思わぬ拾い物 其の二
――カルロッサにて(フェアクロフ伯爵視点)
我が愚息、ジークの唐突な『お願い』に我が家は沸いた。
それはもう、奇跡とも言うべき出来事なのだ……次はないと誰もが感じていたことだろう。
そして期待一杯にジークに尋ねると、奴はさらりと言い切った。
「出身地どころか名前も知りません。女性である事は確実です」
……馬鹿野郎である。
さすがに家族達の顔が引き攣った。やはりこいつの恋とやらは普通ではないのかと。
いやいや、それ以前に恋愛だとは限らないのだ。『気に入った』とか『強かった』とかならまだしも、『闘ってみたい!』とか言い出していたら〆ていた。
どれも女性相手の言葉ではない。令嬢にそんなことを言ったら間違いなく交際を申し込んでいるとは思われないだろう。どう考えても願ったものは決闘だ。
「ジーク? 貴様、ふざけるのも大概にせんか!」
青筋を立てながら睨みつけるも、ジークは軽く首を傾げた。何故怒られるのか判っていないらしい。
「父上、何をそんなにお怒りで?」
「お前のせいだろ!」
「皆が普段から俺に言っているじゃないですか、『いい人は居ないのか』と。漸く好みの女性が現れたので報告したのですが、何か問題でも?」
好み……そうか、お前にとっては顔も家柄も性格すらもすっ飛ばして強さ一択というわけか。
面と向かって言っても喜ぶ奴は稀だろう……女性に対する褒め言葉ではないのだから。いいとこ、実力を褒めているだけである。
「俺の記憶も魔道具に残しましたから、彼女の姿は見れますよ」
「それを早く言わんかっ!」
奪い取るようにしてジークが差し出した魔道具を手に収める。映像系の魔道具……記憶と言っている以上は彼女との出会いが込められているのだろう。
ならば特定は可能な筈だ。最低限の情報だろうとも人脈、権力共に駆使して特定してみせようではないか!
「では、見るとしよう。……皆、覚悟はいいか?」
家族達を振り返れば誰もが真剣な表情で頷いた。ここが正念場である、特定できねば次の奇跡がいつ起こるか判らないのだ……必死にもなろうというもの。
私達は真剣な表情でジークの運命の出会いとやらを見ることにした――
そして映像を見終わった後の私達は。
「やはり……やはり……っ」
「父上、儚い夢でしたね」
「ああ、うん……運命の出会いではあったよな」
がっくりと床に両手を着いて蹲る私、諦めと呆れを顔にも声にも色濃く滲ませた息子達。
一人言葉を発しない妻はどうやら再び倒れたようだった。「奥様、御気を確かに!」と長年仕えてくれている侍女の声がする。
ま、まあ、妻は別の意味で倒れたようなような気もするが。女性にとっては酷だったかもしれない。
そしてジークは……腹立たしいことに上機嫌だった。何も疑問に思っていないらしい。
「ジーク……」
ゆらり……と怒りを纏わせたまま立ち上がると、元凶とも言える奴の頭をがしっ! と掴み。
「お父様をおちょくるのもいい加減にしろやぁ、この脳筋がよぉっ! うっかり期待しちまったじゃねーか!」
「父上、何をそんなに怒っているのです?」
「ちったぁ、その空っぽの頭に一般常識詰めろや!」
「父上! 少しは抑えて下さい!」
「そうです、ジークに期待した我らが愚かだったのですから!」
ギリギリと手に力を込める私を息子達が必死に宥める。その言葉も少々本音が漏れていたりするので、余計に腹立たしさが湧き上がった。
それは元凶であるジークが頭を掴まれたまま平然としていることにも原因がある。相変らず無駄に頑丈な奴だ、先祖はやはり他種族の血を引いていたと考えるべきかもしれん。
そんなことを考えたせいか、少々落ち着きを取り戻し手を離す。……ジークは相変らず困惑したままだった。
せめて一撃とばかりに頭を一発引っ叩いておくが、こいつにとって大したダメージにはならないだろう。
「ジーク……あの映像ではその人物が辛うじて女性である程度しか私達には判らん」
深々と溜息を吐きながらそう言えば、息子達も同意するように頷いた。しかもその判断材料は華奢な体に声、その程度なのだ。
いや、あれで特定など無理があるだろう。そもそもあの映像を『運命の出会い』とかいうならば、相手は女性ではあるまい。
見つめ合っていたな、大蜘蛛と。
睨み合っていたという方が正しい気がするが。
楽しげに戯れていたな、大蜘蛛と。
足をザクザク切り落とすお前と相手の命を賭けた戦いにしか見えないが。
確かに、確かに背に庇われていたな……女性らしき人物に。
ただ映っているのがそれだけなので、黒髪ということしか判らん。
これで何を判れというのだ。誰が見ても『迫力ある大蜘蛛との戦闘』という認識しか得られまい。
で? 肝心の女性は?
