彼らの『当然』
――一方その頃、イルフェナ勢は (アルジェント視点)
サロヴァーラ王の話も終わり、私達は部屋を辞すとミヅキの待つ部屋に足を進めました。
その足取りが少々鈍くなってしまうのは、今聞いた話が原因でしょう。我々とてそれは他人事ではないのですから。
ただ、『イルフェナでは表面化しないだけ』なのです。
立場に相応しい振る舞いだけではなく、能力さえ求められるのがイルフェナです。より相応しい者がその地位に就き、自分は別の生き方を定める……ということもあるのです。
私の知る限り、歴代の王となれられた皆様の中に暗君と蔑まれた方はいらっしゃいません。
……いえ、正確には違うのでしょう。イルフェナは小国ながらも自治を守り通してきました。相応しい能力がない者には『王という立場』は重過ぎるのです。
血筋だけで安易に就けるような、ただ権力を欲するだけの者に務まるような立場であるはずがないでしょう? たとえ王位に就いたところで、配下達からは常に厳しい目が向けられるのですから。
信頼や友情があろうとも見逃されることはありません。国の命運を握る以上、時には己の力不足を自覚して継承権を放棄することも重要な選択なのです。
優先すべきは己が自尊心ではなく、国。その選択ができることもイルフェナ王族の資質ですので。
なお、貴族ならばそれがもっと顕著になります。言い方は悪いですが、『候補の中で最も相応しい者が継ぐ』という選出の仕方が最も安定するからです。該当人物が嫡男ではない場合は当然、話し合いによる決定となります。
逆に嫡男だろうとも人の補佐や剣、魔術、そして国の暗部を担うといった特化型の才を持つ方もいるのです。イルフェナの場合、本人がそういった道を希望することも多く、どちらかといえば『誰に家を任せるか』という方向に話し合うことが多いとか。
イルフェナには『立場に相応しい能力を求められる』という認識が根付いているのです。当主の能力が家の存亡に響くのですから、他国と比べて家督争いといったものは少ないと思っております。
「やれやれ、どこの国でも起こる問題とはいえ……あまり気分のいいものではないの」
溜息を吐きながら、レックバリ侯爵は呟きました。私よりも随分と長くイルフェナという国を見てきた方ですので、後味の悪い話や表には出せない話もご存知なのでしょう。
「確か……レックバリ侯爵家は当初、姉上様が継ぐ可能性もあったそうですね?」
「そうじゃよ? 我が国は実力が全て。男児優先という傾向があるとはいえ、女性も家を継ぐことができる。姉上も決して才がないわけではなかった。じゃが……」
そこで一度言葉を切ったレックバリ侯爵は……遠い目になりながら続けました。
「女性貴族にあるまじき行動力の持ち主というか、猪というか。まさか、一族を説得して医師の妻となるとはな」
「あ〜……それは有名な話ですよね。その旦那様について戦場に行き、侯爵家の権限を最大限に活用して騎士や民を救った女傑だと」
当時はまだまだキヴェラの影響力が強く、今ほど平穏ではありませんでした。そして戦場ともなれば当然危険ですし、物資の不足も脅威となります。
戦いに向かう者は勿論、その近辺で生活する民にとっても苦しい時だったでしょう。騎士の中には貴族出身の者もおりますが、逆に言えば『貴族としての伝手が乏しい』。
物資を望めど、国から支給されるものとて限られています。そうなると個人的な繋がりに頼るしかないのですが、騎士として生きてきた者に実家以外の伝手などあるはずもなく。
そこへ医師である夫と共に向かった女性こそ、まさかのレックバリ侯爵家令嬢。
優秀な医師がその腕を発揮する傍ら、奥方は己の実家を含めた繋がりを最大限に活かして夫を助け、同時に多くの者達を救いました。
まあ、こちらが一般的に言われている『優しい奥方様』の話でして。
さすがレックバリ侯爵家の令嬢といいますか、その……かなり容赦ない手段を使ったことが伝説となっております。
令嬢は元は家を継ぐといわれていた才覚を持つ方。その手腕は家を去るまで発揮されておりました。
ゆえに。
ご自身の伝手だけではなく、貴族達の弱みといった脅迫材料を握っておいでだったのです……!
