこの国でも見られる光景であるはず。
だからこそ……私は皆様を応援して差し上げたいと思ってしまった。
どんな国にも、他国には見えぬ苦労がある。通常は隠すそれを、他国の者達に見せてでも取り除きたいほどの『障害』。自国に被害が出る可能性も含め、私は元凶達が排除されることを願った。
何より、此度の任務は……騎士である私にとって、非常に誇らしいものなのだから。
『いいこと、必ずミヅキを守りなさい。貴方が纏う衣服は、我がサロヴァーラの騎士であることを示すもの。他国の者達とて、貴方の行動を見ているでしょう。私を恩知らずにするも、恩を忘れぬ【魔導師の友人】にするも、貴方次第よ』
当初、私はティルシア様の言葉を『国が受けた恩を返して来い』という意味だけだと思っていた。だが、後になってそれは間違いであったと……『それ以上のことも含まれていた』と気づいてしまった。
ティルシア様と魔導師殿は仲の良い友人同士だと伺っている。ならば、この茶番にサロヴァーラが絡むのは『魔導師殿の誘いあってこそのもの』。
そうは言っても、ティルシア様自身が動くことはできないだろう。他国の目もある上、今はサロヴァーラのことだけで手一杯のはずだ。
そこで、魔導師殿と比較的長い時間を過ごした――魔道具も戴いているので、それなりに信頼していただけたと思う――私を遣わせることを思いついたのだと思う。
現に、護衛という割に遣わされたのは私一人。魔導師殿はサロヴァーラの者を基本的に信頼していないので、このような人選になったのではなかろうか。
そんな状況で、私が果たすべき責任が『魔導師殿の護衛』だけであるはずもなく。
――私の行ないによって、サロヴァーラだけではなく、ティルシア様の評価が決まるのだ。
『友人として何ができるか』、そして『望まれた役割を果たすことができるか』。重要なのはこの二つだろうが、魔導師殿はサロヴァーラの現状をご存知なので、それほど大きな働きは期待していないのかもしれない。
だが、そんな状況で望まれた役割をこなしてこそ、ティルシア様は胸を張って『魔導師の友人』と名乗れるのではないだろうか?
そもそも、魔導師殿はほぼ一人でサロヴァーラの状況を覆した方。そのような方に友と認めてもらうならば、この程度のことはできなければならないだろう。ティルシア様ならば、そう思われるはず。
国のため、あれほどの覚悟をされた方なのだ。そして、そのような方に手駒として選んでいただけたことが誇らしい。
私の役割りが魔導師殿の護衛に過ぎないことなど、よく判っている。だが、私は確かな忠誠と誇らしさをもって、この場に挑んでいるのだ。身に纏うサロヴァーラの騎士の証こそ、私の誇りである。
……そう思っていたというのに。
『サロヴァーラの騎士様とお見受けします。同じ騎士として……いえ、魔導師様に助けられた者として、どうか、魔導師様に口添えしていただけないでしょうか?』
『どうか、どうか。お願いします! 私達が愚かであったことは十分、理解致しました。謝罪も致します! ですが、私達のことにキヴェラの次代……王太子となられる方とそのご生母様を巻き込むわけには参りません!』
ただ傲慢で、忠誠心の欠片もない輩と、我らが同列、だと?
そればかりか、仕えるべき方達を引き合いに出し、己が罪から逃れようなど……!
リーリエ嬢は私に向けて言ったのだろうが、ここには『魔導師殿に助けられた国の者達』が揃っている。私を含め、即座に彼らの空気が変わったのはそのせいだ。また、これはルーカス様の傍に付いている二人の騎士達も同じだった。
……当然だろうな、彼らはこの茶番において『ルーカス様の傍に付くことを望まれた騎士』。忠誠心が低いはずがない。リーリエ嬢達を自国の恥と思うことは勿論のこと、王家を都合よく利用しようとする輩など、許せるはずがない。
そんな私達の想いを、ルーカス様は酌んでくださった。発言の許可を快くくださったのは、ご自分の騎士の怒りを感じたせいもあっただろう。
魔導師殿とて、それは同じ。深い信頼関係を築く守護役達の怒りを受け、私の憤りを理解し、抗議の後押しさえもしてくださった。
「サロヴァーラ国、エヴィエニス公爵家が四男、ヴァイスと申します。……先ほどの貴女の発言について、抗議いたします」
だからこそ、皆様に恥じない行ないを。国だけでなく家名を名乗るのは、正式な抗議とするためである。
怒りのままに言葉をぶつけるのではなく、リーリエ嬢の思い違いを訂正しようではないか。私の抗議が、この茶番に興を添えることになるならば……勝手な真似をしたことで処罰を受けようとも、私は己を誇るだろう。
だが、そんな決意を抱いて抗議に臨んだ私を硬直させたのは、後押しをしてくれたはずの魔導師殿だった。
「あー、ちょい待ち。ヴァイス、抗議する人間が違う。こっち、こっち」
「は、はあ?」
そう言うなり、いつの間にかセイル殿の腕から抜け出した魔導師殿は、私の腕を引くと体の向きを変えさせる。これは守護役の皆様達も予想外だったらしく、誰もが少々、困惑気味だ。
何せ、私の視線の先に居るのはルーカス様。魔導師殿はルーカス様に訴えろとでも言いたいのだろうか……?
