罪と狡さと優しさと
今後の方針も決まった。それはいいけど、その前に騎士に説明しておかなければならないだろう。
ちらりと視線を向けた先の騎士は覚悟を決めたのか、真剣な表情をしている。だが、カエル様の事情説明を聞いたからこそ、彼の出番はないのだ。
「あのさ。あれは多分、私にしか倒せないと思う」
「は?」
いきなり戦力外通告をした私に、騎士は悔しさよりも驚きが勝ったらしい。呆けた表情のまま、私をガン見した。
「その、魔導師殿? あれは魔法の産物か何か、ということでしょうか?」
「いや、そういう意味じゃない。普通の倒し方では不可能だからこそ、今まで存在していたと思うんだ」
私の説明に騎士はますます怪訝そうな表情になる。
うん、そうでしょうねー……『ならば、どうやったら倒せるのか』って思うのが当然だと思います。
だが、あの魔獣は普通の倒し方では無理だろう。それが可能ならば、とっくに討伐されているはず。
ヒントはカエル様の言葉にあるのだ。
『偶然の産物か、予想外の成果だったんだろうね』
『おそらくは体内の魔道具がおかしな共鳴でもしているんだろう』
これが事実だとするならば、かなり厄介ではなかろうか。なにせ『三つの魔道具を同時に壊さなければならない』のだから。
複数の魔道具を『一つの器』に収めたせいで『妙な共鳴』とやらを起こしているならば……一度に破壊しない限り、魔獣の肉体が再生する可能性がある。
この世界の治癒魔法は『魔力によって欠けた部分を補う、もしくは作り出すようなもの』だと私は認識しているから、その可能性を否定できない。常に魔力を得ているような状態みたいだしね。
それに中途半端に壊せば術者の存在を魔獣に教えることとなり、攻撃を受けた魔獣が怒り狂うことは確実だ。
運良く体を維持させている魔道具を破壊できればいいが、外から判るのは魔道具の位置のみ。それも魔獣が動き回っているので、動きを止めた上で破壊を行なうことが必須。
物凄く難易度の高い敵ですぜ?
複数の魔術師じゃなければ討伐なんて無理だろうよ。魔術師でも厳しいが。
魔道具の位置を正確に感じ取れない騎士では急所が曖昧で。
詠唱を必要とし、視覚による明確な対象認定が必要な魔術師では……魔獣そのものが攻撃対象として認識されてしまうだろう。
魔獣の体という『器』の中に元凶があるのだ。それだけを狙う技術を持った魔術師なんて、相当な魔法の使い手でなければならない気がする。
本当に魔力を読み取ることに長けた、強力な魔法の使い手。それが最低四人――魔道具の破壊と足止め要員だ――は必要になるという無理ゲーです。そりゃ、カエル様も困るわな。
「あの魔獣は『生かされている』だけ。だから体内の魔道具の破壊が必須。だけど、普通にしていたら体内の魔道具なんて見えないもの。だから普通の倒し方では無理」
「……っ……」
これまでのカエル様の言葉と私の説明に、騎士は悔しそうに顔を歪めた。彼とて判ってはいたのだと思う。だが、それでも『何もできない』という事実は彼の矜持を傷つけていたのかもしれなかった。
「……魔導師殿ならば、可能なのですか?」
「うん。可能だよ」
「何故!?」
「異世界人としての知識があるから、かなぁ?」
どこか悔しさを滲ませた騎士の言葉にも、さらっとお答え。これは事実なのだから。
私の世界では『分子』や『原子』、『細胞』といった単語に馴染みがある。武器の破棄さえ、この認識は絶大な効果を発揮したのだ。
といっても、魔石までその認識が通用するかは判らない。だからクズ魔石でこっそり練習していたり。その結果、破壊は可能と知れた。知識の差があるから、説明には困るんだけどね。
「魔道具っていうか、魔石を『壊す』。術式を解除するわけじゃないし、魔獣の体も傷付けない。ただ……魔力を感じ取った魔石だけを破壊する。足止めをしたら一気に砕くよ、それで十分だと思う」
魔石だけを破壊すれば、おかしな効果も消えるだろう。それが結果的に『魔獣の死』に繋がるだけ。
言葉にすると簡単なのだが、実行となるとこの世界の住人にはちょっと難しい。彼らの魔法解除の認識は『術式の解除』であり、私の様に『魔石だけ壊せばいーじゃん?』とは思わないのだから。
