金色の犬 其の一
――それは予想外の出来事だった。
いつもの騎士寮、いつもの食堂。
騎士sと共に訪れたそこには――
「……犬?」
隅の方にちょこんと座る金色の毛玉、もといふかふかの犬。しかもかなりデカイ。
大きさを考えなければコリー犬とかシェルティ系の優しい顔立ちの長毛種なのだが、私の知る大型犬より一回りは大きいような。毛で膨れてるせいもあるだろうが、狼とか肉食獣系の大きさだ。
「あ? 何で犬がこんな所に?」
「あ、やっぱり犬なんだ?」
アベルの言葉に反応すれば、二人は顔を見合わせた後、納得したように頷く。
「そっか、お前の世界には魔物とかいないんだったな。俺達の世界では大型犬はあれくらいあるぞ」
「大型種は愛玩動物というより、番犬になるからな。人間ばかりが相手じゃないのさ」
なるほど。確かに対魔物という考えなら大型犬は私の居た世界よりも大きくて当然かもしれない。
人に飼われるようになったとはいえ、元々は野生だったかもしれないしね。
近寄ってみると首輪こそしていないが、物凄く綺麗な犬だと判る。しかも吼えたりせず、何だか困ったようにこちらを見ているような……?
「随分と綺麗な犬だな。誰か連れて来たのか?」
「特に聞いてないけど……やっぱり飼い犬だよね、この子」
「ここに居るってことはそうだろ。愛玩用か番犬かは判らないが、間違いなく飼い犬だな」
騎士sも毛並といい、躾られている様といい、この犬が飼い犬だと思っているようだ。
柔らかそうな毛に触ってみると、見た目どおりふわふわとしたぬいぐるみのような手触り。そのことに内心首を傾げる。
「……。あのさ、この世界の犬ってこんなに毛が柔らかいの? 表面のオーバーコートは防水効果とかあるから、もう少し固いような」
しかもシャンプーしたばかりなのか、全く獣臭さがない。何て言うか……本当に『ぬいぐるみ』みたいな感じだ。
だが、私の言葉に騎士sは首を傾げた。
「いや? 前に実家が飼っていた時はそんなことはなかったぞ?」
「ただこんな毛並の奴じゃなかったからなぁ……貴族の愛玩用なら見た目重視でこんなものなのかも」
あれ? やっぱりこの世界でも一緒?
じゃあ、この子は愛玩用……貴族のために作られた種とでもいうのだろうか。思わず三人揃って『ある可能性』が思い浮かび、沈黙する。
『黒騎士連中が作った? やりそう、奴らならやりそう』
多分、私達の心の声はハモった。実験体だからここに居るとかではなかろうか。
改めて犬に目を向けると、相変らず大人しく私に撫でられている。吼えることもなく、手触りの良い柔らかな毛に、益々『黒騎士製作』という疑惑が強まっていく。
淡い金色の柔らかな毛並、緑の瞳……うん? この組み合わせ、物凄く馴染みがあるような。
「……アル?」
そうだ、アルジェント。アルと同じ色彩だ、この子。
私の言葉に騎士sはまじまじと金色の犬を見つめ……ぽん、と手を打った。
「おお、確かに!」
「色彩は同じだな。顔立ちっていうか、雰囲気も似てる気がする!」
……まあ、人を犬と同列に見るというのも失礼かもしれないが。素敵な騎士様だしな、アルは。
でも似てる。モデルにしたとか言われたら物凄く納得する。
微妙に失礼なことを口にしていた私達に金色の犬は意味も判らず首を傾げる……のではなく。
嬉しげに鳴くと尻尾をぶんぶん振った。
それまで全く反応しなかったのが嘘の様にぐりぐりと頭を私に押し付け、自己主張。
唐突に好意全開な犬に私は呆気に取られ、騎士sは引き攣った顔で私を見た。
「……まさかと思うが、名前が『アル』とか言わないだろうな?」
「これ、アルジェント殿の犬か? それとも本当に名前が同じとか? ミヅキに懐く姿が日頃を彷彿とさせるんだが」
「はは……まっさか〜……」
私もそれ以外に言葉がない。
いやいや、タマちゃんじゃあるまいし。この世界の犬は人の言葉を完璧に理解しているとでも?
飼い主に私の事を聞いていたから、好意的なことをアピール……なんて、ねぇ?
固まる私達をよそに金色の犬は嬉しそうに私に懐きまくっている。おいおい、マジでアルの犬かよ。飼い主に何を吹き込まれてるんだ、この子は!
そんな私達へと呆れたような声が投げかけられる。
「やっぱり、ミヅキに懐いたね」
声に振り向くと、扉の近くにクラウスを従えた魔王様。その視線が大変生温かいのは何故でしょう……?
魔王様はこちらに歩いてくると、金色の犬の頭をぺしっ! と叩く。
「必要以上に自己主張するんじゃないよ」
犬はじとっとした目を魔王様に向け、やや不満そうにしながらも大人しく私から離れた。
凄ぇ、魔王様! 犬にも逆らってはいけない人だと理解されているとは!
