侍女は密かに安堵する
――帰国後、ゼブレストにて(エリザ視点)
「相変わらず突き抜けてるな、ミヅキは」
報告を終えた私達に、ルドルフ様が複雑そうな表情で呟きました。隣にいらっしゃる宰相様も微妙な表情になっておいでです。
……ええ、お二人のお気持ちも判るのです。
ミヅキ様は此度の事件において『被害者』でした。
誘拐事件から成る、全ての事実――イルフェナとサロヴァーラの見解を含む――を照らし合わせても、紛うことなき『被害者』でいらっしゃいました。
ですが、そこはミヅキ様。
ご自分が仕掛けられた罠を利用されたり、とか。
軽んじられた立場を逆手に取り、より有利な状況を作り上げる、とか。
挙句の果てに、黒幕であったはずのティルシア姫と手を組むなど!
誰が聞いても、被害者の行動ではございません。それに加え、被害国に利をもたらす形で、今後起きるサロヴァーラの改革に大きく貢献されていらっしゃいます。
しかも、それがほぼ個人的感情の産物。
おそらくは、サロヴァーラに赴いた者達から報告を受けたそれぞれの国もまた、反応に困っているのではないかと思われます。
普通は不可能ではないかと思うのですが、それを可能にしてしまうのが魔導師たるミヅキ様。個人的なことを申し上げれば、『魔導師であるということよりも、ミヅキ様だからこその結果』ではないかと思ってしまいます。
これまで『世界の災厄』こと魔導師の評価は『圧倒的な強さや力』という認識をされておりました。歴史を顧みれば、その評価は正しいのでしょうが……ミヅキ様はどうも過去の魔導師達とは異なるようなのです。
ミヅキ様の『恐ろしさ』を知る者達は、その多くが『彼女だからこその功績』という解釈をしていらっしゃることでしょう。
策を好むだけではなく、自己保身を全く考えない奔放な振る舞いの数々。
力があろうとも、利用する知恵がなければそのままです。何より、力のみではただの暴力であり、とても友好的な関係を築くことなどできないでしょう。
また、臆病であれば何の行動もできません。命の危機すら『心躍る遊び』とされるような方でなければ、これまでの功績はありえませんでした。
……本当にギリギリの、一歩間違えれば落命の危機でさえ、十分ありえたのです。
私達はそれをよく知っております。ミヅキ様は『勝ち残ってきただけ』なのだと、身内と呼べるような位置にいることを許された者達は熟知しているのです。
それゆえ、誰の胸にもミヅキ様を案じる気持ちがあるのでしょう。何より、その恩恵を受けてきた私達に……ミヅキ様を諌める資格などありはしない。
ルドルフ様達も、それをよく判ってらっしゃるのです。ルドルフ様も、宰相様も、ご自分の立場を最優先になさる方……必要があれば、ミヅキ様を利用するでしょう。
個人的に思うことがあろうとも、ご自分の在り方を違えることはいたしません。これまで超えてきた過去を誇るゆえ、間違えることはない。
それができる方達だからこそ、ミヅキ様も安心していられるのだと思うのです。ミヅキ様は、ご自分が友の害となることなど望みませんから。
それが、私達が培ってきた絆なのです。
様々な信頼の下に成り立つ、得がたいもの。
そのような状況ですので、今回の我らの怒りも当然のことなのです。思わず、当時のことを思い出してしまいます。 あの時は本当に驚きました。最初は誰もが『いつものこと』だと思っていたのですからね。
私達はミヅキ様ご自身が策を講じてのことならば、どれほど危険であろうとも口出しはいたしません。それは『ミヅキ様のご意志』であり、『駒の一つとして動いている』ということですから。
ですが、今回ばかりは少々勝手が違いました。
誘拐事件が数ヶ国に渡る以上、全ての情報がこちらに提示されることはありません。ゆえに、サロヴァーラ行きも『アルジェント様に恋する第二王女を諦めさせるため』と伺っておりました。
アルジェント様ですから、そういったお話も多いのでしょう。以前も、ちらりと聞いたような気が致しますし。
ルドルフ様も当初は『ミヅキも大変だな』と笑っておられました。よくあること、程度の認識でしたので。
……ですが、その後届いたミヅキ様からの手紙に書かれていたのは、そのように平和なものではなく。
『な!? 【詠唱が間に合わないことが確実な罠に落とされた】だと!?』
ミヅキ様からの手紙がゼブレストに届けられた、あの時。
ルドルフ様の上げられた声に、私達は思わずそちらへと振り向きました。魔法の行使は詠唱が必須のはず。それが間に合わない罠を使うなど、明らかな殺意ではありませんか!
