思わぬ拾い物 其の三
――フェアクロフ邸にて(キース視点)
『では、行って来る!』
フェアクロフ伯爵はそう告げて出かけていった。その後姿が決意に満ち溢れていたのは気のせいではないだろう。
俺とてフェアクロフ伯爵家の事情は理解している。昔からジークの面倒を見てきたからこそ、それが可能ならば一気に憂いが無くなるのだと、そう判ってもいた。
だが、個人的な感情だけでいうならば少々複雑だ。
ミヅキにはジークのことも含めて世話になったのだ……例え個人的な感情からの行動にしろ、受けた恩は小さなものではない。
ジークの家族とて命の恩人に押し付けるような真似はしたくはないのだと思う。少なくとも彼らはそれを当然とするような傲慢さはないのだから。
……が。
事態が深刻なのも事実だった。ジークが結婚適齢期ということも要因の一つである。
黙っていればジークは本当に『優秀な騎士・美青年』に見える。それはもう、御伽噺に出てくる英雄そのものとも言えるだろう。
まあ、『御話』だからこそ美しい騎士なんて表現があるのだが。身なりに気を使いまくる騎士など、お飾り以外の何物でもないだろう。役立たず確定だ。
それを現実のものとしてしまっているジークは正真正銘、英雄の子孫である。それは嘘ではないし、実際に内面は先祖にそっくりなのだろうとは思うのだ。
つまり英雄も脳筋だった。
最前線を好んだのは闘いたかっただけである。
たった一人で敵陣に突っ込むのは誰も付いていけなかっただけで。
感情のままに生きた戦闘狂なのだ、あの英雄の本性は!
時代が時代ならばジークは紛れも無く英雄と称えられたであろう。それくらいに戦闘能力『だけ』は絶大な信頼を得ているのだから。
だが、それが立派な騎士かと言われれば間違いなく否であった。社交性の無い美形などいつ発動するか判らない攻撃魔法以外の何物でもない。
判りやすく言うと……令嬢を壮絶に怒らせ恨みを買う可能性があるのだ。しかも外交問題になるような立場にある令嬢だろうとお構いなしに。
そうなった場合は最悪だ。ジークに謝罪し機嫌をとれと言ったところで、絶対に望まれたことはしない。
本当に、本当に残念な奴なのだ……俺の幼馴染は。
「キース様、これをどうぞ」
掛けられた声に顔を上げれば、執事がカップを差し出してくれていた。
良い香りに気持ちが和らぎ、礼を言ってカップを受け取る。どうやら俺も唐突に訪れた『朗報』に随分と混乱していたらしかった。個人的にはあまりめでたくなかったが。
俺の表情を見て執事はほっとしたように笑った。
「責任感が強いのも考えものですね。先ほどは珍しく気が動転されてらしたようで、少々おかしな言い方になっておられましたよ」
「キースも苦労人だよね」
からかうように言うのはマーカス様。騎士として確かな実力を持つこの方の真価はその人柄ではないかと思っている。
英雄の血筋でありながらも決して奢ることなど無く。
他の騎士達が貴族に絡まれれば、さり気なく割って入って相手を怒らせることなく場をやり過ごさせ。
慕う騎士が多いのも頷ける存在なのだ。頼れる皆の兄貴として尊敬の目で見られている。
そして俺にとっては兄のような存在であって。
「ジークのことは今更なんですけどね、ミヅキのことを考えると……」
「ああ、うん。確かに気の毒だよね、恩人でもあるし」
さすがにマーカス様は思うところがあるらしく表情を曇らせる。騎士団の恩人のような存在に対し『婚約者と別れて我が国に嫁げ、外交だから拒否は認めない』なんて恩知らずもいいところだ。
ミヅキは勝手に人生を決められたことを怒るだろう。一生許さないと言い出すかもしれない。
そしてそうなった場合は……誰にとっても不幸な結末しかないだろう。それでもカルロッサはジークを、そしてジークのためにミヅキを手放せないだろうから。
「俺は努力するつもりだが」
不満げに言うジークに咎めるような視線が集中する。だが、ジークはその理由までは察することが出来ないようだった。意味が判らず首を傾げている。
俺は深々と溜息を吐き……言い聞かせるように視線を合わせてゆっくりと話し出す。
「いいか、ジーク。婚姻を望むのも、ミヅキに拘るのも全部お前の事情だよな? なあ、お前はさ。自分の生き方も自分の意思も無視されて国同士の外交の道具にされることに納得できるか?」
「できん!」
即答。ならば理解も早いだろうと思い、俺は言葉を続ける。
