ガニアに残された『宿題』
――ガニア・王弟夫妻が幽閉されている館にて(ファクル公爵視点)
扉の前で足を止めると、同行していた護衛の騎士達――勿論、王への忠誠厚い者達――を振り返る。怪訝そうな表情をする彼らに、私はここでの待機を願った。
「ここで待っていてくれんかね? あの二人はお前達の姿が室内にあれば、大人しく本音を語るまいよ。意地になって、虚勢を張ろうとするやもしれん」
「しかし……っ」
「『今現在の、素直な言葉を聞きたい』というのが、陛下のご意志だろう。そのために、私は駆り出されたのだから」
そう、これは『陛下のご命令』。決して、私自身の意志で訪ねたわけではない。
そもそも……訪ねる意味など、ないだろう。あの二人は立場こそ変わらぬままだが、実際は処刑を待つ罪人だ。魔導師に心を折られたとはいえ、そのまま大人しくなるとは思えなかった。
これまでのことを踏まえ、私はそう判断していたのだ。訪ねる気などあろうはずもない。だが、陛下は私とは違った考えをしていたらしい。
「処刑までの時間は一年。陛下はあの二人に、少しでも親心があることを期待しているのだろうよ。今更、兄弟としての言葉を交わすことなどできないが、せめてシュアンゼ殿下には……とでも、お考えなのだろうな」
甘いことだ、と付け加えれば、騎士達の表情が曇った。彼らとて、陛下の甘さを知っている。これまで散々牙を剥かれようとも、王弟殿下に対しての処罰を行なわなかったのだ……私の言葉を否定することなどできまい。
勿論、血筋に拘る者達が煩かったことも一因ではあるのだろう。だが、何よりの理由は……陛下ご自身の覚悟の足りなさゆえ。
王弟殿下がイルフェナに手を出す前に何らかの処罰を下していれば、処刑だけは免れたかもしれない。それは誰もが思っていることだろう。
だが、あの魔導師はそれさえ見越してこの状況を作り上げたのではないかと、私は疑っていた。
陛下に過去を悔やむ気持ちがあるからこそ、王弟夫妻の処刑は苦い記憶となり、その心に影を落とす。
重く圧し掛かる過去があるからこそ、陛下は今後、同じ過ちを犯さないに違いない。
何より、陛下はこれから十年は退位を許されない。魔導師にそう望まれたのだから!
――それらから導き出されるものは……『次代を考慮した上での、王の甘さに対する抑止力』。
これまでの歪みを今代で終わらせることも勿論だが、それと同時に、陛下にかつての教育――弟を立てるよう、徹底されたもの――を断ち切らせる。それこそ、魔導師が陛下に望むものではないのか。
実のところ、これが一番難しいのだ。刷り込みのように行なわれた教育だからこそ、完全に断ち切るのは困難だろう。王弟殿下の派閥の貴族達は十分にそれを判っており、必ずそこを突いてくると思われた。
彼らが恐れたのは自国の王でも、他国の王族達でもない。あの魔導師なのだから。
彼女の滞在中、仕掛けた輩はそれなりにいたはず。だが、そのどれもが失敗し、逆に手痛い被害を被っていた。しかも、彼らへの報復は『魔法を使って、圧倒的な強さを見せつける必要はない』!
