金色の犬 其の二
アル犬から完全に人の意識が消えて数日。
心配された人嫌いとやらが発動する気配もなく、順調に愛犬生活を満喫しております。
うん、時々おかしな部分があることを除けばね。
元がアルジェントなのだ、そこは察していただきたい。
部屋に様子を見に来た魔王様が縛られて喜ぶアル犬を見て、無言で頭を叩いたとか。
黒騎士達のアル犬を見る目が実験動物に興味を示す学者っぽかったとか。
こっそり様子を見に来たシャル姉様に踏みつけられていたとか。……いや、あれは尻尾振ってたから姉弟の微笑ましいじゃれ合い、か?
まあとにかく。
平和に過ごしていたわけですよ。
クラウスから『該当人物が多過ぎて特定できないから、もう少し待て』という、大変正直なコメントを貰ったので、もう暫くはかかると思われる。
……。
要は魔王様の敵が多過ぎて特定できないっつーことだな。次点でバシュレ公爵家かもしれないし。
この国、無駄に実力者が多いので民間の魔術師と言えども、とんでもない逸材がいる場合があるらしい。
今回はそういった隠れキャラを見つけた、どこぞの貴族がやらかしたんじゃないかなー? という見解です。
まあ、魔王様達が動いてるのでそのうち見つかるだろう。っていうか、アル犬が物凄く平和に過ごしているので、危機感があまりないとも言う。
危機感を抱けと言われても無理だ、奴は呑気なぬいぐるみだし。わんちゃんだし。
で。
とりあえず本日は食堂に集まって報告会となってます。これには私もアル犬を連れて参加。一応、本人(犬)だしね、アル犬。
私は飼い主枠で参加なのだろうか? 個人的にはお世話係とか遊び相手な気がするけど。
「で、まだ絞り込めていないと」
「ああ。最近色々あったせいで、監視が甘くなっていたからな」
魔王様とクラウスの会話から、未だ犯人に辿り着いていないことを知る。彼らが無能と言うわけではない、この国は港町という場所柄どうしても人の流れが多いのだ。
魔術師が船で勉強や出稼ぎに来る場合もあるとか。まあ、他の国に比べてチャンスは多いだろう。
そういった意味では今回の件も『貴族に認められたい魔術師が依頼された仕事』というものなのかもしれない。
だって、依頼者が対象の一部――髪一本でも可――を持っていればいいらしいからね、この呪術。つまり、術者が誰に喧嘩売ったか判っていない場合もあるわけで。
ただ、禁呪であることは変わりないから無罪放免というわけにはいかないらしい。随分とリスクの高いお仕事なようです。
っていうかね。
誰も何も言わないけどさ。
『これって私が原因じゃねーの!?』
と、我ながら思うのですよ。
いやいや、心当たりあり過ぎだろう。私を狙うなら、まず魔王様潰せっていう発想は間違ってないもの。
今回はアルだったけど、本命の魔王様を狙うためにアルをまず排除しようとしたんじゃないか……という方向で考えてるからね。
可能性としては十分ある。ルドルフ、というかゼブレストでなかったことがまだ救いか。
やや落ち込みながら、そう考えた矢先――
「ぬおっ!?」
どすっという重圧が上半身に掛かり。
私は咄嗟に机に手を着いて、顔面が激突するのを防いだ。
「ミ……ミヅキ!?」
声は魔王様。でも未だ顔を上げてないので確認できず。ってゆーかね、温かいものが頭の上にも乗ってる気がするんだが。
……顎? アル犬の顎か、頭の上に乗ってるのは。背後から覆い被さる形で乗ってるのか、アル犬よ。
「〜っ……重いだろうがっ!」
指を鳴らすことなく腹に衝撃波一発。小さく鳴いてアル犬はぱたりと床に転がった。……その尻尾がぶんぶんと激しく揺れているのが、ムカつくな!
