祝・誘拐 其の一
――王城・とある一室
室内には数名の近衛騎士が集っていた。そこには騎士団長の姿もある。
彼らは囮が身に着けた魔道具の拾う音声を聞いていたのだ。当然、めでたく囮が成功したことも理解できていた。
そう、策の成功は理解できている。
問題はミヅキがメイベル嬢を挑発するために言った台詞である。
「何故……何故こうなる……! そこは『父様』だろう、ミヅキぃぃぃぃ……!」
がっくりと崩れ落ち、一人嘆く騎士団長。あまりにも珍しい姿ではあるが、彼に向けられた視線は息子であるディルクが向けるものを含めて大変生温かい。
『だって、兄様達は必ず見つけてくださいますもの。この国の近衛騎士としても、私達の兄様としても約束を違えることなどありませんわ』
聞こえてきた囮こと魔導師であるミヅキの言葉。
揺るがぬ信頼を誇ったかのような言葉は『兄様達』という括りにされていたのだった。
つまり『父親』は除外。
次点で『母親』も除外。
夫婦揃って近衛騎士なので、団長の妻であるジャネットがここにいたならば夫同様に崩れ落ちていたことだろう。
しかも夫妻はつい最近『団長夫妻の娘だから』という理由――実際は別の理由からのようだが、彼らは頑なにこちらだと主張中――でミヅキを囮にすることを憂えたばかり。
加えて本来ならば無関係のはずのミヅキに頼らざるを得ない状況だったことも事実。
彼らは己が不甲斐なさに落ち込み、同時に『娘に頼られる素敵な両親なんて無理!? 失望された!?』と延々と悩んでいたのである。
実際にはミヅキはそのように思っておらず、彼らへ向けた尊敬に何ら変わりはない。そんな懸念はささやかな休息の合間に晴らされたはずであった。
そこへ来て先ほどの台詞。魔導師は無自覚に鬼畜である。
「仕方ないでしょう、父上。そもそも設定上は俺の婚約者候補なんだから、言われても『小父様』じゃないですか」
「く……!」
息子であるディルクが呆れながらも現実を知らせる。
ちなみに『叔父』(血縁関係)ではなく、『小父』(親族以外の壮年の成人男性、つまり他人)である。
それ以前の問題であった。今回の設定を前提にするなら囮との関係は未だ婚姻どころか婚約前、『父様』でも『義父様』でもない。
騎士団長とてそれくらいは判っているが、自分だけハブられた気がしてならないのだ。せめて『この国の騎士達は』とか言っていればまだ納得できたのかもしれない。
「団長、お気持ちは判りますが……この場合は仕方がないかと」
副団長であるクラレンスが苦笑しながらも、慰めるように団長の肩を叩く。
……内心『団長相手にこの対応……やはり素晴らしい資質を持ってますね、あの子』などと思っているなど、欠片も匂わせない表情だ。
「メイベル嬢はディルク、それ以外にも花形である近衛騎士達に興味津々なんです。彼女を煽る意味でミヅキはあんなことを口にしたと思いますよ?」
「ん? どういう意味だ?」
囮は成功しただろう? と視線で問うてくる団長にクラレンスは益々苦笑を深めた。それはただ純粋に娘(予定は未定・絶賛希望中)を案じる父にしか見えない団長と、嬉々として攫われていった破天荒な魔導師双方に向けてのもの。
「音が聞こえたでしょう? 多分、ミヅキはメイベル嬢に引っ叩かれたか何かされたと思います。ミヅキはクリスティーナ嬢から情報収集をするメイベル嬢の態度に少々思うことがあったようですからね」
「ああ! やっぱり、あれは狙ってましたか」
クラレンスの予想に思い至ったらしいディルクがポン、と手を鳴らす。それにクラレンスは一つ頷くことで同意を示した。
「我々は騎士です。罪人を拘束することはあっても個人的な感情で暴力は振るえません。特に女性であればなおのこと。ですが、ミヅキは協力者……メイベル嬢の被害者でしかありません」
ちらり、とクラレンスは脳裏に魔導師ことミヅキを思い浮かべる。彼女のこれまでの行動を思い起こしても、絶対に泣き寝入りなどする性質ではない。
それに囮となっていると言っても彼女のことだ。暴力的な被害を回避するよう、言葉で誘導することが可能だったろう。
それなのにわざわざ『煽った』。
メイベル嬢の逆鱗に触れるような、思わず『手を出す』ことを言って。
「ミヅキは個人的に彼女にやり返したいのだと思います。どのみちメイベル嬢……いえ、犯人の協力者となった者達には『何故必要以上に重く裁かれるのか』という説明は必要でしょう」
今回は数ヶ国から被害者が出ているため、一度各国の代表にイルフェナに来てもらうことになっている。
勿論その際は共犯者となった家の代表、もっと言うなら『元凶である被害者と親しかった令嬢』に来てもらうことになっていた。
正確に言うなら『数ヶ国から被害者が出ているため、犯人が捕獲されたイルフェナに来てもらう』というのは建前だ。他国とイルフェナでは状況が少々異なるため、イルフェナでしか大々的な断罪ができないだけなのだから。
