個人的な報復
数日後、イルフェナには各国から関係者が集っていた。
その中にグレンの姿を見つけ、ちょいちょいと手招きして『気になっていること』に対し意見を求めてみる。
「ねぇ、グレン。アレルギーを説明することって可能?」
「は?」
「いや、今回のあの二人の命を奪った遅効性の毒ってさ。……アレルギーショックじゃないかと思って。理解できるなら、今後のためにも伝えた方が良くない?」
そう言うとグレンは事情を察したらしい。なんともいえない表情になった。
「そうか、お前も世界の壁にぶち当たったか……」
呟くように言うと溜息を吐く。どうやらグレンにも覚えがある出来事らしい。
だが、ゆっくりと首を横に振り『不可能だ』と告げた。
「説明は不可能だ。それはあくまでも元の世界の『常識』を前提にしたものだろう? あの世界ならばアレルギーと言えば大抵は理解されるし、検査結果を提示することも可能だ。だが、この世界にはそれがない」
「医療が発達していないから?」
「正確には『人の手による原因の究明が行なわれていないから』だな。解毒魔法があるんだ、問題が解決されるならその要因を調べる必要がない」
ああ、なるほど。その結果、医療が発達しにくいのか。
元の世界では『原因を突き止めて、治療方法や薬を作り出す』。
この世界には魔法があった。だから『そういった状況をすっとばして完治する術を作り出した』。
こればかりは世界の差だろう。
「それにな、説明のしようがないんだ。……この世界の人間だって馬鹿じゃない。異世界人がそう言ったからといって、そのまま受け入れるはずはない」
お前だって治癒魔法などの原理を知ろうとして挫折しただろう? ――そう続けたグレンの言葉に、私は沈黙するしかない。
この世界の治癒魔法や解毒魔法を私は理解できない。自分なりに解釈して『似た状態を作り出しているだけ』だ。
この世界の人達とて詳しく解説してくれたのだろうが、元になる常識や認識のズレはどうにもならない。
「実はな……儂はアルコール中毒らしきものを証明したことがある。すぐに真っ赤になる奴に強い酒を飲ませたらしく死んでしまってな。ああ、これは悪意を以て飲ませたから立派に加害者だぞ」
そこでグレンは溜息を吐いた。
「だが、酒は毒じゃないだろう? 加害者の男が処罰されるのは不当だと喚いてな……」
『酒が毒ではない』という言い分も間違いではないから、グレンも困ったのだろう。基礎となる知識の差だ。
確か急性アルコール中毒は『血中アルコール濃度が上がり、脳の麻痺が起こる』とかいうものだったはず。
目でそんなものは確認できないし、毒殺でもない。『アルコールを摂取したことによって起こる症状』なのだ。
酒が毒だと認定されない限り、理解させるのは少々厳しい。私みたいに全く酔わない人もいるので、その証明が非常に難しいだろう。
「それ、どうやって判らせたのよ?」
「そいつに強い酒を死ぬほど飲ませた! 酒が飲める奴だったんだが、冗談抜きに死にかけてな。そこでこう言ったのさ、『飲める奴が死にかけるほどなら、飲めない奴に意図的に強い酒を飲ませるのは毒を盛ったのと同じだ』と」
「ああ……そりゃ、納得するわ。本人は実体験するし、周囲もそいつの状態を見たら納得するでしょう」
というか、実際に死にかけたみたいだし。ある程度飲める奴だったとはいえ、随分危険な賭けをした模様。
グレンは諦めを滲ませた、妙に真剣な表情で私を見た。
グレン自身の経験に基づいた、この世界と元の世界の差。グレンはその溝を仕方がないものだと、経験から受け入れている。
「判るか? あからさまに症状が出る例でさえ、これなんだ。表面的に見えない場合のアレルギーなんて説明できなかろう?」
「納得。確かに無理だ」
本職ならば説明できるのかもしれないが、それでも説明だけ。果たして納得させられるかは怪しい。
グレンはどこか達観した表情で私の肩をポンポンと叩く。
「ミヅキ、この世界にはこの世界の在り方がある。異世界人達が生涯に一つか二つしか元の世界の知識を伝えられないのは、そういった世界の壁というものが大きいと儂は思う」
「知識の壁、認識の壁、それに伴う理解の壁ってこと?」
「ああ。料理などは材料も手順も見て覚えられるから伝えやすいのだと思う。だが、材料がな……」
グレンの言葉に思わず納得してしまう。ゼブレストから乳製品を無料でもらえ、最も食材や調味料などが豊富なイルフェナにいる私でさえ、『有る物で何を作ろうか』という状態なのだ。
国が違ったらこれほど食材は手に入らないだろうし、金銭的な問題も出てくる。これまで異世界の料理として広まったものは『どの環境でも手に入る材料』という前提があったのかもしれない。
一番判りやすいものでさえ、これだ。医療方面の説明なんざ無理だろう。
「毒に関しては解毒魔法があるんだ。それで納得しろ」
――お前だって『毒じゃない』と発言し、場を混乱させたいわけじゃないだろう?
