二人の幼馴染
主の居ない部屋で一人の侍女が佇んでいた。
部屋の外には騎士が控えているだろうが、室内にその姿は無い。彼等は主の護衛なのだから当たり前である。
誘拐騒動があったからこそ、念の為に護衛がつけられているに過ぎないのだ。
ひっそりと溜息を吐き、想い人を思い浮かべる。
彼は昔からとても優しく頼りになる人だった。成長と共に道が分かれ滅多に会うことはなくなってしまったが、時折見かける姿に恋心を募らせていった。
なのに。
何故、彼女はああも簡単に彼の傍で笑い合うことを許されたのだろう?
役目など関係なく仲睦まじい姿に、事情を知らぬ誰もが『あの方ならば』と思っただろう。
宰相や将軍でさえ彼女が彼の傍に居ることを受け入れているのだ、認めぬ筈は無い。
私はずっと昔に失ってしまったのに。
私はあの人達に受け入れられることはなかったのに。
醜い嫉妬だろうと私は後悔などしてはいない。
家族を嘆かせようと私は最後まで足掻いてみせる。
一瞬、『彼女』の他者を圧倒するような瞳を思い出し背筋を凍らせるが、震えを無理に押さえ込む。
大丈夫。
私は悟らせてなどいない……いいえ、気付く筈は無い。
だって、私は『彼女に危害を加えてなどいない』のだから。
だから『彼女』が戻った際には、誰より心配したといわんばかりの憂い顔を喜びにかえて迎えるのだ。
「ミヅキ様がお戻りになられたそうです。王宮で休んでおられるそうですよ」
「……! わかりました! すぐに、すぐに参ります!」
さあ、いつもの演技を。
喜びの仮面を貼り付けて迎えに参りますわ、ミヅキ様――
※※※※※※
「エリザ!」
彼女が中庭へ足を踏み入れた途端、名前を呼び抱きついてみる。
ちら、と視線を走らせると騎士達が後宮への道を塞ぐように動いていた。さあ、これで逃げ場は無いよ?
中庭にはいつもより多くの騎士が配備されているし、王宮への道は勿論塞がれている。
余計な邪魔が入ることを考えて中庭に誘導したのです、ここなら罠も仕掛けられないしね。
「ミヅキ様……! ああ、よくぞご無事で!」
心底安堵したとばかりに涙を浮かべて抱きしめるエリザに私も笑みを浮かべる。
……ふ、ちょろいな。
包囲網を気付かせない為に感動的な場面を演出しただけですよ? 彼女は自分の演技に必死で周囲の様子には気付いていないみたい。
お互いに大変白々しい行動ですねー、まあこれからが本番なわけですが。
「ねえ、エリザ? 聞きたいことがあるんだけどいい?」
「はい、何なりと」
「そう。……貴女はだあれ?」
「え?」
私の言葉に笑みを困惑に変えて首を傾げるエリザ。騙す気なら一瞬だろうと凍りつくのは命取りですよ?
一方私は変わらない笑みを向けたまま更に問い掛ける。
「ルドルフの乳兄弟だった貴女は侍女としてずっと仕えてきた。そう聞いてるけど間違いは無い?」
「はい。ずっとお仕えしてまいりました」
「嘘吐き」
抱きついていた腕を離して一歩後ろに下がる。
「貴女の侍女としての行動は粗があり過ぎる。精々、貴族令嬢が行儀見習の為に侍女になった程度。何年も王に仕えてきた侍女としてはありえない」
「それは……乳兄弟ですのでルドルフ様が見逃してくださって……っ」
「ありえない」
「え?」
「ルドルフは王としての自分を優先させている。宰相様も将軍も護衛の騎士達でさえ『個人』ではなく『立場』優先。一人だけ特別扱いなんてあるかしら?」
事実である。ルドルフは気さくだが自分にも人にも厳しい。
私の考え方、受け答え、そして能力。それら全てから判断した上で『親友』と言ってくれてるんだよ。
判り易く言うなら『ルドルフとしてミヅキを信頼する』以上に『ゼブレスト王としてイルフェナからの協力者を評価する』ということだろうか。個人の事情より立場優先は当り前。
魔王様はそれができないような相手を認めることは無いぞ? 民間人に結果を出すことを求める人ですよ!?
