親猫、不機嫌になる
――イルフェナ・エルシュオンの執務室(エルシュオン視点)
窓の外を見ながら、つい溜息を吐く。思い出すのは、アルベルダへと向かったミヅキのことだ。
自然と、私の視線はソファに鎮座している猫親子のぬいぐるみへと向かった。自分の代わりとでもいうようにミヅキが置いていった親猫(偽)の前足の間には、黒い子猫のぬいぐるみが収まっている。
はっきり言って、この部屋にぬいぐるみなんて場違いである。にも拘らず、誰一人突っ込むことをしない。
寧ろ、ぬいぐるみを微笑ましそうに眺めては、その表情をそのまま私に向けてくる。何というか、居た堪れない心境になるのは当然のことだろう。
いや、だからね? 私はミヅキの後見人……百歩譲って庇護者であって、親猫ではないんだけど!?
そう思えども、周囲の者達に私達は猫親子として定着してしまったようだ。私がミヅキを馬鹿猫扱いすることにも原因があるとはいえ、『親猫』、『飼い主』といった認識はどうなんだろう……?
本人が特に不満そうにしていないとはいえ、ミヅキは異世界人。異世界の存在ゆえ、種族差といったものがあるかもしれないが、見た目は『人』だ。あんなのでも一応、年頃のお嬢さんのはずだ。
それがすっかり、黒猫扱い。こんな平和な扱われ方をする異世界人も珍しい。
異世界人は……どれほど努力したところで、『異端』なのだから。本人が持つ常識や能力の差から、どうしてもこの世界の住人達との差が出るのだ。
バラクシンのアリサがいい例だろう。彼女自身が無害であっても、周囲からの認識は『異世界人』というものであり、決して自分達と同列に考えない者達も一定数はいる。
それが改善されたのは偏に、『ミヅキという、規格外の異端が存在したから』。
カルロッサの宰相閣下に『彼女の思考回路は本当に理解できません』とまで言われた突き抜けた発想、己が楽しみ最優先のどうしようもない性格。しかも『世界の災厄』と喩えられる魔導師であり、(結果だけを考えれば)それに相応しい実績持ち。
化け物予備軍と言われても否定できない状況であるにも拘わらず、寧ろ、本人が嬉々としてその認識を広める始末。
『よっしゃぁ! 化け物扱いするならば、人の法で裁けませんよね? 身分制度をシカトできますよね!?』
……。
こんなことを言い出す大馬鹿者に一体、何を言えというのだ。頭痛を覚えた私だけでなく、周囲も困っていただろうが……!
化け物扱いされた悲壮さなんて欠片もなく、それを利用する気満々で策を練るその姿……逞しいを通り越して、ただのアホである。誰が見ても、状況を真面目に捉えているようには見えない。
というか、ミヅキは殆ど悩まずに行動することが多い。本能に従って行動していると言っても過言ではない。それで結果が出るのだから、謎である。
そういった意味では、ミヅキも『天才』と言える部類の人間なのだろう。ただし、『人を陥れること』と『己が楽しむこと』の二点に重きを置く、『嫌な方向性に特化した天災』(注・誤字に非ず)だが。傍迷惑なことである。
それほどの才がありながら、ミヅキに政治的野心は皆無なのだ。
ガニアに至っては、米>(越えられない壁)>王弟一派の追い落とし。
北の大国において、ここ数代続いていた歪みを正したことよりも、ミヅキにとって重要なのは米。確かに、ミヅキに振る舞われた米料理(?)は美味かったが、米は単なる農作物である。しかも、ミヅキが欲したのは飼料にされるような、甘みのない種。
望めばそれなりの地位や名誉、褒美さえも得られるだろうに、ミヅキが望んだのは米の譲渡のみ。ミヅキ曰く、『日本人にとって、最重要のもの。それは食!』だそうだが、この世界的には理解できない理屈であった。多分、同郷のグレン殿以外に理解者はいないだろう。
周囲の認識とて、変わろうというものだ。……『あの珍獣、面白い』的な方向に。
一般的な野心がない代わり、あるのは食への探求心。平和ボケが過ぎるだろう……!
