その頃のバラクシン
イルフェナが誘拐事件で盛り上がっている時のバラクシン。
――バラクシンにて(ライナス視点)
「お前達はそれでいいのだな?」
「はい。僕達は母上から離れるべきだと思います。お祖父様からも」
二人に意思を確認するように問い返せば、フェリクスとサンドラはしっかりと頷いた。
その表情には今までとは違い、現実を見ようとする必死さが窺える。これまでを考えると、それは劇的な変化であった。
何より、フェリクスは自分のことを『僕』と言っている。以前は公の場でもないのに『私』と言っていて……微妙に私達と距離を置いていた。
今はそれがなく、自然な態度で私と話している。そういった変化こそ、フェリクス達に『もう一つの道』が提示された理由だ。
二人には事前に『バルリオス伯爵家へ行く』か『教会に預けられる』という選択肢が提示されている。その前提としてフェリクスの状況――何故あのように頑なだったかなど――を詳しく説明されていた。
カトリーナ達が利用しようとしたことだけではない。それが正しいと思わせる要素もあったのだ。
それに気づいたのは、バラクシンの侍女や騎士に良い感情を抱いていない魔導師殿からの言葉。
『フェリクスって王家派の人達からしたら邪魔者ですよね。無理矢理娶らされた側室の子ってのも大きいですけど、カトリーナが増長したのは王子を生んだからってのもありますし』
『教会派貴族からしても、無能な手駒……カトリーナが我侭に振る舞う原因です。そういった様々な悪意をバルリオス伯爵達は【側室の子だから】だと認識させたんじゃないでしょうか』
『言葉を操る術に長けた伯爵ですもの、幼いフェリクスに思い込ませるのは簡単だったでしょうね。洗脳に近い状態になっていたならば、他の家族からの言葉を悪意からだと思っても不思議はないかと』
……その言葉を私達は否定できなかった。
伯爵のこともそうだが、私達がそういったことに気を配ったり、誤解を解こうと努力したかと言えば否なのだから。
魔導師殿はアリサの一件から、それに気づいたのだろう。あれも個人的な悪意を『出来損ないだから』というもっともらしい理由に掏り替えたものだった。
あの一件はその後の取り調べにより、アリサ付きの侍女達が嫉妬から彼女に嫌がらせをしていたことが発端だったと発覚している。愚かにもアリサが守護役達――彼女達は婚約者という括りにのみ注目したらしい――に失望されればいい、と思ったらしい。
そんな状況に置かれれば周囲と壁を作るだろう。それが更にアリサへの認識を歪めて行き、『出来損ない』という評価だけが一人歩きした。『異世界人』という異質な存在であったことも大きい。
アリサが我々に不信感を抱くのも、怯えるのも当然だったのだ。唯一、守ろうとするエドワードに依存するのも。
私もそんな状況に気づけず、アリサに信頼されなかった一人である。報告書と彼女の行動のみで判断し、『何故そんな状態なのか』という疑問を抱かなかった。……異世界人は『常識さえ知らぬことが当然』だというのに。
侍女達の嫉妬がアリサへの対応を不当なものにし、『異世界人』という認識が皆の目を曇らせた。
ならば『側室が思い上がった原因』のフェリクスにも同じことが言えるんじゃないか?
