金色の犬 小話集
『金色の犬・番外小話』――姉の独白――(シャルリーヌ視点)
その報告を受け取った時は純粋に弟を案じました。
弟はエルシュオン殿下をお守りする立場……言い方は悪いのですが、殿下に害を成そうとするならば弟がまず邪魔になりますから。
弟は個人の能力だけではなく、実家……我がバシュレ公爵家としても殿下の味方であり、力なのです。それを削ごうとすることは、殿下を狙うならば当然と言えます。
勿論、クラウスもアルジェント同様に殿下を守っておりますが……あの子は魔術特化のブロンデル家の中でも特出した才を持つ者。
魔術での攻撃など即座に無効化し、相手を特定してしまうでしょう。殿下に至っては御本人の魔力の高さに打ち消され、まず呪術など効きません。
こういった点だけは生まれ持った魔力の高さも良いことだと思えてしまいます。一部とはいえ、危険から遠ざかるのですから。
と言っても、滅多なことでは効かないのは呪術だけですから、常に周囲の者達が目を光らせているのですけれど。
ああ、今ならばミヅキ様もいらっしゃいますわね。殿下はミヅキ様の親猫……いえ、保護者ですもの。無事で済むはずはありませんわ。
それにしても……やはり魔法の適性のない弟は狙われやすいのでしょう。他の騎士達も当然その対象にはなるのでしょうが、あの子は『殿下の側近』という立場ですから。
これも仕方がないことですわね。今回のように不意を付かれれば本人には対抗する術がない、と知られていますもの。魔道具で補うにしても限度がございます。
ですが。
……殿下。
貴方様が弟の『人嫌い』という性格を熟知してらっしゃることは存じております。今回のことも弟を案じてくれているのだと、理解できておりますわ。
ええ、正しい判断だとは思いますのよ? 犬の姿でいる間、騎士寮内で生活させることは。
下手に野放しにして、見た目に騙された方が近寄ってこようものなら……牙を剥きますもの。それだけは確信を持って言えますわ、絶対に大人しく撫でさせるなどいたしません。
ところが旦那様によれば、今現在ミヅキ様や双子の騎士には『大人しくて人懐こい、観賞用の大型犬のように認識されている』というではありませんか。誰が見ても『犬ながら笑顔』……と。
この時ほど、あの愚弟を張り倒したいと思ったことはございません。
思い出すのはアルジェントが犬に変えられたばかりの時。申し訳なさそうな殿下に連れられて来た賢そうで、けれど可愛げの無い態度だった金色の犬。
どうやらこの時点で人と犬との意識は曖昧だったらしく、人の時ほど周囲の評価を気にすることはなくなっていました。
簡単に言えば『己が感情に素直になっている状態』だったのでしょう。人の意識も記憶も持っている、けれど取り繕う気はない。
アルは本来、人懐こさとは程遠い性格をしていますもの……それが剥がれればこんなものかもしれないと思いましたわ。可愛げのなさも仕方がない、と。
アルジェント……貴方、私に対して『噛まないまでも無関心』でしたよね?
殿下はそれを御覧になって『やはりミヅキに頼もうか』と仰ったのですよ、ね!?
弟のことも心配ですが、そのような危険な犬と暮らすなど……案じるなという方が無理というもの。数日で人としての意識が薄れるのです、犬の本能に忠実かつ弟の影響を受けた生き物がどれほど危険か。
勿論、私はエルシュオン殿下をお止めしました。『危険過ぎます!』と。
見た目だけは優しげなのです。ですが、迂闊に触れれば間違いなく牙を剥く大型犬。ミヅキ様がご無事でいる保証などないのですから、当然の行動です。
けれど、殿下は……何故か乾いた笑いを浮かべてこう言ったのです。
『大丈夫だと思うよ。それに牙を剥こうものならミヅキに調教……いや、しっかり飼い犬の心得でも仕込まれるんじゃないかな』
……。
確かに否定できません。いえ、その可能性はかなり高いでしょう。
そういえばミヅキ様は無詠唱の魔導師でした。飛び掛かられても結界程度ならば張られているでしょうし、そんな態度を見せた犬を野放しなどするはずがありません。
何より大変情けないことに……それは非常に弟の性癖と一致しておりますもの。
繰り返せば遊び相手と認識するどころか、飼い主――エルシュオン殿下にはそういった態度をとるのです、あの犬。誰が主か理解できているのでしょう――に順ずる形で懐きそうですわ。
複雑な気持ちでしたが、結局はミヅキ様にお任せするという形になりました。殿下が面倒を見るわけにはいきませんもの、周囲の安全も考慮すればミヅキ様が適任でしたから。
ですが、私の心配など必要なかったようですわ。アルジェント……いえ、アル犬は。
ミヅキ様と双子の騎士達に愛でられ、何不自由なく暮らしているとのことでした。ええ、勿論犬として。
偶然会ったクラウスにも聞きましたが、牙を剥くどころか唸ることも吼えることもない観賞用の犬……という認識をされているようです。
しかも人の時と変わらぬ愛想を振り撒き、ミヅキ様にべったりだと。
事実を知らなければ、そんなアル犬の姿は大変微笑ましく見えるそうです。あまりに無害な姿にミヅキ様達も『何が危険なのか判らない』と首を傾げていらっしゃるとか。
随分と良い子ではございませんの、アル?