もはや、ミヅキへ向けられる周囲の目は監視ではなく、悪戯盛りの子猫を見守るそれである。実力至上主義のこの国だからこそ、なのかもしれないが。
ミヅキに好意的な近衛騎士達は、子猫でも構っている心境なのだろう。多少、爪を立てられることがあったとしても、その場で叱ればいいだけなのだから。ミヅキがこの世界に貢献していることも事実なので、多少のことならば見逃されるだろうし。
そんな馬鹿猫……ミヅキに比べれば、アリサは極めて普通だ。害がないことも勿論だが、その性格も穏やかである。エドワード殿が傍に居ることも含め、アリサはもう問題を起こすまい。
『アリサが軽んじられた原因となった比較対象こそ魔導師殿ではあったが、比較されていたゆえに無害と判断されたのだろう。魔導師殿の庇護を受けていることも含め、アリサに害をなそうとする輩は当分出まいよ』
以上、バラクシン王の言葉である。……『何故、ミヅキの庇護を受けていると手を出されないのか』といった具体的な内容を避けるあたり、大変気遣いに溢れた言葉であろう。確かに、『黒猫に祟られたくないので、アリサに手を出しません』とは言いにくい。
バラクシンにおいて、ミヅキは相変わらず恐怖の対象らしい。まあ、やらかしたことを考えれば、それも当然なのだが。
ただ……そういった多くの『仕事』がミヅキをこの世界に馴染ませたことは事実なのだ。
『多くの国に利用価値を認めさせたこと』こそ、ミヅキがこの世界で異端視されない最大の理由だろう。『異端であろうとも、結果を出せる』ならば、友好的な関係を築いた方が得である。
ミヅキの悪評がそれほど広まらず、『断罪の魔導師』といった好意的な噂が出回っているのは、そう判断した者達が暗躍した結果だと、私は思っていた。……『自国で動いてもらう際、少しでも周囲の理解が得られやすいように』と。
そして、これまでそうしてきたからこそ、今回の一件も断るわけにはいかなかった。周囲の声や期待も理解できるが、保護者としては腹立たしい。
「エル、まだ拗ねているのですか?」
「折角戻ってきた子猫がまたいなくなって、不機嫌になる気持ちも判るが……お前が命じたことだろうが」
己が思考に沈んでいた私にかけられる、容赦のない言葉。声の発生源にジトッとした目を向ければ、アルは苦笑し、クラウスは呆れた顔をしていた。
「煩いよ、君達! そもそも、『拗ねている』ってどういうことだい」
不機嫌に返せば、アルとクラウスは顔を見合わせ。
「どう見ても、拗ねていると思いますが」
「ガニアの一件では、エルに色々と隠していたからな。そんなことがあったばかりなのに、この事態だ。漸く手元に戻ってきた子猫を送り出さねばならず、八つ当たりもできず。拗ねる気持ちも理解できるぞ?」
言い切られた。何やら、私に向けられた視線が生温かい。
この二人、私が周囲への認識を改めたあたりから、どうにも遠慮が無くなっている。そういった扱いが嬉しいことも事実だが、これまで壁を作ってきたこともあり、妙に気恥しい。ぶっちゃけ、慣れない。
皆もそれを判っているのか、私の態度を指摘するようなことはなかった。そう、ないのだが――
「親猫としては当然でしょう」
「子猫も不機嫌になっていたぞ? あれほど帰りたがっていたというのに、すぐ仕事を任されるとはな」
私達三人だけの時、アルとクラウスはミヅキをネタにして、私で遊ぶのだ。それは私を案じていたり、素直ではない私への気遣いからくるものだと察してはいるが……何だか、からかわれているような心境になってしまう。
また、二人の表情が何というか、その、嬉しそうに見えることも一因だった。無表情が常のクラウスでさえ、最近は小さく笑みを浮かべるようになっている。
これもミヅキが与えた変化なのだろう。もしくは……これまでは私を案じるあまりに気を張り詰め過ぎていただけなのか。
気負うもの、警戒すべきものが少なくなって、アル達にも余裕が出た。そういうことなのだろうか。
反論を諦め、一つ溜息を吐く。私の表情の変化を感じ取ったのか、アルとクラウスも仕事をする時の表情になった。
「今回はミヅキが適任だ。各国の王達は国家間の関係改善を望んではいるが、当然、それに不満を覚える者達もいる。この案件はそういった者達にとって、実に都合がいい。少なくとも、イルフェナ、アルベルダ、キヴェラの繋がりに皹を入れることができる」
「己が利を優先される方は、どの国にもいらっしゃいますからね。困ったものです」
