第一王女の休息
――サロヴァーラ・ティルシアの私室にて(ティルシア視点)
「本当に、ようございました」
自室でゆったりとした時間を過ごしていた私は、侍女の言葉に意識をそちらへと向けた。
彼女は私の乳姉妹であり、腹心である。私がどのようなことをしようとも『姫様のお心のままに。私は唯一の主に従うのみでございます』と言って、できる限りのことをしてくれた『絶対の味方』であった。
特に、ここ数年は心穏やかに過ごす時間などなかっただろう。それほどに、この国……サロヴァーラは限界だったのだから。
「それは何に対してかしら? 私? リリアン? お父様? それとも、サロヴァーラ?」
茶化して聞けば、彼女は益々笑みを深める。
「全てに対してでございます。ティルシア様が憂いてらした全て……どれが欠けても、望む未来など叶いませんでしょう?」
「……。ええ、そうね。そのとおりだわ」
侍女の言葉は事実なのだ。リリアンを最優先にすることは決定事項だが、彼女からすれば私とて主である。そして、私は国のことを憂えてきた。
私の腹心である彼女は、きっと……一度は『この国さえなければ』と考えてしまったと思う。私の策の全ては『第一王女が犠牲になる』ということで成り立っていたのだから。
だが、今はその必要がない。犠牲なく、新たな一歩を踏み出すことができたのだ。
第一王女ティルシアは……次代の女王の補佐として、それ以上に王族を侮る貴族達を監視する者として、国の暗部を司る役目を賜わったのだから。求められるのは犠牲ではなく、王と国への献身であろう。
表向きはリリアンの補佐である。それは間違っていないし、実際にリリアンを助けることが仕事ではあった。
だが、私の役目はそれだけではない。悪役となれるからこそ、私は残されたのだ。
国として成り立つ以上、どうしても『正義を遂行させるための悪』は必須である。騎士とて、汚れ仕事があるのだ。理想だけで国が成り立つはずはない。
ミヅキは言った。『この国に必要なのは、忠誠心ある悪役だ』と。
確かに、これまでのミヅキの実績を見る限り、彼女は常に『協力者』という立場であり、事態を動かす切っ掛けとなっている。それを踏まえて結果を出したのは、国の権力者達。
『主役』はミヅキではないのだ。彼らが受けるはずだった悪意を捻じ伏せたのがミヅキであり、それが『彼女に求められた役目』。
そのことに気づいた者はミヅキを正しく評価し、気づかぬ者は『世界の災厄』と恐怖するのだろう。ミヅキの評価がバラバラなのは、そのせいだ。
何より、ミヅキが成したことは……お世辞にも『正義とは言えないもの』ばかり。その言動の全てが個人的な感情に起因するものであることも理由の一つだが、ミヅキが意図的にそう見せていることもあるに違いない。
彼女の立ち位置は、まさに『忠誠心ある悪役』。このサロヴァーラに最も求められたもの。
正義や良心だけで、政が行えるはずはない。だが、最高権力者が自ら提案し、実行に移させれば非難を浴びる。
ゆえに。
『最高権力者に非道な決定をさせるための悪役』が必要なのだ。王の意向に沿うように状況を整え、時には追い込む形で決断させる……代わりに批難を向けられる『悪役』が!
私にその役は似合い過ぎた。権力も、野心も持った、非情な策さえ取れる王女。継承権などなくとも十分、人々に恐れられる存在だ。
そして、その立場はミヅキが様々な場所で担っているものと酷似している。
ミヅキは異世界人ゆえか、この世界自体に価値を感じていないらしい。それもあってか、あらゆる柵が存在しないようなものだろう。
だから、ミヅキは求められた結果を出すことを……『悪役となること』を躊躇わない。彼女にとっては結果こそが全てであり、自身の評価などどうでもいいのだろう。
というか、異世界人であることは変えようがないし、魔導師は『世界の災厄』と呼ばれる存在。元からイメージが固定されているようなものなので、悪役になりやすいとも言えた。
「ミヅキは本当に……様々なものを壊してくれたわ。サロヴァーラの状況、私の建前、貴族達の野心、そして……リリアンの評価」
「そうでございますね。魔導師様は本当に自分勝手に、ご自分の感情のままに行動なさいました。ご自分に仕掛けられた策さえ、あの方にとっては利用すべきものなのですもの。キヴェラに勝利なさったというのも納得です」
侍女は頷きながら、これまでを思い出したのか苦笑した。私の口元にも笑みが浮かぶ。
本当に……本当に、彼女の言うとおり。ミヅキには個人的な目的があり、それをこの国で遂行していただけ。ミヅキが私達にとって救世主の如き存在となったのは、全て『この国の者達が仕掛けたから』なんて!