もしや、出番はこれだけか? お前、命の恩人とか言ってなかったか!?
「ジーク、怪我を治してもらった時の記憶は無いのかい? それならば彼女も映っているだろう?」
「……! そ、そうだな! おい、ジーク!」
上の息子――イライアスが呆れながらもそう切り出し、私も賛同しつつ促せば。
「私も意識が朦朧としていまして。戦闘もほぼ気力で戦えていたようなものでしたし」
「ああ……そう……」
つまり、ほぼ大蜘蛛に集中していたと。
首を緩く振って溜息を吐くイライアスの反応は正常である。私ももう一人の息子と共に生温かい視線をジークに向けた。
駄目だ、これでは特定できたとしても断られる可能性が高い。見初めた理由を口にしただけで終了だ。
ジークは脳筋過ぎる上に強い奴大好き、しかも一歩間違えば戦闘狂な節がある。ある程度は何でも出来るからこそ、見た目も相まってその本質は常に隠されていた。気付く奴は稀である。
その所為か気付いた時の認識の差がまた酷いのだ。気配を容易く読む奴が場の空気を読めないなど誰が信じる?
女性が相手ならば幻滅通り越して意図的にやっていると受け取られかねない。「そんなに私に興味がないのか」と詰られても、ジークにそんな自覚はないので会話はとことん噛み合わないだろう。
当の女性がジークの全てを顔で許せる性格をしていない限り絶対に選ぶまい。気苦労ばかりの人生が確定なので逃げた方が賢明だ。
最終手段として政略結婚をしたとしても、夫婦の溝は埋まらないままであろう。
不憫。物凄く不憫。ジークじゃなくて見初められた子が。
ここで初めて良心がちくりと痛んだ。
運命の出会いとやらはジークだけの認識なのだ、間違いなく……!
そんな周囲の思いを他所にジークは嬉々として話し出す。
「魔術の腕も素晴らしいですし、支援も的確です。武器の強化も可能とはまさに理想なんです!」
「うん、お前にとっては理想だね。でも相手の子はそう思っているか判らないから」
「何故です!? ……やはり私では力不足なのでしょうか」
「いや、それ以前の問題だから。ついでに言うと落ち込む所が違うからね? 少しは戦闘から離れようね、ジーク」
騎士である次男――マーカスがかなり投げやりに促すも、ジークの反省点は別方向に行ったようだった。
こんな会話をしているが見た目だけならば良いのである……何故に顔に出た先祖達の恩恵が頭へ向かわなかったのだろうと心底思う瞬間だ。
「打つ手なし、か……」
特定できるならば政略結婚を打診できるというのに、それも叶わぬ。
我らの苦労振りに絆されてくれたならば、家を挙げて救世主と崇めるものを。
そして魔術師と聞いた時点でジークに惚れてくれる可能性は皆無だと理解した。魔術師には賢い者が多いのだ……要らないだろう、こんなアホは。
いいとこ研究資金の金づるだ。この際、家が傾かなければそれでも構わないが。
「あ」
不意にイライアスが声を上げる。
「キースならば知っているかもしれませんよ、父上! ジークの御守ですから」
「ああ、彼なら知っている可能性はあるね」
マーカスもうんうんと頷き同意する。そして私は勢い良く執事を振り返り。
「キースを呼べぇぇぇっ!」
「はいっ、すぐお連れしますっ!」
私達の期待を一身に受け、執事は珍しく駆け出して行く。
そしてキースが引き摺られるようにして連れて来られるまで、ジークは私達からの説教を受けたのだった。……絶対に反省などしないだろうが。
――そして連れてこられたお世話係の苦労人ことキースは。
「はぁっ!? お前、名前すら知らず名乗ってないってどういうことだ!?」
事情を聞くなり『名前すら知らない』という事実に絶句し、ジークの胸倉を掴んで揺さぶった。
「蜘蛛を倒す事ばかり考えていてな。力尽きて倒れてから数日は眠ったままだったじゃないか」