エルシュオン殿下も魔導師殿と同意見だった。ゆえに下された処罰に対し、二人には選択肢というものが与えられたのだ。
伯爵家に行った方が生活面での心配はないが、利用される可能性が消えない。それに加えてカトリーナもいる。
教会へ行けば二人からは離れられるが、これまでとは比べものにならない質素な生活が待っている。
二人がこれまでと同じような生活を選ぶならば、迷わず伯爵家行きを選ぶだろう。その場合はこちらも対策を立てることになっていたのだが……二人が選んだのは教会預かりの身となること。
これまでからは考えられない事態である。最も驚いたのはカトリーナであっただろう。
「やはりカトリーナやバルリオス伯爵の真実を知るのは辛かったか」
苦い感情を乗せて思わずそう口に出せば、フェリクスは一瞬顔を歪め……それでも首を横に振った。
意外な反応に軽く目を見開けば、フェリクスはしっかりと私に視線を合わせて口を開く。
「僕のこれまでが母上達に都合よく作られたものだとしても、それを選んできたのは僕自身です。母上の言葉を疑うことをせず、お祖父様の言葉ばかりを信じて。それは僕にとっても都合のいい『逃げ道』だったから」
「それは……そう、なのだが」
「ですから。僕自身の行動を誰かのせいにはできません。目を背けてきたのは僕自身」
信じていた肉親からの裏切りはショックだろうに、フェリクスは随分と成長を見せていた。内心驚くも、フェリクスの手にサンドラの手が添えられているのを見て……その変化が『新しい家族』のおかげなのだと知った。
サンドラもまた、自らの愚かさ故に家族を失っている。二人はこれまでの自分達を本当に反省し、今度こそ間違うまいと必死なのだろう。
その決意を支えるのが互いであることは言うまでもない。血を残さぬため、自分に連なる派閥を作らぬために『婚姻はしない』と明言している自分には得られぬ強さであろう。
微笑ましくもほんの少し羨ましく思う。それ以上にフェリクスの家族になれなかった自分達が情けない。
私の反応を良い方向に取ったのか、サンドラが口を開く。
「魔導師様からはっきり言われたのです……『王子を生んだという実績がカトリーナを傲慢にした』と。そして『彼女にも変化を望むならば離れるべき。息子夫婦を見続ける限り、彼女はいつまでも理想に囚われたまま』とも言われました」
確かに、と思う。
カトリーナの理想は『王子様のような男性に選ばれること』。それを実現してしまった息子夫婦を目にする限り、自分の境遇を思い出さずにはいられないだろう。
新たな一歩、もしくは出会いを望むのならば、過去を切り捨てるべきである。……毒にしかならないだろう、息子夫婦が身近に居ることは。
「確かに僕が居たことが原因の一つではあるのです。それに僕は魔導師殿から『母親と妻のどちらを選ぶのか』と言われて即答できなかった。『妻だ』と答えるのが正解のはずですよね、母上が僕達の幸せを願ってくれていたのなら。だけど……」
フェリクスは俯き、唇を噛む。サンドラは何も言わず、けれど添えていた手に力を込めることでフェリクスを気遣った。
フェリクスも即座にそれに気がつくと、「大丈夫だ」と言うようにサンドラに笑みを返す。
「母上は……僕が自分の味方だと疑っていなかった。自分を選ぶのが当然だと思っていた! ……他にも理由がありますけど、あれが決定打でした。情がないとはいいませんが、母上は無意識に僕の価値を知っていたんだと思います」
カトリーナに母親としての情がないとは言わない。だが、彼女は無意識にフェリクスの価値を理解し、利用していた。
それが側室でしかないカトリーナの傲慢さの原因である。継承権を持つ王子の母なのだ、フェリクスがべったりと懐いている以上は周囲とて対応に困る。
「辛くはないのか、お前は」
「え?」
「自分のこれまでが音を立てて崩れたようなものだろう。認めるのは辛くはなかったのか?」
思わず漏れた疑問。それに対してフェリクスは……何故かフェリクスは嬉しそうに、照れくさそうに笑ったのだ。
怪訝そうな表情になる私をよそに、フェリクスだけではなくサンドラまでもが笑みを浮かべている。
「魔導師殿が言ったとおりですね。『あの人達、王族としての立場は崩さないけれど家族愛はありまくりだから。きっと決意を語ったら心配するわよ』って言われたんです。母上には『自分を見捨てるのか』と言われるだけでした」
「そう、か……」
思わぬ暴露に顔が少々赤らむ。もたらされた予想外の言葉と微笑みに胸が温かくなりつつも、カトリーナが放った言葉に嫌悪が湧き上がった。
カトリーナは自分の将来に不安を感じたのだ、息子の未来を案じるのではなく。
あれほど『側室になりたくなかった』と言いながらも、いざ立場を失えば息子に……王家の血を引く者に縋ろうとする。実に醜悪なことだ。
魔導師殿はカトリーナの反応を予想していたのだろう。
だからこそカトリーナの言葉は『フェリクスを傷つけるもの』ではなく、『フェリクスが他の家族に愛されていた証明』となった。
大変判りやすい比較対象である。魔導師殿は本当にこういったこと――特に人を利用すること――が得意らしい。フェリクス達に助言紛いをしていたのは、このためだったのか!