気づいた時は唖然としたものだ。まさか、向けられた悪意を逆手にとって己が策に組みこむなどとは思うまい。
この国の者達――私も含む――が敗北するのは当然であった。私達は『ミヅキが勝利するための証拠』をせっせと彼女に与え、それに追加する形で更に行動していたのだから。
そういったものを利用できない者からすれば、それらは自身を窮地に陥れるものであろう。だが、ミヅキにとっては『馬鹿が証拠を背負って、遊んでくれと自己主張(本人談)』。……こんな風に捉える者相手に、どうやって戦えというのだ。無理がある。
今更だが、思うのだ……ミヅキは絶対に普通ではない。
エルシュオン殿下の教育があったとはいえ、元々の性格だけでも立派に『異世界人凶暴種』。
私がミヅキの助力を得ることができたのは偏に、『エルシュオン殿下を評価していたから』である。それがなければ、清々しいまでにバッサリと切り捨てられたことだろう。
あの娘に恩情など期待してはいけない。敵には(様々な意味で)死(んだ方がマシな未来)あるのみだ。見た目に騙されがちだが、ミヅキは魔導師なのだ……その報復が温いはずはない。
「今後のことも考えて策を練るなんて。本当に、敵にならなくて正解ね」
呟いて、手元の計画表に視線を落とす。ミヅキ発案の『サロヴァーラ更生プラン』。それは水面下でじりじりと始まっており、芽吹く時を待っている。
「私達が処罰しにくい者は実家に戻して。そして、民にこれまでのことを『正しく』伝えた上で、貴族の処罰を望む嘆願書を書かせて。これが下準備だなんて、誰が思うのかしら?」
「下準備、ですか?」
軽く目を見開いて疑問を口にする侍女に一つ頷き、私は話を続けた。
「実家に戻したり、処罰された者達による不足は『それ以下の立場の者が昇格という形で補われる』。この場合、王家に忠誠を誓う者達が優遇されるけど、中立派も含まれるわね。これまでの功績、そして人材不足を理由に、爵位を新たに授けられる者も出るでしょう。これは彼らからすれば、『忠誠心とこれまでの行ないが評価されたことになる』のよ。周囲もそういった目で見るわ」
まずは足場固め。不要な者を追い出すだけではなく、今後のことを見据えてこちらに好意的な者を作り出す。こういったやり方をすることで、王家へ忠誠心を抱くように仕向けるのだ。
『初めから好意的な者のみで固める』ならば、ただ刃向かう者を追い出したように見えるだろう。だが、『働きを評価し、中立に近い者にさえ機会を与える』ならば正当な評価として映り、反発は起こりにくい。
「それに連動する形で、下級騎士や兵士、侍女などが足りなくなる。……という理由の下、民間からの起用の幅を広げる。民には今回のことが知られているもの、志願してくるのは忠誠心が期待できる者が多いわね」
勿論、教育機関と教育の時間を設ける必要はあるだろう。だが、長い目で見れば利は明らかだ。『民間人にも雇用のチャンスがある』という事実と、『王族が民に期待し、寄り添う』という証明になる。
暫くは国が荒れることを踏まえると、民から信頼を勝ち取っておくのは非常に有効だと思えた。特にリリアンは『民に寄添い、共に努力する王女』という売り方をするつもりなので、こういった認識をされるのはありがたいことだろう。
恐ろしいことに、ミヅキは『リリアンが即位する場合、どういったものが必要か』ということを前提にして、策を組み上げていったと思われる。
ただ不要な貴族達を処罰するため、無能な輩を追い出すためだけではないのだ。
その証拠が、ミヅキの友人達が私達に引き合わされたことだろうか。普通ならば、私達は彼女達からは敵意を向けられる立場である。それを取り成し、友人という関係にしてくれたのだ……彼女達は間違いなく、ミヅキの策に乗ってくれただけであろう。
その認識を変えられるか、否かは、今後の私達にかかっている。彼女達もミヅキ同様、私達を見極めようとしていると見て間違いはない。
だからこそ、私達は彼女達にも認められるような姿を見せねばならない。
それが私達の評価に繋がるものであり、同時にミヅキの信頼に応えるものなのだから!
