サロヴァーラ到着
――サロヴァーラ・ある一室にて
「何ですって!? あの魔導師も同行しているの!?」
部屋の主である女性は、侍女がもたらした情報に声を上げた。そこに宿るのは憤り……自身の想い人が溺愛しているという噂の女性を伴っていると聞いたのだ、その反応も当然だった。
「折角……折角、アルジェント様に直接想いを告げられるというのに」
悔しげに、悲しげに呟いて、女性は座ったまま俯く。そんな主の姿に侍女も心配げな様を見せるが、こればかりは王の決定である。どうしようもなかった。
女性――サロヴァーラ第二王女リリアン。金の巻き毛に紫の瞳の姫はサロヴァーラの一部で『恋する乙女』と称されていた。
姉と違って自分の感情に素直なリリアンは、現在サロヴァーラ上層部の悩みの種である。それは適齢期となったリリアンの縁談が関係していた。
無事に第一王女の婚約も決まり、次はリリアンの番となるのは当然の流れと言えるだろう。それでもいきなり婚約というわけではなく、候補者達と暫く交流させてから本人に選ばせるということになっていた。
王族ともなれば足場固めをせねばならない。ゆえに、候補者達は有力貴族達の子息から選ぶという方法を取っている。貴族達の不満が出ないよう、血が濃くなり過ぎぬよう、それなりに注意すべき点が多い。
それでも幸せになって欲しいと思うのが親心。王命による婚約ではなく、限られた中とはいえ本人に選択肢を与えたことこそ、娘達に示された愛情だった。
聡い第一王女はこれを察し、異を唱えるどころか王に感謝して候補者の中から婚約者を選んでいる。第一王女同様、リリアンの婚約者もそういった決め方をする……はずだったのだ。
それをリリアン自身が拒否した。『想い人がいるから』と。
この時の周囲の失望は半端なかった。リリアンの想い人が誰かなど、上層部に属する者達は知っていたのだから。
そもそも、形ばかりとはいえ打診して断られている。これは正式なものではなく、王がイルフェナを訪れた際にそれとなく聞いたのだが……はっきりと断られてしまった。しかも本人にさえ。
状況や立場を考えれば、それが普通である。向こうも王自身がそれを望んでいるとは思っておらず、リリアンに諦めさせるために口にしたと理解していた。
『我侭に付き合わされる周りは大変ですね』と。……労わりの言葉さえ告げられては嫌でも気づく。
王女ともなれば政略結婚は当然。イルフェナは実力至上主義を貫く国であるのだ……そんなことを口にする王女など、認められるはずもない。
それを伝え、一時は確かにリリアンの想いも静まったかに見えた。
だが。
『異世界人の魔導師を守護役達は溺愛している』
『彼らは魔導師の婚約者となるために、守護役の地位を得たらしい』
伝わってきた、その噂。
それは縁談を仄めかされているリリアンにとって無視できるものではなかった。
その結果、非常に無茶なことを言い出したのだ。
『私はアルジェント様から直接、お断りの言葉を聞いたわけではありません。お聞きするまで全ての縁談をお断りいたします』
リリアンとしては恋を諦めたくないだけなのだろう。なにせ、相手は公爵子息。しかもエルシュオン殿下の信頼を受けている、見目麗しい騎士。
王族との縁談など、国同士の繋がりという意味でも喜ばれるはずである。それが何故駄目なのか、リリアンには判らなかった。
それゆえの行動、その言葉。けれど、周囲にとっては全く別の意味に映っていたのだと、リリアンが気づくことはない。
王を含めた国の上層部にいる者達は……リリアンに失望したのだ。
かつては幼さゆえの『憧れ』であり、成長すれば感情のままに口にした『我侭』を恥じるだろうと。
何故、父王が反対したのかに気づくだろうと。
その期待は見事裏切られ、リリアンと元々優秀と言われている第一王女との差は開くばかり。
婚約者候補とて、いつまでも待ってくれるわけではない……暗に『他国の者、想い人よりも価値がない』と言われて怒らぬはずはなかった。
王女の婚約者候補になるくらいなのだ。当然、身分も能力も申し分ない優良物件。王族に拘らずとも良縁などいくらでもあるだろう。
それを王女の我侭で振り回すなど彼らを馬鹿にするにも程がある。彼らとて選択肢がある身なのだ、付き合いきれぬと愛想をつかされても不思議はない。
未だ婚約者候補でいてくれるのは王への忠誠心と家への柵からである。婚約者候補に選ばれるだけあって、彼らは自分達が次代を支えることになると理解しているのだ。決して王女への恋情からでは、ない。
王女に『彼らが挙って請うほどの価値』があれば、また違ったのかもしれないが……残念ながらリリアンにその価値はなかったらしい。
ゆえに……サロヴァーラ王はイルフェナへと打診した。
『アルジェント殿と魔導師殿を我が国に向かわせてくれないか』と。