帰路につくまでに裏で色々とやらかしていった魔導師を思い浮かべ、思わず遠い目になる。だが、こればかりは呆れと共に感謝が浮かんだ。
何故なら――
「だからこそ、はっきりと判ったんです。これまで僕自身が『家族』の言葉を受け入れて来なかっただけなのだと」
叔父上にも謝罪せねばなりませんね、と言ってフェリクスは頭を下げた。サンドラもそれに倣う。
そんな二人を微笑ましく思いながらも、同時に悔しさと寂しさが浮かんだ。
二人が王族に戻ることはない。二人がこうして気づけたとしても、時を戻すことなど不可能なのだから。
「判った、お前達の謝罪を受け入れよう。兄上達にも伝えておく」
会うことが叶わぬ、フェリクスの家族達。どれほど二人を案じようとも、王自ら断罪した以上は罪人に会うわけにはいかない。
そんなことをすれば心ない者達が『やはり王はフェリクスを見捨てることはしない』と認識し、これからの二人に要らぬ干渉をするかもしれない。二人を権力争いの道具にするわけにはいかないのだ。
フェリクス達もそれが判っているのか、何も言わなかった。ただ「お願いします」と再び頭を下げる。
……ところで。
魔導師殿は少々性格に難があれど、それ以上に賢くもあった。
そんな彼女がフェリクス達の今後を何も考えていない、というはずはなく。保護者の許可を得た上で、あの一件の後も裏で密かに動いていたりする。
教会派貴族達については当然関わることなどできない。だが、『柵がなく、人脈と実力はある彼女』が己にできることを放置……ということはなかったのだ。
「フェリクス。お前達を教会預かりにと望んだのは魔導師殿だ。聖人と呼ばれる方に話をつけた上でこちらに提示した、というのも知っているな?」
「はい。本当にお世話になってしまいました」
こっくりとフェリクスが頷く。
「『いつまでも息子が一緒ではカトリーナも新しい恋を見つけられない』と仰っていましたわ。本当にそのとおりです、お義母様はあれほどご自分の幸せを望んでいらしたもの」
「そうだね。魔導師殿は母上のことさえ気にかけてくれたんだ」
そう、それは事実である。聖人殿に話をつけて『フェリクスとサンドラを教会に預け、カトリーナから離す』という提案をしたのは魔導師殿だ。
ただし、カトリーナに向けられた感情は二人が思っているものとは違う気がするが。
そんな疑惑は別にしても、確かにフェリクス達は母親や祖父から離れるべきだと思う。それが最良の手ではあるのだろう。
何故、他国で部外者がそんな真似ができるのか? と疑問に思わなければ。
こちらに提示された時点で教会及び聖人殿との話はついていた。つまり、後は陛下が了承するだけの状態だ。
普通に考えれば壮絶におかしい状況である。何故、彼女は王以上に教会と親しいのだろうか。
二人を教会に預ける、という措置は私達とて考えないわけではなかった。だが、今は教会も色々と忙しい時期だ。そんな状況でフェリクス達を押し付けるような真似はできないと、諦めていた。
思わず先日の遣り取りを思い出す。それはフェリクス達が呼び出された理由でもあるのだ。
それは突然だった。あの聖人殿が突如、陛下と話したいと言って来たのだ。しかも内密に。
その席で告げられた提案こそ、『フェリクスとサンドラを教会で預かる』というものだった。
「魔導師殿には世話になりましたからな。友の願いを叶えないわけにはいきません。なあに、皆も快く賛同してくれました。魔導師殿は先の一件で信者達に絶大な信頼があるのですよ」
思いがけない提案に固まる私達をよそに、聖人殿はにこやかに話している。
そこに脅迫された気配など微塵もない。彼らは本当にあの魔導師を受け入れているのだと、私でも理解できたほど。
……。
大丈夫なのだろうか、その信者達。騙されてないか?