「あ〜……退屈だからって駄目だろ」
「ミヅキ、落ち着け。相手は犬だ、アルジェント殿だ。これ以上、喜ばせてどうする」
騎士sの言葉に追撃を諦め、転がった犬を見る。相変わらずダメージの回復は早いらしく、もう平気そうだ。
「ミヅキ、大丈夫かい?」
「……一応。顔を打つことは防ぎましたし」
魔王様にも大丈夫と言っておく。端から見たら犬に襲われてるようにでも見えたのか、大丈夫という言葉に皆の表情が緩む。でかいもんね、アル犬。潰されるように見えたのかも。
復活し笑顔を向けてくるアル犬の両頬をむにむにと引っ張りながら、一応お小言を。
「危ないでしょうが、なんで飛び掛からないの」
「ミヅキ、飛び掛かる方が危ないよ」
魔王様が突っ込む。だが、その理由は騎士sより説明された。
「殿下。飛び掛かった場合は結界が発動するんで、勝手に弾かれて転がるんですよ」
「最近は知恵をつけたのか、構って欲しい場合は近くによって行って圧し掛かります。肩に手を置くような扱いなので、弾かれないんですよ」
「……。よく、判った」
魔王様が深々と溜息を吐き、生温かい目を向ける。
そういえば今日は私の横でテーブルに前足を乗せて話を聞いていた。いや、実際に話は理解できていないだろうが。
……うん? もしや慰めてくれたのか、な?
ぐりぐりと顔を弄くりまわす私にアル犬は笑顔のまま大人しくしている。っていうか、笑顔なんだよなぁ……どう見ても。
「慰めてくれたの?」
小さく聞けば、勿論! と言わんばかりに頭を擦り付け、珍しいことに顔を嘗めた。おお、初・犬の仕草! これまで人としての本能か、顔を嘗めたりしなかったんだよね。
ただ、喜んでいいのか悲しむべきなのかは微妙。人としての意識が完全に消えたってことだもの。
……だが。
次の瞬間、微かに皹が入ったような音と、魔力の砕ける感覚がして。
……そして。
「……何故、元に戻ってるの。アルジェントさん」
目の前にはいつもの白騎士なアルジェント。いや、アル犬の場所そのままだから、私を正面から抱き締めているような感じになってる。
「あ……ええ!?」
「え、今ので戻ったのか!?」
騎士s呆然、魔王様や皆も呆気にとられてアルを眺めている。
そりゃ、そうだわなー……犬に化けた奴が『顔を嘗める』という犬らしい仕草で戻るとは思わないもの。
それなら人の意識が消えれば、速攻で戻るじゃないか。戻らなかったのは偏にアル犬のお行儀が良過ぎたからである。
「ミヅキっ! やはり愛の成せる技ですねっ!」
「いや、それはないから」
一人上機嫌なアルジェント。即座に否定するも奴はめげない、もう無い筈の尻尾が透けて見える勢いで喜びを全身で表している。
……力加減は一応しているのだろう。骨が軋まないし。
「アルジェント、とりあえず無事かい?」
魔王様が呆れながら聞けば、私を抱きこんだままアルは頷く。
「ええ。ご心配をお掛けしました」
「そう、良かった。ところでミヅキは放してやったらどうかな?」
「嫌です」
「……」
魔王様の言葉にも笑顔でお答え。楯突くってことは、本人も戻れたことでかなり喜んでいるのだろうか。
さすがに魔王様も無理矢理引っぺがすような真似はできず、私に視線で『我慢しろ』と告げてきた。
ええ、アルも色々思う事があるでしょうしね。快気祝い代わりに大人しくしてますとも。
「ミヅキ、一体どうやって戻ったんだ?」
複雑そうなクラウスが聞いて来る。そだね、黒騎士達は今回プライドがズタズタだろう。落ち込むような真似はしないが、それでも予想外に簡単に戻ったことに屈辱を感じているのかもしれない。
あらやだ、アル犬が敗北感満載の黒騎士を前に笑っている姿が目に浮かぶ。
「顔を嘗められた」
「……そんな単純な解除方法だったのか?」
「それしか心当たりないよ」
黒騎士達もどう言っていいか判らないらしい。この反応を見るからに、本来の解除方法はもっと複雑なんだろう。
そうですねー、だってこの解除方法だと人の意識が消えればすぐに解けるじゃん? だが、騎士sから予想外の回答が寄せられた。
「あのな……お前の顔を嘗めてた時、ほんの少し唇の端あたりを嘗めた気がするんだよ」
「あ〜……俺にもそう見えた」
『……』
アル以外の全員が微妙な表情になった。あれか、キスとかそっちが解除方法なのか?