同意するように続くアルに、頷くクラウス。彼らもそういった情報は得ているため、今回のミヅキへの依頼に反対はしなかった。
「国が動けば、嫌でも影響が出てしまう。わざわざ情報を与えてやる必要はない。それに……そういった輩は『魔導師に喧嘩を売る度胸はない』だろうからね」
机の上に手を組み、目を眇める。ミヅキが自分の力としてきた『魔導師への恐れ』。それが今回、彼女が最適とされた要素の一つ。
「ミヅキはあくまでも個人として動く上、キヴェラを敗北させた実績がある。キヴェラとて、ミヅキを再び敵に回す事態は避けるだろう。……国同士の関係に影響するからこそ、国が抗議するべき案件であろうとも、今回は波風を立てない方がいい。けれど、それでキヴェラの貴族達が増長しても困る」
「元凶となったお二方はそれを見越して、新たな婚約を結んだのかもしれませんしね」
「王に反発していた家ならば、キヴェラの公爵家の後ろ盾を得られるのは喜ばしいだろう。いくらウィルフレッド様であっても、たやすく潰すことはできないからな」
蔑んだ目をしたアルが冷たい笑みを湛えて一つの可能性を口にすれば、苦々しい気持ちを隠そうともしないクラウスが続ける。
二人は自身も、家も、揺るぎない忠誠を誇っている公爵家の人間。元凶の一人が近衛騎士ということもあり、この案件を不快に思っているのだろう。
二人の予想はおそらく、正しい。キヴェラ王がどう出るかまでは判らないが、この一件により最も荒れるのはアルベルダだ。
ウィルフレッド王の治世が優れているからこそ、かつて対立していた者達は不安を抱いたまま。実際はグレン殿の方が凶暴――ミヅキの弟分らしいので、多分、間違ってはいない――なのだが、彼はウィルフレッド殿を唯一の主と定めているため、たやすく付け入られることはないはず。
「強引な婚約破棄はそれが理由だろうね。強かな女性ならば、想い人の置かれた状況や自分の立場を利用する。ウィルフレッド王と対立していた家ならば、思わぬ報復ができたと喜んでいるかもしれない。いや……『これを機に、ウィルフレッド王の足元を揺らがせようとする動きが出るかもしれない』ね」
実に、陰険な手だと思う。ただの婚約破棄ならば、これほどに深刻な被害は予想されなかっただろう。
だが、相手はキヴェラの公爵家。それも、『血を残すために逃がされた王女の降嫁先』であるならば……キヴェラ王とて、潰すことに同意すまい。
キヴェラ王自身より語られた、先代の暴挙。戦狂いと呼ばれた王は実の息子達にさえ、その刃を向けた。
それは今も根深く傷跡を残している。キヴェラは王族の血を守るため、アルベルダやイルフェナが抗議しようとも、望む答えをくれる可能性は低い。
ウィルフレッド王はその事情を聞いていたからこそ、そう判断された。ミヅキに話を持ってきたのは、苦渋の選択とも言える。
ただ……その選択は英断と呼ばれるだろうと、私達は思っている。
「困った人達だね、ミヅキの玩具に立候補するなんて。あの子はグレン殿を弟分だと口にしているし、ウィルフレッド王とも親しい。そして、イルフェナの商人達とも知り合いなのにね」
くすくすと笑いながら口にすれば。
「ミヅキは義理堅い性格をしておりますから。己の利にならずとも動くことがあるなど、忠誠心さえ忘れた恥知らずの愚か者達には理解できないのでしょう。ふふ……ミヅキは裏工作や人を陥れることに対し、何の躊躇いもない人ですからねぇ。きっと、とても楽しい決着に導いてくれるでしょう」
自慢の婚約者ですから、とアルが続いた。その表情はどこか誇らしげであり、アルが心底、ミヅキの報復を期待していると知れた。
「現時点で唯一、各国の王を動かすことができる『個人』だからな。ガニア王弟殿の一件でも呆れたが、ミヅキは王であろうとも、使えるものは使う方針なんだろうさ。……やれやれ、黒猫の祟りは恐ろしいぞ? 下手な呪術など、足元にも及ぶまいよ」
「おや、クラウス。敗北を認めるなど、随分と弱気な」
「俺にもミヅキの手は読めん。呪術は死に至らしめるものもあるが、言い換えれば『それだけ』だ。術式の複雑さにもよるが、解呪する術だってあるだろう。だが、ミヅキの策にそんなものがあった試しがあるか? 死んだ方がマシな目に遭わせるのが、ミヅキの常だろうが」
「ごもっとも!」
肩を竦めるクラウスに、アルは楽しげに同意する。そんな二人の様子を見つめながら、私の笑みも深まっていく。
ああ、そうだ。私達はあの子が清らかなんて思っちゃいない。ミヅキは私達同様、他者の血に塗れてなお笑うことができる『強者』じゃないか。