「あの、私はキヴェラに抗議するのではなく、リーリエ嬢個人に抗議したいのですが」
「うん、判ってる。だけど、無駄なことはしない方がいいと思うよ?」
「な!? 魔導師殿もそう思われるのですか!?」
魔導師殿の言葉を聞いた途端、リーリエ嬢の顔に笑みが浮かぶ。ほんの一瞬であろうとも見えた、得意げな笑み……それは紛れもなく、彼女が反省などしていないと判らせるものだった。
「何故です!? 貴女らしくもない! ……いえ、言葉が過ぎました。お許しを。ですが、魔導師殿が許そうとも、私は抗議させていただきます」
憤りを隠さぬままに魔導師殿へと宣言すれば、魔導師殿はきょとんとして、首を傾げる。
「え? 私も許す気はないけど?」
『は?』
「……? あの、意味が判らないのですが」
揃って疑問の声を上げる皆様と、困惑を露にした私に対し、魔導師殿は首を傾げたまま答えをくれた。
「だって、言っている内容を理解できなさそうじゃない。抗議って最低限、『抗議した側の言葉の意味を、抗議された側が理解できること』が前提でしょ? 馬鹿に理解できるはずないじゃん! 時間の無駄だから、ルーちゃんに言えってことなんだけど」
きっぱり、はっきり、『馬鹿に言っても無駄!』と!
「な!? わ、私のどこが……っ」
「全部。貴族としての常識がない、誠意もない、自分が言っていることの意味も判っていない。だから、どうして抗議されるのか……彼らが怒っているのかを『理解できていない』。言葉を尽くすだけ、時間の無駄でしょ」
……。
あの、魔導師殿? 何やら、リーリエ嬢を貶しまくっているようにしか聞こえないのですが……? 現に、リーリエ嬢は顔を赤くして酷く憤慨しているのですが。
だが、リーリエ嬢のそんな姿は、これまでの殊勝な態度が偽りだったと、周囲にさえ知らしめたようだった。聞き耳を立てていた人達の中にもちらほら、嫌悪に顔を歪める者達が出てきている。
「幸い……というか、当然なんだけど。ルーちゃんはちゃんと『貴方達』が怒った理由を理解できているみたいだから、こっちに抗議を伝えるべきだよ。勿論、『抗議したいのはリーリエ嬢であって、キヴェラに対してではない』って言葉も添えてね」
「あ〜……これまでの遣り取りを聞いていると、確かに、理解できるか怪しいな。判った、聞こう」
「ルーカスお兄様!?」
ルーカス様も魔導師殿の言い分に納得できるのか、溜息を吐きながらも頷いてくださった。即座に、リーリエ嬢が悲鳴のような声を上げる。
勿論、ルーカス様がそのような声に怯むはずはない。不快という感情を隠さないまま、ルーカス様はリーリエ嬢へと向きなおった。
「事実だろう、リーリエ。寧ろ、抗議を受けてなお、愚かなことを言い出しかねんだろうが」
「酷いですわ!」
「酷くない」
「そうそう、酷いのは貴女の態度と言葉、そして頭の出来だよ」
ルーカス様を援護するように魔導師殿が会話に加わると、即座にリーリエ嬢は涙を湛えた瞳で魔導師殿を睨み付けてきた。
「またしてもっ……魔導師様は私がお嫌いなのですか!」
「うん、嫌い」
「……っ」
「貴女自身も嫌いだけど、基本的に馬鹿は嫌い。様々なことを理解する努力をせず、状況を改善しようと足掻くこともしないくせに、結果だけは要求するんだもの。労働には対価が必要なんだよ、私は自分の身が可愛い」
「貴様、そういえば『馬鹿は嫌い』と公言していたな。なるほど、そういった意味があるならば納得だ」
「相手をするだけ、無駄だもの。私は切っ掛け程度のことしかできないんだよ? 丸投げされても、結果が出るわけないじゃない。……結果が出るのは、『そうなるよう、動いた人達がいたから』だし」
即答され、リーリエ嬢は言葉に詰まる。あそこまではっきり言い切る魔導師殿もどうかと思うが、言いたいことは理解できる。確かに、相手をするだけ無駄だ。私の抗議とて、都合よく解釈しかねない。
だが、リーリエ嬢にとっては酷く屈辱なのだろう。大人しく引き下がるどころか、尚も言い募ってきた。
「では! 『賢い』魔導師様に解説をお願い致します。愚かな私にも理解できるよう、お願いできませんか?」
判りやすい挑発ではあった。だが、その途端、魔導師殿は密かににやりと笑った。
「へぇ? 『解説を求める』と?」
「ええ!」
「ふーん……いいよ、解説してあげる。それは『理解する意思があり、問題から目を逸らすことができなくなる』ってことだからね?」
「えっ」
不穏な空気を感じ取ったのか、リーリエ嬢の顔が強張った。だが、もう遅いらしい。
「『魔導師』に『わざわざ』解説させた以上、『貴女が問題を理解できずとも、問題ない』。この国の人間が理解し、納得すればいいの。……ルーちゃんも聞いている上、他国の人間だって居る。彼らの後押しがあれば、『私に都合のいい解釈が混じろうとも、貴女には拒否できない』。『決定権はこの国の王にある』からね」
リーリエ嬢は怪訝そうな顔をしているが、私は軽く目を見開いた。そして、改めて魔導師殿の手腕に舌を巻く。
魔導師殿は間違いなく、ティルシア様と亘り合った方なのだと……今更ながらに思い知った。魔導師殿は自分を関わらせることで、リーリエ嬢の逃げ道を塞いだのだ……!