そもそも、異世界人は北において、その存在を軽んじられる傾向にある。まして、王族と敵対するなど、許されるはずはなかった。
それを可能にしたのがシュアンゼ殿下の存在であり、魔導師自身の人脈である。それが状況を覆す一手となったのは、魔導師が彼らを単純に自分の味方としなかったことにあった。
彼らは他国の存在。ゆえに、下手に魔導師の味方をすれば、内政干渉と批難される。
王弟殿下の派閥の者達ばかりではなく、自国内で勝手なことをする魔導師を疎む声も確かにあったのだ。だからこそ、王弟殿下の派閥の貴族達は相手が魔導師だろうとも、たやすく潰せると思い込んでいたのだから。
彼らを愚かという一言で済ませるのは気の毒というものだろう。あの魔導師は規格外過ぎた。
自身に関連付け、あくまでも『自分の言動について、お伺いを立てる』という形を取ったため、貴族達は口を噤むしかなかった……『他国の王の個人的な意見』を部外者が批難するなど、不敬である。
下手をすれば、『お伺い』の発端となった出来事にまで飛び火し、他国に付け入る隙を与えることになっただろう。ゆえに、魔導師からの追及に無関係な貴族達は口を噤んだ。
あの魔導師は賢い。それ以上に面白い。
民間人でしかないくせに、言葉遊びの楽しさが理解できている。
これに気づけば、王弟夫妻の敗北も当然のことと言えよう。周囲に何を言われても受け流すと見せかけて、彼女は徐々に状況を整えていったのだから。しかも、その大半がガニア側に非があるものばかり。
王弟殿下への断罪も所謂、ガニア側の自滅なのだ。大人しくしていれば、魔導師はろくなことができないまま、イルフェナに帰っただろうに。
「魔導師とは、恐ろしいものだな。己が敵を掌の上で弄んだばかりか、自分が去った後の策まで施していくとは」
「は? 魔導師殿の策!? まだ何かあるのですか!?」
思わず呟けば、騎士達はぎょっとして顔を強張らせた。……あの魔導師は何をやったのだ。騎士達にまで、恐れられるとは……。
ついつい呆れるが、このまま黙秘するのも拙かろう。陛下に報告され、再び呼び出されては敵わない。
「安心するがいい。陛下に忠誠を誓うお前達が恐れるようなものではない。寧ろ、魔導師に感謝するだろうよ」
「は、はあ……」
そう口にするも、騎士達の顔色は悪いまま。私の言葉だけでは、どうにも安心できないらしい。
一つ溜息を吐くと、私は己の見解を口にした。今ここで話してしまっても、問題はないだろう。
「陛下の甘さは、幼い頃から施された教育のせいだったろう? 『正当な後継ぎである弟を支え、国に尽くせ』と。刷り込みというか、呪いにも近いものだ。この認識を覆すのは、容易ではない。……だがな、陛下は二度と同じ轍を踏むまいよ」
「それを成したのが、魔導師殿であると?」
「いや、『成した』のではない。『これから成し遂げられる』のだ」
騎士達は判らないのか、訝しそうにするばかり。まあ、当然であろう。かの魔導師はすでにガニアを去り、今後の来訪の予定もないのだから。
シュアンゼ殿下の足の具合によっては再び招かれる可能性もあるが、今のところ、そんな話は出ていなかった。
にも拘らず、『これから成し遂げられる』という言葉。首を傾げても仕方ないだろう。
「王弟殿下が処刑されるまでの時間は一年。その間、これまで王弟殿下を支持していた者達が、大人しくしていると思うか? 家の存続、自己保身……様々な意味で、足掻くだろうよ」
「まあ、それはそうでしょうね。ですが、王弟殿下への断罪の場には、各国の目もあったはず。陛下が同意された以上、処罰が覆ることはありますまい。当然、王弟殿下に連なる方達にもそれなりの処罰が下されましょう」
騎士の言葉も当然である。これまでは王族であり、正当な王位継承者を名乗る王弟殿下がいたからこそ、陛下に対する不敬が見逃されてきたのだ。不敬どころか何らかの不正を働き、甘い汁を吸ってきた者達もいる。
自らが犯した罪に対し、処罰が下される。それだけのことなのだ。
「『正当な王位継承者である、王弟殿下に仕えてきた。その忠誠を罪と言われるか!』……こんな感じで、見苦しく言い訳をすると思うぞ? 王弟殿下の後ろ盾があったことも事実だ。陛下も個人的な感情から、王弟殿下を処罰できなかった負い目がある。言い方は悪いが、陛下にも責があるのだよ。処罰を早く下していれば、道を誤らなかった者もいるのだから」
「それ、は! それは……そうですが。ですが! 自らの過ちを、陛下のせいにするなど!」
「陛下のせい、とは言わんだろうな。あくまでも『陛下にも責がある』という風にするだろう。身に覚えのある貴族達は挙って、そこを突く。何せ、すでに魔導師は帰国済み。監視の目はなく、魔導師が願ったのも王弟夫妻のことのみなのだから」
私の言い分も理解できるのか、騎士達は悔しげに俯いた。変わろうとする陛下のお心に付け入り、その変化を潰しかねない存在がいること。しかも、そんな奴らを黙らせる術はない。