「すまないね、君達に説明が遅れた」
溜息を吐きながら謝罪する魔王様に、私は先ほどの予想が当たっていたのだと思い首を振る。
「今見つけたばかりですし、この子は何も悪さをしてませんよ。やっぱりアルの犬ですか、この子。で、飼い主はどこに?」
代表するように私が尋ねると、魔王様は何故か無言。クラウスは……何だか苦虫を噛み潰したような顔をしている。
珍しい……アルが何かやったんだろうか。
だが、事態は私達の予想の遥か斜め上を行っていた。
「……アルだよ」
「ああ、名前はアルって言うんですね。呼んだ途端に反応して甘えてくるから、そうじゃないかな〜って……」
「違う。その犬がアルなんだ」
「「「……はぁ!?」」」
騎士sと私が揃って声を上げる。魔王様は複雑そうにしながらも事の経緯を話してくれた。
「魔道具に魔力を定期的に送り込んだり、魔石を変えるのは知っているね? 今回はその不意をつかれた……というか、アルに対して呪術を仕掛けていたらしい。魔力が弱まった隙に呪術が発動したんだ」
ああ……要は結界とか防御魔法が弱まったことで、仕掛けられていた呪術に打ち負けたと。
どうやらクラウスはそれが原因で不機嫌だったらしい。魔術方面は黒騎士担当っぽいから、そんな事態を許したことが屈辱的なのだろう。
「呪術って犬に変わるってやつですか?」
ちらりと金色の犬に視線を向けて尋ねれば、クラウスが首を横に振った。
「ある意味正しいが、厳密に言えば『閉じ込められている』という状態だ。その犬の姿は魔力で作られた生きたぬいぐるみのようなものだと言えばいいか?」
「作り物!? ……体温あったけど?」
「体温があっても鼓動は感じられないだろう? あくまで『術者が魔力によって作り出した器』に過ぎないんだ。獣臭さもない、性別もない、食事も不要だし排泄といったものもないな」
「あ〜……所詮イメージでしかない犬だから本物とは差があるってことか」
やはり毛が柔らかかったり、獣臭さがないのは『作り物だから』という理由らしい。
確かに生物学者でもない限り、そういった細かいことを気にすることはない。しかも『閉じ込められる』ってことは術者の認識は生物ではなく『器』、見た目程度の誤魔化ししかできないのだろう。
質量はどうなってるのさー! と思わないでもないが、それを言ったら治癒魔法でさえ理解不能だ。これは術として作り出した奴以外に答えようがないだろう。
そもそも作り出したのが同じ種族かも怪しい。術式として昔から伝わってきてる以上は『そういうもの』として認識されてきただろうし。
「元は水晶球などに危険な罪人を閉じ込めておく術だったらしいよ? 普通の拘束では不十分な危険な存在というものはいるだろうからね」
「まあ、周囲への影響を考えたら当然ですね。で、なんでそれが『生きたぬいぐるみ』に?」
罪人を拘束するならば動ける器なんぞ作ってどうする、という当然の疑問の答えはクラウスによって解説される。
「その術を応用して王族を逃がすための術を組み上げた奴がいたんだ。一時的とはいえ、まさか人が獣に変わるなんて思わないだろう?」
拘束というより逃亡用に改良したものが今回の術ということか。それならば器が『生きたぬいぐるみ』ということにも頷ける。
確かに王の血が途絶えたらアウトだもんね。血を残すっていう義務を考えたら、その術は画期的なものだったのかもしれない。
今が穏やかな時代というだけであって、国の興亡は様々な場所で起こっていたみたいだもの。
だが、それにしては術の扱いが悪いような。
「解呪は術者が設定した条件か術者自身が解除、もしくは死亡。しかも器を生き物に設定したせいか重大な欠点があったんだ」
「欠点?」
意外な言葉に首を傾げると、クラウスは一つ頷く。
「器に引き摺られて人の意識が数日で消える。勿論、解呪されれば元に戻るんだが、その間は『この世界に存在しないモノ』として彷徨うことになる。見た目は同種族でも異端であることを悟られるからな、決して受け入れられない」
……。『人以外に姿を変えられて云々』という御伽噺の現実が見えた気がします。た、確かに人の意識があったままだったら、生活していけるわけがない。
呪いの物語と化した御伽噺に私が恐れ慄いている間もクラウスの言葉は続く。
「しかも閉じ込められている間は中に居る奴の時間が流れない。まあ、だからこそ食事も不要なんだが。いくら便利とはいえ、解呪が遅れれば年齢と外見が合わない場合も出てくるんだ。色々と拙いだろう」
「確かに欠点の問題大き過ぎだわ、それ」
「というわけで、禁呪に指定されている。民間に残っている御伽噺の中には洒落にならない事実が隠されていたりするしな」
さらっととんでもないことを言ったクラウスに私と騎士sが絶句する。騎士sはクリスティーナがいるから余計に『人が動物に変わる御伽噺=リアル呪いの物語』という事実に青褪めていた。
……うん、クリスティーナには黙ってろ。夢は夢のままの方がいいんだよ、きっと。
「えーと……じゃあ、アルもそのうち人の意識が消えるからここに連れて来たってこと?」
魔王様に尋ねると、何故か魔王様は複雑そうにアルを見た。
「それもある……んだけど。その、人の意識が消えるとアルの場合はちょっと困ったことになるんだよね。ほら、アルは人嫌いだから気に入らない人が迂闊に触ると危険なんだよ。色彩を見ても対象者の影響を受けることは判るだろう?」
「へ? こんなに大人しいのに? ……アル犬、お手!」
すっと手を出せば、ぽすりと大きな前足が乗せられる。おお、ノリもいいじゃないか!