そもそも『魔石だけを砕く方法』という時点で困ると思う。私は魔石を電池扱いしてるけど、この世界の人って『魔力の塊』みたいな認識だから。
要は魔石=魔力なのです。固形物ではない。そこに魔法に対する『常識』が加わって、『破壊』という発想にいかない。
これは『魔法』というものが『術式』や『詠唱』必須と考えられているからこその弊害だと思う。真面目に考え過ぎなのだ。
自分で考え出すのではなく伝わっている術式を使うだけの魔術師が大半なので、応用に弱い。クラウス達でさえ、まずは術式ありきだもの。
まずは『解除のための手順』という方向に考えてしまうので、直接触れることができない魔獣の討伐が難しかったのだと推測。あの魔獣の体を一気に消滅させられる威力の魔法を使えない限り、勝ち目はない。
そして、そんな強力な魔法を使うには場所が悪過ぎた。この上に城があるから強力な魔法が使えなかった、というのも討伐を不可能にさせていた本当の理由じゃあるまいか。
「私の世界の知識……っていうか、魔法がないからこそ、『魔石だけを砕けばいい』って発想になる。だけど、この世界の人にとっては術式の解除だから……」
「直接触れられぬどころか見えない場所にある術式の解除は困難、ということですか。治癒魔法が組み込まれている……いえ、器の維持に魔法が使われている可能性が高い以上は武器による攻撃も厳しいかもしれません」
傷を受けた先から治癒されてしまうやもしれませんしね、と独り言の様に呟くと騎士は俯いてしまう。
慰める言葉なんてない、全ては事実なのだから。兵器として考えられていたせいなのか、魔獣は非常に倒しにくい性質を持っているらしい。
これを考えた奴はある意味では天才だったのだろう。私個人としてはしばき倒したいが。
『ミヅキは可能なのかい?』
「私は元々、術式の解除じゃなくて破壊なんです。この世界の魔法は理解できないものが多いもの。だから、私にとっての魔道具の破壊は『魔石を砕く』ってことでしてねー……」
『なるほど。逆に言えばそれしかできない、と』
「ええ。だからかけられた術に関する解析というか、どんなものかを知ることはできません。壊すだけですね」
『万能のように聞こえるけど、微妙に残念な能力だねぇ』
カエル様がしみじみと呟く。ええ、そうですねー。術式の破壊『は』天才的、という評価を貰ってますもの。
そもそも超便利なこの世界の治癒魔法でさえ使えない。できることの多さや知識といった点ではクラウスの足元にも及ばないだろう。
騎士は私達の会話を黙って聞いていたが、やがて諦めたように溜息を吐いた。
「判りました、お任せします。しかし、本当に頼りきりになってしまいますね……」
俯きがちになってしまう騎士に、私達もかける言葉がない。状況的に彼の能力を発揮できる場所がなかっただけであり、城にいたならば有能な護衛だったことは判りきっているからだ。
騎士もそういう『分野の違い』は理解しているのだろうが、思うところはある模様。
……。
彼の一番の見せ場って、上に上がってからなんだけどな。
「あのさ、魔獣に関しては私が適任だけど。上に上がったら国の命運握ってるって理解できてる?」
「は!?」
ぽすぽすと騎士の肩を叩きながら聞けば、勢いよく顔を上げて私をガン見。やはり理解できていなかったようだ。
「私はこれから『勝手に』この国の財産を壊す。そもそも、罠に嵌ったのは私が勝手な行動を取ったから。それらを踏まえて、イルフェナとの落としどころになるような報告をしなきゃならないでしょ」
「で、ですが! 元はといえば我が国の者が原因ではないですか! それに……だからと言って、陛下に偽りを報告することなどできません」
不利な状況を悟っているだろうに、騎士はきっぱりと言い切った。真面目である。馬鹿正直である。これが騎士というものか……!
……。
……あれ? 私もその騎士に囲まれて暮らしてるはずなんだけどな?
守護役連中どころか、騎士寮面子は有り余る柔軟性を発揮しているぞ? 都合よく解釈するとか、私を駒として使うとか。
そこに悩む姿など見たことはない。魔王様が時々止めている程度だ。
思わず我が身を振り返り沈黙する私に、カエル様は何やら生温かい目を向けている。賢いカエルは色々と察してくれた模様。黙っててくださいね、カエル様!
