番外編 ○○が犬になりました
幕間でしかこういった話が書けないので、番外編・其の二です。
――ゼブレスト・ルドルフの執務室にて
「……」
「ミヅキ、頼むから現実逃避は止めてくれ」
ルドルフの縋るような声に、深々と溜息を漏らす。ここはゼブレスト、ルドルフの執務室。
いつものように遊びに来た……というわけではなく。何故か、ルドルフから急を要するヘルプが入ったのだ。
その呼び出しも、何やらおかしかった。いつもは護衛の意味を兼ね、セイルがイルフェナまで迎えに来るのが常。今回は何故か、セイルの部下であるエリックさん――後宮の池に住むカエルの一匹である、ルーシーのお父さん――だった。
守護役がいる以上、普通ならばありえない人選である。あるとするなら、セイルが体調不良とか、任務の最中という場合だろうか。
だが、そんな通達はない。いつもは落ち着いた雰囲気のエリックさんが妙に慌てていることも含めて、おかしいことだらけだったのだ。
『ミヅキ、とにかくゼブレストに向かってくれないかな』
その理由を知るらしい魔王様も、暈した言い方をするのみ。私を向かわせたいことは判るが、いつもは理由をきっちり説明する――勿論、言える範囲で――のが、魔王様の遣り方。明らかに、おかしい。
怪訝そうな表情になる私に、魔王様は深々と溜息を吐くと、言いにくそうに言葉を重ねた。
『すまない、私の口からは言えないんだ。同じ理由で、アル達も君に同行できない』
つまり、『イルフェナの者が知っている、という事態が拙い』ということなのだろう。ルドルフからの手紙はあくまでも個人的なものであり、『王族』や『翼の名を持つ騎士』としてはノーカウント、ということにしたい模様。
ってことは、ゼブレストの『外部に漏れちゃいけない話』なわけですね!
私はイルフェナにとっても部外者なので、『イルフェナで聞かされなければ』いいだけだ。遊びに行ったら、巻き込まれた……という言い分も使えるのだから。
解決した後に、『こんなことがありました!』と魔王様に報告すればいいだけですよ。大変便利な立場です、異世界人。
まあ、私としてもルドルフを放置する気はない。どんな問題が起きているのかは判らないが、魔法関連ならば多少は役に立つだろう。
魔王様も、それを見越して許可を出したと思われる。政方面ならば、魔王様や守護役達の権力を使った方が有利になるのだから。今回はそれが役に立たないということか。
そんなわけで、ゼブレストへ来たのだが。
「すまないな、ミヅキ。我が国は魔術方面に疎く、現状では頼れるのがお前しかいない」
「あ〜……借りになっちゃうからですか?」
「それもあるが……その、セイルの立場的にも、状況を話せる相手が非常に限られるのだ」
宰相様が話す内容に、とっても納得。うん、これはイルフェナだろうとも頼れんわな。おかんよ、貴方の判断はとっても正しい。ルドルフの守り筆頭であるセイルが『この状態』なんて、いくら何でも話せない。
これはイルフェナ相手でも同様。魔王様とルドルフが個人的に仲良しだろうとも、互いの立場がある以上は話せまい。
『知らないことにしなければならない』のだ。逆だったとしても、魔王様はルドルフと同じ行動を取るだろう。
で、私達が現実逃避したい事態は何なのかと言えば。
「はは……またか、またこれか! こっちもかよ!」
ルドルフの執務室には、銀色の犬がいた。しかも、大型犬。アル犬ほど毛玉ではないが、長毛種。その毛並みは、どこかで見たことがあるような、青みがかった銀色。
優しげな、どことなく優美な見た目の犬である。その目の色も含めて、『ある人物』を彷彿とさせた。
説明するまでもなく、この犬はセイルである。
要は、アルと同じ目に遭いやがったのだ、あの男は!
「これがセイルねぇ……」
ちょいちょいと手招きすれば、大人しくこちらに来る銀色の犬。それでもルドルフの傍に控えるのは、セイルの本能に己が役割りが刷り込まれているからか。
しゃがみこんで視線を合わせると、銀色の犬は困惑しているような感じに見える。なので、つい――
「お手!」
言いながら手を差し出せば、銀色の犬は『私の頭の上に』片手を乗せた。笑っているように思えるのは、気のせいではあるまい。
「このクソ犬……!」
仕返しとばかりに、ぐにぐにと両頬を引っ張る。ああ、間違いない。これは絶対に、セイルだわ。
こんな性格の悪い犬がいてたまるか。明らかに、私を馬鹿にしてるじゃん!?