グレンの目はそう言っていた。確かに今私があの二人の死因に否を唱えれば、『黒幕に殺意はなかった』という逃げ道を与えてしまうことになる。
沈黙……するのが最良だろう。個人的に思うことはあっても。
「異世界なんだねぇ、ここ」
改めてそう痛感する。普段は気にしなくても、不意に常識の差を見せ付けて異端者なのだと突きつける。
まあ……私の場合はそれを強みにしている部分もあるので、悲観はしないけど。
逆にアリサとかはキツかったろうなぁ……エドワードさんに依存するのも仕方がなかったかも。
「とりあえず今回の件を終わらせよう。皆もそのために集ったのだから」
「はいはい、私は個人的な報復に専念しますよ」
「……。やり過ぎるなよ?」
「あら、その後の断罪こそ本命でしょ?」
軽口を叩き合いながら足を進める。
ここは異世界であり、不意に自分が異端者であると思い出すけれど。
――私達は不幸ではないのだ。それだけは自信を持って言えるだろう。
※※※※※※※※※
……なんてシリアスに話していた時もありました。
現在、この部屋には私と主な共犯者だった令嬢一同が集っていたり。
護衛の騎士達が部屋に控えてるけど、基本的に私のやることに口は出しません。
彼らの仕事は『罪人の監視』と『私のお手伝い』。……繰り返すが、『罪人の監視』と『私のお手伝い』であり、私のストッパーに非ず。
今回のご褒美に『自分の手で報復したい!』と願って許可されたので、死なない限り咎められることはないぞ?
クラレンスさん達が『セレネは殴られましたから、そこを考慮してあげてくださいね』と上に伝えてくれたことも大きい。感謝です!
私は紛れもなく今回の功労者なのだ、これくらいの『御褒美』は許されるだろう。
しかも、この共犯者どもは個人的な感情を優先して他者を、それ以上に国を貶めようとしたクズである。上層部の皆様がどちらの味方をするかなんて、誰だって判る。
ああ、『魔導師ではなく、魔王殿下の配下』としての報復だから、当然魔法は使えない。そこだけは気を付けるように、と魔王様からも釘を刺されている。
そして。
怯えた様子の共犯者の皆さんが気づいているかどうかは判らないが……これは正式な処罰ではないのだよ。本命はこの後だ。
だって、私の個人的な報復ですものね?
処罰の前じゃなきゃ行なえませんからね?
今しかないってそういうこと。まあ、元気に睨み付けて来るメイベル嬢みたいなのもいるし、少々大人しくなってもらうのは好都合だろう。
「はぁい、メイベル嬢。ご気分は?」
「最悪よっ!」
上機嫌に尋ねれば、拘束されたまま怒鳴るように返すメイベル嬢。うむ、元気が良いな!