「その前に打ち合わせて森護りを倒したんだろ!? いや、それ以前に命の恩人だろうが!」
「礼は言ったぞ?」
「せめて名乗れ! そんな場所に都合よく助け手が居た事を怪しく思えよ!」
「ああ、お前に頼まれたってことは聞いたな」
聞いているこちらが気の毒に思うようなジークとの会話が展開された。日頃の苦労が良く判る。
漸く復活した妻などは「ごめんなさいね、苦労をかけて……!」とハンカチで涙を拭っている。産んだ責任を感じているのだろう。
嘆くな、妻よ。絶対にお前のせいではない。あれが特殊だっただけだ。
キースは深々と溜息を吐くと手を離して私達に向き直った。その表情は何だか疲れている。
「えーと……一応知ってはいますが、まずほぼ無理だと思ってください」
「うむ、私達もジークの顔に惚れてくれるというような都合のいい展開は考えておらん。あらゆる努力はするつもりだ」
一般的な思考回路を持ち、誰よりジークの面倒を見てきたキースの言葉に「判っている」と頷けば……何故かキースはやや顔色を悪くした。
「違うんです。ミヅキ……ああ、これがその子の名前なんですが。ミヅキはイルフェナのゴードン医師の弟子で魔術師です。あの時は友人達とコルベラへ薬草の勉強に行く途中だと言っていました」
「ほう、医師を目指す者か! それは……」
何て運の悪い。
ジークを除くその場に居た全員の心の声は綺麗に重なった。なんとジークに都合のいい展開か。
ちらりと視線を向けた先ではジークが目を輝かせている。益々、最高の伴侶と判断したようだった。
「で、ですね……ミヅキは普通の思考回路をしていません。蜘蛛の頭と足を持って帰って貴族との交渉に使えと言ったのも、村人達を誘導して騎士達との蟠りを無くしたのも、キヴェラの馬鹿どもを拷問紛いの手で徹底的に泣かせたのもミヅキです」
『……はい?』
告げられた内容に全員が唖然とする。何だ、それは。
「ああ、それで村長から感謝と謝罪の手紙が来たのかい」
マーカスが感心したような声を上げる。
「どういうことだ?」
「例の村の事ですよ。騎士に成り立ての若い奴らがちょっとはしゃぎ過ぎたんです。やる気があったゆえのことなんで連中も落ち込んでたんですが、村長からの手紙を読んで慎重になることを学んだようです。あの手紙はその子が原因だったのか!」
そういえば例の蜘蛛は将来近衛になりそうな者達を任務にあたらせた事が原因の一端だったか。
箔付けで終わる筈の魔物の討伐が予想外の大物を引き出す結果になったとかで、ジーク達が向かった筈。謹慎処分を受けたと聞いていたが、どうやら腐ることなく良い方向に向かったらしい。
「結果としてはいいんです、結果としては。ただ、ミヅキ本人はそれを『意図的に』仕向けたんですよ。後に貴族からの嫌がらせが起こることを想定しての判断です。その、かなり人を手玉に取ることに長けているんですよ」
益々ジークとは縁がなさそうな人物像に私は表情を曇らせる。後輩が世話になったマーカスも複雑そうな表情だ。
「ですから! ジークに名乗らなかったのも絶対にミヅキはわざとです。カルロッサがイルフェナに借りを作らない為……とか、そんな事情ではないかと思いますよ」
「何故だ? 祖国に手土産があった方が良くないか?」
「その程度では手土産にもならないと思っているんじゃないかと。あいつ、友人達とカーマインの奴らを金扱いして狩ってましたし、基準が絶対違います……魔王殿下の配下、ですから」
「「「何だとおぉぉぉぉっ!?」」」
衝撃の事実に私と息子達の叫びが部屋に響き渡った。
イルフェナの第二王子エルシュオン。通称、魔王と呼ばれる美貌の王子は外交において敗北知らずと評判だ。
私も会ったことがあるが……情けない話、その纏う雰囲気にやや飲まれがちだった。的確に交渉を行い相手に対し絶対に隙を見せない様は、さすが実力者の国の王族と感心させられたものだ。