そもそも、異世界人が自由を求めるならば、自衛手段は必須。もしもミヅキが私の遣り方に脅えるようならば、辺境の村のゴードンの下で飼い殺していただろう。
そんな生き方も、異世界人にとっては幸せなのだ。監視されたまま箱庭から出て来ず、現実を知らないまま穏やかに過ごすことも、この国ならば可能なのだから。
実力至上主義だからこそ、やる気のない異世界人に縋る真似はしない。それが我が国の誇り。
だが、ミヅキは自ら魔導師となり、自由に生きることを選択した。その上で、ミヅキは私達と共に在ることを選んでいる。
どうして今更、彼女の実力を疑う必要があるだろう。あれは『実力者の国』と呼ばれる我が国に馴染んだ『我らの同類』であり、『仲間』。
『最悪の剣』と呼ばれる集団と同列に扱われる存在が甘いなど、ウィルフレッド王もグレン殿も思ってはいない。寧ろ、それを知っているからこそ、ミヅキを選んだような気さえする。
「どうなるか、楽しみだね」
穏やかな午後の陽の指す執務室で、私達はミヅキのもたらす勝利を想い、笑みを深めた。
※※※※※※※※※
一方その頃、アルベルダのグレンの屋敷では――
「死にさらせぇっ!」
「……」
庭の片隅、防音結界が張られた一角にて、魔導師とグレンが仲良く藁人形に釘を打っていた。なお、藁人形はガニアで米を発見した際、『お人形作りに使いたい』と言って、譲り受けた藁で作ったものである。
ちなみに、ミヅキ作のグレンへのお土産だ。『そんなものを土産にするな!』と思うのは当然だが、グレンは喜んだ。下手に八つ当たりができない立場なので、ストレスが溜まっているのだろう。
……。
一応は『お人形』なので、お土産としては間違ってはいない。『呪いに使う人型』という、意味さえ知られなければ。
そんなものを作られると知っていたら、いくらシュアンゼでも、ミヅキに藁など渡さなかったに違いない。幸いなのは、ミヅキ達が本気で呪詛をかける気がないことだろうか。
感情的に釘を打ち付けるミヅキに対し、グレンは無言で釘を打っている。グレンはアルベルダの人間なので、相手がミヅキだろうとも、恨みを口にすることはしない。迂闊に口にして、ミヅキに弱みを握られても困るのだ。
こんな二人だが、元の世界では師弟のような関係にある友人同士であった。
今も当然、仲良しである。妙に殺伐としているが、仲が良いことは事実なのだ。
そんな二人を微笑ましく見守るのは、以前、ミヅキがバラクシンへと招いたグレンの使用人達。
彼らはグレンに忠誠を誓っているため、主が魔導師と呼ばれる女性と懇意であることを知っている。しかも、兄弟のように仲が良いことを喜んでもいた。
何より、彼らにとって魔導師ミヅキは『尊敬できる鬼畜』である。『生かさず、殺さず、地獄行き』というミヅキの手腕に感動し、『あれこそ、我らが目指すべきもの!』とばかりに、尊敬を向けていた。
『方向性が間違っている!』などと言ってはいけない。ミヅキの遣り方は下手な拷問よりも心を砕くため、彼らのような立場からすれば、実に有効的に見えるのだ。
「あれ、髪や爪が入ってないから、呪術として成り立たないんじゃ?」
「ええ。ですから、ただの気晴らしだそうですよ。魔導師様曰く、『呪術なんて温い遣り方はしない! 私が直接、地獄に叩き込んでやる』だそうです」
若い使用人に対し、もう一人の使用人が穏やかに告げた。……穏やかに言う内容ではない。だが、若い使用人はそれを聞いた途端、キラキラと目を輝かせた。
「さっすが、魔導師様! 俺、今回もお手伝いがしたいなぁ! ……こっそり、あの家の奴らの髪か爪でも取ってこようかな」
「ふふ、私もです。お手伝いできずとも、学ぶことは多いと思いますよ。……おやめなさい、窃盗と言われても厄介です」
彼らにとっては、魔導師の手腕を間近で拝める大チャンス。その対象が主に牙を剥く愚か者ということもあり、諫めるという選択は存在しない。
そもそも、ミヅキにこの案件を依頼したのは王である。思わぬ機会に、二人は心底、喜んでいるのであった。
アルベルダ発の婚約破棄騒動は、まだ始まったばかり。だが、すでに黒猫はやる気満々であるようだ。
――元凶達が笑っていられるのも、今の内だけだろう。
事情があるし、仕方ないことも判っているけれど、個人の感情は別物。
ガニアに誘拐されてから主人公が視界に居ないことが多いため、
親猫は不機嫌な模様。
そんなイルフェナ勢をよそに、主人公はアルベルダで元気一杯に、
グレンと藁人形に釘を打ってます。