そう思ったとしても、口には出来なかった。疑惑のまま口に出してはいけない、本人に聞かれていても困る。
唐突に出た魔導師という名に、様々な意味で沈黙する私達。そんな私達に聖人殿は微笑み、今後の予定を私達に語った。
「実は魔導師殿の提案はこれだけではないのです。今後、クズども……いえいえ、教会派貴族達が葬ら……失礼。粛清されるでしょう。その期間は長く見て十年ほどと推測されます」
……物騒な言葉は聞かなかったことにするとして。
告げられた内容に思わずイルフェナ勢を思い出し、陛下共々溜息を吐いた。
おそらくは魔導師殿とエルシュオン殿下の見立てだろう。さすがに一気に粛清というわけにはいかないので、十年計画だなと先日話し合ったばかりである。
だが、イルフェナの者達には予想された展開だったようだ。魔王殿下と魔導師が当事者では、たやすく予想できてしまうのも当然か。
「そして先日……フェリクス殿下が王籍を抹消されたと伺いました。その理由も」
そう言って聖人殿は僅かに目を伏せる。そうなった原因は教会派貴族でもあるのだ、彼としてもバルリオス伯爵やカトリーナのことは教会の汚点のように思っているらしい。
そして……気のせいでなければ聖人殿はフェリクスに同情している。
彼も教会派貴族達には苦労させられたと聞いている。フェリクスが傀儡に近い状態だったと、容易に想像できるのだろう。
「気にしないでくれ。貴方が悪いわけでも、信仰が悪いわけでもないのだから」
陛下が寂しげに笑いながら、それでもきっぱりと否定する。それが事実なのだと、聖人殿に伝えるために。
それが判ったのか、聖人殿は一度頭を下げた。謝罪しないのは、彼らが『何の関係もないから』。
「そうですか。そうそう、これは魔導師殿からの提案です」
「ん? 魔導師殿は他にも何か?」
再び出た魔導師の名に一抹の不安を覚えつつも、陛下は続きを促す。
「はい。彼女の言葉をそのまま伝えさせていただきますね。『教会派貴族達が王家に〆られている間に、フェリクスとサンドラの二人を教会に預かって徹底的に教育。その後、王家と教会双方が出資する孤児院の責任者として就任』」
「「は?」」
思わず陛下とハモる。何だ、それは。
「『新たに歩みだした教会と王家が手を取り合う証としては最適でしょう? ついでにフェリクス達のことも【恋を取ったが、民を思う優しさは失われていない】とアピールしつつ美談にして流す。民は恋物語が好きだ、美談が大好きだ! 黒歴史の隠蔽にも最適だと思う』」
「「……」」
陛下共々、言葉が出て来ない。
確かに有効な手ではある。教会どころか聖人預かりのフェリクス達には誰も手が出せなくなるだろうし、二人に教育を施して孤児院を任せるというのも良い案に思える。
……が。
そこは魔導師殿の策! 裏がないはずがなかった。
フェリクスとサンドラの恋を『派閥による障害のある恋、けれど立場よりも相手を選んだ二人』に仕立て上げて、王族と教会派貴族の令嬢が手を取り合う美談にしようというわけだ。
今の二人ならば、それが嘘ばかりというわけではない。ただ、フェリクスとサンドラを醜聞から守るように都合よく脚色されているだけであって。
そしてこれは王家や教会にとっても利となる提案だ。二人の仲のよさが知れ渡れば、権力争いなどといった醜聞を十分隠すことが可能だろう。
「『素敵な恋物語が前提になっていれば、長く続いた権力争いの醜聞が民に知れても【だから王家も、教会も、お二人も変わろうと行動なさったのか!】ってことになる。今後予想される教会派貴族の抵抗って、これまでの黒歴史を民に流して王家と教会の権威を失墜させることくらいだもの。だから事前に手を打つ』」
「……っ! そうか、奴らの策を潰す意味もあるのか」
思わず、というように陛下が声を上げた。
フェリクス達のためになることも事実である。そしてフェリクス達を利用することで、王家や教会も醜聞から逃れることが可能になる。
それだけではなく、教会派貴族達の最後の抵抗さえ潰すつもりなのだ、あの魔導師は!