「俺達とて、目の前でセイルの姿が変わらなかったら、判らなかったさ」
「あれは驚きました。ミヅキの魔道具を持っていたはずですから、そういった類のものは効かないと思い込んでいたことも油断に繋がったのでしょうが」
私達の遣り取りに呆れつつも、複雑そうな表情になって事情を説明するルドルフと宰相様。そんな彼らの会話に、セイルには魔道具を渡してあったことを思い出す。
あれ? もう魔力切れでも起こしたかな?
複数の効果があるようにしたものだから、魔力の消耗が早いとか?
ただ、アルのような可能性もある。白騎士達は黒騎士製作の魔道具も身に着けている――私が敵に回る可能性も含め、私が作った魔道具だけに頼ることはない――ため、たまに私が作った魔道具を身に着けないことがあるからだ。
私がイルフェナの人間ではないため、『異世界人だけに頼る真似はしてないよ!』というアピールでもあるのです。感情的に仲間として受け入れていようとも、私が部外者の立場である以上、こういった姿も見せなければならない。
――魔王様ごと、魔導師に取り込まれた……なんて言われるかもしれないからね。
それはイルフェナの事情なのだが、ゼブレストとて魔術師がいるだろう。後宮騒動の時のことを考えると、黒騎士並みの腕は無理だろうが……それでも、呪術系統の対策が皆無というわけではないはずだ。
ってことは、最悪、その魔術師ごと殺られたとか――
「あ、今回はセイルにも非があるからな。短時間だろうが、シャワーを浴びた後、うっかり着け忘れていたみたいなんだよ。丁度、俺達がセイルの部屋を訪ねてたんだ。だから、目の前で犬になられてな……」
『どうした、セイル。髪が濡れているぞ?』
『少々、汗を流していたのです。お待たせして申し訳ありませ……っ!?』
『セイル!?』
「俺達も驚いた。いやぁ、目の前で姿が変わっていなかったら、今頃はセイルの捜索を行なっていたな」
「お馬鹿っ! お前の油断が原因かよ!?」
ルドルフの言葉に、速攻で銀色の犬の頭をペシッと叩く。銀色の犬……略して銀犬は一瞬不満そうな素振りを見せるも、自覚があるのか、反撃はしてこなかった。
ただ、ぷいっと横を向きはしたが。拗ねるな、アホ犬が!
馬鹿だ……本当に、お馬鹿さんだ……!
ただ、セイルがポカミスをするのも珍しい。おそらくは、以前と比べて随分と平穏になったゼブレストの現状がそうさせた理由だろう。
以前の様に、常に気を張っている必要がなくなった。少し前までのゼブレストは、自室だろうとも寛げない状況だったのだから。
だからと言って、笑って許せる事態ではない。物理的な方面で攻撃が仕掛けられないなら、魔術方面で……と考えてもおかしくないじゃないか。
私の考えを読んだのか、ルドルフが情けない顔になって頭を掻いた。
「あ〜……お前の言いたいことも判る! 俺達が油断してたんだ。この国は魔術方面に疎いって知ってるだろ? だから、そうそう面倒なことにはならないと思っていたんだ」
「つまり、『そんなことをできる奴がいない』と思っていたと」
「おう。……かなり情けない話だけどな」
突っ込めば、即座に肯定される。判ってはいたが、これはこれで問題だろう。
だが、ゼブレストがこうなった理由にも納得できるのだ。最大の原因が『戦の多い国』ということなのだから。
魔術師はほぼ研究職。『戦場に出て、華々しく攻撃魔法をぶっ放したいです!』という奴は、かなり珍しい。引き籠もりなのです、要は。
しかし、魔術の研究には金がかかる。それなら国か貴族のお抱えになれば……とは思うだろうが、ここは戦の多い国。
研究より、戦場に連れていかれる可能性の方が高い。
しかも、資金を出してもらっている以上、断れない。
接近戦をこなせない魔術師が大半ということは、防衛方面は護衛頼み。だけど、戦において絶対なんてものはないわけで。
その結果、魔術師達は他国に移住していったんだそうな。隣国に、実力至上主義のイルフェナがあることも理由の一端だろう。
「皆様、とりあえずお座りになっては? どうやら、ミヅキ様には状況が判っていらっしゃるようですし、話が長くなる可能性もあるのでは?」
エリザがお茶を用意しつつ、ソファへと促す。顔を見合わせて移動すると、銀犬も一緒に移動しかけ……ピキッと固まった。
銀犬の分のお茶も用意されていた。……床に置かれた器の中に。
「あら、何を驚いているのです? 今の貴方が、カップから飲めるはずもないでしょうに」
嫌だわ、と言いながらも、エリザはいい笑顔だった。明らかに、嫌がらせである。この二人、相変わらず仲が悪い模様。
これには私も大笑いしてやりたいが、今はそんなことをしている場合ではない。早くしないと、セイルの自我が消えてしまう。
「はいはい、今回は思うことがあっても水に流せ。ほれ、セイル。さっさとこっちに来なさい!」
促すと、セイルは私の隣……と言うか、私が座ったソファの横に乗り。
……私の膝に頭を乗せた。ちらりと、エリザに視線を向けることも忘れない。今度はエリザが顔を引き攣らせる。
どっちもどっちだ、お前ら。楽しそうじゃないか、私はもう帰っていい?
