血塗れ英雄と鬼畜姫
立ち止まり後ろを振り返る。通路には二人の男達が転がったまま呻いていた。その手足がおかしな方向に曲がっている原因は私だが。
「どうなさいました?」
リュカが尋ねてくるが、彼自身も何となく違和感を感じて警戒しているようだ。今まで私が口にしなかったからこそ脱出という目的を優先させていたのだろう。
「リュカ、この館の警備はいつもこの程度なのですか?」
「いいえ。私が知る限り少なくともこの十倍の警備兵はいますね」
地下牢を出た直後の通路には五人の警備兵が居た。だがその後は使用人の方が多く、館の広さにしては明らかに警備がいい加減である。
使用人も敵として問答無用で手足を折った私が言うのも何だが、脱出し易過ぎるのだ。
なお、使用人達の命乞いを一切聞かなかった為に鬼畜呼ばわりする奴も居たが、そんな自分勝手な理由は笑顔で無視してやった。この状況での先手必勝に何の問題があるというのさ。
私には使用人に扮した暗殺者や警備兵を見分ける能力はないのだよ。だから『敵』という枠に一括りするのは当然です。ついでに言うなら私を『イルフェナの側室』だと知ってる時点で敵確定ですがな、主の行いを知ってる訳だしね? ただで済む筈なかろう。
「もしかすると庭で待ち受けているのやもしれません。内部では集団で襲い掛かることもできませんから。数で攻める気ならば考えられます」
「そうね。魔導師を相手にする以上、正面からぶつかろうとは思わないでしょうし」
意外と考えているのだろうか。それにしては魔術師どころか魔力持ちも今のところ遭遇してないぞ?
「考えても仕方ありません。そのまま玄関へ向かって脱出しましょう」
「宜しいのですか?」
「外への最短距離ですし、周囲を壊せばここの異常に気付く者も居るでしょう。それに私達がこそこそする必要などあるかしら?」
私が転移させられたのを騎士達は見ているのだ、だから自分で訪ねて来たという言い分は通らない。破壊活動しようが脱出の為なのです、非は明らかにベントソン伯爵にある。
王宮から騎士が救出しに来るというのが王道だとは思いますが、私は便宜上『姫』と呼ばれているだけであって本物じゃありません。
自力脱出です、自己防衛です、リュカという証人兼協力者を連れてそのまま王宮に駆け込み『至急お知らせしたいことが!』と告げる主人公的王道展開をやろうと思います!
「ありませんね。差し出がましいことを申しました」
「いいのですよ、リュカ。警戒すべきは本当のことなのですから」
リュカ君、順調に騎士らしくなってますね。良い傾向です。私が普通じゃないだけで君の判断は正解ですよ?
目的が『姫を無事に王宮へ連れて行くこと』である以上は警戒し過ぎることなんてないのだ、普通の姫に戦闘能力はない。身分的な問題も踏まえて自分より強くとも、『姫』に役に立つことを求める方が間違いだ。
今回は私が派手に己の正義を振りかざしたいだけなのです、映画だと見せ場の一つですよ!
敵を蹴散らし堂々と出て行くシチュエーションは一つの王道ですね! しかし『圧倒的強さで敵を蹴散らす』という同じ行動にも関わらず悪党サイドがこれをやると何故か非道扱いになる不思議。
今回は明らかに私達が正しいので、敵に対しての攻撃は周囲の支持を受け『使用人にまで怪我をさせたのは仕方がなかった』で済ませられると推測。怖いな、正義って。
「さあ、参りましょう?」
「はい」
理解ある騎士に笑いかけると私達は再び歩き出した。
※※※※※※※
「……」
「……」
「……リュカ」
「言わないで下さいよ、俺も混乱してます」
リュカも思わず騎士モードから言葉遣いが戻っている。うん、この状況は仕方ないと思う。
外へ続く無駄にでかい扉を開けたそこは――紅の庭だった。
手入れされた庭を彩るのは鮮やかな赤い花……などという平和なものではなく。
整えられた草花が不自然に赤黒く染まっているとか。
赤く染まっていることを除けば寝ているようにも見える、武器を握ったままの男達とか。
水溜りのごとく点在する赤い血溜りとか。
どの死体も首を掻き切られての失血死じゃないだろうか。他に外傷っぽいものが見当たらないし。
とどめは視界の端で最後らしい男達と切り合っている全身を紅に染めた人。距離があるけど辛うじてゼブレストの騎士だとわかる。赤いのは返り血を浴びたからか。
「凄ぇ……全部一撃で殺してやがる」
「え?」
「少なくとも周辺の死体は全部喉狙いで殺されてます。一番確実で腕がなきゃできない殺し方ですよ!」
ああ、確かに頚動脈をざっくりいけば死ぬわな。至近距離でざくざく切りまくったから盛大に返り血を浴びたのね。
で。
問題はそんなことじゃなく。
「あの人……味方だと思う?」
「騎士ではあると思いますが……」
これだよね。え、次は私達が標的だったりする?
