小話集19
小話其の一『ある使用人の話』(ディーボルト家執事視点)
ちらり、と目の前のご令嬢に視線を向け、ひっそりと溜息を吐きました。
次々とお嬢様――クリスティーナ様――に質問を投げかけていらっしゃるのは、お嬢様のお知り合いという立場のメイベル様。
お友達ではございません。間違っても、お嬢様のお友達などとは思えませんので。
先ほど魔導師様方が退席なさってから、お嬢様から少しでも情報を引き出そうと必死になるお姿……容易く罠にかかる姿についつい笑いが込み上げてしまいます。困ったものですね。
ですが、それも仕方がないのです。
正直申しまして、呆れております。
ディルク様があれほど無関心でいらした意味さえ、理解しようとはなさらないのですから。
私には視線と形式的とはいえ、お言葉を。お嬢様とは会話をなさっておいででした。
……で?
ディルク様は、メイベル様にはどのような態度でいらっしゃいましたか?
私の目には壮絶に存在を無視しながらも、情報をわざわざ聞かせているようにしか見えなかったのですが?
魔導師様ならばこう仰ったことでしょう……『少しは疑え』と。
あれほど存在を無視していながら情報を与えるなど……おかしいとは思わなかったのでしょうか。
歳若いお嬢様の考えなど、私などに判るはずもございません。ええ、判るはずはないのです。
少なくとも当家には人の婚約者を狙うような、恥知らずはいらっしゃいませんから。
そういった点も含めて少々理解し難い方なのです、メイベル様は。
本日とてお嬢様は病み上がり。それを判っていらっしゃるはずですのに、一向に気遣う様子が見受けられません。
本日はお嬢様がお招きした側であり、おもてなしをするのが礼儀でしょう。ですが、客だからと困らせてよいものではございません。
「クリスティーナ様! セレネ様が騎士団長様のご家族と親しいというのは本当なのですか?」
「え……ええ。以前、庭の散策をご一緒されてらしたことがありますわ。午後から我が家でご一緒することになってらしたセレネ様をお迎えに行った時にお見かけしました」
「まあ……随分と親しげですのね? それにディルク様はクリスティーナ様のことをご存知だったみたい」
「私も驚いてしまって。確かにあちらに滞在しているとは伺っていましたが……騎士団長様もあのようなお顔をなさるのですね。ディルク様はその時にいらっしゃいませんでしたが、セレネ様が私のことを話されたのではないでしょうか」
だから先ほどもディルク様がお迎えにいらっしゃったのだと思います……そう付け加えるお嬢様の言葉に、メイベル様の表情が僅かに強張りました。
『婚約者の友人をディルク様自ら見極めに来た』……そう受け取れますからね。騎士団長の御子息ですから、家族となる者には細心の注意をと考えてもおかしくはないでしょう。大切な存在ならばなおのこと。
それにメイベル様はお嬢様とディルク様の接点をご存知ありません。それも気になるところではあったのでしょう。
貴族同士の婚約は本人達よりも家同士の繋がりといったものなのです。ですから、ディルク様とセレネ様の婚約話も親同士が望んでいるもの……という希望を捨てきれなかったのでしょう。
親しいことと想い合う者同士であることは別物です。想い合っていなければ、より有力な結婚相手としてメイベル様がディルク様に近づくことは可能でございます。
勿論メイベル様やそのご実家に価値があることが前提なのですが、セレネ様のご実家……の設定は男爵位を持つ商人。十分、奪えると思っても無理はないのかもしれません。
何よりメイベル様はご自分にとても有利な情報をお持ちです。
そう、たとえば……『最近起きている誘拐事件の手掛り』とか。
ご自分が大切な方なのです。取引に応じた振りをする、小耳に挟んだ情報がある……ディルク様、いえ騎士団にとっては無視できないものでしょう。
関与を疑われたとて、『犯人を誘き出すためにしたこと』だと言ってしまえばいい。アーシェ様のことも『あの一件で気づいたのだ』と言ってしまえば強く批難はできません。
何より犯人が捕らえられてしまえば……それは紛れもなくメイベル様の功績となりますから。
この国には結果を出すためならば自身の身内さえ手に掛ける者達がいるのです。それゆえに責めることはできない。また、メイベル様のご実家も罪から逃げるために口裏を合わせることでしょう。
ああ、アーシェ様とセレネ様の始末を依頼するという可能性もありますね。今のメイベル様を見る限りやりかねないと、つい思ってしまいます。
貴族として過ごした時間が特権階級ゆえのくだらない思い上がりをもたらしたのか……残念なことでございます。
ですが、メイベル様。上には上がいるのですよ?