だが、それを許さない存在がいた。一人は速攻で私の背後に周り、押さえ込むように肩に手を置いた宰相様。
もう一人はルドルフである。しかも、微妙に涙目だ。
「いや、そこで見捨てないでくれ!」
「え〜……楽しそうじゃん。この二人限定で」
「違うから! 頼むから、真面目に考えてくれ! ゼブレストの魔術師は当てにならないんだよ!」
必 死 だ な 、 ル ド ル フ … … !
そうか、お前の目から見ても『ゼブレストの魔術師は役立たず』と言えてしまうのかい。
帰らせまいとする宰相様の様子を見ても、ゼブレストの魔術師には相談すらしていないのかもしれない。哀れなり、宮廷魔術師。
まあ、馬鹿なことも言っていられない。とりあえずは話をしよう。
「アルも少し前に、同じ状態になってね。前は御伽噺の再現狙いだったから、『異性とのキス』が条件だった。これは犬になったアルが私の顔を嘗めた際、偶然唇の端がかかっていたことから発覚したんだけ……うわ!?」
「ちょ、セイル!?」
言い終わる前に、銀色の犬が私の唇を嘗める。あまりにも戸惑いのない姿に、一同は呆気に取られるが……銀色の犬が人型にもどることはなかった。解呪方法ではなかった模様。
「セイル、お前なぁ……って、ミヅキ、どうした?」
「っ……。鼻ぶつけた」
片手で顔を押さえる姿に皆は呆れるが、私は割と痛かった。犬の顔の構造上、人よりも鼻の位置が高いのだ……勢いよく顔を近づければ、ぶつかる可能性もあるわけで。
とりあえず、エリザが差し出してくれた濡れ布巾で顔を拭き。興味をなくしたらしい銀犬の頭を、ペシペシ叩いておきました。
少しは労れや、この駄犬! 効果なしだと、途端にシカトってどうよ!?
「すまない、ミヅキ。気持ちは判るが、今は解呪を優先させてくれないか」
頭痛を耐えるような表情の宰相様の言葉に、私はとりあえず話を進めることにする。……銀犬の頭を、拳骨でぐりぐりやってはいるけどな!
「だから、この術式に関する対処法は判る。判るんだけど……」
「何か問題があるのか?」
「これ、解呪の方法が設定されているはずなんだよ。他は術者が死ぬか、解呪するしか解けないらしい」
期待を滲ませたルドルフには悪いが、事実だけを告げる。クラウスの説明だと、その三つしか方法がなかったはず。
しかし、アルが戻った時の落ち込み具合からして、解呪の方法もそう簡単なものには設定されていないだろう。アルが簡単に解けたのは、犯人に目的――御伽噺の再現――があったからである。
そんなわけで、焦点は『ノーヒントでそんなものが判るのか?』ということになってくるのだが。
「術者の魔力で作られた器っていうのが、今のセイルの姿だよ。生きたぬいぐるみ、みたいなものかな。だけど、その『設定された解呪方法』ってのも、ノーヒントだと難しいね。どうやら、複雑なものにするのが定番みたいだし。まあ、解けないようにするならば、そういった設定にするのが本来の形なんだろうけど」
「つまり、解くことを望まない……?」
「うん。あんた狙いだったら、まず解けないようにするだろうしね。だから、術者を探す方が早いと思う」
「……」
あまりの難易度に、皆が黙り込んでしまう。慰めるように銀犬の頭をぐりぐりと撫でてみるが、『大丈夫です』と言うように、一度尻尾が振られただけだった。落ち込むなと言う方が無理だろう。
今更だが、黒騎士達が悩むのも当然だと思う。本当なら、私達とてこんなシリアス展開になっていたはずだ。
何より、これからルドルフ達を悩ませるのは『セイルを元に戻す』ということだけではない。
「さらに残念なお知らせしていい? この術ってさ、時間が経つにつれて『器』に引き摺られて、人としての自我が消えるらしいんだよ。だから、セイルの『さくっと殺っちゃいましょう』な思考が、行動に反映されるかもしれない」
「「な!?」」
「ミヅキ、抑える方法はないのか!?」
顔色を変えて絶句する、ルドルフとエリザ。速攻で対処法を聞いてきた宰相様は流石だが、私は首を横に振るしかない。
「イルフェナでも私預かりになって、騎士寮から出さなかったよ。それが可能なら、クラウス達だって実行したと思う」
厳しいようだが、これが現実だ。禁呪指定は伊達ではない。
この術を作り出した魔術師は考えもしなかっただろうが、『人としての自我が消える』ってのは物凄い欠点だと思う。
人は理性があるからこそ罰を恐れ、罪を犯さない。
獣は縛られるものがないからこそ、本能の赴くままに行動する。
術をかけられた側の記憶がないからこそ、そういった面があまり重要視されない――被害者に該当するので、責任を問えないのだ――のだろうが……『内部に狂気を抱えた者』が獣と化した場合、それが前面に出ないと誰が言える?
