従弟同士の会話
――茶会中、シュアンゼの部屋にて(テゼルト視点)
「まったく、あの人にも呆れるばかりだ」
従弟の不機嫌な声に視線を向ければ、声と同じく不機嫌を露にしたシュアンゼの顔が目に入る。
彼が『あの人』呼ばわりする人物は、シュアンゼの母親――王弟妃殿下。実の親に対する言い方ではないだろうが、シュアンゼの境遇を知っていると納得できてしまう。
それほどに、母親とは言いがたい態度で接してきたのだ。
彼女は『シュアンゼの母』ではなく、『自分を王妃にする男の妻』なのだから。
まあ、そんな性格になった原因もある。彼女を自分の手駒にした存在こそ、当時の公爵。娘を溺愛していたことも事実なのだろうが、言い換えれば自分に都合よく育てただけだ。頭の良い女では、父親の言いなりになどなるまい。
望まれたのは、お飾りの王妃。もしも王妃になっていたならば、さぞ『お父様に忠実な良い子』となっていただろう。
そんな育ち方をすれば、自分の子に望むものとて同じになる。つまり、彼女にとっての『良い子』とは『親の期待に応える子』。足が不自由な時点で、シュアンゼはその道から外れたわけだ。
ある意味では幸運なことだが、それは同時にシュアンゼが両親の愛情を得られないことでもある。ゆえに、私も、両親も、シュアンゼを案じていた。今でこそ平然としているが、幼い頃は本当に不憫な状況だったのだ。
「誘拐騒動を起こした翌日に、茶会への強制参加かー……まあ、『余計なことをするな』と魔導師殿に釘を刺したいんだろうけど。自分と、自分の派閥の令嬢達に虐められれば、民間人如きは口を噤むとでも思っているんじゃないか?」
「そうだろうね。実に判りやすいよ」
茶会の目的を予想すれば、シュアンゼも苦々しく頷く。あまりにも反省が見られない態度なのだが、それをやるのがシュアンゼの両親である。否定の言葉なんて、冗談でも出るはずがない。
まして、シュアンゼにとって魔導師殿は恩人のようなもの。ガニアがイルフェナと揉める可能性を(一時的にだが)消しただけでなく、動かなかった足を治してくれた存在なのだ。
恩人が嫌がらせを受けるなど、許せるはずもないのだろう。私とて、同じ気持ちなのだから。
視線を向けた視界の端に、不機嫌そうな従弟が映る。シュアンゼは気が強い。未だ野心を失わぬ両親に見切りをつけている以上、攻撃することを躊躇わないだろう。
これまでは決定打になるような案件がなかっただけであり、隙あらば即座に追い落としにかかろうとしていたのは、私もよく知っている。それが個人的な感情ならば止めるのだが、シュアンゼの選択は王族としてのもの。ゆえに、諫められなかった。その果てにあるものが、この従弟との別離であっても。
王弟夫妻が罪に問われる事態になれば……シュアンゼとて、ただでは済まない。あの二人の子である以上、シュアンゼはどうしても巻き添えをくらう。
後の憂いを断つためにも、見逃すことなどできはしない。
そんな中で起きた、イルフェナからの誘拐事件。これが決定打となり、シュアンゼは覚悟を決めてしまった。魔導師殿という協力者を得た以上、シュアンゼは立ち止まるまい。
今回の茶会はその矢先の出来事なので、余計に機嫌が悪いのだろう。さすがに、王妃主催の茶会にシュアンゼが乗り込めるはずはない。王妃――母上には頼んであるが、魔導師殿が集中攻撃されることは確実だった。
自分に何もできないもどかしさ、そして王弟妃殿下の浅はかさへの呆れ、何より……それが実の親である情けなさ。それらの感情がぐちゃぐちゃになって、シュアンゼの機嫌は下降の一途を辿っている。傍に控えているラフィークもまた、主同様に苦い表情だ。
ただ……今回ばかりは、そんな心配はいらない気がする。
「あのさ、シュアンゼ。多分、お前が思っているようなことにはなっていないと思う」
「え?」
微妙に視線を泳がせながら口にすると、シュアンゼとラフィークが同時に視線を向けてきた。どちらも『どういうことだ?』と言わんばかりに、怪訝そうな表情だ。
「どういうこと?」
「魔導師殿は虐められ……るかもしれないが、きっちり自分で遣り返す、と思う」
確信がないのは、私自身が魔導師殿をよく知らないからだ。ただ、これまで目にしたものを思い出す限り……泣き寝入りはしないと思えてしまう。
そもそも、あのエルシュオン殿下との通話も何やらおかしかった。何故、魔導師殿に対して『シュアンゼを守れ』なんて言葉が出るのだろうか?