魔導師殿の解説がある以上、リーリエ嬢は『あらゆる言い訳が封じられる』だろう。
しかも、解説は『魔導師殿に都合のいい解釈のもの』であり、覆すことができなければ、それがまかり通ってしまう。
この場でそれが行なわれる以上、反論がなければ『キヴェラの者もそれに納得した』と判断され。
そこに私の抗議が成されれば、リーリエ嬢への抗議は『キヴェラも納得したもの』となる。
私一人の抗議では、公爵夫人に潰されてしまうかもしれない。もしくは、本心からキヴェラの次代を案じる者達が結託し、握り潰してしまうこともあっただろう。
いくらキヴェラ王やルーカス様であろうとも、選ぶのは自国なのだ。都合の悪いことは握り潰すのが常。リーリエ嬢への簡単な注意だけで終わらせる可能性とて、十分にあったはず。
だが、私の抗議は……もはや、私一人だけのものではない。魔導師殿が私の味方に付いたような状態なのだ。それだけではない、私同様に怒りを滲ませた他国の皆様が魔導師殿の言い分に賛同すれば、キヴェラとて、相応の対処が必要になってくる。
今からリーリエ嬢が相手をするのは私ではなく、柵のない魔導師殿。
魔導師殿は我らを……ティルシア様を軽んじられたことを、怒っていらしたのだ……!
本来、リーリエ嬢に抗議する権利があるのは、はっきりと同類扱いされたサロヴァーラのみ。だが、そこに魔導師殿が加わることで守護役達を巻き込み、下手をすれば、他国からもチクリとお小言がいく。
何より、キヴェラにとって魔導師殿は恐怖の対象と聞いている。これでは、リーリエ嬢を生贄にして国を守ろうと考える者とて出るはず。
「貴女が望み、私を巻き込んだ! ……自分から『災厄』を招き寄せるなんてねぇ?」
クスクスと楽しげに笑う魔導師殿の意図を察してか、他国の皆様もどこか楽しげだ。不機嫌そうなルーカス様とて、この流れを望んでいらっしゃるのだろう。
その証拠に、ルーカス様はこの会話を打ち切らない。この場で唯一、諫められる可能性を持つルーカス様がこの対応ということは、キヴェラ王のご意志はすでに固まっていらっしゃるということ。それは当然、リーリエ嬢の望みに添うものではなく。
……。
リーリエ嬢。貴女は本当に、愚かな人ですね。ご自身の言葉やその傲慢さだけでなく、あまりにも周りに目を向けなさ過ぎだ。いや、自身の置かれた状況に絶対の自信があるからこそ、あらゆる展開を想定して動くことを忘れたのか……。
ルーカス様の態度から読み取れるものがあるならば、貴女は必死に私達に許しを請うて、この場を治めたことでしょう。それで許されずとも、第三者からの印象は随分と変わったでしょうに。
――ですが、もう遅い。
緩く口角が持ち上がるのをそのままに、私は魔導師殿とその奥に居るリーリエ嬢を見つめた。再び魔導師殿の背に庇われるのは情けないが、これも貴重な経験と割り切って、楽しませていただこう。
リーリエ嬢……先ほどの抗議も含め、私は貴女を許してなどおりません。貴女の相手は魔導師殿にお任せしてしまいますが、抗議はきっちりと行なわせていただきますので、お覚悟を。
前話、ヴァイスが抗議に至った経緯はこんな感じ。
……ティルシアは元気一杯、相変わらずの女狐なのですが。
そして、決意と覚悟の雰囲気を木っ端微塵にする主人公。
めでたく、主人公VSリーリエに誘導完了です。
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