イルフェナにて
――イルフェナ・騎士寮(レックバリ侯爵視点)
※時間的に主人公達が夜会から一旦部屋に戻った直後くらいです。
エルシュオン殿下より送られてきた簡単な報告に目を通し、思わず苦笑する。
『夜会で動きがあれば即座に報告するよ』とわざわざ儂に言っておいたのも、こちらで怒りを募らせている者達を押さえろということだろう。
この騎士寮に生活する者達ならば侯爵であり長く政の中枢に関わってきた儂の言葉を無視できまい、そう見越してのことだ。
確かにそれは正しい選択だったと思う。甥であるゴードンを訪ねるという名目もあるのだ、他者に訪問を気付かれようとも余計な不安を煽る事にはならないだろう。
『若い』ということもあるのだろうが、ここに暮らす騎士達にとっては主以上のものなど存在しない。それをああも軽んじられては、怒るなと言う方が無理だ。
だが、バラクシン王はイルフェナの怒りを正しく理解したようであった。
極簡単に綴られた処罰は一見軽く見える為に反対され難く、当人達にとっては非常に重いものだったのだから。
彼ら自身のこれまでが苦難という形で降りかかってくるとも言うが。
まさに自業自得。こちらの予想通り、バラクシンの王は厳しい処罰をしたようだった。
「ふむ、これならばイルフェナも文句はなかろうな」
満足げに頷きながら無事に収まったことを喜べば、やや不満そうにしながらも騎士達は頷き合った。
その様子に苦笑を浮かべる。今はまだ直接本人達に何かあったというわけではないので、仕方がないのかもしれない。
彼等の罰とは安堵した先に待ち構えているものなのだ……つまり『気付いた時には決定された後』。
周囲にも妥当と判断された処罰――命に関わるものではなく、王家から切り離す程度――とあっては、異議を申し立てるなどできよう筈がない。
「エルシュオン殿下は慕われていますからね」
幾人かの近衛騎士が混ざる中、穏やかな声で眼鏡をかけた男が微笑ましそうに言う。
男の名はクラレンス・バシュレ。現在、バラクシンへと同行しているアルジェントの義兄だ。
「おやおや……その割には随分と落ち着いとったなぁ?」
「ええ。あの子が大人しくしている筈はありませんから」
窺うように尋ねれば、何処か含みのある笑みと共にそんな言葉を返される。
そのままクラレンスは騎士達にちらりと視線を向け。
「貴方だけではなく、彼らも彼女に『玩具』を渡したのでしょう?」
「おや、何のことかね?」
表情を崩さずに返せば、クラレンスは益々笑みを深くした。
「憤りながらも『何か』を期待している。……そう見えるのですよ」
そういえばクラレンスは近衛の教育係も務めるのだったか、と思い出す。
上辺だけではなく内面すら見抜き厳しく審査するこの男ならば、騎士達の様子から何かを察するのは容易いのだろう。
尤も……それを咎めるような様子は見られない。純粋に期待というか、面白がっているようである。
「なぁに、大した事はしとりゃせん。ただ、向こうは異世界人を異端扱いする可能性があるからの。対抗する術を持たせておかんと」
「なるほど、『情報』ですか」
「どう利用するかまでは知らんよ。出来る事は限られとるからの」
ただし、それは『普通に考えた場合』という意味だ。
自分の与えた情報は『苦情を言って意味がある人物』と『彼についての情報』なので、精々が彼に『教会派が魔導師とイルフェナに喧嘩を売った』という情報を流し警告する程度である。
ただ……そこに黒騎士達から貰った『玩具』――教会の不正の証拠などだ――が加わると、『奴等を黙らせろ』という脅迫にはなるだろうが。
個別の情報では大した事はなくとも、組み合わせれば無関心ではいられない。
ミヅキはこういった物を組み合わせて策にするのが大変上手いので、間違っても単純な抗議だけでは終わらないだろう。
何よりミヅキ本人が大問題なのである。
ミヅキは魔導師、使う魔力量さえ見誤らなければほぼ万能と言ってもいい働きが出来る。
しかも異世界人――あくまでミヅキだからという意味であって、全ての異世界人というわけではない――なので、自分にとって価値がないものに関しては全く手加減をしない。
忘れたり見逃したりした場合はほぼ間違いなく、何らかの利用価値があるから残しただけである。本人の性格と親猫の教育の成果で、その方向性は大変物騒な方面に成長を遂げていた。
つまり……『誰が信じるんだ、そんな穏便な報復』と誰もが思っていたりする。
といっても、我々には無害どころか頼もしい限りなので問題はない。
泣くのは仕掛けた連中であり、飼い主限定で『待て』ができる猫に主が制止を命じない限りは、誰が何を言っても無駄だ。
……殿下が言っても無駄な場合もあるのだが。まあ、子猫は奔放なものであろう。
「そうですね、そういうことにしておきましょう」
クラレンスはそれ以上の追求をする気は無かったらしい。面白そうに、僅かに目を細めると話題を変えるように別の事を言い出した。
……。
何故かその顔に黒いものが見え隠れした、ような?