魔導師様の罠はただ憧れの方の婚約者として嫉妬させるだけではないのです。
近衛騎士であるディルク様、そしてお父上である騎士団長様にメイベル様がまるで協力者のように振る舞い近づくこと。その二つが狙いだと申されておりました。
『私が誘拐された後はディルクさん達に【協力できることがあるやも知れません】とか言って近付くんじゃないかな? 今は誘拐事件の情報って何より欲しいものだし、邪険にはできないでしょう』
『私とアーシェ嬢が始末されてれば【有力な情報の提供者】、二人とも生きているなら【使用人に疑いを持ったけど確信がなかった。セレネ様のことで確認できたから情報を提供した】ってとこかな』
『【アーシェ様の誘拐で我が家の使用人に対して疑問を持ち、セレネ様のことで確信いたしました】こんな風に言われたらどうする? 使用人を使うのが当然の環境だもの、身代わりを立てれば監督不行届を咎められる程度で済む』
『私とアーシェ嬢が利用されたという疑惑も湧くけど、この状況じゃ責められない。アーシェ嬢の家だって謝罪されれば黙るしかない。大して身分のない令嬢を犠牲にして国が貶められるのを防いだってことにするでしょうね、捜査に行き詰まっていたからこそメイベル嬢に批難を向けられない』
『誘拐犯達に【依頼したのはその女だ】って言われたところで、そこから犯人確保に繋がったなら【使用人のしていることを知り、依頼する振りをして誘拐犯を探った】って言い出すね。【罪に問われると知っていて自分が依頼したとばらしますか?】って言われたら、納得できちゃうもの。自分に不利になるような展開にするはずないってね!』
『ま、私としては【邪魔な女は始末する】っていう方向を期待するわ。私に対する殺意も含めて、彼女を誘拐犯の共犯にできるもの。こっちが一番確実で簡単だから、ディルクさんにもその方向に持っていくよう協力してもらうつもり』
メイベル様にはどう転んでも都合のいい展開に持っていける。それこそメイベル様の想い人がディルク様と知った時に、魔導師様が思い描いた『罠』なのです。
自分達が誘拐された後、逃げ道を兼ねてメイベル様が暴露をなさる可能性がある……と。自分達の足取りを追えずとも、別の方面からの解決が可能だと言っておられました。
思わずあの魔導師様を思い出し、ひっそり笑みが浮かんでしまいます。ご自分を餌とすることさえ躊躇せず、それ以上を狙うとは……つくづく『彼らの仲間となれる存在』だと、改めて思ってしまって。
魔王殿下の黒猫は獲物をその目に捕らえたのです。後は狩りが始まるのみ。
メイベル様。貴女様は気づくべきだったのです、魔導師様は『敵』に容赦はしないと。
魔導師様の主は……我が国の第二王子エルシュオン殿下なのですよ? 殿下が愛国者であることは有名ではありませんか。
何故……殿下の憂いを魔導師様が放置するなどと思えるのか。
国を貶めることに手を貸した以上、多くの者が敵になると考えなかったのか。
この国が『実力者の国』と呼ばれ、功績によって爵位を得ることが可能でありながら……上層部に愚か者が存在しないのは何故なのか。
そうそう。私、末席ながら一時期翼の名をいただいておりました。
今の生活には満足しておりますが、かつての生活もまた誇らしい時間だったのですよ。
勿論、今は平穏な生活を歩んでおります。ふふ……ディーボルト家の皆様、特にクリスティーナお嬢様は可愛くて仕方がありません。皆様、お仕えするに値する方々と思っております。
そのような私ですが、当時の同志……いえ、友人達とも未だ付き合いがございます。貴女様の言動はきっちりお伝えしておきますので、お覚悟なさいませ? メイベル様。
まあ、そのようなことをしなくとも……クリスティーナ様やアベル様、カイン様と親しい魔導師様は貴女様の本日の態度にお怒りだとは思いますが。
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小話其の二『裏方も頑張ってます』
団長さん達は落ち込みもそれほど酷くはなかったらしく、『一緒に御飯食べましょーよー』と声をかけたら出てきてくれた。
その直後に凄い勢いで謝られたけど。
団長夫妻が頭を下げる事態に物凄く居た堪れない気持ちになったけど。
はっきりきっぱり『私が魔王様の配下と名乗ったことが原因です!』と否定させていただきました。
ええ、絶対に原因はこちらだと思います。大蜘蛛ボコったし、言い訳は無理だわな。
少なくとも騎士団長の子供だからって、親並みに強いと確信はしないと思うんだ。
つまり、実績が物を言いました。
個人を特定するために『騎士団長の娘』って言ったみたいだけどさ、名前が判らなかっただけじゃないかね? 大蜘蛛に関しては倒したのってジークなんだし。
イルフェナの魔術師といっても居過ぎて判らんと思うのです。護衛をやっていたことからも、アル犬騒動の魔術師みたいな隠れキャラの可能性もあるわけで。
で、報告書読んで確実に個人を特定できる要素が『騎士団長の養女』。実子は息子二人だから確実です、言い逃れもできません!