普通は王族であるシュアンゼか、私達に向けて、魔導師殿の保護要請が来るはずである。魔導師であろうとも、異世界人は民間人扱い。権力はなきに等しいので、王弟一派による理不尽な嫌がらせがされることは、たやすく予想ができるじゃないか。
それなのに、エルシュオン殿下にとっては『魔導師殿が守る側』。
実に、奇妙な指示である。しかも、魔導師殿曰く、それは『狩り』らしい。……まさか、最初から命の遣り取りを想定しているわけではあるまいな?
一瞬嫌な想像をするも、即座に『それはない』と振り払う。そうなれば、嫌でも国同士の問題に発展する。噂とは違い、比較的穏やかな解決を望むエルシュオン殿下に限って、そのような展開を望むことはないだろう。
そこまで考えて……私はその答えの片鱗を目撃したことがあったと思い出した。あれが状況によって発揮され、その結果が魔導師殿の噂に繋がっているならば……と。
「魔導師殿には、これまでの実績がある。私達はそれを、エルシュオン殿下が味方をしているからだと思っていた。いや、エルシュオン殿下が裏から動いて手柄を魔導師殿のものとし、彼女に価値を持たせていたと言った方がいいかな」
「思っていたというか、それが事実だろう? いくら魔法の実力があっても、それだけだ。異世界人だとしても、民間人を他国の王族が相手にするかい? 身分差はどうにもならないよ」
怪訝そうに返すシュアンゼの言葉も事実。そう、それがあるからこそ、私達はそう思っていた。『エルシュオン殿下あってこその、魔導師殿の実績だ』と。
……だが。
「サロヴァーラの件で見せた、魔導師殿の手腕。あれな、エルシュオン殿下はほぼ関わっていないんだ。しかも、魔導師殿がサロヴァーラに赴いてから、個人的に動いて『仕立て上げた』らしい。イルフェナから同行していた者達は別行動していた上、自分達にできることをしていた……完全に別行動なんだよ」
シュアンゼとラフィークは無言だった。いや、疑っているといった方が正しいか。確かに、信じがたいことかもしれない。
「私とて、最初は信じられなかったよ。だけどな、これが南での共通の認識なんだ。それぞれの国の王達が、魔導師殿が状況を覆す様を目にしている。……だからこそ、魔導師殿の言葉に耳を傾ける。イルフェナとしての功績になっていないのは、エルシュオン殿下は『魔導師殿の派遣を許しただけ』だから。正真正銘、魔導師殿は噂通りの人なんだ」
「いや、待って、テゼルト。あの子、とてもそんな風には見えなかったよ? 確かに、頭の回転は早そうだけど」
シュアンゼの言いたいことも判る。これまで魔導師殿の実績とされてきたものには……切り捨てる残酷さが必須なのだから。それらが民間人に理解できるとは思えない――全てが『正しいこと』ではないからだ――し、魔導師殿本人もそうは見えない。
何せ、魔導師殿はシュアンゼの足を治している。他者に対して気遣いができるような民間人が、そんなことをするだろうか? そう不審に思うのは当然だろう。
「エルシュオン殿下やアルベルダのグレン殿曰く、『常にそういった選択をするのではなく、敵に対して容赦がないだけ』だそうだ。『見た目や日ごろが無害な分、不意に覗く残酷さに驚かされる』とも聞いた」
「……」
「疑う気持ちは判る。だがな、『誰かに守られて、実績を仕立て上げられた』にしては、魔導師殿は状況を理解し過ぎているんだよ。当事者以外に知らない情報や、国の上層部との繋がり……それが答えだと私は思っている。私達は魔導師殿に対して、間違った評価を下していた。そう思わせることが、エルシュオン殿下なりの守り方でもあったと思う」
元から優秀と言われているエルシュオン殿下が褒めるからこそ、私達はその裏を疑った。だが、そう思わせることこそ、エルシュオン殿下の狙いであったように思う。
サロヴァーラの一件では、被害国どころかコルベラやゼブレストまでもが参戦してきたのだ。それを可能にしたのが、魔導師殿。そんなものを見せつけられれば、嫌でも魔導師殿に危機感を抱く。
「……テゼルト様の仰るとおりだと思いますよ、主様」
それまで黙っていたラフィークが不意に、口を開く。
「あのお嬢様は、主様がお客として扱った理由を理解されていた。それも即座に、です。何より、エルシュオン殿下のお声には、お嬢様に対する確かな信頼がございました。……案じるお心以上に、信頼が勝る。まして、翼の名を持つ騎士達が、お嬢様に報復を譲るなど! 私も主を持つ身ですから、それがどれほどのものなのか判ってしまうのですよ」
「ラフィークから見ても、そう見えるのかい?」
「ええ。私とて、主様のことならば、そう易々と譲ったりはいたしません。いくらエルシュオン殿下が国同士で揉めることを避けたいと思われても、主を侮辱された騎士達が大人しくなるでしょうか? 私にはこの状況こそ、答えのように見えてならないのです」
自分に仕えるラフィークの姿を知るからこそ、シュアンゼにとっては説得力があったようだ。難しい顔をしながらも、先ほどよりは私の言い分を信じているように見える。
それでもシュアンゼが複雑そうなのは、自分の母親の選民意識を知っているからだろう。しかも、それは一人ではない。そんな中に、民間人を一人参加させる……性格が悪いにもほどがあるだろう。普通に考えれば、茶会の席で貶されまくる未来しか見えない。
しかし、その民間人が『噂通りの魔導師』だったならば……?
