サロヴァーラ王の独白
――被害国の代表者達が話し合っている頃(サロヴァーラ王視点)
執務室で仕事に追われながらも、ここ数日のことに思いを馳せる。まるで奇跡……いや、物語の様に様々なことが立て続けに起きた果てに得た、一つの始まりであったと。
『リリアンに恋を諦めさせるため、アルジェント殿と魔導師殿をサロヴァーラへと招く』
――この決定がサロヴァーラを大きく変えることになるなど、思ってもみなかった。
だが、悪い変化ではない。寧ろ、それは待ち望まれたものだったろう。
そして、ふとこれまでを振り返る。私の選択は間違っていたのだろうか、と。
我が父の治世より、サロヴァーラにおいて王族の力は益々弱まるばかり。主だった貴族達が勢力争いを広げる傍ら、王族の血を取り込もうとするのは当然のことだった。
今はまだ、己が派閥を拡大することのみに目が向いている。だが、彼らはいずれそれ以上……王族に食い込むことを狙うのは必至。
外戚という立場ではなく、王族というものを手中に収めようとする。同じ血を持つ『己が一族』を、王に据えることによって。
私に娘が二人だけというのも、奴らには都合が良かった。王子であれば妻を複数持つことができ、それぞれに子ができれば牽制し合うことになるからだ。
だが、女王の場合はそうはいかない。元々、王位は男児優先……女王も認められているとはいえ、どうしても貴族達に嘗められがちになるだろう。
複数の夫を持つなど、よほどの事情がない限り認められるはずはない。夫となった者と二人で寄り添いながら、貴族達と対峙するしかないのだ。
そうなると、どちらの娘にその役を背負わせるのか? という話になってくる。
……私が選んだのはティルシアだった。ティルシアは親の贔屓目なしに見ても聡明であり、貴族達も十分いなしていける才があったからだ。
リリアンは素直過ぎる。あの子は傷つきやすく、少々感情で動くところがあった。勿論、後悔するような面もあるのだが、貴族達は確実にその欠点を狙ってくるだろう。
王族の言葉は重い。たやすく言質を取られるようでは困るのだ。ゆえに、リリアンには不名誉ながらも『出来が悪い』という評価を背負わせた。
言質を取られようとも『出来が悪い王女の戯言』だと、そういった逃げ道を作るために。
可哀相だとは思うが、私やティルシアがあの子を守りきるなど不可能である。私達は王族……個人の情で国を傾かせるわけにはいかない。
ティルシアもそれが判っていたからこそ、あえて動かなかったのだろう。下手に動いてリリアンに価値をもたせれば、あの子は確実に貴族達に狙われてしまう。
ティルシアはそれが判らぬ子ではない。ティルシアでさえ、この状況――王族の権威が弱まった現状を、どうすることもできなかったのだ。
できるなら行動しているだろう。リリアンが傷つくことに、最も心を痛めているのはティルシアなのだから。
――だが、転機が訪れた。いや……『ティルシアが動かした』。
サロヴァーラを訪れたイルフェナの使者達、そして魔導師殿。彼らに対するサロヴァーラの者達の仕打ちは、実に頭が痛いものだった。
リリアンの悪口を平然と聞かせることにも呆れたが、行方知れずの魔導師殿を案じるよりも先に、私の退位とリリアンの処罰を求める愚かさには言葉がない。
リリアンが魔導師殿に思うことがあろうとも、証拠などないのだ。それなのに、自国の王族を疑うなど……正気とは思えない。
これはイルフェナの者達に印象付ける意味もあったのだろう。情報として伝わることを期待した、愚かな策。案の定、イルフェナの者達に見破られ、手痛い報復を受けていたが。
また、予想外だったのが魔導師殿だ。さすがはエルシュオン殿下の教育を受けただけはある、と思わずにはいられないその手腕。
護衛に付けた騎士から受けた報告にあった採掘場跡での言動、冷静に物事を見据えるその考察力……それらがエルシュオン殿下を彷彿とさせたのだ。
あれでは『異世界人は民間人扱いであり、この世界の常識など知らぬ』などと、侮れるわけがない。そのための教育であったのだろう。
そう判りきっていたにも拘わらず、私は魔導師殿に報復の許可を出した。
あまりにもサロヴァーラ側が愚かなことをし続けたゆえ、魔導師殿の『個人的な報復』を許さざるを得なかったのだ。本来ならば、絶対に言質を取らせてはいけない相手であろう。
その行動が、後々を考えてのものだったとは……唖然とするばかりである。我々は一体、いつから魔導師殿の掌の上で踊っていたというのか。
考えるも、さっぱり判らなかった。そもそも、こちらが先に手を出しているので、非はあきらかにこちらにある。
何より、ティルシアの内面にも驚かされるばかりであった。
あの罪の告白に、どれほどの者が驚き、また被害を受けた国からの報復に怯えたことだろう?