そう、だから貴方達のせいではありません。ありませんので……
「あの……お詫びとか要らないです。マジで原因は私ですから」
「む……しかしだな……」
「寧ろ悩ませたみたいで、すみません」
団長夫妻の申し出は辞退させていただきます。ただでさえ『養女設定が原因か!?』と悩ませたのに、お詫びの品を……とか罪悪感が半端無いです。
これが庶民感覚なら『じゃあ、御飯奢って欲しいな♪』程度で済むだろうが、相手はお貴族様。
迂闊なことを言えませんよ、何が贈られるか判ったものじゃありません……!
アルもアル犬騒動の時のお礼――犬のお世話ご苦労、な意味で――とか言って来たけど、騎士sと揃って辞退したもの。絶っ対に『お礼』って庶民と感覚違う。
犬なら「もふらせろ」と言ったんだけどな。騎士sもアル犬の手触りはお気に入りだったし、あれは無料だ。
「もういいじゃありませんか。謝罪し合ってばかりでは折角の食事も美味しくありませんよ?」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこには苦笑したクラレンスさんが。手にはしっかり料理の乗った皿があるので、どうやら食べてから城へ戻るらしい。
そういえば、ここにいる近衛騎士って仕事はどうしたんだろうか? 団長夫妻はこれまで休みなしだったこともあり休暇――という建前で囮作戦に協力――となっているとは聞いたけど。
「クラレンスさん、ここに居る近衛騎士の皆さんって制服着てますけど……」
それだけで私の言いたいことが判ったらしい。一つ頷くと、部屋の一角に設けられたテーブルの方を指差した。
「あそこに居る者達は各所からの報告を常に受けています。騎士では目立ちますから、潜んでいる者は目立たないようにしているはずです」
「ああ、動きがあったら団長さんに即報告、そこから城のクラレンスさんに……って感じですか」
半ば確信を持ってそう聞けば、クラレンスさんと団長さんが頷いた。
「メイベル嬢の実家やディーボルト子爵家を監視している者達、それからシャルリーヌのように政に拘わる女性の警護をしている女性騎士達から、ですね」
「あれ、シャル姉様達も?」
今のところ、誘拐されたのは下級貴族令嬢だけではなかったか?
思わず驚きの声を上げると、クラレンスさん達は表情を曇らせる。
「我々も『一連の誘拐事件はイルフェナを貶めるため』という可能性が高いと思っている。ならばこれまでの誘拐は我々を油断させるため……という可能性もあるだろう」
「身分が高い女性は無事、と思わせるためかもしれません。我が国には政に拘わる女性も数は少なくとも居ますし、誘拐されれば痛手となります。ですから、女性騎士達を護衛として付けているのですよ」
ジャネットさん達が忙しい理由はそれか。
確かに政に関しては優秀でも、戦闘能力まであるとは限らない。私が知っている限り、撃退が可能なのはクラウスの母であるコレットさんだけだ。
……いや、コレットさんとシャル姉様に関しては別の意味で危険を遠ざけるべきか。旦那様達が怒り狂うもの、誘拐した段階で犯人に明日はない気がする。
「メイベル嬢は何らかの手段で連絡を取る可能性がありますよね。クリスティーナ嬢からの連絡も重要ですが、やはり彼女の家に接触した人物の特定は必須です」
「我が屋敷に来ているのは私の部下達だが、ミヅキが『ディルクの婚約者と内々に決まっている』と思わせるためでもある。事実ならば私の弱みとなるからな……個人的なことならば近衛騎士は動かん。『国の要人、もしくは期間限定で準ずる立場である』と判断するだろう」
裏事情が語られるのは私が関係者となっているからか。クリスティーナにはそこまで話さないだろうから、何か聞かれたら誤魔化せという意味もあるかもしれない。
なるほど。庭とか屋敷に出入りしてると思わせ……いや、警備か。とにかく、近衛騎士が姿を見せること=婚約者と確定、みたいな感じなのね。
メイベル嬢が一度誘拐に拘わっていると仮定するなら、向こうだって当然警戒する。さり気なくこちらを探ろうとするのは当然だ。
その過程で団長さんの屋敷に近衛騎士達の姿を見たならば、どう思う?