どうやらこの人が来てくれたお陰で主な警備兵は庭に集ったらしい。どのみち私達も確実に外へ出てくるのだから、双方を相手できる上に集団で囲む戦法が取れるこの場所は都合が良かったのだろう。
だが、思わぬ落とし穴があったようだ。たった一人と侮った侵入者に全滅とは。
そんな事を考えているうちに最後の一人を倒した赤い人はこちらに気づいたらしい。
「リュカ、私が相手をするからそいつ連れて王宮へ行って!」
「できませんよ!」
敵か味方か不明なのです、とりあえず私が相手した方が生き残れる気がする!
そんな思いも虚しく、その人物は私達に近寄りながら笑みを向けた。
「お迎えに上がりましたが……私と戦うおつもりですか?」
「え、セイル将軍? 色違いの偽物とかじゃなくて!?」
「色違い……」
「2Pカラーとかかもしれないし! それなら悪党サイドでも納得する」
実は双子とかクローンとか。無駄に色々設定のあった世界を知る人間からすると一瞬疑います。
「ミヅキ様は私にどういった印象を抱いておられたのでしょうね?」
「腹黒い、地味に手加減なし、女じゃないのが惜しまれる美人」
「……。最後のは否定させてください」
「よし、本物! お迎え御苦労!」
「……貴女という人は」
正直過ぎる言葉に笑顔が引き攣ったような気がしますが気の所為でしょう。この反応は間違いなくセイルです、良かった良かった。
微妙に笑顔が怖いのは気にしない! まずは身の安全が優先です。
「しかしまあ……派手にやったわねー」
「私の顔を知っていたらしく、話し合い以前に切りかかってきましたので」
「喉を狙った? 頚動脈を切ると確実に死ぬわよ?」
「以前、魔術師を相手にした時に有効だと学びました」
「じゃあ、何故に顔はそれほど血を浴びてないのかな?」
「視界が塞がれると面倒でしょう? 他はともかくそれだけは避けますね」
「魔術師相手?……この強さ……まさか、紅の英雄!?」
セイルの言葉にリュカが反応する。
リュカよ、紅の英雄は十年前の人だ。本人なら紅の英雄は十代だったことになるぞ?
そう言おうとした私の声は言葉にならぬまま、思わぬ人に遮られた。
「ええ、そうですよ。あの時、魔術師達を皆殺しにしたのは私ですから」
「は? マジ?」
「ルドルフ様の護衛として付いて行った際に敵の魔術師団が現れまして。結果として殲滅という形に」
「……もしや喉を狙うのって」
「詠唱させなければ魔術は発動しないでしょう?」
将軍、大正解。当たり前のことなのに魔法の威力を恐れるあまり試す人が少ないのだ。
ついでに言うと接近されると魔術師は本当に無力。頭脳職なので武器で対抗なんて真似はまずできない。しかも集団だった場合、味方を巻き込む恐れがあるので迂闊に魔法も撃てないのだ。
「殺すことに恐怖も躊躇いも感じません。ミヅキ様でもやはり恐ろしいですか?」
軽く首を傾げてセイルは問う。いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、髪からは命の紅を滴らせて。
さっきの受け答えからセイルが敵を殺す事に対して何の感情も抱いていないのは確実だろう。殺すことに対する恐怖のない人物が確実に相手を仕留める腕を持っている――それこそ彼が英雄と成り得た理由か。
だけどね、将軍?