あれの子飼い。おそらくは縮小版。しかも魔術師。
その上、配下……そう名乗ったということはそれなりに近い位置にいるということだろう。少なくとも『名前を知られていないその他大勢』とかではあるまい。
暗殺者を金扱いするのも、それならば頷ける。実力者の国において見た目や年齢は関係ないのだ。
「だからミヅキ相手に顔や金で釣ろうなんて絶対無理です。あの殿下も自分の配下を簡単に手放したりはしないし、こちらもジークを婿に出すわけにはいきませんから」
「まあ、な……」
英雄の血筋であることに加えてその特出した戦闘能力。国は絶対にジークを手放さない。
有事の際には貴重な戦力であり、民に生きる力を与える最高の駒なのだ。見た目も影響し間違いなく英雄の再来に仕立て上げられるだろう。
かと言って、魔王殿下が己の配下を手放すことも考えられなかった。
キヴェラから来た『自称・逃亡した王太子妃の追っ手』の起こした事件は、被害者がイルフェナからの旅人であったことから近衛の一部隊が派遣されて来たと聞いている。どうでもいい存在に対して、そんな連中が出て来るはずはない。
重要な手駒か、それなりに身分のある者か、それとも期待の新人か。
少なくともキースが『無理』という理由には十分だ。ミヅキ以上に魔王殿下の説得も必要になるのだから。
「あとミヅキは婚約者がいると言っていたので、その婚約者と家が黙っていない可能性もあります。もしくはミヅキ本人が拒絶するかもしれません」
「俺では駄目か!?」
「主に頭の出来の所為でな」
婚約者がいるという暴露にジークが声を上げるが、ばっさり切り捨てるキース。さすが年季の入った御守である。
だが、そうなると状況は益々厳しくなってくるだろう。貴族ならば婚約者がいたとしても不思議ではないので予想はしていたが、状況的に相手がかなり高位の貴族という可能性も出てきた。
どうやらジークは相当厄介な相手に惚れ込んだようだ。まあ……話を聞く限り最難関がミヅキ本人という気がしなくもないのだが。
「仕方ない、最終手段を使おう」
ふう、と溜息を吐く。これはあまりやりたくなかったが、現状では唯一の方法だ。
後々魔王殿下に嫌味を言われ、ミヅキ本人には嫌われる可能性大という、少々非情な手段である。
胸元のポケットから紋章入りのカフスボタンを出すと家族の表情が変わった。そこに彫られているもの、それはこのカルロッサの王家の紋章。
元々王家の血が入っていることに加え、初代以降も高位貴族と縁組してきたフェアクロフ伯爵家。その功績と血筋から通常とは少々異なった扱いを受ける一族でもあった。
自分が妻との婚姻を許されたのも『フェアクロフだから』という理由一択だ。定期的に王家の血を混ぜて国に縛り付けておきたい一族なのだから。
『英雄』には彼を支える『姫』の存在が不可欠である。どこの国でも行なわれてきたそれが単純に恋愛である筈はない。
要は有能な人材を国の所有にさせる鎖なのだ。まあ……この国の姫は例外だったようだが。一介の騎士に嫁ぐという無茶苦茶な要求が通ったのもそういった思惑からである。
そして私のかつての立場は王子――王族である。
ここは一つ王位についている兄に外交の一環として頑張ってもらうとしよう。
なに、ジークのことは兄達にとっても頭の痛い問題ではあったのだから協力は惜しむまい。可愛い甥っ子のためだ、血を吐く覚悟で魔王殿下に挑んでもらおうじゃないか。
「陛下の……いや、兄上の下に行く」
外交としての交渉ならばまだ望みがある。複雑そうな表情をする者達を視界に入れないように努め、私は城へと向かう準備を進めた。
誰もジークに期待せず。そんな甲斐性はありません。
さっさと外交路線に切り替えます。