「では、問題点を。侍女は主達の会話に入ったりしない、主に必要なこと以外の質問を投げかけたりしない。いくら親しくても不敬に当たるしね、私がイルフェナに報告の義務がある以上は侍女として接しなければならないはず」
「ですが、ミヅキ様は相手をしてくださったじゃありませんか」
「私はね? でもルドルフって私と会話することはあってもエリザと話したっけ?」
「あ……!」
それは無い。用を言いつける事はあっても個人的な事は話していない。
「次。情報を聞き出して他者に流すことは厳禁」
「……騎士達も私が知っている程度の情報は知っている筈ですわ」
頑張りますねー、意外としぶといです。
でもさ? 今の台詞は騎士達への侮辱だぞ? ああ、騎士達が殺気立ってきた。
「彼等が情報を流すことは無いと言い切れるよ? だって……カエル騒動の時に側室達は誰も知らなかったでしょう? もし知っていたら体調不良とでも言って部屋に引き篭もっていたでしょうね」
「そ……それは」
事前に知っているなら部屋にいれば良かったのです。それを誰もしなかったということは『何が起こるか誰も知らなかった』から。
王宮での悪戯と平行して行われたのでエリザは何を企んでるか具体的に知らなかったんだよね。
「私は初めからルドルフ以外を信じていたわけじゃない。だから行動を起こす度に全ての人を試していた。騎士達は幼生を育てさせたことから、宰相様は薬物事件から、貴女は侍女としての行動と情報を与えることから」
薬物事件は最初クレスト家止まりになっていた。だからその後の行動で十分判断できる。
私経由でルドルフにも伝えられるのだ、意図的な隠蔽工作をすればすぐに判る。
「私達は……信じていただけなかったのですか」
「当たり前でしょう? 貴方達はルドルフの味方であって私の味方じゃないもの。それに私を監視していたのだからお互い様」
「え?」
「将軍は私が信じていないことも、試していることも、わざと嘘の情報を与えていることも気付いていたけど?」
後ろを振り向くと美貌の将軍様が無害そうな笑みを向けてきた。
「私もこの国の騎士である立場を優先させております。それらはミヅキ様の行動を見ていれば気付くとは思いますが」
「それに対してお怒り?」
「まさか。貴女の役目を考えれば当然のことでしょう。警戒心が強く賢い理想的な協力者だと思いますよ」
でしょうね。むしろやらなかったら無能の烙印を押されていたと思う。
その過程を経て今は仲良くしてるけどね? あの状況ではお互いが認め合うまで気を許すなんてありえないでしょうが。
私としても魔王様の監視の目があるのです、真面目にやりますとも。
笑いを取ることも評価に繋がってるっぽいけどな……!
「扇子にイヤリングに髪飾り……これが魔道具だとベントソン伯爵は知っていた。覚えてるよね? 貴女が聞いてきたんだし」
「……ええ」
「これが決定打。あの時の事は護衛の騎士達が覚えているだろうし、ベントソン伯爵との会話も記憶を見せれば十分な証拠となる。さあ、もう逃げ場は無いよ。もう一度聞くね?」
にこり、とできるだけ無邪気に笑ってやる。
「貴女はだあれ?」
「……」
答えられないか。それともまだ負けを認めたくないのか。
でも、そんな態度に我慢が出来ない人も来ているんだけどねえ?
そして予想通り私達の会話に一人の女性が割り込んできた。……どうなっても知らんぞ、私は。
「彼女はアデライド・ワイアートですわ、ミヅキ様。今はカルリエド伯爵夫人となった私、エリザの双子の姉にして次期ワイアート家の当主です」
「……! あ……貴女はどうしてここに……!」
「貴女が私を攫わせてからすぐにルドルフ様が助けてくださいましたの。お久しぶりですわね、お姉様?」
エリザ――いや、アデライドは割り込んだ声に体を竦ませると初めて動揺を見せた。まあ、彼女の中では未だにエリザは監禁されてる筈だから当然か。
近づいてくる本物のエリザは顔の造りこそアデライドと同じだが、誰の目から見ても怒り狂っている。
「私に成り代わってルドルフ様に随分と御迷惑をお掛けしたようですわね? 妹を監禁などという馬鹿げた思考にも呆れましたが、挙句にイルフェナの姫誘拐に協力? いい加減になさいませ!」
「貴女に何がわかるのよ! ルドルフ様の傍にいることを許された貴女にっ!」
「黙りなさい! 私はルドルフ様に『御仕えしている』のです。貴女はただ焦がれた相手の傍に居たいだけではありませんか! 立場が違うのです、同じに考える方がどうかしていますわ」
お? ルドルフが好きだったの? アデライドは。
……。
ここに来て初のコイバナですか!?
愛憎渦巻く泥沼展開ですか!? ……ライバルが居ないけど。
後宮に来たのに全然その手の展開来ないんだもん、説教しかしてなかったし。
いいぞ、もっとやれ! 気分は昼ドラ見る主婦ですよ。
「ミヅキ、ちょっとこっちに来い」
「えー……」
「良いから来い。何だ、その楽しそうな顔は」
「初の愛憎劇にわくわくしてます。邪魔をしないで下さい」
「……失礼しますね」
手招きするルドルフに返事をしつつも拒否したら将軍に抱き上げられて運ばれました。
え、またこれですか。折角、面白くなりそうなのにー!