「お前が……いや、俺達どころかこのカルロッサという国がミヅキに望むのはそういうことなんだよ。婚約者がいて、仕える主がいて……あの魔王殿下に仕えるなら魔術師としてイルフェナに貢献する気だってことだぞ? それを捨てろという俺達がミヅキに恨まれないはずはないだろう?」
実際にはそこまでの状況なのかは判らない。だが、全て当て嵌まってしまった場合はどう取り繕っても許してはくれないだろう。
短い付き合いだったが、ミヅキはそういう性格だ。その場合、こちらに報復しないのは『主に仕事として命じられたから』。絆されることなどなく、己の感情を貫くだろう。
家族として接したい、大事にしたいなんてのはこちら側の思い上がりなのだから、合わせろなんてとても言えない。いくら何でも傲慢過ぎる。
現に自分に当て嵌めて理解したジークの顔色は宜しくない。漸く事態を理解できたらしかった。
理解できるなら適当な見合い相手で妥協しておけ! と言いたくもなる。
だが、ジークはどこまでもジークだった。
「俺が婿に……」
「却下」
お前を手放せないから悩んでいるんだろう! と内心突っ込む。
「では主と定めて誓いを……」
「お前が忠誠誓うのは王だろ、そもそも配下として必要とされるのか?」
「……」
黙った。さすがに魔術師は賢さの代名詞だと理解できているのだろう……ジークには絶対に無理な頭脳労働である。
しかもミヅキはかなり凶暴……いや、武闘派だ。大蜘蛛相手に恐れず的確な助力ができる魔術師が戦えないとは思えない。
「素直に告白」
「一番可能性がありそうだが……お前、顔以外に誇れるものあったっけ? ああ、強さとかなら大した意味は無いぞ? イルフェナには翼の名を持つ騎士がいるからな」
「それは是非行かねばっ!」
「てめぇは何しに行く気だ、脳筋が! 結婚申し込みに行って本命を放置……しかも手合わせに夢中になる奴とか最低だろ!?」
翼の名を持つ騎士に女性がいない――確認されている限りは。普段は姿を見せない奴とかいるかもしれない――のが救いだが、それでも他の事に気を取られるなど相手を怒らせるだけだろう。
しかも今の台詞から察するに、イルフェナに行けば本命を綺麗さっぱり忘れて男(騎士)優先。勿論それは恋愛的な意味ではなく『強い者と闘いたい!』という気持ちからだろうが。
それにしても最悪である、婚姻を望んだ女を放置して騎士と手合わせに夢中……なんて馬鹿にしているとしか思えない。
珍しくへこんだジークに冷めた目を向けながら俺は願った――ミヅキが欠片だけでもジークに好意を抱いてくれますように、と。
伯爵が城に向かった以上はもはや外交問題に発展するだろう。そうなれば魔王殿下の配下を名乗るミヅキは絶対に逃げられない。
せめて少しでも幸せな結末であればいい。そう思わずにはいられなかった――
※※※※※※※※※
――王城・王の執務室 (カルロッサ王視点)
「兄上! ちょっくら、イルフェナに有能な奴を派遣してください!」
礼儀も身分差もすっ飛ばして執務室の扉をぶち開けられる。眉を顰めるが、さすがにこの程度では動揺などしない。そもそもこんな行動をする奴の心当たりなど一人しかないからだ。
「おや、慌てませんね?」
「お前……昔はよく今と同じことをしていただろうが。思い立ったらすぐに行動する癖は直っておらんな」
そうだったろうかと弟は首を傾げる。それに「無自覚か……」と呟き、私は生温かい視線を向けた。
「一番の騒動はフェアクロフの令嬢と結婚したいと抜かしやがった時だよなぁ……婚約者候補もいたのに、政略結婚の話も出ていたのに、綺麗さっぱり! 無視して唐突に決定事項として言い出すとは!」
突然の事態に当時は盛大に揉めた。揉めまくった。
だが、何〜故〜かフェアクロフの嫡男が『それでは家をお願いしますね。我が家の立場的に殿下に継いでもらった方が安泰ですから』と言い出し、さっさと家を出たので要望が通ってしまったとも言う。
素早かった。対応が鮮やか過ぎた。
もしや共犯なのではと疑ってみたが、この弟と組んでいる時点で言い包められるのがオチである。
かの嫡男は大変嫌な方向……頭脳労働に特化された自分の側近の一人だったのだ。下手をすれば嫌味どころか複数の弱みを握った上で『黙ってろ』と暗に脅迫してくるだろう。
現在宰相補佐をしている奴の息子も中々に個性的だが、才覚は父譲りなのか優秀だ。見た目で侮ると痛い目を見る典型である。
その後は騒ぐ周囲を黙らせるために権力と人脈を利用、時に脅迫――貴族で後ろ暗いことがない奴などいないだろう――し、見事フェアクロフの婿に収まった。
賭けてもいい。
弟は絶対にかの英雄を力ずくでものにした姫君の血を色濃く継いでいると!