他国では『単なる誘拐事件』、イルフェナにとっては『国を貶める罠』。
その可能性があるという警告を兼ね、他国にも足元に注意するよう呼びかけるのが本当の目的である。
今回の共犯者達については表向き『他国の目がある分、通常より厳しい処罰になった』とされる。大々的に事情を暴露したことにより、黒幕連中を探し出して手を組む勢力が出ても困るからだ。
逆に裏があるような『噂』程度に留めておけば……訝しむ輩は理由を探ろうとするだろう。そこを押さえた方が事態は未然に防げる可能性が高い。
妙に知恵の回る今回の『黒幕』の存在をイルフェナは疑ってはいなかった。ならば最初からできる限りのことをしておこうという、上層部の判断なのだ。
余談だが……流される予定の噂の一つに『話を聞いて面白がった魔導師が次は参加させろと言っている』というものがあったりする。
『そんな噂を流したら黒幕に誘われても乗らないでしょう!』とはセリアン――カルロッサの宰相補佐の言葉である。
しかも彼の言葉に同意する人々が自国・他国ともに多数存在。恐怖伝説は着々と築き上げられていっている模様。
「共犯者となった者達はイルフェナにとってこの事件がどういう扱いなのかを知りません。……知らせるわけにはいきません。ですから余計に罪の自覚が薄く、共犯という認識すら危ういでしょう」
「誘拐そのものはしていないからな。拘わった使用人だけに罪を被せるということも十分考えられる」
「その使用人とて『脅されて犯人の指示に従った』と言いかねませんからね」
騎士団長の懸念にクラレンスは頷き、自分も補足した。騎士達の表情に嫌悪が滲む。
身分の高い者を狙っていないことからも逃げ道は十分存在する。その甘い考えこそ、彼女達を『誘拐犯に協力する』という愚行に走らせた。
彼女達にとってこの事件は『誘拐の手伝い』程度であり、現在どれほど重大なことになっているか判っていない。ほんの少し拘わった果てに邪魔者がいなくなっただけ、程度の認識ではないかというのが大半の者の意見だった。
その思い違いを自覚させる意味でも、一度一箇所に集めて現実を知らせるべきという判断が下されている。
どれほど仕出かしたことを後悔しようとも、その罪が許されることはないのだが。
「今回の功労者であるミヅキには『御褒美』が必要でしょう? きっとミヅキはその『御褒美』を実に効果的に使ってくれると思いますよ?」
「ほう?」
「だって、泣き寝入りする性格はしてないじゃないですか」
そこまで言えば想像がついたのだろう。騎士達は揃って苦笑した。
彼らの妹分はその見た目に反して意外と凶暴だ。それ以上に賢いので、最も効果的かつ自分側に不利にならない手段をとる傾向にある。
「あの子が手出しできるのは処罰確定前のみ……つまり、命の危機になるような真似はできません。加えて魔導師であることも隠していますから、魔法も使わないでしょう」
「副団長、それって……」
想像がついてしまったらしいディルクが思わず顔を引き攣らせるが、クラレンスは優しげな笑みを崩すことはない。
「報復はミヅキの個人的な暴力になりますね。ああ、十倍返しが礼儀でしたっけ? ですが、彼女は危険に晒されたのですから、その程度のことは黙認されるでしょう」
所詮は『女同士の喧嘩』ですから。国がどうこう言うなど、ありえないでしょう?
さらりと続いた言葉に、その『ミヅキが何をしても女同士の喧嘩ならば見逃す』という宣言に。
ディルクは呆れながらも「まあ、仕方ないよな」と肩を竦めたのだった。
「……つまり、親は親同士で遣り合えと」
「父上、まだ親じゃないです」
「では未来の保護者代表として私が……」
「副団長、それは共犯者の家の処罰の方に発揮してくださいね」
※※※※※※※※※
――誘拐後、馬車内部にて
ゴトゴトという音と振動を伝えながら馬車は進む。といっても、これほど早く行動に出れるのだ……潜伏場所はかなり近い場所なのだろう。
心の中ではドナドナを熱唱しつつ、頭の中では冷静に考えておりますよ。時間を無駄にしてはいかん。
つーか、暇なんです。動けない・閉鎖空間・暗闇だから。
今後をシミュレートしておくのは当然なのだが、どちらかといえば『普通にしてれば怪しまれない』という一言に尽きる。
武器を扱うならば腕の太さとか身のこなしでバレる可能性もあるが、私にはどちらもない。気配を消すなんて芸当も当然無理。
仕込まれてませんからねー、そういったことは。私の教育は戦い前提じゃないの、『何かあっても生き延びろ』っていうものだから。
騎士や間者みたいな訓練など皆無なのだ、これでできたら逆に凄い。
魔王様達にも『どういった方面から考えても君が適任なんだよね……』と何ともいえない表情で言われたしな。相手を警戒させないという点においても囮として優秀です。
そこで『ただ素人なだけだろう』とか言ってはいけない。
闘って守れる素人、それが私なのだから!
