小話集26
小話其の一 『憧れのお姉様』(リリアン視点)
――ガニアでの断罪時、サロヴァーラにて
「私達……『お友達』じゃない」
そう言って笑ったお姉様は少し得意げで、それ以上に自信にあふれた笑みを浮かべていた。
お姉様が口にした内容は、下手をすればサロヴァーラを……いえ、お姉様を追い込むもののはず。それなのに、お姉様はそれを武器にした。……『武器に変えた』。
「ティルシアの行動が不思議か、リリアン」
「お父様……」
お姉様に場を譲っていたお父様は、どこか呆れたような顔をしている。問われるままに頷けば、お父様は顔をお姉様に向けた。私も釣られて、お父様に倣う。
「あれはな、ティルシアなりの礼なのだ。我々は魔導師殿に世話になったが、何一つ返せてはおらん。そこへ来て、この誘いだ。おそらくだが、ティルシアはずっとこの時を待っていたのだろうよ……『魔導師殿が王弟殿を追い詰めるその時』をな」
「ですが、お姉様は糾弾されないのでしょうか? 問題の毒は他国でも使われたと聞いています。いくらミヅキお姉様のお力になると言っても、お姉様自身が罪を問われることなど、ミヅキお姉様はお望みにならないと思いますが」
私がお姉様を大切に思っているという理由だけではない。お姉様は……第一王女ティルシアは、このサロヴァーラに必要な方なのだから。
それはミヅキお姉様も判っていらっしゃるはず。だから、逆にご心配をおかけしてしまうような気がする。
そう伝えれば、お父様は楽しげに笑った。……その笑みに、まだお母様達がご存命でいらっしゃった頃を思い出す。
『一国の王』ではなく、『父親』としての笑み。随分と久しぶりに見たと思うのは、気のせいではないだろう。
「ティルシアとて、そのようなことは判っているだろう。だからこそ、あのような態度で挑んでいるのだよ。不敵な笑みと強気な態度で情報を暴露し、魔導師殿との言葉遊びに興じている。……さて、『魔導師殿のお友達』に喧嘩を売る者はどれほどいるかな?」
「あ……! そ、そうですね。この件においてお姉様を糾弾するということは、ミヅキお姉様の邪魔をするも同然。まして、王弟殿下を追い詰める一手ですもの。自己を顧みない、ミヅキお姉様のための暴露なのですから」
お父様の言葉にはっとする。誰から見ても、お姉様の行動はミヅキお姉様のためのもの。ここでお姉様を糾弾などすれば、間違いなく、ミヅキお姉様を敵に回す。
そんな馬鹿な真似をする者がいるはずはない。ミヅキお姉様は正真正銘、『魔導師』を名乗るに相応しい才覚をお持ちなのだから。
私が理解できたことが判ったのか、お父様は満足そうに頷いてくださった。
「この場で、ティルシアが魔導師殿の力となったことは事実。だが、危険を冒したことも事実。魔導師殿がティルシアに対してあのような返しをしたのは、ティルシアと気安い間柄だと知らしめるためであろうよ。そのことにより、ティルシアの一方的な献身ではなくなった」
「ミヅキお姉様もまた、お姉様を案じてくださったのですね……」
「うむ。互いに、随分と素直ではない助力の仕方だとは思うがな。まあ、あの二人ならば、あれくらいの方が丁度いいのかもしれん」
一方的な献身ではなく、言葉と態度で守り合う。確かに、お姉様達ならば、そちらの方が似合う気がした。
だけど、とても羨ましく思えてしまうのも事実。よほど気が合うか、同等の才覚を持つ者同士でなければ、互いの意図を読み取ることなど無理だろう。
それを、お二人は成し得ている。本当に……羨ましいほど、仲が宜しいお二人だ。
「悔しいです。私もお姉様達の会話に混ざりたいのに、今は何もできませんもの。もっと、もっと、努力しなければ……!」
肩を落として悔しげに呟くと、お父様が笑った気配がした。顔を上げれば、先ほどとは違った、けれどどこか誇らしげな笑みを浮かべたお父様が頭を撫でてくる。
「そう思うことを、人は『成長』というのではないか? リリアン。ティルシアに守られ、泣いてばかりいた以前のお前では決して、出て来ない言葉であろう? 自ら力になりたいという意志、努力する姿勢、どれをとっても、以前のお前ではあるまい」
「……そうでしょうか? 私も少しは成長できているのでしょうか?」
「勿論だとも。それにな、以前のティルシアならば、いくら見ているだけとはいえ、この場にお前を同席させることはさせまいよ。言い方は悪いが、ガニアの状況はお前達と似ている。お前が辛い目に遭っていたことを知っているからこそ、思い出させるようなことはせん」