だが、あの魔導師が温い一手など、打つはずはないのだ。寧ろ、『そのような状況を利用することで、陛下にこれまでの愚かさを突き付けようとしている』のだから。
「案ずることはあるまい。そんな事態が起これば、陛下はより過去の己の愚かさを痛感するだけだろう」
「は? あの、それはどういうことでしょう?」
「そのような状況になるまでが、魔導師の策なのだよ。陛下はこれまで王弟殿下のことのみを憂いてきただろうが、実際はそれだけで済まなかった。その結果が、一部の貴族達の堕落を招いている。これは判るな?」
「はい」
素直に頷く騎士に頷き返し、私は更に言葉を続けた。
「陛下がもっと早くに決断されていれば、王弟殿下は処刑を免れていただろう。幽閉だろうとも、生き長らえる道はあったぞ? 断罪が早ければ、罪も少ない。此度のことで、陛下はそれを思い知ったはず。……魔導師がやって来たのは、王弟殿下がエルシュオン殿下に手を出したせいだからな」
知っているのか、騎士達の顔色が悪い。というか、魔導師が来た時の状況を、今更ながらに思い出したのだろう。
王弟殿下がそのような真似をしなければ、未だに派閥同士の対立が続いていただろう。『世界の災厄』たる魔導師を怒らせ、ガニア内部の情勢を他国に知られるに至ったのは、偏に王弟殿下の行動が原因なのだ。
逆に言えば、王弟殿下の迂闊な行動さえなければ、魔導師はこの国に興味を持たないままだった。シュアンゼ殿下の足の治療には関わるかもしれないが、本当にそれだけのはずだ。
飲み会で判明したが、あの魔導師は自己中心的な性格の上、己の興味があることにしか動かない。『主と慕うエルシュオン殿下の命令で治療に訪れた』ということにするならば、気にするところは『エルシュオン殿下の期待に応えること』のみである。
黒猫は飼い主に褒めてもらえれば、それでいいのだ。
他国を関わらせることに躊躇いがない時点で、ガニアのことなど全く考えていないと判る。
「『厳しい処罰であろうとも決断を躊躇えば、より最悪な状況になる』。……王弟殿下のことで、陛下はそう学ばれたはず。その経験が、煩いことを言う貴族達にも適用されるだろう。『己の感情で罪を軽減すれば、この国はどうなるか』、『他国からガニアはどう見られるか』。それを考え、対処していくことこそ、魔導師からの宿題であろうな」
「宿題……」
「宿題であろう? 陛下は魔導師の要請にて、十年は退位しないことを約束させられている。学んだことを活かせねば、己の首を絞めるだけ。嘗められれば、ガニアという国は乱れる。しかも、他国も興味津々に見ているだろうしな。いやはや……何とも恐ろしく、性格の悪い生き物を敵に回したことよ!」
微妙な表情になる騎士達と違い、私の顔に浮かぶのは苦笑、もしくは満足げな笑みだ。
そもそも、ガニア内部にも魔導師とよく似た性格の灰色猫がいる。下手をすれば、灰色猫が勝手に貴族達の処罰に動くであろう。運よく命拾いした灰色猫に、自己保身というものは存在しない。
だが、そんな展開こそ、陛下が最も望まないものである。言い換えれば、灰色猫……『シュアンゼ殿下が陛下の身代わりに動く可能性が高い以上、彼を犠牲にしないためにも、陛下は決断しなければならない』のだ。
余談だが、私はシュアンゼ殿下がこれを狙ってやりそうだと思っている。
すっかり黒猫の理解者と化したシュアンゼ殿下的には、家族に対する愛の鞭という感覚であろう。
「さあ、陛下。ここからが正念場です。この困難に挑むうちは、私は手足となって働きましょうぞ」
笑みを浮かべたまま口にすれば、騎士達が揃ってぽかんとした表情になる。そのことにもう一度笑うと、私は扉に手をかけた。
王弟殿下夫妻の心を折るのは、私の役目。そこに実の娘が含まれていようとも、私に躊躇いはない。……私にそんな真似をさせたこともまた、陛下を縛る枷となるのだから。
――お前達ばかりに良い恰好はさせんぞ、魔導師……そして、シュアンゼ殿下?
若い者達ばかりにやられるなど、悔しいではないか。これまでは動かなかったが、ここからは『今代に仕える者達』の時間。
変わり始めた国を喜び、陛下の手腕に期待する者達がいる。私とて、代々国を守ってきたファクル公爵家の名を冠する者……不甲斐ない様を見せれば、次代を担う息子や孫達に笑われよう。
さあ、始めましょうか、陛下? あの魔導師を驚かせてやりましょうぞ――
主人公の滞在中、他の人達がビビる中、一人わくわくしていたファクル公爵。
主人公とは別の意味で、どうしようもない性格をしています。
なお、ファクル公爵の見解は正解です。ガニア王の逃げ道をなくしています。
……しかも、主人公がそんなことをしたのは米のため。相変わらずの自己中です。
※活動報告に魔導師19巻と、コラボ企画についてのお知らせがあります。