「セイル、ちょっとこっちに来て」
「はい……?」
池の傍に立ち手招きする私に首を傾げながらも素直に従うセイル。
そんな彼に私はにっこりと微笑んで。
「どうでもいいからさっさと血を落とせ!」
「え、あ、あのっ……!?」
ばっしゃん!
魔法一発、セイルを池に突き落とす。
大丈夫、ある程度の深さはあるみたいだから!
お前の事情はどうでもいいから、とにかく血を落とさんかい。私達、これから王宮行くんだよ?
「ひ、ひ、姫様! 貴女は英雄に一体何を……!」
「何って洗い流し?」
慌てたリュカが駆け寄ってくるが平然と応えてやる。
大丈夫、水に濡れれば水分ごと分離させることができるから。
実はこれ、魔法を学び始めた頃に見つけたクリーニング技術。一度濡らして汚れを水に溶かして一緒に分離する方法なのです。これを職にして生活しようと思ったくらいだもの、安心の腕前ですよ。
「けほっ……ミヅキ様、いきなりは、どうかと思いますよ」
「あら、一気に脱色したわね。じゃあ、池に沈めと言ったら従ってくれた?」
「遠慮します」
「脱色……英雄を池に落とした挙句に色落ち扱い」
リュカ、呆然とするんじゃない。私は間違った事はしてないよ?
だってねえ? 血濡れで微笑んでる奴が出歩いてみろ、ふつーに怖いぞ?
一体どこのホラーゲームかと言わんばかりです、間違いなく通報沙汰。
「あのね、将軍。私は血塗れ姫なんて言われるほど容赦無いの、間接的だろうと私は何人葬ったと思うの?」
「それは……国の為でしょう」
「違う。この世界で生きなきゃならない私自身の為だよ。幾つの綺麗事を並べたところで最終的にはそこに行き着く」
事実なのだ。ルドルフという個人と親友だろうとも利害関係の一致で私はこの仕事を引き受けた。
間違っても国の為だの、友人の為といった感動的な言い訳を使えない。
「だから。純粋に国とか主の為に行動したセイルを怖がるなんてありえない」
セイルは虚を突かれたかのように固まった。リュカも同じく。
「快楽殺人者ならば殺すか殺されるかのゲーム展開、敵として殺そうとするなら迎え撃てばいい、都合で殺されかけるなら全力で抗うだけ。ねえ、そう割り切れる実力を持った私が何故怖がるなんて思うの?」
「そう、ですね。貴女は……そういう人でした」
「姫様、凄いです! そこまで言い切れる人は滅多に居ません!」
誉められている筈なのに誉め言葉に聞こえないのは何故だろう。
私は善人でも博愛主義者でもないのだ、敵に対して容赦しないのは当然ですよ。
「申し訳ありません。貴女を見縊っていたようです」
池から上がり水を滴らせながらセイルは膝をつく。
「お迎えに参りました、ミヅキ様。遅くなり申し訳ございません」
「十分ですよ、セイルリート将軍」
言いながらセイルの水気を払ってやる。払った水が赤かったのは気付かなかったことにしよう。
目の前にはいつもどおりの銀髪の青年が微笑んでいるのだから。
「英雄を跪かせるなんて……貴女は神か!」
感動した! とばかりに尊敬の目を向けるリュカに私は首を振って否定する。
「神じゃない、魔導師よ」
「鬼畜です」
……。
おい、鬼畜って何だ。
胡散臭げな目を向けるとセイルはもう一度繰り返した。
「鬼畜です。敵には容赦なく、味方も時々突き落として楽しむ方です」
「おお、英雄さえ恐れ認める方なのですね!」
「ええ。今までを見て来た貴方なら理解できると思いますが」
「勿論です!」
ほう。そういう事を言うかね?
ならば期待に応えねばなるまい。鬼畜だからね?
「じゃあ、鬼畜っぷりを体験してもらいましょうか♪」
「「え」」
パチンと指を一つ鳴らし。
ばっしゃん!
セイルとリュカは池に突き落とされたのだった。
「ミヅキ様……」
「ふふ、水も滴るいい男……あら美人の方がいいかしら?」
「そうですよね、それでこそ貴女だ」
呆れたように呟くと肩を竦めて笑みを浮かべる。
……。
えーと、将軍様? 突き落とされたのに何故にそんなに楽しそうなのですか?
まさか、白騎士と同類とか言わないよ、ね?