「……! そう、ですね。ガニアの王と王弟殿下の状況は……私達が辿るかもしれなかった姿……!」
「争ったり、不仲にならなかっただけ、まだマシだがな。王族であれば、あのようなことは珍しくはない」
私とお姉様がそんなことにならなかったのは、お父様がお心を砕いてくださったから。それだけではない、お姉様が私を慈しみ、守り続けてくださったから。
だから、どのようなことを言われようとも、お二人を恨む気持ちは湧かなかった。きっと、それはとても幸せなことだったのだ。
「ガニアの王と王弟殿は道を違える。……温い処罰など、魔導師殿が許すまいよ。魔導師殿『達』の唯一に手を出した上、エルシュオン殿下は『最も被害の少ない決着』を望むだろうからな」
お父様が寂しげな口調になっていらっしゃるのは、ミヅキお姉様が下す決断を思ってのことだろう。あの場で、『最も被害の少ない決着』に導くことができるのは、ミヅキお姉様だけ。
おそらく、ミヅキお姉様は王弟殿下に死を望む。本来ならばとっくに下されていたはずの決断を、あの場でガニア王に突き付けるだろう。
それでも、私はミヅキお姉様を恐ろしいとは思えなかった。無条件に信頼するのは良くないことだと言われているけれど、ミヅキお姉様は……ご自分のことなど、考えていらっしゃらない。
ただ、『最善の決着』を目指しているだけ。今回とて、無駄な犠牲は避けてらっしゃるはず。
「セレスティナ様もきっと、悔しがってらっしゃいますわ。あの方もミヅキお姉様が大好きな一人……ミヅキお姉様のように交渉事ができるようになりたいと、そう仰っていましたもの」
男装の似合う、コルベラの姫の姿が目に浮かぶ。きっと、あの方もこの光景を見ているだろう。ヒルダ様も見ている可能性が高い。
そして私同様、未だに対等な立場になれていない己を不甲斐なく思い、それができているお姉様に嫉妬にも似た感情を抱く。
……ああ、たやすく予想できてしまう。特にお二人は真面目な性格をなさっているから、よりいっそう勉学に励む決意を固めているかもしれない。
「お父様、私はもう泣いている暇はありませんの。これまで無駄な時間を過ごしてしまった分、皆様は先に行っているのです。それに二人ほど、同じ悔しさを抱えていらっしゃる方に心当たりがありますの。……負けられませんわ」
お父様はやる気に満ちた私を訝しく思ったようだが、即座に意味が判ったらしい。「確かに」と呟くと、大きく頷いた。
「おお! あの姫君達か! 確かに、向上心は高そうであったな。負けてはいられんぞ、リリアン」
「はい!」
楽しいことばかりではないと判っている。それでも同じ道を行く友がいて、支えてくれる家族がいる。
だからきっと、大丈夫だ。何より――
「私はサロヴァーラの女狐の妹であり、魔導師様の妹分ですもの。情けない姿は見せられません」
最高のお姉様を持っているのですから!
※※※※※※※※※
小話其の二 『親猫の元に帰るには、まだ遠く』
――ガニアにて・シャルリーヌ達が訪ねて来た時のこと
「……」
手渡された物に、思わず絶句する。これを渡してきた人がクラレンスさんということも一因だろう。
クラレンスさんは近衛騎士団副団長の地位にいる、近衛のブレイン。他には『毒夫婦の片割れ』とか、『近衛の鬼畜』といった渾名がある人だ。
なお、見た目だけなら、眼鏡をかけた優しげなお兄さんである。……『その笑みに騙されるんじゃないわよ!』とは、クラレンスさんの親友である某宰相補佐様からの忠告だ。
親友の地位を獲得している人からの言葉とは思えないと言ったところ、『長い付き合いだからこそ、本性を知っているのよ』と、遠い目をされた。……何があったのか、非常に気になる。
「ふふ、一人で頑張っているミヅキにご褒美ですよ」
「あの……これは……」
「ちなみに、いつも食事に訪れる近衛騎士達からです」
皆、寂しがっていますからね? とクラレンスさんは言うが、だからって『これ』はありなのだろうか?
「魔王様は知ってるんですか? 私がこれを貰うことを」
思わず聞けば、クラレンスさんは笑みを深めて、首を横に振る。
「勿論、知りません」
「ちょ、イルフェナに帰った時に見つかったら、何て言えばいいんですか!?」
「いいじゃないですか。ミヅキも女の子ですから、こういったものが一個や二個あったところで、不思議がられませんよ。そもそも、以前は一時的とはいえ、アルがいたでしょう?」
「いえ、あれは一応、生きていたというか……」
言い募るも、クラレンスさんの笑みは輝きを増すばかり。……これ、明らかに面白がってるよね!?