内心首を傾げるも、それを表に出すようなことはしない。
「そういえば……カルロッサの宰相補佐殿もミヅキに気を付けるよう言っていましたね」
「ほお? そういえばバラクシンに出かける前に来ておったな、あやつ。ミヅキと知り合いだったのか」
「ええ。逃亡中、カルロッサでキヴェラからの追っ手と揉めたそうで」
「……」
あれか。
揉めたというより、喧嘩を吹っ掛けられて逆に泣かせたとかいう。
確かにあれは宰相補佐という立場の者が動かなければならなかっただろう。キヴェラの追っ手達の態度が問題あり過ぎだったのだから。
だが、ミヅキ達も十分問題行動をしているような気がする。拷問紛いの手を使う娘を案じると言われても、素直に普通の心配だとは思えない。
しかもクラレンスは対応に向かった一人……ミヅキが決して『無力な娘』ではないと知っているのだ。それは宰相補佐殿とて同じだろう。
その二人が揃った挙句に一体何を企んだのかと、思わず生温かい視線になりながらクラレンスに先を促せば無害そうに微笑む。
「彼はミヅキが殿下に懐いている事を知っているのですよ。ですから、バラクシンの教会派貴族の手駒筆頭……近衛の隊長格の一人と彼が率いる教会派の騎士達について注意を促していました」
「ああ、あやつらの事か」
「ええ。ミヅキは知りませんからね」
クラレンスの言う面子を思い出し、少々頭が痛くなる。居たな、そういえば。
教会派貴族には当然騎士になる者もいる。その筆頭ともいうべき存在が近衛の隊長格にいるのだ。こいつは実に鬱陶しかった。
まず本人は侯爵家出身であり、その実家や有力な教会派貴族が後ろ盾になっているような状態だ。余程の失態が無ければ降格や排除はあの国では無理だろう。
そんな状態だからか、奴は近衛のくせに王族を見下す傾向にあるのだ。
自国の王族への態度は他国の王族へも滲み出る。外交でバラクシンに赴く場合とてあるのに、その態度。当然、他国の者とて不快に思い彼等の家とは婚姻など結ばない。
結果、彼らは国内での繋がりを強くしてしまった。それもバラクシン王家の苦難に繋がっているのだが、他国よりも自国だ。
「割と知られていますし、隠された情報でもありません。異世界人であるミヅキに仕掛けてくる可能性があると、案じていたのです」
「確かにありそうじゃな……殿下や忠犬どもに喧嘩を売るほど愚かではあるまいよ」
と言うか、単純に仕掛けられるのがミヅキしか居ないだろう。殿下やあの二人は実家も含めて怖過ぎだ、それは十分知られている。
言いたい事が伝わったのか、クラレンスは頷く。
「私もあの子のことが心配でして。つい、愛用の鞭の予備を渡しました。今回は殿下の護衛という名目での同行ですから、武器の一つもあった方が良いかと」
「は!?」
ぎょっとしてクラレンスに目を向ける。その表情は何処までも『妹のような子を案じる優しいお兄さん』。
「ああ、大丈夫です。あの子は非力な上、鞭など使った事がありませんから。音こそ派手ですが、威力はそれ程ありません」
「い……いやいや! あの娘が鞭を振り回すというだけで何やら物騒な感じがだなっ!」
「ですが、魔法よりはマシでは?」
思わずミヅキを思い浮かべ……確かに慣れない鞭の方がマシな気がすると思った。
ただ、凶暴さは鞭装備の方が上だ。脅迫には十分過ぎる効果を発揮するだろう。
「多少の怪我なら治癒魔法がありますし、報復やちょっとした『お話』には十分だと思います。あの馬鹿……失礼、無能で愚かなどうしようもない騎士達が『おいた』をしなければ良いだけですよ」
そうは言いつつも、クラレンスは奴等がミヅキに仕掛けてくると思っているのだろう。既に仕掛けてくること前提で話をしているのだから。
何せ奴等はミヅキをアリサとかいう異世界人と同等に思っている節がある……その凶悪さを知らない。
さすがに他国の王族や公爵家の人間に直接手を出す真似はしないので、消去法で仕掛ける相手はミヅキになる。
これに殿下が抗議しようにもミヅキは異世界人、立場的には民間人だ。しかも護衛扱いなので客ではなく、向こうの方が立場は上。処罰が望めるはずは無い。
他国の者だろうと身分が重要視される。それが現実なのだ。精々、口だけのお叱りがある程度。
今回はバラクシン王家がイルフェナ勢を招待した形なので、彼等を貶めるという意味で狙うかもしれない。『王に謝罪させるよう仕向けた』という優越感に浸る為に。
「王に恥をかかせる、というだけでは済まんのじゃがなぁ」
呆れながらも想像し……即座に首を横に振る。駄目だ、組み合わせが悪過ぎる。
現実になれば、連中の行動はミヅキを知らないからこその暴挙とも言えるだろう。王に恥をかかせることも問題だが、その弊害の大きさを全く理解していないのだから。
それくらい連中は愚かだ。繰り返すが、思い上がった愚か者なのだ……!