「別に偽りを報告しろって言ってるんじゃないよ。『自分達に都合のいい解釈を交えて報告しろ』ってこと」
肩を竦めてそう告げると、騎士は益々怪訝そうな表情になる。こればかりは性格の違いだろう。
「例を出すなら、これまでの私の実績だよ。私は基本的に結果を出した上で、自分に都合のいい解釈を話す。勿論、その解釈が常に正しいなんてはずはない。どう考えても『国として正しい判断』ではない場合だってある」
事実である。これがただの異世界人の言葉ならば戯言として流されてしまうだろう。
だが、私は実績持ち。元々は私が自由に生きていけるようにと、魔王様が作り上げてくれたものだが……これが魔王様の予想以上の成果を発揮しているのだ。
加えて魔導師という立場も十分価値がある。『世界の災厄』というのは、この大陸の常識なのだから。
「『世界の災厄』と認識されている魔導師、しかも実績があるから無碍にはできない。これに加えて、その解釈や認識を裏付けるような成果を出している。……私の意見を『王が正しいと認め、支持するならば』、覆すのは容易じゃない」
私の言いたいことが判ったのか、騎士ははっと息を飲んだ。
「要は互いに都合よく利用したんだよ。話に乗るか、否定するか。選ぶ基準は『どちらが国にとって利となるか』。国にとって正しい選択ってそういうものでしょ」
「で、ですが……周囲は納得するのでしょうか?」
「そのために私は最初に成果を出している。もたらされた結果と王の同意、それに反するならば……魔導師が敵となる可能性が浮上した挙句、私の提案以上に有益な策を求められるでしょうね。それが不可能だからこそ、『私が正しいことにされた』。何より『王は魔導師を味方につけた』とも周囲は解釈できるもの」
狡いようだが、これが現実だ。『利害関係の一致は素敵な絆』だと、私は常に言っているじゃないか。
そもそも、国の上層部も私の意見を支持するだけで終わってなどいない。自分達が集めたカードを使い、状況を更に自分達にとって都合のいい方向へと持っていったからこそ、魔導師の方が協力者というポジションに落ち着くのだ。
その結果、最終的には『魔導師が正しかった』ということになる。
国がより良い方向へ向かうための分岐点になっているから。
与えたのは切っ掛け程度な上、その後は基本的に関わらない――内部情報なんて私が知るはずはないだろう――ので、『この件に限り、王に協力した』という状況に仕立て上げられた。
最初から協力者だった方が都合がいいからね。自分のやりたいことをやった挙句に、『勝った方の裏方だった』と解釈されただけなのです。
魔導師とはいえ民間人。そんな奴の意見が簡単に通るなんてあるわきゃない。あくまで協力者であって主犯、もとい指示を出していた奴は別にいたのよ、みたいな?
なお、私の表に出せない言動あれこれが隠されていることも一因だと思われる。半分くらいはこれが原因だな、きっと。
「今回だってリリアン様を陥れようとしたことに対する疑惑や私の勝手な行動の数々が使えるじゃない。私はイルフェナとサロヴァーラが無駄に争うことは望まないもの、私自身が貴方の報告を肯定すれば衝突回避は可能でしょうが」
ぶっちゃけますとね、こんな騎士を私の護衛に付けるサロヴァーラ王が色々画策したとは思えんのですよ。
責任を被せる意味でサロヴァーラを不利な状況に仕立て上げた……とでも言われた方が納得できる。
そうなってくると、第一王女の派閥の有力貴族あたりが実に疑わしいのだが。王の退位と第二王女リリアンの継承権破棄。これらが揃って利となるのは第一王女の派閥だけ。
騎士もそれくらいは理解しているのだろう。普通ならば、何を置いてもサロヴァーラと王を守らなければならないはず。ただ、どうしても本人の善良さが枷になっている。
真面目です。これを新鮮に感じるあたり、私の周囲の騎士達は腹の中が真っ黒だ。
その筆頭はアルジェント。リリアン、君の想い人は幻想でしかない。
「ま、少し考えてなさい。さて、そろそろやりますか」
そう言って視線を魔獣に向ける。銀色の獣は相変わらず動き回っているので、まずは拘束することが大事だろう。そうと決まれば早速行動だ。
「……え?」
パチリ、と指を鳴らすと魔獣の周囲に次々と氷柱ができていく。驚きの声を上げたのは騎士だろう……こんな魔法なんて見たことがないだろうから。この世界の常識を持つからこそ異様に見えるに違いない。
しかし私もそんな彼の驚きに応える暇はない。魔獣も当然逃げるので、次々に氷柱を出現させては行動範囲を狭めていかねばならんのだ。