ちらりと相手の痛いところを仄めかし、『陛下とお話ししたいかも』という一言を。
家の存続に悩む者には知恵を貸し、恩を売り。
懇意だった商人達に商品を発注しては、代金は侯爵家へ請求させ。
レックバリ侯爵家はその金銭の請求により、初めて令嬢の現状を知ったようですね。まあ、金銭的な被害(?)は『そこそこの出費(侯爵家基準)』程度だったらしいですが。
そして侯爵家としてもこれを無視できない理由がありました。この令嬢、自分の足取りをそれまで掴ませていなかったらしいのです。
その事実を王城で知った当時のレックバリ侯爵は『何をしてるんですか、姉上ぇぇぇぇっ!』と叫んだとか。
レックバリ侯爵家としても国のためではありますし、何より唯一の繋がりなので無視も出来ず、そのまま金づると化したと聞いております。
勿論、侯爵家が妥協できる範囲です……実家の資産など把握済みだったでしょうからね、彼女。交渉や脅迫も含め、落としどころを見極めることが大変上手かったのだと思います。
これを聞いた王はこう仰ったそうです……『それでこそ、イルフェナと共に歴史を重ねた家に産まれた者! 野に下ってもその性根と才覚は衰えをみせんか!』と。
周囲からは令嬢を惜しむ声と恐れ慄く声が半々だったとか。野放しになりましたからね、ある意味。
それにしても彼女が家を継いだとして、伴侶になる方……いらしたのでしょうか? 非常に疑問です。
ゴードン医師曰く『両親は非常に仲が良く、最後まで幸せに暮らした』とのことですので、旦那様も非常にできた方なのではと思っております。奥方の行動を笑って見ていられる、大変懐の広い方だったのでしょう。
だって、お二人の気質はゴードン医師に受け継がれているのですから。
エル……魔力の高過ぎる王子に臆することなく普通に扱い、異世界人であるミヅキにも平然と接する姿。中々できるものではありません。
『良い感じに両親の長所が混ざった』とは例のご令嬢こと、レックバリ侯爵の姉上様を知る皆様の総意です。
まあ、ともかく。
イルフェナの上位貴族達には相続争いといったものがあまりないのです。……己が最上位とするものに傾倒するあまり、別方面での問題が起こりやすいのですよ。大人しく当主の座に収まってくれる人材はありがたがられますし。
「ま、まあ、儂の過去はどうでもいい! ……サロヴァーラ王の判断も決して否定はできん。我が国とて下級貴族ではよくある話じゃろう? 何もせずそのままに育てていれば、母親達の二の舞であっただろうよ」
――この国は少々、貴族が力をつけ過ぎたな。
そう小さく呟いたのがレックバリ侯爵の本音でしょう。王を、国を支える貴族達が優秀なのは喜ばしいことですが、それが己が野心に活かされると手に負えません。王はその家だけを相手にすればいいわけではないのですから。
押さえ込む力が王にない、と言ってしまえばそれまでです。善良で優しいだけの王が名君と呼ばれることがないように、配下を掌握することも重要な要素ですので。
レックバリ侯爵の呟きに私も頷き同意します。それは私達自身がこの国に来てから感じていることでした。
「第二王女に継承権があるにも関らず、皆は第一王女が跡取りだと認識していますからね。『誰もがそう思っている』。これを覆すのは容易ではありません」
「そうじゃの。第二王女が降嫁する先さえ間違えねば、『姉妹が争う』といったことは避けられる。降嫁先は第一王女の派閥の誰かのところじゃろうて」
第二王女を思い浮かべ、僅かに目を眇めます。普通ならば哀れむところなのでしょうが……生憎、私は普通ではありません。
そもそも、そういった立場に甘んじようとも独自に学ぶことは可能だったはず。ただ流されておきながら、与えられるばかりでありながら、自分の願いを叶えようなど。
私はエルを幼い頃から見てきました。エルはとても優しい。それは自らの与える威圧に恐怖する者を出さぬため――恐怖した者が自己嫌悪に陥ると知っていたのでしょう――に人と距離を取ることからも窺えます。
謂れのない悪意溢れる噂もただ黙って受け入れてきました。『自分の利とすればいい』という言葉と共に。
