金色の犬 その後
『金色の犬、その後』(エルシュオン視点)
騎士寮を騒がせたアル犬騒動(ミヅキ命名)も無事に解決し、私はアルジェントからの報告を受けていた。
一応、本人の意識がある間と……実家に報告したことについてだ。
予想通りシャルリーヌは怒りの籠もった笑顔だったらしい。これはアルが悪いので自業自得だろう。
ミヅキとの態度に差があり過ぎるんだよ、アル。心配する姉を前にあの態度はないだろう。
シャルリーヌとしては弟の性格を知っていようとも、面白くはないわけだ。
決して仲が悪い姉弟ではないのだが、どうにも其々の立場があるため割り切った部分がある。それが犬になって全面に出ただけだと思っていたのだが、シャルリーヌはお気に召さなかったらしい。
まあ、それだけ弟を案じていたということなのだが。
「貴方にもご心配おかけしました」
報告を終えたアルはやや苦笑気味にそう締め括る。
……そこで『ご迷惑をおかけしました』と言わないあたりが私達の親しさを現しているのだろう。純粋に案じていたのだと、口にせずとも知っているという意思表示だ。
「私達は犯人探しをしていただけだよ。君の世話はミヅキと双子が担当してくれたから」
そう、自分達は犬に変えられたアルに対して何かをしたわけではない。犯人探しも仕事というか、当然のことなのだ。
迷惑をかけた、というならば間違いなくあの三人である。……犬のお世話係的な意味で。
アルもそれを判っているのか、頷きつつも苦笑している。
「ええ、何か望む物があれば……とも思ったのですが。『要らない』と言われてしまいまして」
「ああ、そうだろう……」
「『ふかふかだったら愛でさせろと思うけど、人型だとお嬢様方の視線が怖い』と続きましたが」
「……」
「……記憶にありませんが、随分と幸せな環境だったんですねぇ」
つまり。
アル犬(の毛並)>(超えられない壁)>アルジェント。
ミヅキ……それ結構酷くないかい? 明らかに犬の方が好意的に思ってないかな、それは。
アルが遠い目になっているのは気のせいではないだろう。家柄、美貌、地位……それら全てが大型犬の毛並に負けるとは思うまい。
まあ、今回盛大に敗北を感じているのは黒騎士達なのだけど。
真面目に考えていた……というか当然の発想が悉く覆されたのだ。禁呪を使える魔術師がいたことも例外的だが、その禁呪があれほど馬鹿なことに使われるなど誰が予想しただろう?
禁呪というだけあって罰則があるのだ、それより報酬や好奇心が勝ったということだったが……やはり天才と呼ばれる者達は研究熱心なあまり他を疎かにしがちなのだろう。それが証明された一件である。
最終的にブロンデル公爵家預かりが決定した時、かの魔術師は大感激して国に忠誠を誓っていた。曰く、『魔術を嗜む者にとっては名を知らぬ者がない名家です!』だそうだ。
最も尊敬するのは現ブロンデル当主の祖父……歌うように詠唱しながら戦場を駆け回り、攻めて来たキヴェラを恐怖のどん底に叩き込んだ人物だとか。
たしか『魔導師に最も近い魔術師』と言われていた、攻撃魔法を得意とする人物だった気がする。勿論クラウスも彼を尊敬しているが、クラウスは作り出すことに特化しているため盲目的な崇拝はしていない。
なお、この人物は当主の座を息子に譲ってまで戦場に出てきた猛者である。その目的が『人間相手の攻撃魔法の実戦練習』であったことは秘密だ。
嬉々として戦場に向かう魔術師が『好戦的』『愛国心』なんて言葉で片付くはずはないのだ。やはり彼も魔術特化ブロンデルの人間というか、残念な性格をしていたのだろう。
偶然とはいえ、そんな憧れの家に属することになった魔術師は更なる努力をする気満々らしい。イルフェナとしても有能な人材が手に入ったので、悪いことではなかったということか。
「ですが、今こうして笑っていられるのはミヅキのおかげと思っているのですよ」
「ん?」
意味が判らず首を傾げれば、苦笑しつつアルは話を続ける。
「犬になっている間の話を聞く限り、実にほのぼのとした……大変楽しい愛犬生活だったらしいじゃないですか? そうなったのはミヅキや双子がいたからだと思うのですよ。我々だけではさぞ殺伐としたものになったのでは、と」
「それは……そうだろうね」
そもそも初っ端から『アル犬』と命名し、お手をさせていた。アル犬も楽しそうだったので、あれで悲壮感が薄れたと言ってもいい。
その後もアル犬が双子を配下の如く使ったり、ミヅキと『少々変わった、大変微笑ましい愛犬生活(意訳)』を送っていたので、周囲は精神的な余裕があり呆れの目で見守っていたのだ。
普通はそんなことにはならないだろう。白騎士達の隊長が禁呪を受けたのだから。
あれに悲壮感を抱けという方が無理である。
何不自由なく愛でられ、自分好みの生活を満喫する犬相手に抱くのは呆れだ。
「それに貴方達が危惧していた私の本性。あれは間違いなく発揮され、万が一あの令嬢が触れようものなら喉を食い破っていたかもしれません」
「……」
アルはさらりと言っているが、結構な大事である。そうなった場合、当然内々に収めるということはできない。
そして本人も言っているように、その『人嫌いゆえの凶暴性』は事実なのだ。発露しなかったのは偏にミヅキや双子といった『例外』が傍に居たから。
勿論、騎士寮に暮らす者達に牙を剥くことはしないだろう。だが、常に面倒を見れるわけがないので抜け出されでもしたら……どうなるか判らない。
人としての意識が消えれば完全に犬だ。監視のない大型犬が室内でじっとしているとは正直思えなかった。
ミヅキ達に頼んだのは手が空いている者が他に居なかったから。彼らは我々の仕事にも拘われないので、最適な預かり手だったのだ。