ミヅキ様が無詠唱で魔法を使えるのは、本当に偶然なのです。『魔法を使いたい』という感情のまま、ミヅキ様が努力された結果なのですから。
そして、それをサロヴァーラが知っているとは思えませんでした。『ミヅキ様を殺そうとした』と変換されるのは当然のことです。
しかも、今回はそのような危険などなかったはず。
私達の視線を受け、ルドルフ様は手紙の内容を簡潔に教えてくださいました。
『サロヴァーラが内部で揉めてるらしい。俺達が知らなかっただけで、サロヴァーラに行く前に誘拐事件が起こされていたようだ。サロヴァーラ王はそれに関与していなかったらしいが。ミヅキはどうやら【餌】として招かれたようだな』
『餌、ですか?』
『ああ。ミヅキの人脈なんて、サロヴァーラの馬鹿どもは知らない。奴らがミヅキを害すれば、抗議の一つや二つは行くだろ。そうなれば……王家が正当な理由の下に、処罰できるじゃないか』
『ですが、サロヴァーラ王は関与していなかったのでは?』
『黒幕は第一王女だとさ。あの女狐ならやりかねん!』
皆、一斉に目を据わらせました。何と勝手な……国をあのようにしたのは、自分達が不甲斐ないからだというのに。
ですが、続いたルドルフ様の言葉は、皆を唖然とさせるものでした。
『だがな、ミヅキは第一王女とすでに和解済み。というか、手を組んだらしい』
『は? あの、それはどういうことでしょう……?』
『【使える物は何でも使って、勝ちだけを狙う姿勢は好印象。つーか、私も同類。何より、今後のことを踏まえると手を組んだ方が得】……と書いてある。殺されかけたことも、アルジェント殿との二択でそうなっただけだから、魔法が使える自分が落ちたことは良かったってさ。ちなみに、これを利用して報復の許可を得たらしい』
『……』
あまりのことに、誰も言葉が続きません。ルドルフ様とて、非常に困惑してらっしゃるようでした。
いえ、ここは『さすが、ミヅキ様』と思うべきなのでしょう。自分を殺しかけた黒幕とあっさり手を取り合う思考回路……私如きに判断できないのは当然と思うことにします。
『まあ、確かにミヅキの言うとおりなんだよな。あのままだと、サロヴァーラはそう遠くないうちに盛大に揉めそうだったし』
『サロヴァーラ王は善良な方ですが、些か弱い。子が王女二人というのも不安要素でしたからね』
溜息を吐きながらルドルフ様が手紙に視線を落とせば、宰相様も同じく溜息を吐き同意しました。
サロヴァーラと我が国は距離がありますが、それでも『王家が貴族の傀儡となる』などということになれば他人事では済みません。
『そういう事態が起こってしまったことが問題』なのです。一度成功すれば、他国でも起こり得ることですから。
特に我が国は少し前まで、愚か者達と争っていたのです。さすがに全てを駆除するわけにはいきませんので、未だちらほら小物は残っております。
……牙を剥くことを待っている、とも言いますわね。こちらが動く理由が必要ですもの。
サロヴァーラは王家を侮る貴族達が力を持ってしまった。先代より続いた負の遺産が今なお、王家と王に忠誠を誓う者達を苦しめている状態でした。それを変えようと行動なさったのが、第一王女殿下なのでしょう。
『と、いうことは。私達の怒りの矛先は彼ら……王家に仇成そうとしていた者達なのでしょうか』
『ん? まあ、そういうことだろうな。っていうか、読みたければ読んでいいぞ? 他にも色々書いてあるし、ミヅキが第一王女と組んだ理由もよく判る』
ルドルフ様の手元にある手紙を覗き込んでいたセイルの一言に、私達は思案顔になりました。
確かに、そのとおりです。彼らが元凶と言えなくもありません。
『……。ああ、なるほど。【考え方が一番まともであり、行動力があり、覚悟もある上、最も楽しく遊べる相手】だったんですね』
『ミヅキの基準はイルフェナだからな、余計に連中がアホに見えてるんだろ』
『サロヴァーラが遊び場扱いか……確かに【馬鹿は嫌い】とか言っていたが……』
……頭を抱えている宰相様はともかくとして。ルドルフ様とセイルには納得できる行動だったようです。同時に、ミヅキ様は後の憂いを消すために行動されたのでは? と思いました。