姉である私に対してあのような態度をとっておきながら、ミヅキ様相手ならば良い子の飼い犬になるのですか?
あらあら……呪術を受けた弟を案じていた姉としては、とても悲しゅうございますわぁ?
旦那様のお話を伺う限りミヅキ様も『鬱陶しい場合はお仕置き』という方針をとられているようですが、それはアルにとって御褒美ですわ。
今現在の見た目が犬ですから仕方がないのでしょうが、『犬相手のお仕置き』ではアルが大人しくなるはずはありません。いえ、それを判っていて行動する狡賢い犬でしょう、あれは!
おそらくは構って欲しくてわざと纏わり付き、お仕置きを期待しているのでは……と思っております。
本当に、本っ当に! 愚弟もとい駄犬ですわ……!
……。
ミヅキ様。あのような愚弟を押し付けてしまったこと、今更ながら胸が痛みますわ。ですが、あの子達の希望に沿った該当者が他に存在するとは思えません。
幸いにも頑丈ですので、適度に躾けてやってくださいませ。罪悪感など要りませんわ、その痛みさえ喜ぶでしょうし。
ああ、旦那様御愛用の鞭をミヅキ様に贈った方が宜しいかしらね?
※※※※※※※※※
『金色の犬・番外小話』―― 一方その頃、騎士寮では――
「ミヅキ、これでいいか?」
アベルが手にした物を軽く振りながら部屋に入ってくる。それを目にした途端、アル犬は嬉しそうに尻尾を振り、カインは複雑そうな目を向けた。
「なあ、アルジェント殿ってもう人の意識は消えてる……んだよな?」
「うん、そうらしい。仕草とか完全に犬だよね」
そうは言っても、犬としてはかなり大人しい。だから大型犬でも普通に暮らせるのだ。
ただ、それでも時々『飛びかかる』といった犬らしい行動――わざとやっている可能性あり――をすることがあるので、注意が必要だが。
こればかりは『器』の影響なので、本人のせいではない。……多分。
「こんなものを見て喜ぶってことは、意識は完全に犬なのか……」
「ああ、家の犬も引っ張ったりして遊んでたよな」
アベルが手にしているのは丈夫そうなロープ。ボール遊びなどはさすがに室内ではできないし、アル犬は外出禁止となっている。
結果として『玩具』がとても限られる状況なのだ。
「まあ、若い犬だとよく遊ぶだろうしな。引っ張って遊ぶ姿を見ても、何が楽しいのかさっぱり判らなかったが」
「飼い主に構ってもらうことが嬉しいんじゃない?」
「ああ……そういう意味もあるかもな」
騎士sはかつて実家で飼っていた犬を思い出したらしく、懐かしそうな顔になった。
犬とか猫って人には良く判らないもので遊ぶよね。特に猫は買った玩具よりもダンボールや袋が好きという、飼い主泣かせのことがよくあるし。
思い出を懐かしそうに語る騎士sを微笑ましく思いながらも、私は生温かい視線を向ける。
騎士sよ、これは君達の思い出とは違うと思うんだ。
アベルからロープを受け取り床を軽く叩くと、アル犬が嬉しそうに近寄って来て――ぽて、と横に転がった。ご丁寧にも前足と後ろ足は其々重ねている。
「「……え?」」
顔を引き攣らせた騎士sを放置し、私はそのロープで前足と後ろ足を其々縛る。
言っておくが、これは虐待などではない。現にアル犬はぶんぶんと勢いよく尻尾を振り、犬ながら超笑顔である。
「えーと……ミヅキ、その状態は?」
顔を引き攣らせたカインが聞いて来るので、こうなった経緯を解説。
「遊んで欲しくて時々飛び掛ってくるじゃない?」
「あ、ああ、お前はそれをやると速攻で腹に一発入れてたな」
アル犬的には人だった頃の習慣なのだろうが、あれは人だから怪我をしないだけ。ただ、人の意識が消えている状態ではそういった判断などできないのだろう。
「包丁持ってる時にやろうとしたからさ、お仕置きと大人しくさせる意味を兼ねてこんな風に縛った。……そしたら、お気に召したらしくて強請るようになったんだよ」
「「ああ……アルジェント殿だもんな、こいつ」」
アルの性癖に理解がある二人は納得したというように頷き、生温かい眼差しをアル犬に向けた。視線の先では足を縛られた犬――虐待に見えないのは犬が喜んでいるからだ――が楽しそうにしている。
どうしようもない犬である。
いや、もっとどうしようもないのは犬になってさえ性癖に忠実な本人か。
「飼っていた犬も軽く足で踏むとマッサージみたいな感覚なのか、喜ぶことはあったが……」
「縛られて喜ぶ犬ってのは聞いたことないな」
そだな、騎士s。でも、アル犬も踏まれるのは好きだぞ?
……もっと力を込めろと催促する犬も珍しいだろうけど。
「……このまま吊るしたら喜ぶかな?」
「「やめとけ!」」
新たな遊びは二人に却下されたので、あっさり廃案。
……あの、アル犬? もしかしなくても言葉の意味を理解できていた?
そんな期待に満ちた目を向けても駄目!
ちょっと短いですが、番外編。
正直な弟に、微妙にお怒りの姉。
そしてアル犬は呑気に犬ライフを満喫中。