「私達は試されるのよ。私の策に巻き込まれた国の皆様が早々に引き上げていったのも『結果をサロヴァーラ王家に出させるため』であり、『このチャンスを活かせるかを、見極めるため』だもの。与えられるだけではなく、結果を見せろと……それができねば、対等とは認めぬと言われている状態ね」
そこまで言えば、さすがに侍女も顔色を変えた。『これは終わりではなく、始まり』なのだと、彼女も気づいたのだ。
ただ、ミヅキの思惑はそれだけではないと思う。
「ミヅキはリリアンを貶める愚か者達の言葉を信用しなかった。それは、『彼らがエルシュオン殿下を認める言葉を口にしなかったから』。あの方の優秀さは有名ですもの、だからリリアンを貶めたいだけだと判断した可能性があるわ」
事実、ミヅキはサロヴァーラの内情など知らなかった。だからこそ、己が見たままの姿でリリアンを評価していたに違いない。そもそも、あの者達のやり方は非常に不愉快なものなのだ。
有能な者が称えられるならば、イルフェナにはエルシュオン殿下がいる。殿下だけではなく、彼同様に誉めそやされる者達のことを話題にしないのはおかしいだろう。イルフェナの者達からすれば、意図的に第一王女を持ち上げるための情報操作をしているようにしか聞こえまい。
……まあ、愚か者達がそのようにした理由も判るのだが。
もしも、エルシュオン殿下の話題が出た場合、私の存在はかなり霞むことだろう。要は、私以下の者を比較対象にして持ち上げていただけである。間接的に、私への侮辱とも受け取れる。
こんな者達の話を信じる馬鹿がどこにいるのだ、疑う要素しかないじゃないか。
「あの子の基準って、常にエルシュオン殿下なんじゃないかしら? だから、必要なものは与えておいて成長を望むのかもしれないわ」
「確かに、今後のサロヴァーラには必要なことですわね」
軽く首を傾げて言えば、侍女も納得の表情で頷く。異世界人は常識さえ異なるのが当然という。ならば、エルシュオン殿下の教育は本人の成長を望むものであり、今回のサロヴァーラへの対応もそういった類なのだと思う。……『エルシュオン殿下の策』ならば。
だが、これを仕組んだのは自称・民間人であり、異世界人凶暴種こと魔導師ミヅキ。エルシュオン殿下が中心となった被害国の対応はともかく、ミヅキ個人の策は非常に凶悪極まりないものであって。
「今回処罰される者、そしてミヅキに報復された者達。端から見れば『サロヴァーラ王家に牙を剥いた罪人』だけど、ミヅキは最初から彼らを利用するつもりだったのよ」
「利用、ですか?」
「ええ、そう。私達が他国に認められるための踏み台、民の信頼を得るための道具……後々、不要な家を潰すことも想定範囲だと思うわ。だって、今回のことを民は知っているのよ? 十分、潰す理由にできるじゃない。何より、私達の手には民からの嘆願書があるもの。それが『王家の独断などではない』という証拠になるのよ」
微妙な表情になりつつ伝えれば、侍女は絶句した。それはそうだろう……罪人相手だろうと、ここまで使い潰す者など、そうそういまい。民の嘆願書さえ、後々使える武器に仕立てるとは。
「潰す相手がその処罰を不服と訴えても、『あの時は見逃されていただけ』という言い分で潰せるわね。『当時より、民からの嘆願書は届いていた。これまでの功績を考慮して一旦は保留としたが反省が見られず、見逃せる範囲を超えている』。こう言われてしまえば、一度は恩情が与えられていたように聞こえるでしょう?」
『上手く使え』とミヅキは言った。『恩情を期待されるならば、それがあったかのように見せかければいい』とも。
要は、言葉遊びの延長のようなものだ。処罰の時期をずらし、言い方を変えることにより、独裁の様に思われる可能性を消す。