「ミヅキ……アル犬ってなんだい、アル犬って!」
「人間との区別です。名前が同じならこれがアルってバレないじゃないですか。っていうか考え過ぎじゃないですかね、魔王様。ほら」
呆れた眼差しを向ける魔王様に使っていない手をひらひらと振り、アルに「そのままね」と声をかけて手を退かす。
……金色の犬はそのままの体勢で止まっている。つまり、元から私に体重は殆どかけていない。
「見てくださいよ、この気遣い! 多分、人の意識なくなっても変わりませんよ!」
見た目も手伝って凶暴になるとはとても思えない。機嫌よく尻尾振ってるしな〜、アル犬は。
そもそも私や騎士sはアルの人嫌いだという姿を見ていない。これで察しろと言う方が無理だ。騎士sも首を傾げて半信半疑な模様。
魔王様達もこればかりはどう言っていいか判らないらしく、言葉に詰まっている。が、やがて諦めたように溜息を吐いた。
「とりあえず懐いてるみたいだし、ミヅキに頼めるかな。本体に影響されるから君なら人の意識がなくなっても大丈夫だろうし、クラウス達は解呪と術者の特定に急ぐから」
「一緒に居るだけってことですよね。あれ、もしかして眠らなかったりします?」
暫く預かれという魔王様のお願いを了承するも、不意に疑問が湧く。食事とか要らないなら寝ないとか?
だが、クラウスは首を横に振った。
「睡眠だけはとるぞ。魔術によって拘束されているからな、精神への負担というものがある」
生きる上でというより、精神疲労のようなものだろうか。さすがに本体の意識が休息すれば連動して器も活動停止、という感じみたい。
「だから眠っても死んでないからな。驚くなよ」
「はーい」
そもそも鼓動がないじゃーん……なんて言いませんとも。とりあえず生きたぬいぐるみと暫し過ごせということだろう。万が一アル犬が凶暴化しても私なら押さえ込めるから、と。
そんなわけで『生きたぬいぐるみと過ごす数日』はスタートしたのだった。
――その後。
食事は食べたそうにしていたのでお裾分け程度を口に運んでやり――食べれないわけではないらしい――、風呂は騎士sに洗われていた。っていうか、犬の分際で催促した。
素直に従う騎士sに日頃の力関係というものを垣間見た気がするのは余談だ。
そして夜は私の部屋で寝ることになった。いつ人の意識がなくなるか判らないし、犬では部屋の扉を開けられないから。
……アル犬なら開けそう、と思ったのは私だけではないはずだ。ただ、外に出せと扉に体当たりされても困るので私の部屋へとお泊りです。
床で寝かす? いえいえ、公爵子息様にそんな真似はさせられません。一緒に寝ますとも、ベッドは元々騎士用だけあって広かったので若干狭くなる程度だし。
それにアル犬には寝る時限定で重力軽減の首輪型魔道具を着けてもらったので、ベッドに乗っても問題無し。
そんなアル犬は現在、足を拭かれてベッドの上。何やらそわそわとしている姿に、生温かい視線になるのも無理はないと思う。
「少しは落ち着け、アル犬。ほ〜ら、鏡を見て御覧?」
そう言って大きめの鏡を顔の前に差し出す。鏡には金色の犬が映っている。
「……」
「現実が見えたか、ぬいぐるみ」
「……」
「わんちゃん」
アル犬、ぷいっと横を向きさっさと寝る姿勢。その姿はどう見ても拗ねている。
いや、お前は今犬の姿じゃん? 誰が見ても『愛犬と一緒に寝た』としか思われないって!
魔王様もそれを判ってるから私が預かるってことにしたんだろうし。
男は狼? はは、ご冗談を!
今の奴は犬です、しかも性別なしの生きたぬいぐるみ。
これで身の危険云々と言う方が間違っている。しいて言うなら『噛まれないように注意』程度。寧ろ抱き枕にする気満々の私の方が危険だろう。
ふかふかですよ! でかいのですよ!
抜け毛もない――魔力でできた器ってなんぞや? と思い、ほんの少しだけ毛を切ったら消えた。本体から離れると魔力が拡散し、形を保てないらしい――ので、抱き枕としては最適です……!
「おお、ふっかふか!」
そんなわけで、アル犬の情けない鳴き声と共に夜は更けていった。