そもそも民間人一人の為に『殿下が抗議する』、『王が謝罪する』という事態が普通におかしい。はっきり言えば『謝罪で済ませたから報復を止めなさい』と凶暴娘を宥めているだけである。
ミヅキが報復行動を起こす前に連中を処罰しようにも、教会派貴族達がミヅキの身分を盾に奴らを擁護するだろう。そうなってくると現実を理解している王が場を収める意味で、頭を下げるしかない。
奴等は単純にも『イルフェナの機嫌をとる王』という方向にしたいだけなのだ、『何故、王がそこまでするのか』を考えることもなく。
そうなる過程が容易く予想できてしまい、思わずバラクシン王に同情する。
クラレンス達が関わっている以上は『予想』ではなく、何らかの情報を得た上での『実行誘導』だ。大変性質が悪い。
何せクラレンスの言い分は『彼等が騎士に相応しい態度をとっていれば起こらない』という誰が聞いても納得できるもの。ただし、被害者が規格外では結果とて変わってくる。
事実、彼等だけではなく『貴族は民間人に何をしても許される』と考える連中はそれなりにいるし、一般的な認識だ。突き抜けた規格外を見抜けと言うのも酷な話なのだろう。
ミヅキを知らなければ一方的に奴等が悪者で終わる。クラレンス達はそれを理解した上でミヅキを煽った。これが悪意でなくて何であろう。
何か言ってきたら『身分制度を重視するなら王家を敬え』とでも言い返す気満々と見た。寧ろ何も言い返せない奴等を見て楽しむのかも知れない。
「彼等はミヅキと直接会った事がありません。……大人しくしているでしょうか?」
「お前さん……ミヅキと連中が揉める事を期待しとるな?」
「さあ? それにこれは我々の予想でしかありません。現実になるかは不明です」
片眉を上げて訝しむも、クラレンスは楽しげに笑うばかり。
……どうやら副団長様もミヅキの扱い方を覚えてきたらしかった。完璧に『玩具の与え方』を心得ている。
それと同時に利用することも覚えたのだろう。そうでなければ今の立場に居まい。
「宰相補佐殿はミヅキに手土産を貰って上機嫌で帰りましたよ。心配してくれた人に感謝ができる子と只でさえ評判の悪い教会派貴族と騎士……カルロッサは彼らに対しどう思うでしょうね?」
「ほお、カルロッサを巻き込んだか。確かに今ならばミヅキを支持するじゃろうな」
「巻き込むなど、とんでもない。ただ……異世界人の魔導師が少々暴れても責める国が少なくなる程度ですね」
クラレンスの口元が一瞬冷たく歪む。どうやら何らかの思惑があり、ミヅキが暴れる事を前提に根回しをしたということらしい。
魔導師だからこそ災厄だの悪だのと思われ易いが、幸いにもキヴェラの件でミヅキの評価はそこまで悪いものではない。しかも今回の非は明らかに向こうにあると認識される。
「その結果、バラクシン王家も彼等を駆除できるのではありませんか? あの子が暴れた後の他国の後押し……『国を守る為に仕方なく』処罰しなければなりませんよね?」
穏やかな笑みの中に妹のような娘を案じるだけではないものを感じ取り、僅かに瞳を眇める。
探るように見つめれば、眼鏡の奥の瞳が楽しくてたまらないというように細められた。
そこにクラレンス達の『目的』を悟る。
「……。カルロッサの宰相補佐と組んで奴等を追い落とす気か」
「我々にとっても彼等は邪魔なのですよ」
告げられた本音。それは随分と単純で、けれど身内さえ利用する毒を含んでいた。全ては忠誠誓う国の為。
そしてそれは頷き賛同する自分にも当て嵌まる。
「確かに。他国だろうともああいった輩が居るのは困るからの」
「ふふ、教会派貴族は相当痛い目を見ることになりそうですね。それに我々が何かを仕掛けたわけではありません。ほんの少し、忠告を促した果てに結果を受け取るだけです」
優しげな声とは裏腹にその計画は極悪だった。ミヅキの性格を理解しているからこその策とも言うだろう。
簡単には干渉できない他国だからこそ、その機会を逃すことなどしないのだ。まして今回は最強の駒が居る。
近衛副騎士団長クラレンス。彼は間違いなくシャルリーヌの夫に相応しい。