こちらへ呼ぶのは、リリアンを諌めることが可能な王がいるから。そして、逆にリリアンを向かわせれば、王女という特権を駆使して居座ることが予想されたからである。
そう予想するほどに、リリアンは王から信頼されていないということだ。気づいた者達は王の判断に『そのとおり』と頷くばかりであった。
イルフェナに迷惑をかけたいわけではない。……アルジェント殿を望んでいるわけではない、と。
そんな思惑も知らずにリリアンは願いが叶えられたと喜んだが、それは『想い人がサロヴァーラへ来る』ということだけ。
その目的は恋を諦めさせ、リリアンの不出来さを本人に突きつけることであった。
溺愛されていると噂の魔導師は……イルフェナに認められるどころか、キヴェラでさえ敗北させた本物の実力者。
情報を集めた限り、これは事実であると王は判断した。キヴェラ王でさえそれを認めていては疑いようがない、と。
キヴェラの敗北も圧倒的な力を振り翳したのではなく、誰もが納得する状況を仕立て上げたものだという点も十分な判断要素である。
『魔導師は状況を読むことに長け、言葉を操ることを得意とするのではないか』……とサロヴァーラ上層部は推測していた。
そんな人物を、王女としての自覚も乏しいリリアンが潰せるはずはない。そう確信があったからこそ、計画は実行されたのだ。
「……いいわ。どちらが相応しいのか、アルジェント様も理解なさるでしょう。あんな、異世界から来た化け物なんかに負けてなるものですか……!」
ぎゅっとドレスを握り締め、未だ見ぬ恋敵に敵意を燃やすリリアンは国の思惑に気づかない。
その行動こそ、王が待ち望んでいるということを。
自身が上であるとばかりに思い上がった言動は、己の価値を落とすだけであることを。
そして――アルジェントを含めたイルフェナが、そんなリリアンに対しどんな認識をするのかさえ気づかない。
リリアンの言い分は『実力者の国』と称されるイルフェナの価値観を否定するものなのだ。それに怒らぬ者など、イルフェナの上層部には存在しない。
彼らには自身の努力が結果に結びついてきた自覚がある。それを『実績よりも血筋の方が勝る』などと言われては……リリアンに好意的になるはずもない。
リリアンはアルジェントに好意を抱きながらも、その国には興味を向けなかった。それこそ、『恋する乙女』と称された理由である。
要は『王女としての言動ではない』と、暗にそう言われていた。一般的に良縁だろうとも、双方の国に味方がいない――イルフェナには皆無だ――のはそれなりの理由があるのだ。
……『婚姻が成立しない決定的な理由』はもう一つあるのだが。
「私は……姫様の味方です」
俯きながら控えていた侍女が呟く。数少ない味方からの言葉に、リリアンは強く頷いた。その瞳に宿るのは絶望ではなく、奇妙な自信。
自分は王女なのだから。貴い血筋の者はそれだけで価値があるものなのだから、と。
一般的にはその考え方もおかしくはない。ただし……『政略結婚』という状況において、だが。
そして、リリアンは知らなかった。イルフェナではそんな常識など意味がないことを。
かの国は政略結婚だろうが、その地位に見合った実力を求められるのが『常識』。そして、過去に断られたリリアンは『その資格なし』と言われたも同然であった。
それは国としてだけではなく、アルジェントの意見でもある。跡取りではない三男の目から見ても『国にも家にも不要』と判断されたに等しい。
直接会うどころか、集めた情報で十分判断可能だったのだ。
『会うまでもない』――それが『彼ら』の答えなのだから。
それに気づいてさえいれば、リリアンは己が誇る血筋に付随する価値――その『常識』が通じないと理解できたかもしれない。
一々言われずとも悟り、状況を理解することも『有能な』王族の『常識』。
ゆえに……リリアンは彼らにとって王女ではなく、『恋する乙女』なのだ。
※※※※※※※※※
――サロヴァーラにて
やって来ました、サロヴァーラ!
漸く黒幕と御対面か!? とばかりに元気一杯、気合いは十分さっ!
「楽しそうですねぇ、ミヅキ」
苦笑しながらアルが話し掛けてくるので、その顔に人差し指を突きつける。
「何言ってるのよ、アル。私だけじゃないでしょ?」
「おや、顔に出ていましたか」
「出てましたとも。一戦を待ち望んでるのはアルも同じじゃない! いえ、それが目的って言った方がいいかな」
「ふふ……ミヅキとは気が合いますね」
突きつけた指の先、その笑みがいっそう深まる。作られたものではない楽しそうな笑み、それはアルが『エルシュオン殿下の配下として』喜んでいる証だろう。
馬鹿にされましたものね、私達。つーか、イルフェナが。
魔王様を困らせましたものね、誘拐事件。
騎士寮面子代表として、この一戦を逃すはずはないよなぁっ!