ルドルフ達とて、私の話からその可能性に気づいているのだろう。だからこそ、こんなにも表情が暗い。
……だが。
私とて、アルの時も黒騎士任せにしていたわけではなかったり。
「あのさー……初めて試す方法だけど、戻る可能性があるかもしれない」
「「「え!?」」」
視線を泳がせながら告げると、皆の視線が私へと集中する。銀犬……セイルさえ、顔を上げてこちらを見上げた。
いや、その……そんなに期待されても、確実かは判らないんですが。
「ミヅキ、お前は提示されている解呪方法以外のものを思いついたのか?」
期待を込めてルドルフが聞いてくるのに、頷くことで肯定を。
うん、それも嘘じゃない。正しくは、『生きたぬいぐるみの構造を観察する過程で、とても簡単なことに気づいてしまった』というか。
「これってさ、術者の魔力でできた『器』なんだよ。だから抜け毛もないし、体から切り離せば魔力が霧散して無に還る。ってことはさぁ……」
皆の期待を集める中、非常に言いにくい。それほどに、『解呪方法』は脱力するものなのだ。
「この器を損なわせる……例えば、この犬の毛を刈りまくったりすれば、術者の魔力が器を維持しきれなくなって、解呪されるんじゃない? 毛を切ってもすぐに再生されるから、その分は術者の魔力で再構成されるってことだと思う」
『生きたぬいぐるみ』=『術者の魔力を使って作った器』。
この認識が正しいならば、器をガンガン欠損させれば、術者の魔力が尽きるはず。魔石を使っていたとしても、その魔力が尽きるまでやればいいわけで。
「この場合、術者が自身の魔力を器の維持に使い過ぎて衰弱し、術を維持できなくなるって言った方が正しいね。魔力が際限なく消費されていく状態になるもの。この世界の人って術式の解除という風に考えるから、思いつかなかったみたいだけど」
正確には、『試す機会が少なかったこと』が原因と思われる。元は罪人などを水晶球などに閉じ込めておく方法だったし、獣の姿に閉じ込める術になってからは禁呪扱い。
当然、その術の解除にチャレンジする機会なんて、そうそうあるはずもなく。単に、研究不足なのです。禁呪だからこそ、報告される実例や報告が少な過ぎるのだ。
「そんな簡単なことで……?」
予想通り、皆は呆気に取られていた。ですよねー! その気持ちも判るぞ。
ただ、現時点では、これしか解呪方法が思いつかないのも事実。そうなると――
「とりあえず、試してみよう。器を維持するだけの魔力というものが、どれほどかは判らないが」
宰相様がきっぱりと決断した。セイルの従兄弟だけあって、人としての自我が消えた時のヤバさが予想できてしまったのかもしれない。
その言葉を機に、皆の視線が銀犬へと集中する。銀犬は……何故か、やる気満々だった。
「……。何、その期待に満ちた目は」
顔を引き攣らせながら呟けば。
「……。解呪の可能性だけではなく、『術者』に一矢報いられるかもしれないからだろうな」
溜息を吐きながら、宰相様が恐ろしげなことを言った。ちょ、早くも紅の英雄モードになりかけてる!?
皆の顔色が変わったのは、言うまでもない。このまま狂犬と化されたら、ルドルフの敵を噛み殺しそうじゃないか……戻った時には『覚えていません』で済まされそう。
やる。セイルならば、この機会を絶対に利用する。
皆の心が一つになった瞬間だった。セイルを知る人達だからこそ、とも言う。
その後は、犬の毛刈りに興じたことは言うまでもない。
――結果として。
私の言い分は正しいことが証明された。犯人の目的も判らないままだった――多分、術者はどこぞで衰弱死でもしたか、近い状態と思われる――が、とりあえず元に戻っただけでもよしとしよう。
ただ、魔王様へと報告をした内容に、気持ちが収まらない人達もいたわけでして。
「お前はどれほど規格外なんだ!? こんな馬鹿な解呪があってたまるか!」
「煩いなぁ、実際に解けちゃったんだもん!」
クラウスを始めとした黒騎士達は再び、混乱と敗北感に見舞われることになったのだった。
魔術師達は固定観念があり過ぎて、柔軟な発想に向きません。
主人公はこの世界の術式を理解していないからこそ、様々な発想をします。
※魔導師12巻が発売されました。