『混ぜるな危険』と言われた片割れは、片方だけでも十分過ぎる毒である。
「特に今回は徹底的に教会派を目の敵にしていますからね、ミヅキは。次の機会がいつになるか判りませんから、ついついはしゃぎ過ぎてしまうかと」
「はあ……まあ、今回ばかりは止めはせんよ。お前さんの思惑にも否とは言わん。殿下が苦労しそうだがの」
思わず漏れた本音にクラレンスは楽しげに頷く。
「殿下も随分と印象が変わりましたしね。かつては恐れを抱かれる方でしたが」
そうだ、エルシュオン殿下はそれが当たり前だった。いつだったか、ある女性がこう言っていたのだ。
『幼い頃、月の美しさに誘われて夜の庭へと出たのですが……不意に周囲の暗さと月明かりの冷たさが恐ろしくなってしまって。自分を覗かれるような、世界にたった一人のような恐怖に見舞われたのです』
『殿下と目が合うと何故かそれを思い出すのです。美しい方だと、国を誰より思う方だと知っているのに恐ろしくて足が竦んでしまう』
魔力による威圧は本能的な恐怖に通ずる。おそらくはそれを言いたかったのだろう。
その視線の強さに、魔力に、そして深い瞳の蒼に恐怖を抱くのだ。まるで底の見えぬ湖に見惚れながらも引き込まれるような……そんな恐怖に。
だが、最近の殿下は随分と様子が違った。
はっきり言えば冗談抜きに親猫じみてきた。
いつぞや見かけた姿は本当〜に親子の猫のようだったのだ。
一部を結った金の髪をゆったり揺らしながら、優雅に歩く殿下、その傍を高い位置で一つに結い上げた黒髪を揺らしながら足早に付いていくミヅキ。
歩幅が違う所為か、ちょこちょこと付いて行く姿はまさに『尻尾を振りながら親猫の後を追う子猫』。
ちらちらと隣を気にする殿下も、子猫がついて来ているかを気にする親猫に非常に似ている。
『血統の良い大型の長毛種が雑種の黒猫の面倒を甲斐甲斐しくみているようだ』とは双子の騎士達の言葉だ。そうか、やはりそう見えたか。
なお、ミヅキがろくでもない発言をすると引き摺られたり抱えられたりして捕獲・拉致しているらしい。
そんな姿を目撃されれば嫌でも印象は変わる。何せ傍に居るミヅキが殿下を全く恐れず、逆に懐いているのだから。
「私は殿下にとってもあの子が居ることは良い事だと思うのですよ。あの子を間に置くことで、殿下は人と普通に接することができるのですから」
「……それは殿下以上に凶暴なのが傍に居るから、と言わんかね?」
「そういった意味もあるでしょうね。ですが、親猫と子猫という表現が想像以上にしっくりきてしまって」
そう言って笑いながらもクラレンスは嬉しそうだ。
殿下は苦労が増えただろうが、殿下を不憫に思ってきた者達にとってその変化は歓迎すべきものである。
本能的に恐れながらも慕ってきた、生まれながらの魔力の齎す弊害に傷付く姿を見てきた……見守る者は殿下が思うよりもずっと多かった。
ミヅキが殿下の周辺に好意的に受け入れられるのは、そういった事情もあるのだろう。
「ならば殿下は今後も苦労しそうじゃのう? 今回も頭が痛いことじゃろうて」
「ええ。ですが総合的に見て良い方向にいくならば、いいんじゃないですか?」
「違いない!」
笑い合う自分達を見れば殿下はきっと嫌な顔をするだろう。だが、それでもミヅキへの保護者根性は消えるまい。
悪戯盛りの子猫を持つと親猫は大変ですなぁ……頑張ってくだされよ?
バラクシンで密かに苦労し、それでも見捨てるという選択肢は無い魔王と呼ばれる青年に。
ひっそり激励と哀れみと……喜びを覚えたことは胸に仕舞っておくとしよう。
「ところでな。お前さんの思惑がミヅキにバレたらどうするつもりじゃ? 利用されることに納得はするだろうが、何も告げないというのは酷くないかね?」
「それはアルに頑張って機嫌をとってもらいましょう。放っておけば恋人にすらなれませんし、努力を見せる良い機会じゃないですか」
「……丸投げするのか」
「愛の鞭ですよ」
そんな所まで妻と同類でなくていい。そう思うのは儂だけではないだろう。
玩具を与えるのが一人だけとは限りません。
そして玩具で誘導される場合もあります。
こればかりは経験の差。