逆に言えば『何を仕出かすか判らない』ということでもあるので、魔王様達は複雑そうだった。絶対に私を心配してるだけじゃないな、あれは。
そんなことを考えていると、唐突に馬車が止まる。どうやら目的の場所に着いたらしい。
「……大人しくしていろ」
外から空気穴を通じ、低い声で警告される。
……ふうん? つまり、『ここで騒ぎを起こされると拙い』ってことか。
もしくは『潜伏先の周囲、及び周辺には住人がいる』という感じかな。
倉庫とかに押し込められるのかと思ったら、どうやら違うらしい。まあ……そんな怪しげな場所など騎士達が立ち入り調査しているか。
だが、それで見つからなかった。いや、『見つけられない理由』があった。
そんな謎もどうやら解けそうだ。期待についつい笑みが浮かんでしまう。
……はっ! いかん、ここは誘拐された令嬢を演じねば!
あれだ、表情を固くしつつも凛とする令嬢とかそんなの。
誘拐された令嬢達と合流するまでは猫をしっかり被らなければ。初っ端から警戒されて一人隔離……なんてことになれば難易度が上がってしまう。
それに、とちらりと『黒幕』の存在が思い浮かんだ。
今回の黒幕は少々知恵が回る。令嬢達が何らかの方法で大人しくさせられているという可能性も考慮すべきだろう。
助けが来るまでは実質私が彼女達の唯一の護衛なのだ、自分が動きを封じられるような事態は遠慮したい。
これが酒を飲ませてるとかだったら楽なんだけどな。酒なら魔道具なくても潰れないんだよねぇ、私。
『酒は美味しく楽しく飲むものだ!』を合言葉に、伴侶に同類を選びまくってきた遺伝子の賜物である。
アルベルダで『弱い奴が呑んだら死ぬ』といわれる酒を呑んでも平然としていたので、この世界の酒で潰れることはないだろう。
色々と考えを廻らせているうちに、どうやら目的の場所に着いたらしい。下に置かれる感触と箱を開ける音、そして上の段が取り除かれ――
「おい、出ろ」
いきなり明るくなった視界にすぐには慣れず、男の声を聞きながら瞬きをする。光に慣れた目に映ったのは……どこかの天井? 倉庫とかではなく、普通の家のようだけど。
内心訝しく思いながらも箱を出て、すぐ近くにいたクリスティーナに寄添う。クリスティーナはやはり閉鎖された暗闇が怖かったのか表情は硬いが、それでも少しほっとしているようだった。
彼女を落ち着かせる振りをして周囲に視線を向ける。民家……いや、広さから見て割と裕福な家、かな?
ただ、貴族の館ほど豪華ではない。普通の広い家という感じだ。
そのうち階段を歩かされ三階へ。ある部屋の前に来ると、魔石がついたブレスレットを渡された。
「これを身に着けて部屋に入れ。早くしろ」
私達に拒否権などない。クリスティーナと顔を見合わせ、軽く頷き合ってブレスレットを身に着けた。
「……っ」
「クリスティーナ……っ」
……。何だ、これ。
身に着けた途端、体の力が抜けるような感じがして一気にだるくなる。クリスティーナは貧血を起こしたかのように、一瞬体が傾いだ。
咄嗟に彼女を支え、私もふらついた振りをする。どうやら、これが誘拐された令嬢達を大人しくさせているものらしい。
「ほう、少しは耐性があるようだな」
クリスティーナほどダメージを受けていないように見えたのか、男が私に視線を向けた。思わず唇を噛み締め気丈に振る舞っている様を装う。
ここで獲物を狙う狩人の目になってはいけない!
頑張れ、私! 女は女優だ、ここは気丈なお嬢様を装うところだ。
何を言われても今は耐えろ、お楽しみはこの後だ……!