だが、クラレンスさんにも事情があったようだ。騎士寮に保護されている姿を知る近衛騎士達としては、一人でガニアに滞在させることに、かなりの心配の声が上がっているらしい。
「殿下の誘拐未遂があったことに加え、北は異世界人に優しい場所ではありません。保護者不在のまま、敵地に放り込まれたような印象を抱かれているのですよ」
「まあ、それも間違っていませんしね」
同意するように頷くと、クラレンスさんも満足げに頷き返す。誰が聞いているか判らないため、差し障りのない内容――誘拐未遂は今更だ――しか、クラレンスさんは口にできない。
だから、これは『私がそういった事情を理解できているか』の確認を兼ねていたのだろう。軽く考えている素振りを見せれば、お小言が追加されたと思われる。
「ですから、せめてもの慰めになるように、と皆は考えたのです」
抱き抱えている物をじっと見つめる。超大型の猫のぬいぐるみは金色の長毛、鋭い印象を与える目は深い青。
どう見ても、魔王様を猫化したイメージで作られている。確かに、私にとっては馴染みのある代物だ。
「これを見て、頑張ってくださいね」
思わず、ぎゅっと抱きしめると、クラレンスさんが優しく笑って頭を撫でてくれた。
「……馬鹿の相手に疲れた時にこれを見たら、帰りたくなりそうなんですが」
「その気持ちも判りますが、最後まで頑張りましょうね?」
こっくりと頷くと、満足そうに頷くクラレンスさん。ですよねー、『帰っていいですよ』なんて言葉は、絶対に出ませんよね。
ふかふかのぬいぐるみは手触りがいい。ベッドの上において、抱き枕代わりにしてもいいだろう。
「判りました。頑張る」
「それでこそ、魔王殿下の黒猫です。皆も期待していますよ」
そんな遣り取りをした後、クラレンスさん達は帰っていった。
――一方その頃、イルフェナでは。
「……」
「……何かな、クラウス」
「その黒猫のぬいぐるみはどうした?」
「シャルリーヌがガニアに発つ前に置いて行ったんだよ!」
エルシュオンの執務机に『ちまっ』と鎮座するぬいぐるみは、どう見ても黒猫……しかも子猫である。
シャルリーヌもそれが誰を連想させるか判っていて、あえてエルシュオンに贈ったのだろう。
なお、ミヅキの方には金色の毛をした大型猫のぬいぐるみが贈られる予定である。夫からその話を聞き、毒夫婦の片割れは便乗することを思いついたのだ。
『あの子が遠い地に居るのですもの、寂しいではありませんか』
そんな言葉と共に渡されたのが、このぬいぐるみであった。シャルリーヌとしては、昔から弟のように思ってきたエルシュオンが少しでも寂しくないようにという、気遣いなのである。
それほどに、エルシュオンとミヅキは『仲の良い猫親子』として認識されていた。子猫こと、ミヅキが転移させられた直後のエルシュオンを知っていると、親猫の精神状態が心配になるのも当然だった。
『あのままエルが落ち着かなかったら、どうなっていたことか』とは、アルジェントの言葉である。幼馴染だからこそ、エルシュオンが感情に支配されることが滅多にないと知っているのだ。
そして、ミヅキの強制転移はその『滅多にないこと』に該当してしまった。その果ての行動も十分察せたので、彼らは必死にエルシュオンを落ち着かせたのだ。
ちなみに、それは『心配のあまり、精神が不安定になる』というものではない。
『ブチ切れてガニアを標的に定め、奪還を企てる』というものだ。
ミヅキは知らないだろうが、『魔王殿下』という渾名も一割くらいは正しい認識なのである。ただし、極近い身内を害された場合に限るが。
ミヅキはエルシュオンにとって庇護すべき存在であると同時に、頼れる仲間というポジションを獲得しているのだ……騎士寮面子と共に、エルシュオンが報復に出る可能性もゼロではなかった。
それを止めたのが、ミヅキからの連絡である。ある意味、ガニアの救世主であった。
「……で、親猫としては、それがミヅキの代わりになるのか?」
黒猫のぬいぐるみを手に取って眺めつつクラウスが問えば、エルシュオンは深々と溜息を吐いて、首を横に振った。
「こうしている間にも、ミヅキが何かやらかしてるんじゃないかと、心配で……」
「まあ、ミヅキだからな」
「だろう!? ああ、いくら証拠隠滅が完璧だろうと、殺人はやっていないだろうね……!?」
「いや……その発想に行くお前も相当だと思うぞ? エル」
「ミヅキならば、やりかねないだろうっ!」
頭痛を耐えるような表情のまま、あれこれと考え出すエルシュオン。そんな姿を視界の端に収めながら、クラウスはぬいぐるみを見つめ、やがて肩を竦めた。
「まあ、こんなものにミヅキの代わりは務まらないだろうな。無害過ぎる」
随分なことを口にしながらも、小さく笑みを浮かべると、親猫――エルシュオンの元へとぬいぐるみを戻した。
リリアンにとって、ティルシアもミヅキも『尊敬するお姉様』。
女狐&黒猫の遣り取りは、意外な方向に役立った模様。