エルを取り巻く環境が変わったのは本当に……本当に最近のことなのです。ミヅキがそれを成し遂げてくれました。
彼女は自分勝手であることも自覚しているし、悪意ある噂も恐れない。『化け物』という言葉さえ、己が利へと変えてしまう。そういった利用方法を思いつくのですから、非常に賢いのでしょう。
そんな彼女にエルの状況が察せぬはずはありません。現に自分に付随する形で、そして自分を諌める姿を周囲に見せることで、彼女なりにエルを守っているのですから。
ですから……私達は二人を『仲の良い猫親子』と喩えるのです。子猫を常に案じる親猫に、親猫を全面的に信頼してその敵に牙を剥く子猫。まさに、そのまま。
性格は全く違う――エルは個人としては善良ですが、ミヅキは自己中心的ですよね――のに、互いを守るために自分を利用する姿。二人が揃えば『魔王殿下』も『世界の災厄』も恐れられる存在にはなりません。
……二人を敵に回せば脅威? 我々が彼らの敵になることはありえませんので、何の問題もありません。それ以前に、そんな状況ならば相手が仕掛けているはずです。
ああ、ルドルフ様も二人に混ざってらっしゃいますね。ルドルフ様に近いゼブレストの者達もまた、私達と同じ心境だと思います。
ミヅキを接点とすることで、エルは漸く正しい評価をされるのです。私達が、そしてルドルフ様を案じてきた者達が、ミヅキに感謝するのも『当然』。
彼らのこれまでを知る私からすれば、第二王女は何と恵まれていることか!
泣きごとを言う前に自分がどれほど努力してきたのかを振り返ってみればいいのに。そうとしか思えません。
そんな私の感情をレックバリ侯爵は感じ取ったのでしょう。苦笑しながらも、咎めることはしませんでした。
「まあ……儂らには殿下という実例があるからの。評価も厳しくなるじゃろう。お前さん達が殿下に忠誠を誓うのは、殿下の在り方を見てきたからという点が大きい。第二王女に味方がおらんのも、それが影響しとるじゃろうな」
「そうですね。同情する者はいても味方はいない……共に苦労する気はない者が大半、そんな感じでしょう」
レックバリ侯爵の言葉に深く頷きながら、そう口にします。哀れまれるだけならば簡単ですが、王族個人の味方となるとそうはいきません。
唯一の主として忠誠を誓い、己が人生を捧げることになるのです。そう在ることさえ受け入れる配下にして絶対の味方。それを手に入れられなかったのは第二王女自身の問題です。
正式な配下ではありませんが、エルは懐かれた果てにミヅキという最強の味方を得たのです。それがはっきりと判ったのは、バラクシンでミヅキが『化け物』扱いされた時でした。あのクズ……騎士がエルを『魔王』と蔑んだ時に。
あの時、ミヅキは本気で怒っていました。自分が何を言われても怒らず、利用する彼女は。あの時……ただ感情のままに怒りだけであの場を圧倒したのですから。
無自覚の威圧が成されていたこともあるでしょうが、あの場にいた者達は『ミヅキが怖かった』のです。どこまでも純粋に怒りを露にする、異世界の魔導師が。
この世界そのものに執着がないだけではなく、柵さえない異世界人。その狭い世界において最上位にある存在を侮辱した者はどれほどの怒りを向けられるのかを、バラクシンの者達は悟ったことでしょう。
もしもエルが止めなければ、そのまま報復を行なっていた。だって、彼女には『バラクシンなんて価値がない』のだから。
同時に、少々危険な思考をしているらしいセイルがミヅキを『綺麗』という理由も理解できました。我々にとっての最上位はミヅキと同じ。ですが、あれほどに純粋な怒りや殺気を向けられるかと言われれば……否でしょう。
私達はその最上位が望むものも知っている。ですから、ミヅキほど柵なく怒りを向けられません。
『傍にいる』、『配下として仕える』といった個人的な願望もあるのです。ミヅキはそれすらなく――自分がいなくなっても我々がいる、という認識があるのでしょう――己が感情のままに振る舞うのですから。
「比較対象が悪いということも自覚しているのです。ですが、第二王女に対して同情の余地はないと判断しております。黒幕を追い詰める切っ掛けになるのならば、破滅していただいても構いませんよ?」