エルシュオン殿下はミヅキ様にそういったことをお話しになられません。ミヅキ様も無関係の国に対しては興味がないようですし、サロヴァーラの現状などご存知ではなかったでしょう。
ならば、行動に移した理由は……訪れたサロヴァーラで体験されたことの全て。誘拐事件も含め、内部に味方を作って収めてしまった方が良いと判断された可能性があります。
そもそも、第一王女殿下は他国を巻き込むことを躊躇わないまでに、追い詰められているご様子。今後も何かを仕出かされるよりは、味方となって一気に事を収めてしまう方が得策です。
『ミヅキは今後も踏まえて、共犯者を選んだな。だから、サロヴァーラ王が共犯者じゃないんだろう』
ルドルフ様の呟かれた、その一言。それもまた、ミヅキ様が行動を起こされた原因の一つなのでしょう。
『王に、下の者を押さえ込む力がない』。口に出せば不敬ですが、これは半ば事実でありました。おそらくは、ミヅキ様とて何らかの対策を講じているはず。
暫く考え込んでいたルドルフ様は、やがて私に向き直り命じました。
『エリザ、ミヅキがお前に助力を願っている。多分、情報を与えておきたいというのが本音だろう。だが、何かを頼まれることがあったら……【ミヅキの望みに沿うように】行動してやってくれ。責任は俺が持つ』
『賜わりました』
一礼する私の口元にはつい、笑みが浮かびます。『内容を具体的に話さず、あくまでもミヅキ様に助力するようにと命じる』。これがルドルフ様なりの、ミヅキ様への助けなのでしょう。
『責任を持つ』という言葉にも、宰相様は何も仰いませんでした。基本的に立場を重んじる方ですから、今回はそういった点から見ても、ミヅキ様に付くという判断をされたようです。
まあ……少々、保護者根性というものもあるのでしょうけど。
『それから、セイル。お前もエリザと共にサロヴァーラへと行け。名目はエリザの護衛だが、お前にはミヅキの守護役という立場もある。……やるべきことは判るな?』
『勿論です。側に居るならば、守るのは当然ですからね。私の代わりは副官のユージンに任せますので、ご安心ください』
セイルを向かわせる。建前上は私の護衛ですが、セイルにはミヅキ様の守護役という立場もあります。そして、ルドルフ様はセイルの性格をよくご存知です。剣の腕を信頼してもいます。
警戒……しているのでしょう。今回のことで、サロヴァーラはミヅキ様に良い印象を抱いていない。民間人として軽んじられていたようですし、くだらない悪意をぶつけてくる者もいるやもしれません。
ですが、セイルならばそれらを打ち払えます。その身分と剣の腕があり、しかも守護役とは王命により賜わった役。
『守ることが当然』なのです。これほどに、今のミヅキ様をお守りする立場に相応しい者はいないでしょう。
何より、これは無言の警告でありました。『ゼブレスト王が信頼する者を遣わした』という意味、それに気づいたならば……『魔導師にはゼブレストがついている』と理解できるはず。
ルドルフ様はご自分にできうる限りの手を打ち、あらゆる意味でミヅキ様をお守りしたいのでしょう。いつも守られるばかりだと、よく口にされていらっしゃいますもの。
珍しくも、私とセイルは視線を交し合い……互いに笑みを深めました。この時ばかりは、私達は互いの心が手に取るように理解できたと思っております。
ええ、判っておりますわ。私達は『主の命に忠実であればいい』。
忠誠捧げる主の命の下、『しっかりと』愚か者達に理解していただかなければ。
ルドルフ様のお言葉は曖昧なものでしたが、それを解釈するのは私とセイルなのです。我が主の恩人にして親友である方を危険な目に遭わせ、反省もしないなど。……許せるものではございません。
ミヅキ様の『お願い』には喜んで従うつもりですが、ついつい『それ以上』になってしまうやもしれません。こういったことは気持ちの問題ですわね。
『お前達……やり過ぎないようにな』