そんな手段をたやすく思いつく魔導師殿を称賛すべきなのか、呆れるべきなのかは悩むところだ。
ただ……我らの憂いは晴らされる。それもまた事実だった。
内心恐れ慄く我々を無視して、聖人殿は魔導師の言葉を伝え続けている。その表情が何故かとても優しげだった。
「『それに。王家と教会が手を取り合う初の試みならば、様子を見に行くのは当然。公務として【道を違えた家族】に会えるでしょう、あの人達』」
続いた言葉に一瞬、息が止まる。
「……なに?」
「まさか……魔導師殿は……」
「『放っておけば案じる気持ちばかりが育つでしょう。だったら、正当な理由の下に年に一度くらい会わせればいい。離れた場所にいる家族に対する生存確認程度だけど、ないよりはマシ。絶縁したサンドラの家族も見学という名目で面会が可能』。……以上です」
思いもよらぬ提案に言葉が続かない。だが、同時に思い出す。
あの破天荒で凶暴な魔導師は……何の利もないくせにアリサの味方をしたじゃないか。決して情がないわけではない。それに、私達兄弟を案じてくれてもいた。
彼女にとっての『最良の決着』。それはこういうことだった……?
「これは……評価に困るというのも頷けるな」
「ですね。凶暴な面ばかり印象に残るので忘れがちですが、彼女は慕われるような結果も出していますし」
困ったように、けれど嬉しそうに――フェリクスとの接点ができそうなことが嬉しいのだろう――陛下が呟き、私もそれに同意する。
そして同時に思った。『エルシュオン殿下も彼女と似たような遣り方をするな』と。
魔王と呼ばれるほど容赦のない人物ならば、これを機にバラクシンに仕掛けるくらいはするだろう。だが、エルシュオン殿下は仕掛けるどころか協力してくれた。アリサの時も同じく。
陛下もそう思ったのか、どこか呆れを滲ませた笑みを浮かべている。
「まったく、似たもの同士というか……本当に仲の良い飼い主と猫だな」
そんな陛下の――兄の言葉に、私も聖人殿も苦笑しながら頷いたのだった。
「叔父上? どうなされたのですか?」
数日前の遣り取りを思い出していた私は、フェリクスの言葉に我に返る。ああ、いけない。これを今から二人に伝えなければならないというのに。
「いや、なんでもない。……フェリクス、サンドラ。おまえ達の正式な処罰が決定した。今日はそれを伝えるためにこの場を設けたのだ」
二人とも『教会預かりになる』ということは知っていても、それ以上は知らされていない。二人は顔を見合わせて頷くと、緊張した面持ちで私の言葉を待った。
「大丈夫です、叔父上。僕の仕出かしたことは軽いものじゃない……覚悟はできています」
「私もです。国を混乱させた罪が軽いなどとは思えませんもの」
俯くことなどせず、はっきりと言葉を紡ぐ二人とて内心恐ろしいのだろう。だが、それを当然と受け止められるほどに成長したようだ。何より、フェリクスに影響を与えたのはサンドラだろう。
こういった点は本当に惜しいと思う。そして思うのだ……サンドラはフェリクスの伴侶に相応しかったのだ、と。
「お前達は聖人殿の下で孤児院の経営について学ぶ。そして将来的に王家と教会双方が出資する孤児院の責任者となってもらう」
「え!?」
予想外だったのか、フェリクスは声を上げる。サンドラは口元に手を当てて目を見開いていた。
「これまで王家と教会は権力争いを繰り広げてきた。だが、今後はそれも変わる。王族であるフェリクスと教会派貴族令嬢であるサンドラ、お前達がその象徴として選ばれた」
立場より恋を選んだことも事実なんだ、適任だろう? そう続ける。
国のためでもある。それは事実。だが、それだけでもないのだ――今の二人ならば、そこに隠された家族の情にも気づくはず。
現に、二人にはじわじわと私の言葉が染み渡って行ったらしい。目を潤ませて、けれど言葉はない。