降ろされたらルドルフが腰に手を回して固定してくるし。動くなってことかよ。
その間にも姉妹喧嘩はヒートアップしているようである。
近くで見たい。むしろ煽りたい。
「アデライドはな、未だに俺を幼馴染としか見ていないんだよ」
「は?」
「俺とワイアート姉妹は幼馴染なんだが、アデライドはワイアート家の当主、エリザは俺直属の部下としての侍女になったんだ。その時点で道は分かれたのにまだその頃と同じだと思っている節がある」
「ちなみに姉妹の道が分かれたのは何歳の時?」
「十歳くらいだな」
「……。アデライドに同情できない。そりゃ、エリザは怒るよ」
現在、彼女等は二十三歳。十三年も侍女という名の直属の部下をやってきた以上は忠誠心・能力共にルドルフに認められているんだろう。エリザも十分そのことは理解している筈。
姉が己が責務を放棄したことも。
自分のこれまでの努力が『行儀見習の侍女』程度だと思われたことも。
主であるルドルフに迷惑をかけたことも。
全てが許し難く、同時に情けないのだろう。
自分のことしか考えていない姉に怒り心頭なわけですね、だからあの状態か。
あ、エリザが平手打ちしてる。怪我は治してあげるから好きなだけおやり。
「俺がこの計画を立てた時わざとアデライドに知らせるようにしたんだ。結果、エリザを拉致して監禁し自分が成り代わるという暴挙に出た」
「幸せな頭をしているんだね、できるわけないじゃん」
「まあな。エリザは直に助け出して元々決まっていた婚姻をさせたんだ。一番安全だしな、ワイアートは子爵、カルリエドは伯爵で身分が上だ。その奥方を拉致したことになるから……」
「姉妹だろうと言い逃れできないってことか」
「そういうこと。アデライドとしては妹に対しての行動だと思っているし、ワイアート夫妻も姉妹喧嘩の延長ということにしかならないからな」
「じゃあ、ワイアート家はアデライドの味方?」
「いや。アデライドは見聞を広めるために留学をしていると思っている。滞在予定の場所経由で定期的に家に手紙を出すよう指示してあったから家に居なくても不思議は無い」
アホだ、誰だって成功するとは思わんぞ普通。個人の問題じゃ済まないだろう、どう考えても。
それに本物のエリザにしても疑問に思う行動があるんだが。
「あのさ、侍女の規律に主の情報を洩らしちゃいけないってあるよね?」
「あるぞ?」
ルドルフ、良い笑顔だな。私が言いたい事を気付いてるよね? お前が主犯か。
「じゃあ、アデライドが中途半端に情報を持ってるのは以前からルドルフ公認で嘘を交えて流したから?」
「勿論!」
「うわあ……恋愛対象以前の問題か」
信頼されてないんだね、アデライド。しかも直属の部下であるエリザを侮辱されてルドルフも怒ってるから処罰もかなりキツイものになると推測。
では、私もこの際だからささやかな報復をしましょうか。いいよね?
「アデライドさーん! こっち向いて♪」
「え?」
「お?」
「あら、ミヅキ様?」
アデライドだけじゃなくほぼ全員がこっちに注目する。
おお、アデライドが睨みつけてきますよ! ルドルフが抱き寄せてるように見えるもんね、羨ましかろう、口惜しかろう!
「ルドルフ」
にこりと微笑んで腕をルドルフの首に回し。
「なっ!」
ルドルフの頬に唇を押し当て視線のみアデライドへ。
ルドルフも急に頭を引かれたから私を抱き締めるような体勢になっている。
いーじゃん、頬にキスくらい。
「貴女じゃ一生かかっても、触れるどころか傍に居ることさえできないわ」
抱きついたまま挑発的な笑みを浮かべてやる。
ルドルフの傍に居ることさえできない女にとって、今の私は嫉妬の対象だろう。
さあ、存分に羨むがいい! 這いつくばって許しを乞えなんて言いませんよ、指を咥えて見てやがれ。
「……お前はそういう奴だよな」
「ふふ、今更。痛い目にあわせるよりこうした方が効果的だと思うの」
お互い小声で会話を交わす。演出ですとも、協力しなさいって親友!
疲れたように言うルドルフも私の意図を理解しているのだろう。腕はそのままだ。
何人かが顔を赤くしてるけど気にしない!
「さすがは鬼畜姫。人の触れられたくない部分を的確に抉るのですね」
セイルよ、後で覚えておけ。