騒動後、とある場所で
――某公爵家の一室にて
「ほう、随分と手痛い反撃を受けるようだな」
そう言いながらも、男は楽しげだった。その手元には数枚の報告書。所謂、『痴女騒動』と呼ばれる一連の事件と、その後の詳細が書かれているのだ。そこには当然、下される予定の処罰も含まれている。
勿論、それらは未だ、公にはなっていない。にも拘わらず、男が入手できているのは……男が『それなりの立場』だからだった。
それに加えて、派閥の混乱を最小限にせよという意味もあるだろう。これらはすでに決定事項なのだ。迂闊に抗議などすれば、余計な混乱を招く。
男が愛国者と知るからこその王の一手に、男――ファクル公爵は王への評価を僅かに上げた。
敵対勢力だから不要と遠ざけるような愚か者など、国の頂点たる存在となる資格はない。澄みきった水であることも時には必要だが、適度に濁った部分がなければ、国が立ち行くはずがないのだ。
善良であることは、個人としては素晴らしいものなのだろう。だが、政において重要なのは『結果を出すこと』である。
時には非情とも、卑怯とも言える手段を用いることがあるので、正義ばかりを叫ぶ偽善者ほど厄介なものはない。『己が正しさを声高に叫ぶならば、結果を伴わせてみよ』というのが、ファクル公爵の主張であった。
そういった意味では、野心に溢れた愚か者の方が、素直で扱いやすいと言えるだろう。目の前に餌をちらつかせれば、あっさり誘導に乗るのだから。
まあ……自己主張の激しい愚か者は、駒にさえならないが。あくまでも『ファクル公爵自身が駒として操る』という条件に限り、多少の愚かさには目を瞑ると言った方が正しいのかもしれない。
そして、今。
ファクル公爵は己が作り上げた派閥の危機に対し、非常に満足げな笑みを浮かべているのだった。
「手を出した者、出そうとした者は処罰、もしくは王に首輪を着けられるか。まあ、王族を狙う以上はそれなりの覚悟をするものだ」
「ファクル公爵、貴方は動く気がないと?」
「何を動く必要がある? 仕掛けたのはアウダークス侯爵達と、便乗してあの従者を狙った者達ではないか。それに対する反撃だというのに、我らが動いては再び牙を剥かれるぞ?」
同席している男――ファクル公爵が信頼する貴族――はその答えに納得したように頷くと、それ以上の言葉を口にしなかった。彼とて、何らかの動きを期待していたわけではない。ただの確認事項だったのだろう。
そんな『同志』を眺め、ファクル公爵は楽しげに低く笑う。
「誰から見ても『全てを諦めていた王子』だった者は、牙を剥く時を待っていたのだろうなぁ……中々に行動するようになったではないか。あの魔導師と手を組んだ途端、敵対を明確にするとはな。貴殿は見たか? 魔導師と共に在る時の、シュアンゼ殿下の目を! あれを見れば、殿下が弱者などとは、とても思えんよ」
「……ええ、確かに。読み違えていたと、痛感いたしました」
シュアンゼ殿下という言葉に、同席している男も深く頷いた。それはどこか惜しんでいるようであり、同時に少々……恨みがましい感情が向けられているようにも聞こえた。
いや、彼は実際に『惜しんでいた』。シュアンゼ殿下の様な王族がもっと早くに産まれていたならば、この国はここまで歪まなかっただろうと。
有能な王が求められる時代、この国にはその真逆ともいえる王が存在した。その傷跡は未だに癒えず、王家と一部の貴族達の間には深い溝がある。
有能でなくとも、せめて誠実な人柄であってくれれば。
自身も努力し、他者の有能さを認めるような器であれば。
そう思わずにはいられないほど、かの王は最悪であった。身近な友さえ裏切る愚王だろうとも、国の頂点たる存在。支えようとした者達は確かにいたのだから。
まあ、その期待を悉く裏切ってくれたからこそ、この状態ではあるのだが。次代以降の王族が彼と同類であれば、今頃、この国では王族の交代が行なわれていたに違いない。
「テゼルト殿下も悪くはないのだがな、あの方は父上に似て善良なのよ。『国のために悪であれ』と言ったところで、たかが知れている。こればかりは生まれ持った資質なのだろう」
「シュアンゼ殿下は状況が特殊ですからね。正直なところ、全てを恨むか、諦めるかの二択だと思っておりました」
「大人しくはなさそうだがな。全てを諦める場合であっても、それは己が両親に利をもたらさないためであろうよ。周囲に無能と思われようとも、足を理由に一切行動せねば、誰もが次代はテゼルト殿下だと思う。やれやれ、とんだ腹黒だ」
内容はともかく、ファクル公爵は始終楽しげであった。そこに宿るのは、漸く動きを見せ始めた『孫』への期待。彼は見ていたのだ……シュアンゼという王子のこれまでを。