感謝などしてはならない。これは『処罰』なのだから。だから……胸の内だけで理解していればいい。
「王族が視察に向かうこともあるだろう。教会派貴族が訪れることも可能だ。まあ、この提案……というか、状況を整えたのは魔導師殿なんだがな。だが、承諾して聖人殿の申し出に感謝したのは陛下だ」
「じゃ、じゃあ、サンドラは……」
「家族に会える。お前もな、フェリクス」
二人の顔に驚愕と喜びが浮かんだ。そのことに満足を覚え、笑みを浮かべたまま『事実だ』というように頷く。
サンドラは家族と絶縁している。今ならば伝えたい言葉もあるだろうが、絶縁している以上は叶わない。それが叶うという事実がよほど嬉しいのか、彼女は涙を流していた。
この筋書きは私達が考えたわけではない。それだけが少し情けなかった。家族を切り捨てる決断に手一杯で、それ以上を考えていなかったのは事実なのだから。
魔導師殿の提案に含まれていた『救い』を知って驚くフェリクス達に、薄情と言われても仕方がない。だが、誰の提案かを黙っていることはしたくなかった。
私達はそれを強要されたわけではない。魔導師殿の提案を『選んだ』のだ。
それだけは理解して欲しかった。
「魔導師殿は……本当に『御伽噺の魔法使い』みたいですね。不可能を可能にしてしまう」
「本当に。ですが、魔導師様以外にも私達には多くの方が味方をしてくださいました。ここまでしていただいたのです、皆様のご好意に応えなくては」
「そうだね、サンドラ」
二人は微笑み合うと、再び深々と頭を下げた。そんな姿と『多くの味方』という言葉に、私の願いは叶えられたのだと知る。
私はポケットから一つのケースを取り出す。新たな道を歩む二人への餞別になれば……と思ったが、祝いの品にしてしまってもいいだろう。
「フェリクス、サンドラ」
呼びかければ、頭を上げて二人が私に顔を向けた。そんな二人に向かって、手の中にあるケースの蓋を開けて差し出す。
「少し早いが、結婚おめでとう。これは私達からだ」
ケースの中には二つの指輪。小さな宝石が付いた揃いのそれは単純に祝福というだけではなく、『何かあったら金に替えられるように』という意味でもある。
簡単に助けてはやれないのだ。ならばせめて……という家族からの気遣いである。
「僕達に……?」
「ささやかだがね。ああ、皆の個人的な財によるものだから安心しなさい」
私達と縁が切れたと思っている二人にとっては完全に予想外だったらしい。フェリクスは驚愕に目を見開くと、再び目を潤ませ俯く。
髪で隠れてしまったせいで、その表情は見えない。だが、今度は涙を抑えきれぬらしく嗚咽が漏れ出す。
「僕は……本当に愚か者ですね。……っ……何故、疎まれていると……思ったのか……っ」
「私達も言葉が足りなかった。いや、バルリオス伯爵や敵意を向ける者達から守ってやるべきだった。お互いに非はあるだろう」
「本当に……本当にありがとうございます。貴方達が家族でいてくださったことに気づけて良かった……!」
嗚咽を含んだ言葉は聞き取りづらく、フェリクス達の状況を思えば別れの言葉として不適切かもしれない。
だが。
「確かに皆に伝えよう。……その言葉だけで十分だよ、フェリクス」
叔父としては甥の成長を喜ぶべきだろう。いや、私だけはフェリクスの理解者でなければならない。
自分勝手に道を選ぶ姿も、決して後悔しないことも、私にとっては身に覚えのあるものである。
――かつて私は勝手に兄の臣下としての誓約を行なった。私とフェリクスもまた、似たもの同士の叔父と甥だったのだろう。
※※※※※※※※※
――イルフェナ勢、バラクシン滞在中・教会にて(ミヅキ視点)
「ほお? つまり、私に協力しろと?」
「悪い話じゃないでしょ」
現在、聖人様の部屋に突撃中。数日後にはイルフェナに帰るため、時間がないのでこうなった。