それが犬だから『唇を嘗める=キス』という扱いになった?
「ええ〜……そんな御伽噺じゃあるまいし」
「そんなことはありません! ですから『愛』だと言ったじゃありませんか!」
「いや……愛っていうか、犬の親愛っていうか……」
「アルジェント、顔を赤らめてもいない子を相手に虚しくならないかい?」
半信半疑で「まさかねー!」と言えば、速攻でアルが否定。
皆の代表のようにアベルが『愛っていうより、ワンコがじゃれた一コマだろ』な意見を述べ。
魔王様が生温い目でアルを諭した。ええ、赤くなってませんよ。犬に顔を嘗められただけですし。
ただ……クラウスだけが一人考え込んでいるようだった。
「ミヅキ。御伽噺とはどういう意味だ?」
さすが魔術一筋の職人、御伽噺なんてものに興味はなかったらしい。いや、知識としては学んだのだろう。ただ、興味がないからすこーんと頭から抜けただけで。
「この世界にもあるんじゃない? 姿を変えられた王子様やお姫様がキスで呪いが解除されるって話。あれに似てるな〜と思って」
よく考えたら呪いの物語なので、子供向けにかなり微笑ましい表現にはなっているけどさ。その現実版というか、アルが『理想の騎士』とか呼ばれてるならリアルに御伽噺の再現ですぜ?
「御伽噺、か……」
私の感覚では御伽噺の再現だが、クラウス達では違うのだろう。難しい顔で考え込んでしまっている。
いやいや、そう悩むことじゃないと思うよ?
っていうか、困らせるためにやらかしたんじゃね? こんなに簡単に解けるのだから。
魔王様は溜息を吐きつつも、戻ったことを喜んでいるようだ。アルに同じく心配していた実家にも報告するよう促している。
「はあ……とりあえず安心したよ。ああ、実家に顔を出しなさい。シャルリーヌ達が心配していたから」
「では、ミヅキも一緒に……」
「お気に入りの玩具じゃないんだから、やめなさい!」
アルよ、今度は犬の意識が侵蝕してないかい?
魔王様の言葉に不満げな顔するのやめようよ!? お前、もう犬じゃないんだからさ!?
「影響出てるのかねぇ……犬生活が充実してたから」
「……殿下もそれに馴染んでたしな。玩具ってなんだ、玩具って」
「犬でも人でも大して変わらなかったからだろ」
騎士s相手にひそひそと話す間も、周囲は中々にカオスな状況だ。魔王様がアル相手にこんな態度って珍しいんじゃなかろうか。昔はともかく、現在は配下としての態度をとることが多いからね。
勿論それは必要な線引きなんだけど、周囲からすれば幼馴染達の間に距離ができたように見えていたのかもしれない。白騎士達、何だか嬉しそうに眺めてるしさ。
逆に黒騎士達は暗いぞー、もう敗北感ありありです。
彼らは今回、魔導師に先を越されたのではない。犬の本能に負けたのだ。
真面目にやってた分、屈辱感は半端無いのだろう。是非ともその憤りを犯人拘束に向けてもらいたいものである。まだ犯人は捕まってないしね。呪術をかけた理由も不明だ。
「とりあえず良かった、のかな?」
「ええ、これで再び婚約者の立場に……」
笑顔のまま、微妙な答えを返そうとするアルの言葉を遮るように、騎士sの話し声が。
「愛犬の方が距離が近かったよな」
「好かれてたよな。一緒に寝てたし」
「……え?」
固まるアル。しかも聞いていた全員が『あー、やっぱりそう思う?』という表情なので、勝手に追い打ちがされていく。
それ以前に、記憶無くなるんじゃなかったけ? 言わなきゃ気づかなかったんでないかい?