心ない者達に何を言われようとも表情を変えない一方で、国王一家の不利になるようなことは起こさない王子。良くも、悪くも、傍観者に徹することしかできない、足の悪い不幸な王族。
それがシュアンゼの一般的な評価であった。早い話、嘗められていたとも言う。だが、ファクル公爵からの評価はそんな無害なものではない。
ただ傍観するだけの者に、こんな器用な真似ができるはずはない。敵になることも、利用されることもないなど、意図的にその状況を作り出しているだけではないか。
そんな気持ちを抱いて観察するも、シュアンゼは才覚の片鱗を見せなかった。これにはファクル公爵も困惑したものだが……彼の本能ともいえる部分が警戒を解くことを拒否していた。そして、それは正しかったのだ。
「魔導師という遊び相手を得て、シュアンゼ殿下は漸く動きを見せた。『足を治す』という奇跡を起こした魔導師の存在があって、初めて殿下は牙を剥きおった。……国が荒れるのは当然よ、『世界の災厄』と『ファクルの血を引きし者』だぞ? これでくだらぬ茶番を見せられるならば、それこそ興ざめだ」
「なるほど、これまでシュアンゼ殿下を気にされてらっしゃったのは、ファクル公爵ご自身の血を信じておられたのですか。確かに、ファクル公爵家の血を引く方ならば、これまでの殿下の姿も頷けます」
「我が娘には受け継がれなかったようだがな。まあ、あれはあれで使い道があったが」
魔導師は『世界の災厄』と呼ばれる存在。言い伝えだけではなく、ミヅキはまさにガニアにとって『災厄』。それだけの騒動を引き起こしてみせた。
そして、シュアンゼはファクル公爵の孫にあたる。ファクル公爵は自身の血縁達にも結果を求めるため、その息子や孫達には優秀な者が多い。
「クルーデリスは唯一の娘だからと、妻が甘やかしたせいもあろうが……あれは何度言い聞かせても変わらなかった。故に、『今後を選ばせた』。本人は覚えていないやもしれんが、現状はクルーデリス自身が選んだもの。その結果を受け取るのは自分だと、気づいていればいいが」
「あの当時、ファクル公爵は先代キヴェラ王への対応を引き受けておられた。家族にも目を向けるべきとは、部外者には言えますまい」
「それを言い訳にしては、父上に合わせる顔などあるまい。せめて我が手駒とせねば、あれにファクルを名乗ることなど許さぬよ」
どこか苦いものを漂わせながら、ファクル公爵は自分の娘であり、同時にシュアンゼの母親であるクルーデリスを思い浮かべる。クルーデリスは政略によって得た妻に溺愛されたこともあり、世界の中心は自分だと考えているようなところがあった。
箱入り娘だった母親に溺愛されたことだけが原因ではない。『ファクル公爵家』に連なる実績と名誉が、周囲にそういった扱いをさせた。
父親や兄達が諫めようとも、家にいる母親や周囲が甘やかしては全くの無意味である。その結果が、現状なのだ。
「クルーデリスのシュアンゼ殿下に対する扱いを見て、妻もさすがに目が覚めたのだろうよ。療養という名目で領地に引き籠もり、社交の場からも遠ざかった。その程度の羞恥心はあったらしい」
「ああ、周囲の声は嫌でも耳に入るでしょうからね。特に、女性達は噂を好む……奥方にとって、辛いことでしょう」
「その憂いの大半も、自分に対する憐み……責任逃れだろうよ。似た者同士の母子といったところか」
溜息を吐けば、気づかわしげな視線がファクル公爵へと向けられる。ファクル公爵はそれに首を振ることで拒絶を示し、気持ちを切り替えるように会話を打ち切った。今はそんなことを話す時ではない、と。
「そろそろ、王弟殿下の手駒も尽きてきたはず。それ以上に、破滅の足音に感づかれたやもしれんな。先ほども言ったように、『私は動かん』。こちらが動かねば、殿下とて手の打ちようがあるまい。……実に楽しみなことよ、どうやって我らの背後にいる王弟殿下に牙を剥くのか」
そう語るファクル公爵の表情は心底楽しげであり、期待していることがありありと窺えた。悪い癖が出たとばかりに、同志たる男は苦笑し、肩を竦める。
「それでは、私も楽しみにしていましょう。傍観者に徹することもまた、あの二人にとっては嫌がらせになるでしょうからね」
「おやおや、お前も性格が悪くなったな」
「褒め言葉として受け取らせていただきますよ」
食えない笑みを浮かべる男に笑い返しつつ、ファクル公爵は今後に想いを馳せた。彼の望む次の騒動は、きっとすぐに起こることだろう。
攻撃に転じたシュアンゼに、公爵は大喜び。
やればできる子だと確信していたため、これまでの行動も驚いていません。
王弟夫人の事情はこんな感じです。幼い頃からお姫様扱いをされた結果、
根本的な認識が歪んだともいえます。
そういった意味では、王弟殿下と同類です。
なお、こんな会話がされている同時刻、騒動の元凶二人+αは酒盛り中。