「フェリクス殿下達のことを利用し、王家と教会が手を取り合うことをアピールするのか」
「フェリクスという教会派の駒を権力から引き剥がす意味もあるけどね」
興味深げに、けれど悩む素振りを見せる聖人様。まあ、当然だ。私はいきなり提案したのだから。
聖人様に『フェリクスとサンドラを預かって、孤児院の経営ができるほどに教育してくんね?』と言ってみたのだよ。
こう言っては何だが、教会派貴族はかなり追い詰められている。それを覆す唯一の要素が『フェリクス』と『長らく王家と教会が争ってきた歴史』。
教会派貴族は民の不安を煽る意味で利用すると思うのです。この場合は共倒れを狙っているとも言うけどさ。
「王家と教会が手を取り合う美談も必要だと思うの。聖人様は王家、そして魔導師とも繋がりがあるから……」
「貴族達は教会に手を出せなくなる。奴らは先の一件で特に魔導師を恐れているだろうからな」
にやり、と笑い合う。私達の心は今、一つになっていた。
「利害関係の一致か。それは乗る価値のある話だな?」
「ふふ、やっぱり最後まで手を抜くべきじゃないと思うの」
微笑んだまま、見詰め合うこと暫し。
そして。
がしっ! と私達は固く握手を交わす。
「そのとおりだ! これ以上の醜聞など要らんし、黒歴史を払拭する意味でも有効な策だと思うぞ」
「バルリオス伯爵はイルフェナ勢に苛められてそれどころじゃないだろうし、一番やらかしそうなカトリーナから最強の駒を奪うのは基本よねぇ?」
「くく、お主も悪よのう。よくぞ、次から次へと考えつくものだ」
「いえいえ、聖人様ほどではございませんよ? 信者達を納得させた一連の出来事の説明、それに伴う認識の誘導……お見事です」
私達だってバラクシンの今後を憂えてたり、フェリクス達に同情する気持ちがあるのだ。それが最優先ではないだけで。
それに。
フェリクスって周囲から隔離されていたせいか、一度納得すると妙に素直なんだよね。今後のことを考えると非常に不安だ。本人達に納得させつつ、こちら側に取り込んでおいた方が安心できる。
そんな彼らの保護者に聖人様は適任じゃないか。誘導すれば強制じゃないぞ、結果として『自分の意思でこちら側に属するだけ』だもの。
イルフェナは隣国だし、アリサだってこの国にいる。できる限り、不安材料を取り除いておきたいと思うのは当然です。
何せ私はイルフェナ所属なので、今後は表立った行動ができない。ならば、滞在中にあらゆる柵のない魔導師という立場をフル活用しようではないか!
このままではカトリーナは『ただ実家に戻るだけ』!
政を担うことなどあるはずがないので、何の痛手もないままなのだ!
そんな事態を許すほど私は……『私達』は優しくはない。そもそも、彼女はバルリオス伯爵と並んで滅殺ランキング第一位である。
そこで私は考えた。『カトリーナの手駒を遠ざけ、手を出せない状態にして、彼女を孤独に追い込んでみたらどうか』と。
遅かれ早かれ、嫁姑戦争は勃発するだろう。ならば最初から距離を置くのも有効そうだ。
「あのクソ女、全っ然反省してないもの。それほどに自信があるなら、息子に縋らず新しい恋でも見つけろっての!」
「ああ、確かに鬱陶しいな。教会としても、あの女がほぼ処罰を受けないという事態は遠慮したい」
カトリーナが『実家に戻されるだけ』という情報を掴んでいる聖人様は超いい笑顔だ。やはりカトリーナ達が教会派貴族である以上、不安が拭えないのだろう。
その気持ちも理解できるんだよねぇ……はっきり言って、教会は詰んでいたからさ。これ以上はイルフェナの怒りを買いたくない、というのが彼の本音ではあるまいか。
聖人様には教会を率いる者としての責任があり、守るべき者達がいるのだ。そんな彼にとって『元王子の母で元側室』という立場のカトリーナは超絶不安要素である。