その行動力と周囲に口を出させない強引さ……というか勢いは、まず間違いなく姫の血だ。その点、フェアクロフは血を外から取り入れ続けた所為か影響が薄いのだろう。
それが王家の方に出るとは……と遠い目になりかけ、そういえば今は直系にも居たなと思い直す。ただし、あちらは英雄の方なのだが。
こいつの血が入った所為で発露したのではないかと思っているのは秘密だ。夫の勢いに巻き込まれたであろう夫人――フェアクロフの令嬢は普通だった――があまりにも気の毒である。
まあ、夫婦仲は良いので心配する必要などないのかもしれない。
「まあ、そんな昔の事は置いておきましょう」
「お前が言うか!」
「ええ、前向きに生きる主義ですから。それにいまはそれどころではないのです!」
さらりと過去の事を流し、不意に弟は真剣な表情になる。
「ジークに想い人ができたのですが」
「おい、嘘を吐くな」
即否定。あまりにも程度の低い嘘に呆れながらも、ばっさりと切り捨てる。
なんだ、それは。気苦労が多過ぎて幻聴や幻覚の症状でも出たのだろうか。
そう思うとこの弟が哀れに思えてくる。こいつだけではなくフェアクロフ一家は脳筋ことジークに散々悩まされてきたのだから。
まあ……問題を起こすとかではなく、本人が脳筋過ぎることが原因なので対外的にはバレていないはずだ。要はどこぞの御令嬢や姫君に目を付けられなければいいのだから。
その本人も騎士としてどちらかと言えば辺境の任務につくことが多い。活動地域さえ被らなければ大丈夫だと思っていたのだが……。
私は立ち上がると優しい目で弟を見、肩を叩く。
「そうか、そうか。少し休め……お前はよくやっていると、この兄が一番判っているからな」
「なんですか、その労わりというか憐れみに満ちた眼差しは」
「奥方と二人でゆっくりしてはどうだ? いい静養地を探してやるぞ?」
訝しげな弟の姿に涙が滲む。当主として、また王族でもある弟はどれほど胃を痛めているのだろうか。
だが、弟は溜息を吐くと妙に強い口調で言い切った。
「兄上! いえ、陛下! 現実逃避はお止めください、事実です!」
「……。忙しいお兄様が労わってやろうというのに……まだ寝言を言う気か、貴様は」
「信じられないのも判ります! そもそも相手はジークのことなど覚えているかどうか」
「見かけただけとでも言うつもりか!? あいつが一目惚れなんてするはずなかろうがっ! 世界の災厄と呼ばれる魔導師に喧嘩売ったとか言い出す方がまだ信憑性あるわ!」
互いに掴みかかる勢いでの怒鳴り合いを止める者などいなかった。どうやら早々に避難したらしい。
だが、それでも弟の言い分を受け入れろという方が無理である。
ジークが恋? それも一目惚れ(予想)?