「じゃあ、今催されている茶会の席も大丈夫なのかな」
「大人しくはしていないだろう。終わったら、話を聞こうと思っている。何せ、魔導師殿の渾名は『魔王殿下の黒猫』だ。本人も『猫は獲物を狩るもの』と公言しているようだしね」
「猫……」
「ちなみに、エルシュオン殿下限定で『お手』と『待て』ができるらしい。嘘か本当かは判らないが」
「「は!?」」
「いや、そう言われたんだよ。エルシュオン殿下本人に」
揃ってぎょっとする主従に、今度は私の方が困惑気味な顔になる。二人の驚きは『それは事実なのか?』というものと、『エルシュオン殿下が本当にそんなことを言ったのか?』という両方だろう。
うん、私も言われた時には同じ反応をした。と言うか、未だに意味が判らない。
「ええと、その、テゼルト様? お嬢様は犬や猫ではないと思うのですが……」
「そうなんだよね。だから、エルシュオン殿下は何か別のものを暈して言った可能性もある。だけど、魔導師殿が実際に『お手』をしていたから、私自身も困惑するしかなかった」
反応に困る事態、しかもその仕掛け人がエルシュオン殿下。ただ、魔導師殿は非常にノリが良い性格をしているようなので、その場で合わせていた可能性もある。
はっきり言えば、未だによく判らない。今回のことで、それらが何を示すのか判るのだろうか?
ただ、魔導師殿と最も言葉を交わしているシュアンゼにとって、それらは言葉通りの意味に思えたらしい。
「ふ……はは! あの子なら、確かに……うん、本当に噂通りの子だといいな。きっと、面白いことになりそうだ」
茶会での遣り取りを予想したのか、シュアンゼが笑い声をあげる。そんな姿は滅多に見られないものであり、ラフィークでさえ軽く目を見開いていた。
「おい、シュアンゼ? 私は真面目に心配しているんだが? ……主に、この国のことについて」
呆れ半分、同意半分に諫めれば、軽く肩を竦めるシュアンゼ。その表情は未だ楽しげだ。
「いいじゃないか、テゼルト。そうだった、あの子がここに来た当初の反応も……。ふふ、そうか、その可能性もあるのか」
先ほどまでの憂いを綺麗に消し去り、シュアンゼは楽しげに目を細める。二人がどのような会話をしたかは判らないが、ラフィークでさえ納得の表情だ。
仲間外れのようで少し悔しいが、それでも従弟のこんな表情が見られたことに安堵する。魔導師殿が何をするか不安だが、シュアンゼが楽しそうなのだ。この表情が曇る事態にさえならなければいい、と思えてしまう。
「待とうか、魔導師殿からの報告を」
「そうだね。ミヅキのことだから、きっと楽しい展開になっていそうだ」
楽し気に言葉を返すシュアンゼに頷きつつも、ふと……何かを忘れているような気がした。忘れたということは、それほど重要なことではないはず。だが、妙に引っかかるような。
首を傾げるも、意識はラフィークが淹れ直してくれた茶へと向いている。漂い始めた良い香りに、私は考えることを放棄することにした。
『ミヅキはね、自分への敵意を逆手にとって【遊ぶ】んだ』
そんなエルシュオン殿下の言葉を私が思い出すのは、魔導師殿から茶会の報告を受けた時。
――穏やかな午後、従弟同士の王族二人と側仕えが頭を悩ませながらも、平和に話をしていた同時刻。
魔導師は無自覚のまま、王弟妃殿下のプライドを木っ端微塵に砕いていたのだった。本人曰く『あくまでも、遊んだだけ』。
その報告はシュアンゼの爆笑を誘い、国王達が魔導師(の性格の極一部)を好意的に受け入れる切っ掛けになるのだが。
……その報告を受けたエルシュオンが頭を抱えるのも、いつものことである。
時間軸的にここしか入れられないので、今回はテゼルト達の話。
主人公が茶会参加中、従弟達もお茶をしてました。
彼らも色々と思うことがあり、当然、主人公のことも含まれます。
北で主人公が嘗められがちだったのは、『後見人が実績を仕立て上げた』と思われていたから。
茶会以降、彼らが主人公を正しく理解する日も近い。