けれど、同時にティルシアを労しく思う者もいたと思う。……それが国のためであろうとも、罪とせねばならないのだ。ティルシアとて、それは理解できていた。
だが、あの罪の告白は『ただの自白』などではなかった。私はそれを知っていたからこそ、あの場で冷静でいられたのだ。
……私はその少し前に、レックバリ侯爵からそれ以上の話を聞いていたのだから。それが『意味のあるもの』だということを。
レックバリ侯爵との会話を思い出す。耳に痛いことも含めた、『優しい言葉』の数々を。その遣り取りを。
『王よ、これからサロヴァーラ中を巻き込んだ【魔導師の娯楽】が始まりますぞ?』
『ティルシア姫の罪は、今お教えしたとおり。じゃが、魔導師はそんな姫だからこそ興味を持った』
『正直なところ、儂にもミヅキが何をしたいのかよく判らん。じゃがなぁ、あの子は【互いに利がある上での遊び】が大好きでしてな。ティルシア姫次第で、この国は大きく変わると思うのですよ』
『今はまだ、サロヴァーラに対する不快感しかないでしょう。ですが、ミヅキは【個人的な報復の許可を得た】。これがある以上、あの子はより効果的な報復を行なうでしょう。そのためにティルシア姫との場を持った、と思っております』
レックバリ侯爵の言葉に、私は返す言葉がなかった。そのまま信じていいのか、それともより最悪な報復を考えているのか。そのどちらとも受け取れる曖昧な言い方に、どう答えていいか判るはずもない。
『この国の者達が利用しようとした魔導師という存在、その人脈。そこに、この国の腐敗の証拠を掴んでいる者が加われば、よりできることは多くなる。……より【楽しくなる】のですよ、ミヅキにとってはな』
『貴方様がこの国のため、心を砕いてきたことは存じております。ですが! あまりにも保守的過ぎました。それはこうも言い換えられませんかな? ……問題を先延ばしにして悪化させた、と』
『不敬は覚悟しております。じゃが、これが他国の者の認識でもあると知ってくださいませんか。時が経てば問題が悪化するなど、常識……守るばかりでは何の改善もされませぬ』
ああ、そうだ。そのとおりだ! 私はそう叫びだしたい心境であった。
ただ、同時に思うのだ……私はどうすれば良かったのかと。特出した才も、多くの味方もなく、国の維持と娘達への拙い守りが精一杯の自分。
それを誰より理解できているからこそ、危険な賭けに出るなどできはしない。
だが、私が言葉にしなかった言い訳は……レックバリ侯爵に見抜かれていたようであった。
『儂から見れば、貴方様は随分と恵まれているように思えますがな? 我が国のエルシュオン殿下、そして異世界人であり魔導師でもあるミヅキ。そのどちらも、【優秀でなければ、今の立場を保てなかった】のですよ』
『殿下の事情はご存知でしょう? それを踏まえて、他者を納得させるだけの才覚を見せねばならなかったのですよ。それを判っているからこそ、殿下の直属であるアルジェント達も有能に【なった】のですぞ。決して、努力がなかったわけではありませぬ』
『まして、ミヅキは異世界人。貴方様もご自分の目でご覧になったでしょう……この国の者達が無自覚にミヅキを軽んじる様を。そういった認識をされるのが普通なのです。それが普通ではなくなったのは【あの子自身が結果を出してみせたから】』
『魔導師は世界の災厄と恐れられる存在。けれど、ミヅキは大規模な殺戮も、破壊も行なってはおりません。恐れられたのは、【国の有力者達の協力者となり、己が全てを使って結果を出したから】なのです。それが簡単だったと……思われますかな?』
『あの娘は自己保身を考えません。特異な己が立場さえ利用し、言葉で煽り、自分が行動できる状況を作り出す。捨て身でなければ、あのような結果は出せないのですよ。それこそ、守護役達があの子を必要以上に案じる理由なのです』