ありえないだろう。既に嫁いだ我が娘曰く『ジークは観賞用よね、あれが恋人とか夫なんて不安過ぎるもの』とのことだ。浮気の心配や家の管理以前に恋愛が成立しないだろうということらしい。
そしてそれは非常に的確である。自分の興味がないものには極端に淡白なジークに『気遣い』や『歩みより』を求めることなど無駄なのだ。
その欠けた部分を妻となった者だけが必死になる夫婦生活……一方的な気苦労しかないだろう、形だけの夫婦の方がまだマシだ。
睨み合う私達。だが、そこへ新たな入室者がノックと共に現れた。
「仲裁してくれと泣き付かれましたが……一体何をしてらっしゃるんです?」
「おお、久しいな! 相変らず性別不明だなぁ、お前は」
「小父様、一言多いです」
弟の失礼な言葉にも彼は気分を害した様子は無い。まあ……事実だからな。よく手入れされた長い髪といい、肌といい、一見女性と見紛うのだ。
だが、それはどうにもならない生まれ持った容姿を特化させて武器に変えただけ。相手を油断させる武装のようなものなのだ、彼を甘く見てはいけない。
私は溜息を吐くと、弟を指差し事情を話し出す。
「実はこれがジークが恋をしたとか言い出してな」
「嘘でしょう、それ」
即否定、再び。やはりそう思うのが普通だろう。だが、弟の様子に宰相補佐は暫し考える素振りを見せると「とりあえず事情を聞いてみては?」と提案した。
まあ、それで気が済むならばいいだろう。ありえないとは思うが事実だった場合は私も協力するつもりなのだし。
そして、弟の話を聞き終わった私は。
「お、お前、私にイルフェナと交渉しろと!? あの魔王の下から期待の新人を奪い取って来いだと!?」
「可愛い甥と国のために血を吐いてでも頑張ってください、兄上。立場的に対抗できるのが王である貴方しか居ません」
青褪めたまま弟の胸倉を掴み揺さぶる。それくらい無茶な要求なのだ、誰だって批難したくなるのが当然だろう。
イルフェナの魔王ことエルシュオン殿下。美しくも恐ろしいあの王子の下から配下を奪うなど、どんな報復をされるか判ったものじゃない。
現に宰相補佐とて無言である。いや、妙に顔を引き攣らせて――?
「……。婚姻は無理です、絶対に。無理を通せば一気に複数の国が敵に回ります……いえ、その前に本人によってこの国が破壊されますわ」
「「は?」」
思わず、と言った感じに女性口調に戻っている。そしてその内容も実に奇妙なものだった。
『複数の国が敵に回る』? 『本人によって国が破壊される』?
呆気に取られて弟と揃って宰相補佐を見つめていると、彼は引き攣った笑みのまま話し始めた。
「先日のキヴェラの件を御存知でしょう? 異世界人の魔導師が助力して復讐者達と共にキヴェラを敗北させ、王太子妃であったコルベラ王女を救い出した……という」
「ああ、勿論。随分と盛大にやらかした割には情報が少ないと貴族達がぼやいておったよ」
実際、どうやってそこまで持って行ったのかはイルフェナが隠すので不明である。当事者であるコルベラ王女も全く表に出て来ないので、事実がどうであったのかを聞くこともできない。
コルベラでの王女の解放とキヴェラでの王都を巻き込んだ断罪に限り目撃証人達がいるので、事実だと知られているのだ。
「私はコルベラの方のみ自分自身で目にしておりますが……かの魔導師は破天荒というか凶暴です。王太子を拳で殴りつけるという術者も珍しいのではないでしょうか」
「なんと……」
「相当恨みでも溜まっておったのか」
それ以外に言葉がない。魔術師は非力な者が大半なのだが……魔導師は違うのだろうか?
そんな私達に同意するように「ええ、ええ、そう思いますよね……!」と何故か頭痛を耐えるような状態の宰相補佐。そんな彼の姿に私は益々困惑する。
「大変自分の感情に素直な上、異世界人だからこそ柵がないと。そういった『抜け道』を非常に上手く利用する者なのですよ。敵にならなければ無害ですけど……ああ、情に訴えても無駄です。邪魔なら即排除でしょう」
……。ヤバくないか? その魔導師は。
聞かされるあまりな内容に、背中を嫌な汗が伝う。つまり『無差別な殺戮はしないけど人道的配慮もない』ということだろうか?
ならば余計に情報を集めねばなるまい。うっかり怒らせでもしたら国が滅ぶ。
そんな私達の思いを打ち砕くように、宰相補佐はトドメというか、本題を持ち出した。
「その異世界人の魔導師の名は『ミヅキ』。同姓同名ではなく、正真正銘カルロッサでキヴェラからの追っ手を拷問紛いの手で泣かせ、コルベラで王太子を撃破し、キヴェラを混乱に陥れ王さえ屈服させた魔導師がジークの想い人、です……!」
「「……え?」」
「しかも今はバラクシンで暴れているかと」
弟と揃って間抜けな声を出す。告げられた事実に頭が付いていかない。
「ですから、守護役は可能かもしれませんが婚姻は無理でしょう。ま、まあ……守護役にしてもジークでは全員の承諾が得られるかどうか」
強いだけでは無理だと思いますけど。そう付け加えられた言葉に微妙な諦めを感じる。
我々が納得させなければならない相手が増えた。その事実に私達三人は揃って溜息を吐いたのだった。
微妙に繋がりのあるカルロッサの人々。さらに難易度が上がりました。