「……二人とも、倒れるわけには……参りませんもの」
「なるほど、年長者としての意地か。まあ、そうは言ってもそのうち気力だけではどうにもならなくなるさ」
上手く誤魔化されてくれたのか、男は小さく笑って私達を部屋に押し込むと鍵をかける。その部屋の中にはクリスティーナ以上にぐったりとした様子の令嬢達が床に座り込んでいた。
ただ、見た感じ命に別状はない感じ。ワンピースには着替えているが酷くやつれてはいないし、清潔に保たれているように見える。
クリスティーナはその令嬢達の中にアーシェ嬢を見つけたのだろう。近寄りたいが体が思うように動かないらしく、視線だけをそちらに向けていた。
足音が聞こえなくなるまで待ってから、私はほっと息を吐く。どうやら第一段階は成功したようだ。
「セレネ様、もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」
ある程度眩暈が治まったのか、クリスティーナが凭れさせていた体を起こしながら謝罪する。それに笑って首を振り、支えたままクリスティーナを令嬢達の下へ連れて行った。
「アーシェ様!」
「……クリスティーナ、様? どうして……」
一人の令嬢の側に着くなり、喜びの声を上げるクリスティーナ。だが、アーシェ嬢の反応は鈍い。
おそらくは先ほどのブレスレットのせいだろう。身体強化なんて魔法があるのだ、その逆……衰弱させるものがあったとしても不思議はない。
私に対して効果が薄いのは、身に着けている魔道具が自分で作り出した物だからだろう。
私の治癒魔法はこの世界の治癒魔法と違って自己治癒能力を爆発的に高めるもの。ブレスレットの魔法と鬩ぎ合って効果を弱めているから、彼女達ほど酷い状態にはならない。
だが、それならば余計にこれを何とかしなければなるまい。魔力と体力が尽きてしまう。
視線を向けた先の令嬢達もアーシェ嬢と似たり寄ったり。中には目を閉じて眠っているように見える人もいる。
魔道具によるだるさ、置かれた状況への不安と恐怖、絶望……そんなものが彼女達の気力を奪っているように見えた。
んじゃ、行動を起こしますか。
「すみません、ヒールの細い靴を履いている方はいません? できるだけ細い方がいいんですが」
私の唐突な質問に困惑した空気が流れる。だが、それでも私が自分達とは違うと判ったのだろう。一人の令嬢が「私のもので宜しければ」と言って片方を渡してくれた。
他の令嬢達も困惑気味に靴を手にした私を見ている。クリスティーナも不思議そうだ。
私はブレスレットと手首の間にドレスを押し込む。よし、これで衝撃はかなり吸収されるだろう。
「ミヅキ様……?」
ぼんやりしてきたのか、いつもの呼び方に戻ってしまっているクリスティーナに微笑を向け。
「こうするんだ、よっ!」
勢いよく魔石に向かって靴のヒールを振り下ろす。ピシッ! という小さな音と共に魔石は砕け散り、後にはブレスレットの残骸が。
……その途端、だるさは急速に薄れていった。魔力のない魔道具なんざ、ただのガラクタだ!
「これから皆さんの魔石を砕きます。できる限り衝撃を吸収させますが、少しの痛みは我慢してください」
「あれを身に着けていながら即座に無効にする方法を思いつくなんて……貴女は……」
だるさも消えますし、助けも来ますよ。
そう言って笑った私に軽く目を見開いていたアーシェ嬢が驚愕を滲ませながら――それでもゆったりとした口調なのだが――声をかける。
あ、そっか。この魔道具の効果をリアルに体験中だからこそ、思考が鈍らないことが不思議なのか。
「イルフェナ国第二王子エルシュオン殿下の配下だからですよ。魔王殿下、といった方が判りやすいでしょうか? 殿下の命で助けに来ました」
その言葉に皆は軽く驚くも、同時に納得した表情になった。
私については細かい説明ができないし、ここは魔王様の名を使わせてもらうとしよう。
……他国に恩を売る意味でも魔王様の名前を出すことは有効だし?
こんな状況を利用するな? 腹黒い?
気のせい、気のせい。猫が飼い主にお土産を持って帰るのはよくあることです。
魔王様がどんなイメージを持たれているかは知らないが、皆は本当にそれで納得したらしい。王子様というより魔王殿下という方が有名な気がするけどな。
この状況において魔王殿下が味方ならば助かるのは確実とでも思えるのか、明らかに変わった空気に内心苦笑する。
まあ、犯人達は『あの』魔王殿下に敵認定されたってことだしね。
「そう、殿下が動いてくださったの……」
アーシェ嬢も安堵したような笑みを浮かべ、ほっと息を吐いている。この様子なら皆は私の指示に従ってくれそうだ。
――使える物は何でもつかわなくちゃ。そうでしょ? 親猫様。
だからって、私が皆のイメージどおりに動くとは限らないけどな!
さあ、皆の魔石を砕いたら反撃開始といきましょうかぁっ!
主人公が頑張る方向は相変わらず斜め上。
※12月に魔導師七巻が発売予定となっております。(書き下ろしです)