『貴方様は捨て身になられたことがありますでしょうか。傷を負う覚悟で……信頼する配下を失うことさえ覚悟して、国を変えようとなさいましたかな? 少なくとも、貴方様はミヅキの【遊び相手】に選ばれませんでした』
告げられた事実に、思わず呆然となった。魔導師だから、最悪の剣と称される者達だから、魔王と呼ばれる者だから……だから『できて当然』なのだと、そんな認識を無意識にしていたのだから。
彼らの行動には、常に結果が伴っていたからだ。それに伴う苦労や失敗などといった話は一切、聞いたことがない。
だが、それは意図的に隠されていただけだったのだろう。『【できて当然】と思わせた方が、有利になる』。おそらくは、そんな理由で。
そして、同時に気にかかることもあった。
レックバリ侯爵の言う『遊び相手』。それはティルシアのことだろう。だが、これまでの話を聞く限り、ティルシアは魔導師殿と敵対関係にあるはずではなかろうか、と。
そんな私の疑問を感じ取ったレックバリ侯爵は呆れたような、けれど楽しげな笑みを浮かべた。
『ミヅキには【善】も【悪】も関係がないのですよ。重要なのは互いにとって利のある決着であり、結果……まあ、楽しければいい! という、困った性格の持ち主なのです。殿下も頭を抱えておりましてなぁ』
『儂は貴方様の境遇に同情する気持ちもあるのです。ですから、一つの忠告をして差し上げます』
『ティルシア姫との話し合いの後、おそらく魔導師は楽しく遊ぶでしょう。その獲物は……貴方様方が疎ましく思う者達』
『その場合、ティルシア姫はミヅキの味方となるでしょう。いや、【ティルシア姫を協力者として、この国の者達で遊ぶ】と言った方が判りやすいかのう?』
『ティルシア姫の才覚も試されますな。魔導師をただの敵として見るか、それとも手を組むか。それによって、このサロヴァーラの未来は大きく変わる。……ミヅキが今現在、この国において【できること】は限られておりますからな』
『宜しいですか? 貴方様は決して、二人の【遊び】に口を出してはなりませぬ。たとえティルシア姫が裏切り者と罵倒されようとも、その声でさえ二人にとっては【利用すべきもの】だということをご理解ください』
不安と期待がじわじわと胸に湧いた。けれど、レックバリ侯爵は言葉を止めることはない。
『ミヅキの協力者は貴方様ではございません。けれど、貴方様は王……この国においての最高権力者が諌めてしまえば、遊びはたやすく終わりを告げる。それはティルシア姫が望むことではございませんでしょう?』
それは私が『信頼に値しなかった』ということかと思った。
だが、それに気づいたらしいレックバリ侯爵は、否定するように首を横に振ったのだ。
『貴方様の覚悟はその後に見せてもらうことになるからですよ。適材適所、いえ、この場合は貴方様のみが可能なことと言った方が宜しいでしょう』
そう言いつつも、レックバリ侯爵は何故か……何故かにやりとした笑みを浮かべた。
嫌な予感を覚えつつも、私はできることがあると知って安堵したのだ。さすがに、このまま二人に任せてしまうのは情けない。
忠告に対して了承をすれば、レックバリ侯爵も満足そうに頷いた。そこに、彼もまた【二人の遊び】に期待しているのだと悟り、改めて不安が過ぎったのは余談であろう。
……レックバリ侯爵がここまで楽しそうなのだ、絶対にただの報復では終わらないに違いない。
奇妙な確信だが、あの時はそう思えてしまったのだ。そもそも、レックバリ侯爵も一筋縄ではいかない人物である。
そんな人物が『邪魔をするな』と警告している。警戒するのも仕方のないことだったろう。