一気に閉じ込めると、後から暴れて抜け出される可能性がある。閉じ込めるというよりも動けなくすることが目的なので、ここは慎重にやらねばなるまい。
――やがて、魔獣は完全に身動きできなくなった。
現在の見た目は『分厚い氷に頭だけ出して閉じ込められた魔獣』。最終的に体の周囲に纏わりつく形で張り巡らせていった氷を分厚くしていったのだ。
いくら鋭い牙と力強い顎を持っていたとしても、顔が動かせなくなれば噛み砕くことなどできない。体とて動きが阻害されてしまえば跳ねることもできまい。
邪魔になりそうな氷柱を蒸発させると、物の見事に顔以外を氷漬けにされた魔獣のみが残った。そこで初めて私は魔獣に歩み寄る。
近づくにつれて唸り声を大きくする魔獣の顔は……凶悪なのだが、どう見ても正気には見えない。なんというか私だけを敵として見ているのではなく、『生きているもの全てが敵!』みたいな感じなのだ。
『正気ではない、みたいだね』
いつの間にか私の足元に来ていたカエル様も寂しそうに呟く。やはりカエル様から見ても普通ではないらしい。
まあねー……生体兵器みたいなものを目指していたなら、それが一番確実だと思うわな。戦場に放てばいいだけだもの。
誤算が討伐の難しさだろう。下手をすれば自軍さえ攻撃しかねない上に、簡単に殺せない。
『じゃあ、頼めるかな?』
カエル様は私を見上げて願いを口にする。その声は不思議なほど穏やかだ。
『今を逃したら、次にいつ機会があるか判らない。君達の報告を受けてどこかに隠されてしまう可能性だってあるだろう。だから、頼むよ』
「……判ったよ、カエル様」
カエル様に頷くと、私は改めて魔獣に目を向けた。相変わらず牙を剥いているが、そこに強い憎悪などは感じられない。
プログラムされた魔物みたいだと、ふと思った。『動く者を襲え』という命令に従う魔獣型の人形。確かに生きているのに、そこに感情らしきものが見えてこない。
カエル様の言葉は本当に正しいと思う。『今』の魔獣は『生かされているだけ』なのだと。
「……さあ、眠ろうか」
目を閉じ、その内部にある魔石に意識を向ける。動きを止めた上に距離が近いせいか、先ほどよりもずっと正確に魔石のある位置が判った。
後は破壊するだけ。魔石とて物なのだから『分解』は十分過ぎるほど明確にイメージできる。つまり、可能だ。
パチリ、と指を鳴らす。その直後、魔獣は大きく体を震わせ……徐々にその目から狂気が失われていった。表情だけではなく、体から輝きが失われていくのだ。
「な……なんですか、一体……」
『銀色に見えていたのは魔力の影響だったみたいだね。魔法が解けた証だよ』
その変化に、ぎょっとして騎士が声を上げる。魔法に馴染みのない騎士からすれば、その変化が異様に感じられたのか。
ただ、カエル様は想定範囲だったらしい。ぼんやりと光っているように見えていたのは気のせいじゃなかった模様。
魔獣は暫し体を動かしていたが、やがて大人しく氷に体を預けるようになった。自力で立っていることができないらしく、体の周囲を覆う氷がなければへたり込んでしまうだろう。
「カエル様、もう氷結は解いてもいい?」
『うん、大丈夫だろう。……暴れる力はもう残っていないだろうから』
問い掛ければ、カエル様ははっきりと頷いた。それでも言葉の後半を口にする時は目を伏せる。必要とはいえ、少々辛い時間だ。魔獣は徐々に衰えていくのだから。
それでも時間はあまり残っていない。指を鳴らして氷結を解除すれば、魔獣は崩れ落ちるようにへたり込んだ。完全に突っ伏してしまわないあたり、最後の本能で私達を警戒しているのかもしれない。
……犬とは違う異世界の魔獣、誇り高い孤独な獣。銀色の毛は灰色となり、その目は綺麗な青色だった。その姿に、思わず魔王様を思い出し。
『ミヅキ?』
「最後くらい、いいですよね」
ぽすり、と頭を抱き寄せて撫でてみる。魔獣は一瞬体を強張らせるも、敵意はないと悟ったのか大人しく撫でさせてくれた。
毛並は意外に柔らかく、不思議なほど汚れてはいない。こんなことにさえならなければ、この魔獣はきっと外で一生を生きたはず。
そんなことを考えていると、心地良さげに目を細めていた魔獣は不意に視線を動かしてカエル様を視界に収め。ぱたり、ぱたり、と。ゆっくりと尻尾を振り出した。思わず笑みが浮かぶ。
「心配してくれてたって判ってたみたいですね」
『そうかい……少しは救いになれていたのかな』
カエル様の口調は嬉しそうであり、同時に悲しげでもあった。
――もっと早く何とかできていれば。