ただ、こんなことを即座に思いつく民間人もどうかと思う。『貴族に何か恨みでもあるのか?』、『随分と潰し慣れてないか?』と思わなくもない。
……この話を聞いた父王が恐れ慄いたのは、当然と言えるだろう。その『恐ろしい民間人』に、我が国は喧嘩を売ったも同然なのだから。
「ええと……あの、それは聞こえるだけであって、実際には……」
「速攻潰されなかったことも恩情よ。潰す時はついでに、『色々と』背負ってもらうけど」
人はそれを『罪を擦り付ける非道な行ない』と言う。
『罪人に追加で罪を背負わせた上で潰す』という外道な策は当然、ミヅキ発案だ。
さすが『世界の災厄』、本当に容赦がない。ただ、私が心から賛成していることも事実だった。リリアンを泣かせた者達に手加減など不要である。
きっぱりと言い切る私に何かを感じたのか、侍女は深々と溜息を吐いて沈黙した。個人的には思うことがあれど、反論が思い浮かばないらしい。
まあ、善良といわれる人々には非道に聞こえるとは思う。必要な時が来るまで生き長らえさせ、こちらの都合によって悪役を押し付けるなんて。
だが、これを考えたのは、彼らが敵に回した魔導師……その報復の一環も兼ねているのだ。諦めてもらうしかないだろう。下手なことをすれば、更に酷い報復が待ち構えていることが窺えるのだから!
「本当に頼もしい味方を得たわ」
「ティルシア様は随分と楽しげでいらっしゃいますね?」
「ええ、楽しいわ。互いの一手で次々と策が組み上がっていくことが、これほど楽しいとは思わなかったわね。共闘、というのも悪くはないわ」
ふふ、と小さく声を上げて笑う。自然と漏れたそれに気づいた侍女も苦笑を浮かべると、新たにお茶を淹れ直してくれた。
漂い始めた良い香りに、ふと気づく。ああ、そうか。こんなにも浮かれてしまうのは、憂いが晴らされただけではなく。
「そうだわ、私は……認めて欲しかったのよ」
私が穏やかな時間を過ごしたのは、もう随分前のこと。今でもリリアンとのお茶会は至福の一時ではあるし、思い出が大切ではあるけれど……策を組み立てる時間も嫌いではなかった。女狐と言われる一面もまた、私の素顔なのだ。だから――
「だから、ミヅキとの付き合いが楽しいのね。どんな顔を見せても、あの子にとって『ティルシア』という個人を形作るものでしかないのだから」
悪意を覗かせる面への失望もない、『聡明な王女』という思い込みもない、見たままの姿。ミヅキにとっては、ただそれだけなのだろう。
柵のない立場ゆえの、得がたい存在。敵対しようとも、ミヅキが相手ならばきっと『楽しい』。リリアンやお父様は悲しげな顔をするかもしれないが、私は胸の内でそれを喜んでしまう。再戦の機会を得られたことに感謝し、全力を尽くすだろう。
自分で言うのもなんだが、見事にミヅキの同類である。好敵手……と言えるのかもしれなかった。
いつか敵対する時が来るかもしれない。それとも、再び共闘することがあるのだろうか。どちらにせよ、私は……私『達』にとっては、心躍る時間に違いない。
やるべきことは山の様にあるというのに、つい楽しそうな未来に思いを馳せ。私は口元に笑みを浮かべた。
途中まではまともでも、その後は『罪人だろうと利用しろ』な方向へ。
災難は忘れた頃にやってくるものです。
ポジション的にはイルフェナにおける魔王殿下なのですが、ティルシアはシスコン&主人公寄りの思考。
基本的に主人公と同類なティルシアは、何の躊躇いもなく実行する気満々。
猫をかぶり続けた女狐は、長年の憂いが消えたこと(と友人を得たこと)を機に、
『楽しい時間(意訳)』を満喫する予定。
なお、主人公の立ち位置はあくまでもティルシア視点での考察なので
事実と異なっている可能性あり。