彼女達も一応は『自分達がしたことがどれほど大事だったか』を説明されたはずなのだが、元々罪の意識が薄かった部分もあって言い訳しまくりだとか。
まあ……これも仕方がないことかもしれない。彼女達の認識とこちらから通達された罪状では、あまりにも差があるだろうしね。
「喚き散らすのは構わないけど、貴女が罪人だってことは変わらないから。しかも国を貶めようとする連中の手伝い……いや、国を売ったってことかな?」
「そこまでしていませんわ!」
「いや、自覚がある・なしって状況じゃないから。国から通達された罪状が一般的な認識だよ」
「……っ」
何を言われたか知らないが、共犯者の皆様は一様に顔色が悪い。メイベル嬢でさえ、私の言葉に肩を震わせた。
ふむ……じゃあ、この場が『単なる場外乱闘です』って教えてみるか? 本来の処罰とは別物だし、これだけで終わりと勘違いさせるのも気の毒だ。
「ちなみにこの場は私に今回の褒美として与えられた『場外乱闘の場』だから」
「え?」
「つまり、正式な処罰とは別。私の個人的なお願いってだけ」
予想外だったのか、呆けたような表情になるメイベル嬢。他の令嬢達もそんな特例は聞いたことがないのか、訝しげに私を見ている。
「そのようなもの……聞いたことがありませんわ」
探るようにメイベル嬢が聞いて来る。だが、彼女とて私の言葉が嘘ではないと悟っているだろう。
なにせ、この部屋には騎士の姿がある。彼らが何も反応しないのは……私の言葉が正しいからだと。
そう察することが可能な程度の知能はあるだろう、彼女。あの誘拐を使用人のせいに仕立て上げようとしたくらいなのだから。
「特別だもの。貴女が私を殴らなければ希望しなかった」
にこりと笑って、頬に人差し指を軽く当てる。今はすっかり治ってるけど、殴られた直後は赤くなりましたよ。
「ご丁寧に扇子で叩いてくれちゃって。だから私はこの場を願った……だって十倍返しが信条だもの!」
うふふ! と笑ってメイベル嬢達を見る。私の目が笑っていないことに漸く気づいたのか、彼女達は肩を震わせた。
「な、何をするつもり……」
「十倍返しって言ったでしょう? ああ、十倍以上の苦痛かしらね?」
ごくりと唾を飲み込み、怯えきったメイベル嬢が私を窺う。それに笑顔を浮かべつつ『報復内容』を話せば、他の令嬢達から次々と声が上がった。
「私達は貴女に何もしていませんわ!」
「そ、そうよ! その方だけのはずでしょう!?」
彼女達の言っていることは事実である。っていうか、必死だな。
しかし、この場に彼女達が居るということは……それなりの『理由』があるわけでして。
私はテーブルに置かれていた封筒から数枚の紙を取り出す。これ、簡易だが委任状である。
「ここに貴方達の被害を受けた令嬢達とそのご家族からの委任状がありまーす! 私の報復を聞いた皆様が凄く羨ましがってしまって。あの方達だって精神的苦痛があったものね、当然よ」
これも事実である。しかも魔王様の策がなければ、誘拐された令嬢達は今後相当辛い目に遭う可能性とてあったのだ。
そんな人達に『私の個人的御褒美』の話をしたらどうなるか。
「各国の上層部の皆様はとても被害者達に同情してくださったの。でも、騎士が罪人とは言え女性を殴るのって良くないでしょ? だから私に『我らの分も宜しく!』って任されたのよ」
これも嘘ではない。
ただ、ちょっくら『私は個人的に殴れるんですよ、良いだろー?』と自慢しただけで。
同じくムカついてた国の上層部の皆様が、悪ノリして被害者達に提案しただけで。
ぶっちゃけると共犯者達の自業自得です。『少しは痛い目みやがれっ!』という心境だったのだよ、皆。
「時間もないから、さっさと済ませましょうか。終わってから今回のことをじっくり説明してあげるわ」
「ひ……」
近づく私から必死に逃げようとするメイベル嬢。だが、彼女に逃げる術はない。元から拘束されている上に、床に座り込んでいるのだ。そんなに震えていたら立てないだろう。
それでも体を捩って、何とか逃げようとするメイベル嬢は……完全に怯えていた。涙目になって周囲に助けを求めるが騎士達は厳しい目で彼女を見つめ、他の共犯者達は自分のことで精一杯。
私はメイベル嬢に近付くと、屈み込みながらその胸倉を掴む。
「た、たすけ……」
涙目のメイベル嬢の懇願を無視して、私は拳を握る。そして。
「歯ぁ、食い縛れ!」
がつり、と右頬に一発。そして左頬にも同じく一発。
ビンタなんて温いことは言わん、潔く殴られろ。まあ、武器を扱わない女の力だから腫れる程度さ。それが狙いだ。
「う……うう……」
「痛いでしょう? 殴られたら痛い、誘拐されたら様々な意味で怖い。それ以外にも多大なる迷惑が色々な所にかかるんだよ? ……判ってんのか!」
今度は髪を掴んで顔面に膝を入れる。さすがにもう言葉がないのか、メイベル嬢は痛みに蹲った。騎士達は揃って明後日の方向を向き、無言。
あの、騎士さん達? ……止めないけど視線は逸らすのね!?
