赤猫は密かに微笑む
――騎士寮にて (グレン視点)
儂は軽く溜息を吐きながら、目の前の光景を見つめた。そこではミヅキとイルフェナの騎士達が言い争い……訂正、楽しそうにじゃれていた。
儂がゲーム内でのミヅキの行ないを暴露したことが原因だが、彼らはどんな話題であってもミヅキと騒がしく戯れたであろう。
――当然だ。彼らだって、ミヅキが帰ってきたことが嬉しいのだ。
今回ばかりはいくらミヅキを案じていようとも、イルフェナで待っていることしかできなかったのだから。日頃から仲が良い彼らを知っているからこそ、この状況も当然と思えてしまう。
当のミヅキとて、最終的には『お家に帰りたい!』とばかりにブチ切れ、帰国に漕ぎ着けていた。親猫を恋しがって鳴くのではなく、障害を壊すという一択なあたり、異世界人凶暴種という渾名は伊達ではない。
愛らしい見た目の割に、黒い子猫は凶暴なのだ……ガニア王弟とその派閥の貴族達はさぞ、ボロッボロにされたことだろう。
勿論、黒い子猫は自分の爪や牙が傷むような真似はしない。そんなことをすれば、過保護な親猫を筆頭に心配する者が続出する。
そういった未来がたやすく予想できるからこそ、ミヅキは周りにあるものを使い倒して奴らをボコりまくり、その結果を『要らねっ!』とばかりに、ガニア王達に丸投げしたに違いない。黒猫はお家に帰りたいだけなので、自身が評価されることに興味はないのだ。
『結果だけを受け取る』。それはこれまでミヅキと関わった各国上層部とて望み、受け入れてきたことであろう。寧ろ、下手な要求をされないので、ありがたく思えた面もあると思う。
その反面、これは非常に怖いことだった。『契約書という明確な物もなく、真実を知る当事者が野放しにされている』のだから。そして、ミヅキはそんな状況を利用できない愚か者ではない。
ぶっちゃけて言えば、各国はミヅキに弱みを握られていた。
自己中気質の黒猫相手に、奉仕精神などを求める方が間違っている。
恩を売ったことにはならずとも、当事者としての情報はしっかりと握っているのだ。それを戦利品とばかりに親猫の下へと持ち帰るので、イルフェナとしてもミヅキを諫めきれないのだろう。
間者として扱ったわけではなく、そういったことを命じた覚えもない。本当〜にミヅキが『お土産』として情報を持ち帰るだけ。
ただし、そういった仕事に従事している者達からすれば『ふざけんじゃねぇ! そんなに簡単に済んでたまるか!』とブチ切れる事態であろう。彼らとて、プライドがある。
ミヅキを疎む輩の何割かはこういった者達ではないか? と、陛下と話したのは極最近のことだ。ミヅキの常に斜め上をいく思考回路に対し、ある程度の達観と諦めがない限りは敵対意識を持つ者がどうしたって出る。
それなのに、ミヅキからはそういった話を聞いたことがない。
どう考えても、『誰か』がその類いの話をミヅキの耳に入れないようにしている。
ちらりと、楽しげな表情を隠そうともしないエルシュオン殿下へと視線を向けた。親猫と呼ばれる青年はミヅキに対し、非常に過保護だと聞いている。何より、本人も優秀と評判だ。この国の第二王子という立場もあるため、権力も有しているだろう。
つまり、『過保護』と言われるだけの『何か』があったわけだ。それがミヅキを案じ、構い倒す微笑ましい姿だけであるはずもなく。
……。
有能な保護者がいて良かったな、ミヅキ。儂らは間違いなく、最良の後見人を得た!
まあ……『耳に入れないようにしている』どころか、『そういった輩ごと潰している』のかもしれないが。そこらへんは所謂、『お国柄』というやつである。実力至上主義の国であるからこそ、不満を訴える小者が切り捨てられても不思議ではない。
――魔王殿下と呼ばれる理由が悪意ばかりでないことを、儂は知っている。
『面倒見のいい親猫』は膨大な魔力による威圧というハンデを持ちながら、各国にさえ認められた実力者。その手腕が優しさ溢れるものばかりでないことは当然であり、それはどこの国でも同じである。
『疎まれる要素があるならば、必要とされる存在となればいい』
『周囲を黙らせ、納得させるだけの実力を示せばいい』
それは酷く単純であり、どの国にも共通の認識だ。どんな国であろうとも、国に貢献する有能な者は必要とされる。エルシュオン殿下はミヅキ同様、実力をもって周囲を黙らせたのだ。
エルシュオン殿下のこういった一面は、身内に限り情に厚い――最重要項目。博愛や情けといった感情でミヅキは動かない――ミヅキと非常に似ていると思う。だからこそ、それに気づいた者達は苦笑しながら二人をこう称するのだ……『仲の良い猫親子』と。
見た目や性格などは全く違うくせに、辿った道はよく似ている。エルシュオン殿下の守りが的確なのは、彼自身の経験が活かされているからだ。
単純に『小型版魔王』などと言われないのは、ミヅキの方がより悪質で性質が悪いからであろう。いくら何でも、同類項扱いはエルシュオン殿下に失礼である。人間性が疑われてしまう。
ちなみに『努力型の天才』がエルシュオン殿下、ミヅキは『努力型の天災』だ。敵をより貶め、辱めることにかける無駄な熱意は、多くの者を呆れさせている。
ゆえに、『天災』。洒落にならないレベルの嫌がらせは回避不可能な場合が大半なので、かつて存在した魔導師達と同様に、『災厄』と称されても不思議はなかった。ただし、民からの評判は悪くない。
かつての魔導師達との違いは魔法による被害か、頭脳労働による被害かという程度の差なのだが、そんなことが民に知られるはずもない。ゆえに、『断罪の魔導師』という善人じみた渾名が出るのだろう。
もう一つの理由としては、ミヅキが割と被害者という立場にあることだろうか。ミヅキの場合、明らかに相手の方に非がある場合が殆どなので、単純に『災厄』とは呼べまい。あくまでも、『報復』なのだから。
『天災』ならば諦めがつくというか、自然災害である。この世界において魔導師の話は有名なので、『災厄呼ばわりされる魔導師に喧嘩を売る方が悪い』などと思われている面も確かにあるのだ。
教訓:『時には諦めることも必要』(意訳:「無理すんな!」)
世の中にはどうしようもないことだってあるじゃないか。ミヅキの被害を自然災害と思えば、まだ諦めもつく。沈黙は逃げではない、勇気ある撤退なのだ!