にこりと無害そうに微笑めば、レックバリ侯爵は片眉を上げただけで何も言いませんでした。どうやら、了解を得られたようです。
「やれやれ……あまり騒動を起こすでないぞ」
「判っていますよ。必要に迫られぬ限りはやりませんから」
そんな軽口を叩き合いながら戻った部屋、そこには――
「……ミヅキ?」
先に戻っているはずのミヅキの姿がありません。いえ、ミヅキどころか護衛の騎士さえ姿が見えないとは……。
「妙じゃのう? どう考えてもミヅキが居ないのはおかしい」
「ですよね。時間的に、という意味もありますが……護衛の騎士はサロヴァーラ王自ら命じていたはず。ミヅキが望んだところで、最優先はここに戻ることのはずですが」
「うむ。そもそも、行くあてなどあるまいよ」
「部屋にいた形跡がありませんから、一度も戻っていないということでしょうね」
騎士ならば当然ですが、王命は絶対です。ミヅキがどこかに寄ることを望んだとて、それが叶えられる可能性は低い。
と、なると。
「ほほう、黒猫は何か玩具を見つけたようじゃのう?」
満足そうにレックバリ侯爵が呟きます。
「ですね。きっと興味が湧いて、ふらふらと引き寄せられていったのでしょう」
私も『仕方ない』という口調で返しますが、本心は全く別のことを考えていました。それは同行していたイルフェナの騎士達も同じだったようで、ある意味では少々不適切な表情をしています。
私達は……全員が笑っていたのです。
とても満足げに、興味深げに、楽しくてたまらないといったように……!
「ミヅキの姿が見えんとはなぁ……さて、サロヴァーラ王はどのような説明をしてくださるのか」
「ええ、私も心配でたまりません。何せ、この国は異世界人に優しくはないので」
「そうじゃのう。あれほど仲睦まじい様を見せつけておったからの、案じるのも仕方あるまい」
「それが当然では? 彼女が他の男と消える……なんてありえませんしね」
軽口を叩き合いながらも私達は周囲を観察し、それぞれが思考を廻らせています。
ミヅキが居ない。普通ならば心配するところでしょうが、私達には目的があるのです。
ならば。
「『切っ掛け』を……見つけましたね」
確信を持って呟く私の口は笑みを浮かべていることでしょう。イルフェナの一員という扱いであることをミヅキは知っているのです。ならば、その枠を外れるような行為をする理由など一つしかないじゃありませんか。
「やれ、困ったのう。ミヅキは大人しく言うことなど聞きはせん。それを知らずに仕掛けるとはなぁ」
「黒猫はまだまだ遊びたい盛りですからね……遊び相手が疲れ果てれば、必ず次を所望する……!」
ああ、笑いを堪えきれません。黒幕は彼女を過小評価し過ぎていた!
それにこの国で仕掛けたならば、我々とて介入できるのですよ? 私達はこの国の王に招かれたのですから。
ミヅキは先ほど謁見の前にて『イルフェナの一員として』相応しい態度を見せ付けているのです。『勝手にいなくなった』なんて、そんな不自然な言い分を信じると思ったのでしょうか。
それに彼女は弱くはありません。命の危機になろうものならば、それすら手駒にする強かさを持っています。
悪手にはならないでしょう、どう考えても。ならば、私達もそれを見越して動かなければ。
「さて。まずはサロヴァーラ王に報告、か」
「そうですね。その際に我々が不審な点を伝えておけば、理解は早いかと」
「ふふ。王にはお気の毒なことじゃがな」
そう言いつつもレックバリ侯爵はとても楽しそうです。ある意味、ミヅキ……魔導師との共闘ですから、ついついはしゃいでしまうのかもしれません。
それは私達も同じなのです。あの誘拐事件の黒幕に近づける、事態を進展させる貴重な一歩となるやもしれませんからね。
さあ、終幕へと向けて準備をしなければ。
黒猫は最高の舞台を整えるべく、今もきっと奮闘しているだろうから。
アルジェントがリリアンに価値を感じないのは、本人の性格だけが原因に非ず。
そして微妙にレックバリ侯爵家の過去暴露。
大変理解のあるイルフェナ勢は主人公をサポートすべく動く模様。