何となく察してらっしゃるご様子の宰相様の声を最後に退室し、私達はサロヴァーラへと向かいました。その後は……それなりに充実した時間だったと、思っております。
「まあ、これでサロヴァーラも、あの女狐も問題なさそうだな」
当時を回想していた私を、ルドルフ様の呟きが引き戻しました。ルドルフ様だけではなく、皆の表情も穏やかになったように思えます。
やはり、ミヅキ様の無事を確認できたことが影響しているのでしょう。あの手紙をいただいた時はサロヴァーラの現状が全く見えていませんでした。何が起こっているのか判らなかったのです。
実際に見聞きしてきた私達の報告、そしてエルシュオン殿下からの状況説明で、漸く憂いが晴らされたのだと思います。
「やり過ぎだ、あの馬鹿娘は!」
……少々憤ったような宰相様のお言葉さえ、安堵が滲んでいるのですから。お小言もミヅキ様が無事でいてこそのもの。私達でさえこうなのですから、今頃はエルシュオン殿下にお説教されているかもしれません。
いつもの会話、穏やかな時間。時折起こる騒動に呆れつつも、私達もまたそういった出来事を楽しんでいたのでしょう。……楽しむ余裕ができたのです。
「ところでな、ミヅキの計画を聞く限りは必要なことだと判るんだが……」
困惑した表情で、ルドルフ様は報告書を手に取りました。そこには今回の経緯、そしてミヅキ様が立てられた『サロヴァーラ立て直しプラン』とその目的が記されています。
「事実を並べると被害者で合っているのに、裏事情を踏まえるとミヅキが被害者に見えないって、どういうことだ?」
「黒幕よりも黒幕らしい働きをしていますからね、この報告を見る限り」
「「……」」
続いた宰相様の言葉に、思わずセイルと揃って視線を泳がせてしまいます。
ええ、それは私も思いましたわ。その、どうにも暗躍というか、裏工作的なことを行なっていらっしゃるとは思っておりました。やはり、一方的な被害者と呼ぶには無理があるようです。
セイルなどは「上には上がいる、と彼らも思い知ったことでしょう」などと口にする始末。ですが、怯えきった愚か者達の顔は見物でしたわね! 胸のすく思いだったと、後にセレスティナ様が仰っておられたのが印象的でした。
一応、サロヴァーラ王には『ミヅキ様は大変賢く、視野が広く、あらゆることを利用して、最良の結果を出す方なのです』と誤魔化しておきましたので、多少は印象操作ができたとは思うのですけど。
「ティルシア姫が関わっておられますから、証拠が残っていたとしても握り潰してくださるそうですわ。ですから、ご安心くださいませ。此度のことで、ミヅキ様が罪に問われることはございません」
「いや、それって、向こうもミヅキの行動に問題を感じてたってことじゃ……」
「証拠はないのです、ルドルフ様! ……それが全てです」
「そうですよ、ルドルフ様。向こうもミヅキの本性は痛感したでしょうし、下手に突いて遊び相手にされることは避けると思います」
続いたセイルの言葉にお二人が顔を引き攣らせていますが、事実です。エルシュオン殿下とて『出向いた目的の半分はミヅキの回収だ』と仰るくらいですから、何らかの警告はされていることでしょう。
そういえば、各国の代表としてサロヴァーラにいらっしゃった皆様が妙に青褪めた顔をしていたような……?
「まあ、お前達も人のことを言えないようだしな。楽しかったか?」
「「……」」
宰相様の生温かい視線が、私とセイルに突き刺さります。やはり、お気づきになられましたか。
ミヅキ様の指示とはいえ、私とセイルも少々……いえ、大変乗り気で『色々と』行なっておりました。ミヅキ様の指示、という時点で察していただければと思います。
ですが、こちらに関してもティルシア姫からは頼もしいお言葉を頂きましたので、問題なしですわ。ご安心くださいませ、宰相様。
ゼブレストでは、こんなやりとりがありました。
二人の派遣は『いつも守られてばかり』と思っていたルドルフの、精一杯の助力。
主人公は『派遣する人材を間違っている!』と思っていましたが、
意図的に指示されていました。
※活動報告に『魔導師は平凡を望む 11巻』の詳細を載せました。