不屈の根性と精神で諦めないことが許されるのは、あくまでも個人の域。引き際を見極めることも重要である。非常識な生き物相手に、常識は通用しない。
そんなトンデモ娘が恐れられるのは、魔法ではなくその才覚。ミヅキが即座に様々な策を思いつくのは、日々の努力の賜ということは想像にかたくない。非常にろくでもないことだが、ミヅキが努力をしていること『は』事実なのだ……!
『才能』や『努力』は大事だが、真に重要なのはその方向性。
某カルロッサの英雄予備軍殿にも言えることだが、これは結構重要なことだった。軌道修正可能なお世話係や保護者がいれば災厄にはならないだろうが、いなかった場合は深刻な被害が発生するだろう。
何せ、当人達にとっては『自衛手段』といった『自分のために必要なもの』という認識なのだ。才能ある者が狙われるのは世の常なので、国の要請を拒んだ場合、必然的に悪にされてしまう可能性がある。
……『国が正しくあるため』に。そういった犠牲が必要なこともあると、儂はすでに知っている。
ミヅキに関して、エルシュオン殿下が最も恐れたのはそれだと、儂と陛下は思っていた。それは儂の辿った道が証明しているも同然だからだ。
儂がこの世界になんなく受け入れられたのは、異世界人と名乗らなかったことが一因だろう。だが、それ以上に『正義に位置付けられていたウィルフレッド王の側近』ということが最大の理由だ。
『正義』の位置にある者に味方するからこそ、アルベルダは得体の知れない人物を受け入れただけ。
陛下が良き王であることに拘る理由の一つに、儂の存在があることは明白だった。民は自分達に利をもたらし、守ってくれる王を望むのだから。
……たとえ継承権が一位でなく、簒奪という形で就いた王位であったとしても。民に尽くし、もたらした豊かさが、陛下……ウィルをアルベルダの王と認識させ、同時に儂を守ってくれたのだ。
だからこそ、ミヅキがエルシュオン殿下のイメージ改善を図ったのは良いことだと思っている。ミヅキは自分のことなど考えていなかっただろうが、結果として、それはミヅキ自身の印象を『世界の災厄』ではなく、『魔王殿下の黒猫』にしたのだから。
今では『世界の災厄』よりも先に『魔王殿下の黒猫』と呼ばれるじゃないか。その魔王殿下とて、ミヅキへの過保護が知れ渡っているため、以前のように恐れられることはなくなった。
「まったく、よく似た気質を持つ猫親子だな。マイナス評価者同士が助け合って、その評価を真逆のものへと変えるとは」
エルシュオン殿下へと絡みだしたミヅキへと視線を向ける。何を言ったのか叩かれてはいるが、ミヅキの表情に脅えはない。そんな姿を微笑ましく思うと同時に、この時間をもたらしたことに関わった自分を誇らしく思う。
かつて、儂はミヅキ『達』に守られていた。多くの自称・保護者達が儂を構い、様々なものを与えてくれた。その時間がなければ、儂はいくらウィルが献身的な姿勢を見せたとしても、その手を取ることはなかっただろう。
――『異世界人の知識は価値がある』
そういったこの世界の常識は当然のこと隠されておらず、必ず儂の耳に入っただろうから。
だからこそ、先にこの世界に来た事実にほんの少し感謝してもいる。今の儂ならば、ミヅキの力になれるのだ……今回のように。
これからも様々な厄介事が起こるだろう。その度に、儂はこの世界で得てきたもの――地位、人脈、経験など――を利用して彼らに助力し、ミヅキの力になれるような存在となったことを誇るに違いない。
そう思わせた、ガニアの一件だった。
「見て、見て、グレン! 魔王様とお揃いー!」
「満足したかい、ミヅキ……」
「エル、猫耳も着けたらどうだ? いいじゃないか、猫親子」
「クラウス! 君、ねぇ……!」
……。
ポニーテールもお似合いですな、エルシュオン殿下。溜息を吐きつつもミヅキに付き合う懐の深さはご立派ですが、その馬鹿猫は叱らなければ増長するだけですよ?
そしてミヅキよ、保護者で遊ぶのは止めてやれ。お前、本当に世話になってるんだからな!?
今回、共犯だったグレンの心境。
グレンから見ると、『仲の良い猫親子』という呼び名は納得です。
米の存在に喜んだグレンですが、主人公に頼られたことが嬉しかったのも事実。
なお、主人公達がグレンを案じ、性格の改善を行なわなかった場合、
警戒心の強いグレンはウィルフレッドの手を取ることはありませんでした。
※8月12日に『魔導師は平凡を望む』の19巻が発売となります。