そんな考えがカエル様の中にあるのだろう。どうしようもないことだと判っていても願わずにはいられない、そんな優しい種族なのだから。
自分達のことは世界に殉じるというくせに、それ以外のことに一途なところはタマちゃん達と同じ。明らかにカエル様はタマちゃん達と同族だ。
魔獣は更に近寄って来たカエル様の顔を一嘗めして鼻先を軽く押し当て、そして。
「ぅわっ!?」
いきなりぐいっと上体を上げると、私の顔を嘗めて顔を首元に擦り付けた。呆気に取られていると、カエル様の楽しげな声が響く。
『はは、ミヅキが恩人だってことも判っているみたいだね。親愛を示しているんだろう』
「あは……最後の最後で友人枠を勝ち取りましたか」
それが嬉しくもあり、同時に残念だと思う。生きていられるならイルフェナに連れて帰ったのに。
「ありがとね」
お礼を言って抱き締めると、魔獣は小さく鳴いて目を閉じる。
――それ以降、魔獣は目を開けなかった。体から力が失われ、体温が冷えていき、灰色の毛並が艶を失って……体が朽ちていく。
腐るというよりも風化していくといった方がいいだろう。それほどに、この魔獣の体は限界だったのだと思う。
そして最終的にはすっかりミイラのようになった魔獣の遺体だけが残った。時間的にこれが本来の姿なのだろうが、その体は少し力を込めれば崩れてしまいそうなほど脆い。
そっと頭を下ろして離れると、黙ったままの騎士に視線を向ける。彼の祖国……サロヴァーラが過去に行なった非道な実験。それを悲しみつつも、彼はこれから利用しなければならない。
思うことはあるだろうが、それでも魔獣は最後に心穏やかに逝ったのだ。そもそも、魔獣の視界に騎士はいなかった。その存在を気にする必要などないほど、どうでもよかったのだろう。
『私達だけではなく、この子も世界の流れに殉じる考えをしていたみたいだね』
「己が弱さを人のせいにしない、と?」
『そうだよ。だから君が気に病むことはない。この子は解放された。君の国は非道なことを今に伝えずとも存えた。それでいいじゃないか』
カエル様の言葉は慰めているようで違う。カエル様にとってはそれが『当然』というだけなのだ。
騎士もそれが判っているのか、一瞬顔を歪めた後に頭を振って表情を変えた。悲しむ必要はない、それ以上にやらなければならないことがあるのだと決めたのだろう。
その表情のまま、騎士は私に向き直る。
「魔導師殿。先ほどのお話……本当に宜しいのですね?」
「ええ、構わないわよ。『この件に関しては』ね」
私の含むものがある言い方に、騎士は目を眇める。だが、これは今言うべきではない。そして私個人が判断すべきものでもない。
誘拐事件は数カ国が関わっているのだ。それをどう乗り切るかはサロヴァーラ次第。
「あ、カエル様。私達はこれから上に戻るけど、これをお願いできません?」
ふと思い立って、魔獣の遺体から爪を一つだけ外す。それをカエル様に見せると、カエル様も私の意図が判ったようだ。
『そうだね、欠片だけでも一緒に外に行こうか。このくらいならば口の中に入れて運べるし、この子を案じていた仲間も安心するだろう』
「これ以外は分解……消滅させます。晒しものにする気はありませんから」
『その方がいいだろう。君がいてくれて良かったよ、ミヅキ』
墓というわけではないが、せめて一欠片だけでも本来あるべき場所へ。まさか地下に住む種族ってことはないだろう。
そして、この魔獣の体を残しておきたくないというのも事実。下手に調べられたりしたら、過去の黒歴史再び! とか考える奴が出るかもしれないもの。
第二、第三の魔獣は遠慮したい。改良なんてされたら、冗談抜きに倒せるか怪しい。
『それじゃあ、気をつけて。君のことは仲間達に伝えておくから。君のカエル達にも宜しくね』
そう言ってカエル様は爪の欠片を口に含み、水の中へと消えていった。それを見届けてから、魔獣の遺体に触れて作業を開始。
さらさらと崩れていく魔獣の体はどう見ても先ほどまで生きていたとは思えない。さすがにこの状態から再生とかは無理だろう。
そして、完全に魔獣の姿が崩れた――魔道具の名残も壊した――後に残ったのは私と騎士の二人。
「それじゃあ、覚悟も決まったみたいだし! 丁度、この上に目的の人がいるみたいだから連絡取ってみよっか」
先ほどからぼんやりと感じ取っていた馴染み深い魔力の気配。どうやら魔獣の体内の魔道具が阻害していたらしく、今ははっきりと感じ取ることができる。
――だが。
……? イルフェナ勢、全員で何やってるんだ?