ジト目を向けるも、彼らは騎士寮面子ではない。どのように説明されたかにもよるが、彼らほど私に慣れてはいないので仕方ないのか。
肩を竦めて、私は次なる標的に視線を向ける。これは場外乱闘、主役は私、騎士達は空気かオブジェ! 気にしている暇などないのだ、さっさと全員済まさなければ。
ちらりと視線を向けた先のメイベル嬢は、中々に凄いことになっていた。
今の彼女は髪はぐちゃぐちゃ、化粧は鼻血と涙でボロボロ、そして両頬が徐々に腫れてきている。事情を知らない人が見たら即座に逃げる顔ですな。
リューディアとの一戦を思い出して、似たような状態にしてみたのだが……うん、相変わらず凄まじいね!
厚化粧は止めることをお勧めするよ! 今回は『まだ処罰が言い渡されていないから身支度として認める』ということにして、化粧品を渡してもらったけどな。
加えて彼女達の監視に見目の良い人を使ったら、勝手に顔を作り上げただけである。
罠ではない、全部『偶然』なのだ! ……ちょっとクラレンスさんに今後の予定と希望を伝えただけで。
とりあえず、メイベル嬢はこれでお終い。
ええ、お終いですとも……本当の意味での『報復』はこの後なのだから。
「さて、次は……」
逃げようとしていた人々は、私の声に動きを止め。ただでさえ恐怖に引き攣ったその顔に、『逃げられない』という絶望を滲ませた。
勿論、全員を同じ目に遭わせましたとも! 平等じゃなきゃね!
その後、ボロボロの彼女達に『どれほど悪いことをしたのか』を丁寧にお話しし、彼女達の殴られた頬が良い感じに腫れてきた頃。
正式な処罰を受けるため、迎えに来た騎士達によって連れ出されていった。
彼女達を見た騎士達が一瞬ぎょっとしていたので、大変インパクトのある顔に仕上がったと思う。良い仕事をした。
「ミヅキ……お前、何がしたいんだ?」
ひっそり混ざっていた騎士sの同期が呆れながら聞いて来る。彼らにはこの部屋でやることしか伝えていなかったので、気になるらしい。
「ん? ほら、十倍返しって言ったけどさ。全員に十発平手打ちって私も手が痛いじゃない? だから三発で妥協」
数的には嘘は言っていない。威力は平手よりあるだろうけどね。
だが、彼はそんな言い分に納得しなかったらしい。ジト目で「素直に吐け」と言って来る。
……どうやら周囲の騎士達も気になるらしく、聞き耳を立てている模様。やはり、日頃の行ないからすると大人し過ぎたか。
「実はね、正式な処罰の場の人選にあることをお願いしたの」
「あること?」
「うん。『国から連れて来る人を美形で揃えてください。可能なら彼女達の想い人も同行』」
「……」
「綺麗どころにゴミを見るような目で見られちまえ。しかもあの状態よ? 顔は腫れ、鼻血と涙で化粧がグチャグチャ、髪だって掴んでたから凄い状態だったでしょ?」
私の報復は二段構えなのだよ。
今回、メイベル嬢が私を攫った理由が『ディルクさんを手に入れるために邪魔だったから』というもの。他の共犯者達も逆恨みとか、そんなのが原因だと聞いた。
じゃあ、惨めな姿を素敵な人達に晒してもらおうじゃないか。
僻み、逆恨み、そんな些細な理由でこれだけの被害を出したのだ。勿論、処罰は下されるけど……それはあくまでも『国』から『家』へという感じ。令嬢一人じゃ誘拐犯の共犯なんて無理だしね、家ぐるみの犯行扱いです。
だったら、個人的な方面で心を叩き折ってやろうと思ったわけですよ。
「お前酷い。十分過ぎるほど酷いぞ、それ」
「私とクリスティーナは命の危機だったみたいだけど? それに被害者達は救出されても、酷い醜聞に晒される可能性があったんだから! それに比べたら、処罰の場だけなんて可愛いものでしょ」
「いや、確かにそうなんだけどさぁ……」
騎士s同期が顔を引き攣らせているけど、私に罪悪感など欠片もない。
女同士の喧嘩が怖いのはどんな世界でも同じ。改めて言おう、良い仕事をした。
微妙にズレがあった前話終盤。
こういう時はこの世界歴が長いグレンの方が理解あり。
なお、リューディアはゼブレスト編に出て来た側室の一人。