婚約者の娘からすれば『彼らは小父様の部下達、もしくは顔見知りの騎士なので挨拶に来てくれたという認識』。
対して犯人達から見れば異常事態であり、要人に該当する人物が居るという考えになる。
それを踏まえてメイベル嬢からの提案に乗る、と。確かに向こうの頭脳労働者ならば、それくらいの頭はあるに違いない。
私が最初からこういったことを聞かされていないのは、今回は役割が違うからだと推測。近衛騎士とて本来はこういったことに出て来ないだろうが、囮作戦成功のために借り出されたということか。
すいませんねー、今回お手伝いできなくて。いつも裏方専門な私ですが、今回は珍しく主役(=囮)です。
……犯人に対する餌? いえいえ、主役です。目指せ、本日のヒーロー!
か弱い振りして攫われてみせますわ!
その後は最重要項目達成という華々しい任務が待っているもの!
ちなみに。
最重要項目とは誘拐された令嬢達の安全確保であ〜る。犯人ボコることに非ず。
うっかり犯人に盾にされたりしたら厄介だし、万が一死ねばイルフェナの責任問題になっちゃうもの。
助けが来るまでお嬢様達をお守りするのが我が任務。超重要です。
そういった意味もあって私が最適なんだよね、この役。個人で武器無しなんて自殺行為だ。
「上手く引っ掛かってくれるといいんですが」
「大丈夫だと思いますよ。メイベル嬢の家は足掻いている真っ最中ですから」
首を傾げた私に、何故か意味深な笑みのクラレンスさんが答える。
……うん? 『足掻いている真っ最中』ってどういうことだ? あれか、三代目で爵位返上のカウントダウンでもされてんのかい。
そんな疑問が顔に出たのか、クラレンスさんと団長さんは顔を見合わせ……こちらを見て納得したように頷いた。
「そういえばミヅキは異世界人だったな。ミヅキ、功績で爵位を得た者がそれ以降も功績を求められるのは知っているな? 爵位を得た本人が死ぬまでは保証される時間ではあるのだが、実は三代というのはもう一つ『貴族らしく過ごせるかを見極める期間』でもある」
「へ? 功績を得た後が本番、みたいに聞こえますけど?」
思わぬ追加要素に間抜けな声を上げれば、団長さんは大きく頷いた。
「そのとおり。貴族とは国に仕え、時に国の駒となる者だ。相応しくない家は足掻こうとも押さえ込まれ、何もできずに三代を終える。残った者は必然的に国に認められた家となるのだ」
「足掻く方法と言っても様々ですからね。婚姻によって後ろ盾を得るような家ならば外交方面に強く、また上に取り入る能力もあると見なされます。逆に上層部であっても、簡単に利用されるような家ならば評価を著しく落とすんですよ」
「『優秀である』と言っても、一つの意味だけではない。這い上がってくるような実力のある者ならば受け入れる。この国はそういう気質なのだ」
どこか誇らしげに語る団長さん達。つまり、それだけ厳しいということなのだろう。
それならばディーボルト子爵が奥方を娶れた理由も納得できる。恋愛結婚とのことだが実際は周囲のイビリに耐え、見事奥方の家に認められた……とかじゃないか?
「じゃあ、グランキン子爵みたいなのがギリギリまで野放しにされるのって……」
「三代後には没落確定だったからです。それに彼は別の意味では素晴らしい人物でしたよ?」
そう言ってクラレンスさんは笑みを深め。
「彼に味方した者は軒並み処罰されています。グランキン子爵のような人物の誘いに容易く乗る家は、他国が相手でも同じことをするでしょう。ほら、一度に片付いたじゃないですか」
笑みも穏やか、声は優しげ、なのに言葉に込められた意味は極悪。
餌……要らない連中を集わせる餌でしたか、グランキン子爵。それで最後に『纏めてポイッ!』なわけですね!
団長さんも何も言わず、それが当然とばかりに頷いている。別にクラレンスさんが地を出した……というわけではない模様。その事実に内心冷や汗が垂れた。
わあ……そりゃ強くなるよね、この国。マジで実力が全てですな。
万が一、王家と対立路線になっても、それが可能な人物ならば対外的には頼もしい存在かもしれない。善玉方向な人々の良い刺激兼好敵手とかにもなってくれるだろう。
乗っ取られでもした場合は王家が力不足だっただけ。王家も常に試されている…ということじゃないのか。
「ですからね、殿下やこの国に馴染んだことをミヅキは誇っていいんですよ」
クラレンスさんの『同類ですよね』な言葉と妙に迫力のある微笑みに。
私は頷くことしかできなかった。
※アリアンローズ公式サイト様にて魔導師7巻の発売予定が告知されました。