イルフェナ勢は何故か全員がこの上に集っているらしい。渡した数と同じだけの魔力――私の魔血石なので間違いはない――を感じ取り、首を傾げる。
展開が早過ぎるような気がするのだ。正確には『いきなり謁見の間で話し合いなんてするの?』という意味で。
まずは抗議、そして調査……という順じゃないのかい? 謁見の間って双方にとって公の場だしさ。
確かに『謁見の間だったらいいな♪』『アル達が動いてくれないかな♪』とは思ったけどさ……せいぜい、サロヴァーラの誰かが傍に居る程度だと思うのよ。
一体、どんな裏技を使った? ちょっと予想外……予想以上の展開になってなくね?
ちょ、この後は騎士による『華麗なる二つの国の衝突回避な一幕』が待っているというのに……!
「どうされました?」
「いや……この上にイルフェナ勢が揃ってるんだけど。もしかして、もう行方不明に関する正式な抗議が始まっている、かも?」
「は!? そ、それ、は……」
予想が当たってしまった場合、内々に収めることは不可能だ。騎士も顔色変えてますよ、この状況ってどう考えても王に『どういうことじゃぁっ!』って怒鳴り込んだ結果にしか思えないもの。
レックバリ侯爵が賛同してるみたいだから、アルの個人的感情からの抗議――という建前――じゃないだろうけど。
サロヴァーラが即座に動かなければならないようなことでもあったのだろうか? 魔王様から何か持たされてたとか?
とりあえずアルに念話を入れてみることにする。状況によっては少し待った方がいいかもしれないし。
『アールー、アルー、聞こえるー?』
話し合い中かなと思いつつ声を届けてみると、即座に反応があった。
『……ミヅキ? やはり無事でしたね』
……アルは随分と落ち着いたお返事です。私に対する『そういった意味の』信頼は揺らがなかった模様。
『現在、アル達の真下にいます。地下に落とされてさ。で、そこって何処?』
『謁見の間ですよ。私とレックバリ侯爵の迫真の演技が功を奏しまして。王に直訴すると話が早いですね』
さらっと明るく告げるアルは大変楽しそう。外道です、これは騎士に聞かせられん。
っていうか、やっぱりお前達が元凶かよっ!? サロヴァーラ王は必要以上に状況が悪いとか思わされてね!?
『はは! 最高の状況を整えるべく頑張ってみました。というわけで、お待ちしております』
こんな念話を交わしつつも、アルの表情は厳しいものなのだろう。もしくは悲痛な表情で婚約者を案じる男を演じているのかもしれない。
「そ、その、魔導師殿? 何か拙いことでも!?」
「ウウン、気ニシナイデ欲シイナ」
「は、はあ?」
私の様子を勘違いしている騎士に事実を伝えられず、思わず視線を逸らす。
ごめん、超ごめん。難易度が更に上がったみたい。でも、その空気に飲まれず君の責務を全うしてくれ……!
「とりあえず、上をぶち抜きますか」
溜息を吐きつつも、私は行動することにした。ここを出ることだけは決定事項なのだから。
今後、サロヴァーラでも『守護役は魔導師溺愛』という噂は事実として浸透するのだろう。いや、それを狙ってこいと言われていたのかもしれない。
まあ……それ以上に恐怖伝説が浸透する可能性のほうが高いけど。
漸くお会いできそうですねぇ、黒幕様?
討伐完了&祝・脱出。ただし、上では騒動が展開中。
なお、主人公の魔術解除の認識は
結界など……直接魔力に触れるので、編物を解くような感じ。
魔道具……魔石(=電池)壊せ。
術式や構造を全く理解していないため、非常に単純です。
※朗読劇の続報を活動報告に載せました。
※魔導師9巻の詳細が活動報告にございます。