『さて、そろそろ謁見の間に向かいましょうか。この国が変わる切っ掛けとなるか、それなりで終わるか。聡明と言われた王女と魔導師の一戦が始まりますぞ』
そう言いつつも、レックバリ侯爵はティルシアが魔導師殿の手を取ると確信しているようだ。何故そう思うのか判らないが、それもまたティルシアの評価なのだろう。
そして、同時に決意した。
王として、親として情けなかった私。けれど、この一戦の果てに求められるものがあるならば……賭けに出てみてもいいだろうか、と。
『魔導師殿への信頼』。彼女は事態を冷静に見極められる人物のようだ。もしも彼女が私に協力を求めるようならば、その期待に応える働きをしたかった。
『世界の災厄』という通称、そして魔導師殿のこれまでの言動を考えれば、危険な賭けと言わざるを得ないだろう。何せ、魔導師殿にとって、この国の者達は印象が悪過ぎる。
それでも。もしも、ティルシアが魔導師殿を信じるようならば、私も信じてみたい。
……悪い方向に事が向かったとしても、その結果は私が背負えばいいのだ。その時こそ、負の遺産と共に国に殉じてみせようではないか。
そう決意した私は、薄っすらと笑みさえ浮かべて謁見の間へと向かった。その後は……まあ、レックバリ侯爵の予想どおりだったわけだが。
「『魔導師の報復』……いや、『娯楽』か。まったく、随分と手が込んでいるものだ」
回想を止め、魔導師殿から提示された『計画書』に目を落とす。個人的な人脈を駆使し、他国さえ巻き込んだそれは……かなり大規模なものだった。
いや、規模が大きいどころか、サロヴァーラの歴史に残る改革にまで発展している気がする。この計画を立てたのが民間人など、誰も信じまい。
だが、悪くはない。
反発もそれなりにあるだろうし、苦労とてするだろう。全てが計画書どおりに進むはずはないのだ、要所要所に調整や他国との連携とて必要になってくる。
それでも、それに関わっているのが私、いや『我々』であることを誇らしく思う。何年かかるか判らないが、それでも確実にサロヴァーラは変わるのだ。
今日も魔導師殿は『個人的なおしおき』とやらに勤しんでいることだろう。彼女が注意を引きつけてくれている間に、私達もすべきことをしなければ。
まあ……報告を聞く限り、魔導師殿にも少々問題があるような気がしなくもないのだが。些細なことなのだろう、きっと。
もうすぐ、ティルシアの被害に遭った国々の使者がやって来る。その場こそ、私に任されたものなのだ。今後に繋げるためにも、下手な手は打てない。
まずはティルシアがしたことへの謝罪を。これは魔導師殿の計画と連動する形で、被害を受けた国には賠償金が支払われる。
記録に残す意味でもしっかりと謝罪し、これからのことも話し合わなければならなかった。あちらにも通達済みだと魔導師殿からは聞いている……情けないが、魔導師殿の策に縋るしかないだろう。
だが、本来ならば憂鬱なはずの外交も、今回ばかりは楽しみにすら思えてくる。魔導師殿の保護者こと、エルシュオン殿下に会えることも理由の一端だ。
これまでは警戒するばかりだった、魔力の高過ぎる完璧な第二王子。彼と向き合って話すことで、新たな一面を知ることもできるだろう。
きっと、私が気づかなかったこともあったと思う……何せ、あの魔導師殿が『飼い主』と慕っているというのだから。
そう教えたのは、ティルシアである。何故、『保護者』ではなく『飼い主』なのかは、謎なのだが……その理由も判るのだろうか?
「さて、仕事の続きをするか」
そう呟き、再びペンを握る。珍しく、晴れやかな気分だった。
あの自白の場で、王がほぼ何も言わなかった理由。
その前に、狸様にがっつり叱られていました。しかも、忠告あり。
娘フィルターのお陰か、主人公に対してそこまで悪印象は抱いていません。