うっかり彼女の言動に踊らされる民や貴族が出た場合のことなど、考えたくはないに違いない。
「くく……私は将来のある若い信者と教会の今後を踏まえて『魔導師の策』を伝えるだけだ。後々何か言われようとも、事実なのだから反論できまい」
「あらあら、聖人様はその慈悲深さから『母親と祖父に利用された哀れな王子を救うべく、魔導師に相談した』んでしょ? 聖人様ですもの、誰が聞いても納得できる理由があるもの、それに教会の汚点を払拭しようとしただけじゃない」
嘘ではない。私の提案は極一部を除き、王家にとっても、教会にとっても、民や信者にとっても利となるものなのだ。
万が一、バレても咎めることなどできないだろう。この国のためであることは事実なのだから。
「ふ……はははっ! 実に愉快な展開じゃないか、教会は今度こそ生まれ変わるのだ!」
「おー、頑張れ! 超頑張れ! 絶対にフェリクスを守りきりなさいよ? カトリーナさえ出て来なけりゃ、教会派は打つ手なしだもの。フェリクス達には私から少〜し『お話し』しておくわ」
「勿論だ! あの女が自分勝手に喚き散らすと厄介なことになりそうだからな。信者達にフェリクス殿下達の美談を流しつつ、悪女と広めてやろうじゃないか! 信者達の結束力を嘗めんじゃねぇぞ!」
「聖人様、素敵……! 商人達には『教会と聖人様はこちらの味方』って言っておく」
「頼んだぞ!」
『王子の母親? 民が憧れるのは身分と立場を超えて結ばれた二人ですが、何か?』
『いつまで息子に縋ってやがる、この道化が! そんなに恋がしたけりゃ、さくっと相手を見つけろや』
私達の気持ちはこんな感じだろう。己の望む結果のため、ひたすらに教会派貴族達(一部)とカトリーナが邪魔なのだ。つーか、その苛立ちが原動力。
勿論、望む結果が一致しているだけである。だが、下手な裏がない分、それは非常に頼もしい絆となっていた。
素晴らしきかな、利害関係の一致!
善意とか良心をすっ飛ばし、求めるものは『望んだ結果』。
私達の願いは己が評価されることではなく、それぞれが望んだ結果を得ることなのだ。少々外道な発想の果ての行動だとしても、国にとっても良い方向に結果を出すので咎められまい。
本命(カトリーナに苦難の人生を!)狙いのついでに、オプション(王家と教会の願望)が叶ってしまうだけだ。
大丈夫! 私はいつも魔王様をこの方法で納得……いや、諦めさせているから!
「王様だって聖人様からの提案は無碍にできないもの。それが自分達の望みに添っているなら、さぞ魅力的に聞こえるでしょうね」
「多少の不自然さは私の演技力でカバーしてみせようではないか。否とは言わせん、必ず成し遂げてみせるとも!」
やる気満々の聖人様に、裏工作をする気満々の私。
今の私達に敵はいない。個人的感情の下に行動する輩は何より強いのだから……!
「期待してるわ、聖人様」
力強く頷く共犯者様……もとい、聖人様に苦悩など感じられない。それは聖人様が『必要なことと判断したから』。
きっと私の想像以上の働きをしてくれるだろう。
魔導師は『世界の災厄』よ? 覚悟するがいい、カトリーナ。
……置き土産に災いの一つや二つ、くれてやらぁっ!
主人公:真っ黒。トドメを刺すまで諦めません!
聖人:利害関係が一致する場合に限り、主人公の心の友。
イルフェナ勢:生温かく見守りながらも主人公を応援。保護者は諦め中。
王族兄弟:微妙に疑いつつも騙される人々。主人公の評価に納得。
フェリクス&サンドラ:一度納得すれば素直。主人公による意識改革成功。
カトリーナの自己中な言動を目の当たりにし、洗脳解除。
※やって来たのは『優しい魔法使い』ではなく『内面真っ黒な魔導師』。
出した結果で人々を感動させつつ、裏では敵を葬る計画に余念がない。
素直な子達を誘導しつつ、本命を着々と追い込み中。聖人も協力。