当たり前だが、誘拐事件発生から騎士寮は荒れた。物に当たるとか、言葉が乱暴になるなんてことはしない。基本的に育ちの良い皆様だから。
その分、内面は始終ブリザードが吹きまくっていた。『苦悩なんて軟弱な奴がすることだ、我らは報復一択よ!』とばかりに、静かに報復の機会を窺っていたのだ。
そこへ黒幕(予想)のサロヴァーラへのご招待。
奴らは沸いた。超盛り上がった。同行者枠は当然、激戦となったらしい。
つまり、同行者一同は最初から獲物を狙う狩人の目をしてるのだ。……王女? そんな理由だったね、招待の理由。こっちは利用するけど。
「本当は皆も来たくて仕方なかったでしょう。……私も楽しくてたまりません」
――自分の手で報復できるかもしれませんしね?
アルは私を抱き寄せ、耳元でそう付け加える。どうやら、アルも大人しくしている気はない模様。
ここまで来て本当に『第二王女の恋だけ』で終わった場合、アルの第二王女への好感度はマイナスまで下がるに違いない。誘拐事件と関係なかった場合、単なる無駄足だもの。
期待した分、収穫ゼロは辛い。時間の無駄ということも含め、話し合い終了後は八つ当たり気味に冷たい反応をするだろう。
個人的には第二王女から喧嘩を吹っ掛けられての報復……という展開が、暫しの滞在を可能にする意味でもベストです。
これなら第二王女が納得するまで滞在が可能だし、城内での情報収集も『情報を集めないと第二王女と喧嘩できません』という言い訳が使える。
『恋敵認定されたから、暫く王女様にお付き合いするわー。私だけ残れないから、同行者達も同じく。それに相手のことを知るのは重要だよね、やり過ぎても責任持てないし』
こんな感じ。身分の柵がない異世界人――第二王女は私を化け物扱いすると推測――の反応としては間違っていない。あくまでも『個人同士』になるからね。
サロヴァーラも『被害を少なくする意味で重要』と言えば理解してくれると思う。まあ、国の上層部に速攻で帰国を懇願される可能性もあるけどさ。
そんなことをアルとイチャつきながら話していたら、レックバリ侯爵から呆れた声がかけられた。
「お前さん達……端から見れば、じゃれ合っているようにしか見えんぞ? 基本的な会話を念話で行なっとるくせに、耳元で囁くとか」
「仲良しですから♪」
「婚約者という立場なのです、これくらいは大目に見ていただきたいですね」
全く恥じることなく、二人揃って笑顔でお返事。周囲の目があるのも知ってるさー!
現在地、サロヴァーラで滞在する部屋に面した庭。イルフェナ勢は固まって部屋を割り振られてる――誰がどこに居るか判らなくするためだろう。第二王女を警戒したか? ――ので、私、アル、レックバリ侯爵の三人で庭で談笑していたり。到着時間と王の時間が合わなかったので、謁見は明日になったのだ。
そして、私達の無駄にイチャつく行動には目的がある。サロヴァーラの人々がこちらを気にして視線を向けてくるからだ。
黒幕がいるかは判らないが、少なくとも私達の情報はサロヴァーラに伝わる。これで『溺愛という噂は事実だった』と思ってくれることだろう。
下準備は大事です。第二王女には是非とも私に喧嘩を売ってもらわにゃならんのだ……餌は重要、よね?
レックバリ侯爵は呆れた視線を向けてくるも、行動の意味は判っているらしい。一見、『微笑ましげに、時に呆れながら恋人達を見守るおじいちゃん』を演出していた。
ただ、念話での会話はかなり物騒なのだが。
『先ほどから仕事の振りをして視線を向けてくるの。さて、誰の手の者か』
『今のところ第二王女では? 彼女が情報収集すれば、わざわざ別に動く手間が省けますし』
『ん〜……第二王女が怒ってくれるのはありがたいんだけどねぇ。殺傷沙汰までやられると、逆に黒幕が霞んじゃいそう』
『おや、ミヅキは第二王女が黒幕という線を否定しますか』
『うん。黒幕ならこの時期に目立つ行動とるかな? ちょっと不自然じゃない?』
『そういった考えも理解できるの。第二王女が黒幕ならば、相当な狸じゃろうて』
『……レックバリ侯爵、狸って……』
『お前さんが儂のことをそう言っているじゃろうが。まあ、褒め言葉として受け取っておるがの』
『レックバリ侯爵は外交がお得意ですからね。相手にこちらの狙いを悟らせない様は高い評価を受けていらっしゃいます。そのレックバリ侯爵でさえ騙しとおすならば……第二王女は相当だということでしょう』
『第二王女が黒幕ならば、な。儂らの知る姿が事実ということもある。ま、警戒はしておくべきじゃろ。さてさて、お手並み拝見といこうかの』
私達を警護してくれている騎士寮面子は周囲に目を光らせている。そんな彼らにも私達の会話は聞こえていた。
さて、サロヴァーラの皆さん。イルフェナ勢は皆こんな感じなんだけど、遊ぶ用意はできてるかい?
第二王女の必死さをスルーするどころか、利用する気満々のイルフェナ勢。