そして私はアルがそうなった原因に心当たりがある。いや、私がその一因とも言えるだろう。
「君は私の傍にいなければ、もう少しまともだったかもね」
「エル?」
訝しげな表情になるアルを前に苦く笑う。
「私に向けられる悪意の壁となったり、情報を集めるために社交的に装ったり。君の人嫌いは間違いなく私が悪化させたという自覚はあるんだよ」
アルは元々人が余り好きではない。それは公爵子息という立場や彼の容姿に向けられた感情を幼い頃から感じ取ってきたせいだろう。
だが、昔はここまでではなかったのだ。
私に……魔力が高過ぎる王子に向けられた心ない中傷や悪意、そして恐怖。アルはそれに最も接してきたと言ってもいい。何よりアルは私が囁かれる言葉どおりの人間ではないと知っていた。
聡い彼は表立ってその醜悪さを指摘するような真似はしなかった。やんわりと、それでも上手く否定してきただけである。
だが、アルの中では『よく知りもしないのに噂を鵜呑みにする者、思い込みで心ない言葉を吐く者を嫌悪する感情』が大きくなっていったのだろう。
私の周囲にいたからこそ、そういった者達を見続け。それが彼をここまで人嫌いにさせた。
その結果、アルは『悪意無く無自覚に人を傷つける者』さえ嫌悪するのだ、つまり『味方と認識した以外の者全て』が該当する。
ミヅキに最初から比較的好意的だったのは、あの娘が本当に裏表がないからだろう。良くも悪くも大変自分の感情に素直な上、好意的になる条件が普通とは異なっている。
見た目や地位じゃないのだ、あの娘の信頼に必要なのは。利用されようとも最初から条件を提示さえすれば納得し、協力してくれるのだから。
本人曰く『在り方がブレないなら信頼できる。ころころ言う事が変わる奴は信用ならん! 私は自分が可愛い! でも居候してるのでその分は働きます』だそうだ。
これを聞いた時に思った……『この娘、多分どこに行っても生きていけるな』と。
ゴードンからも『馴染むのが早かった』と聞いているので、そう思うのは私だけではないのだろう。
というか、逞しい。グレン殿からも『不屈の根性を持っている』と聞いたが、異世界人全てがミヅキと同じ精神構造をしているということはないに違いない。
大らか過ぎるというか、割り切り過ぎるだろう、どう考えても。あれが普通な世界とか怖過ぎる。
私の威圧とて原因が判らなければ怯えはしたが、事情を伝えれば『ああ、そうなんだ』で済ませて以後怯えることはないのだし。
……もう少し色々と気にした方がいいと思うのは余談だ。その無謀さが『わんぱく盛りの子猫』と称されるのなら、子猫扱いもあながち間違いではない。
まあ、ともかく。
アルに味方だと認識されるには、あらゆる建前や偽りを見せては駄目なのだ。
たとえ悪意だろうと隠さず向き合うならば少しは好意的に見る。ただ、一般的にそう生きる者は非常に少なく、貴族社会でそれを求めるのは酷というものだろう。
皆が憧れる『物腰柔らかく穏やかな理想の騎士』は仕事用の顔として作られ、それに惑わされた者はアルに信頼されることはない。……その事実に気づくことさえなく。
「おや、まだ気にしていたのですか?」
暗くなりがちな思考を中断させたのは、アルの呆れを多分に含んだ声。顔を上げると、呆れた顔をしたアルが目に入る。
「私は元からこうでした。というより、公爵家の人間であることと顔は変わらないのですから悪化するのは時間の問題だったでしょう」
「それは……そう、なんだろうけど」
否定はできない。その可能性とて十分にあった。
だが、続いたのは予想もしなかった言葉。
「ですから。私はエルに感謝しているのですよ? このように生きる『理由』が主のため、幼馴染のため、そして友のためであるならば私だけではなく『誰もが納得』するでしょうからね」
「どういうことだい?」
私やアル自身だけではなく、『誰もが納得する』という言葉に首を傾げる。するとアルは苦笑しながらも、どこか困ったように続けた。
「姉上とて私の性格、いえ本性を知っているのです。私は家族が慈しんでくれていることを知っている……きっと家族の憂いとなったと思うのですよ。私自身がそう思わずとも、憐れまれた気がするのです」
「心配するのは当然じゃないのかな?」
「ですが、私には彼らが何故そう思うのか判らない。……私自身がそう思っていないのですから。ですから、家族が納得する理由があることは良いことと思っております」
アルとしても家族は大事なのだろう。だが、『人嫌い』というのはある意味彼の個性……案じられても困るということだろうか。
幼馴染の表情に嘘は感じられない。それを見抜けぬほど共に過ごしてきた時間は短くはない。
「そうかい、ならば少しは役に立てたということかな?」
軽くからかいを含んでそう言えば。
「ええ、感謝しておりますよ」
いつもとは違った穏やかな笑みと共にそんな言葉が返って来る。……そのことに安堵を覚えた。
守られるばかりの自分が何かの役に立てたというならば、自分こそ嬉しく思う。それが自分の配下や公爵子息という『立場』ではなく、『アルジェントという個人』のためであるならば余計に。
いや、アルだけではない。ミヅキにだって多くのことをしてやれているじゃないか、それらは今の私だからこそ可能なのだと理解できている。
望んだ生まれでも、魔力でもないけれど、それが彼らの役に立つならば……私こそ自分自身に『そう在る理由』を見つけられるだろう。
そんなことを考えさせるこの騒動は。
私とアルの距離をほんの少し縮める結果をもたらし、終了したのだった。