――その後。
判明した真相は非常に頭の痛くなるものだった。
魔王様狙いか私に対する報復と考えられていたのだが、実際は個人的な感情でアルを狙ったものだったらしい。すなわち――
『アルジェント様と御伽噺のような一幕を過ごしたい』
という、ある令嬢の願いが発端だった。
要は『犬にされて困ってらっしゃるアルジェント様を愛によってお救いすれば、私を見てくださるかもしれないわ!』という、幸せな思考回路の産物です。
……確かに御伽噺だと、吊り橋効果なのか助けてくれた相手に惚れてるね。あそこまで呪いの効果と捉えるなら、魔術の知識のない子がそう思っても無理はない。
多分、クラウスが言っていた『民間に残っている禁呪が拘わった御話』とやらの真実を知ったんだろう。
どんなものかは知らないが、元の世界にあるものと似たような感じなら勘違いしても仕方ない。これならば再現できるはず、と。
誤算はアルの本性を知らなかったことだろう。『噛み殺したらやべぇ!』とばかりに、魔王様達がさっさと隔離しちゃったから会う機会もなくなった。
それでアル犬を今までさがしていた模様。イメージした形が判っているなら探せるだろう、と。
……で。
妙にうろうろしている令嬢を不審人物として拘束したところ、姿を見せたアルに向かって『何故、戻られているのです!?』と言ったことから発覚したんだそうな。
で、真相判明となったわけです。
『こんな馬鹿なことに禁呪が使われるとは思わなかった』とはクラウス談。皆揃って難しく考え過ぎていた模様。まあ、普通はそう考えるわなー。
なお、彼女の父親はしっかり事情聴取となった。娘に甘いだけの父親かと思ったら、こちらは野心満載だったから。
娘の願いが叶って縁組してもよし、バシュレ公爵家に貸しを作る――アルのことで困っていたのは事実なのだから――という意味でも魅力的な話だったらしい。
気の毒なのは禁呪を使った魔術師だろうか。
魔術師らしく彼も当然、研究者気質。だが、魔術に関するものは高い上に金がない。そんな時、貴族から『魔石をいくら使ってもいいから娘の恋を応援してやってくれ』と言われて仕事を受けたんだとか。
しかも術をかける相手は「娘の婚約者だ」と聞かされていたらしく、双方の親同士は了承済みと思ったらしい。
……うん、普通はそう思うよね。いくら何でも親に黙って犬にするとかないもの。
だから解呪方法があんなに簡単だったわけですよ! 術者としても『親が同意している婚約者同士での御伽噺の再現』程度の認識だったから、深刻に考えなかった模様。『何より犬なら勝手に解ける』と。
依頼だけ聞くと婚約者達の恋の演出を頼まれただけに思えるもの。夢見がちな娘の我侭を親が叶えた、みたいな?
そんな彼は実際には公爵家に喧嘩を売ったと聞かされ、青褪めていたらしい。……そしてその後に『被害者が魔導師の婚約者だと聞かされた途端、「死ぬなら是非一度魔導師様とお話を!」と言い出した』というエピソードが続く。
魔導師って魔術師からすると憧れの存在らしいですよ? 夢壊れるからやめとけ?
最終的に彼はブロンデル家預かりが決定した。禁呪を使える上に好奇心で何をやらかすか判らないから、悪く言えば飼い殺し。
騙されていたことに加え、殺すには惜しい才能の持ち主と判断されたことも大きい。
ブロンデル家を通じて国に尽くすことを条件に許された、という感じです。なお本人は大喜びしてたので、罰にはならないような?
こうしてアル犬騒動は幕を閉じたのだった。
愛犬ライフのあまりの呑気さに呆れ、心配を怒りに変えたらしいシャル姉様が報告をするアルの足を笑顔で踏みつけていた……というのは余談である。
アル犬、それはお前が悪い。でも、シャル姉様がアルの性癖を知っていることを考えると「無事を喜んでるのかなー?」と思わんでもない。
姉上様の気持ちは複雑なようです。