月と魔導師と聖なる? 夜に
――ある部屋にて(女性視点)
豪華な食事に極上の酒。それを楽しむのが聖職者達だとは普通思うまい。
給仕をしていた女は内心ひっそり溜息を吐くと、頭を下げて部屋を後にする。
いつものことだ。必要な仕事をしたらそれ以上はここに居てはならないと、彼等から硬く禁じられている。
おそらくは自分には聞かせられない話なのだろう。
それが聖職者としての機密……などとは思わなかった。
聞かれて拙い内容ならば『後に脅迫に使うかもしれない』と警戒されるのも頷ける。
そう言った意味では彼等は女を正しく判断していた。こんな事実を知りつつも、自分は保身の為に彼等を断じることをしないのだから。
尤も『秘密』を手にしており、それを交渉材料として今後が楽に過ごせるならば間違いなく利用する。その程度の『おこぼれ』は許されるだろう。
勝手な彼等と同じくらいに勝手な事を思いつつ、下の階にある自室へと足を進める。
片付けは翌朝、彼等の楽しみが深夜に及ぶ事もあるのだから。まあ……今日は夜会があるお陰で貴族達が混ざってはいないから、朝の祈りには参加するだろう。
その時点で聖職者として色々と失格なのだが、貴族のご機嫌取りが重要な仕事であることも事実。寄付がなくては運営が成り立たないのだから。
「……?」
不意に何か聞こえた気がして窓の外に目を向ける。そこには美しい月があるのみ。
そんな中、月明かりに照らされた教会が何故か……何故か恐ろしく思えた。
まるで自分の心を暴くように降り注ぐ、柔らかい月明かり。
自分もこの光の下ではあの教会の様に本性を曝け出しているのではないか?
神を冒涜する、ろくでもない教会の暗部のように。
そんな思いに囚われ、思わず足を速める。
月はただ変わらずに全てを照らしているだけだというのに。
……部屋に篭る程度で逃げられる筈はない、というのに。
※※※※※※※※※
『今夜は最上階のこの部屋に奴等は居る筈だ。建物に被害を出すならば最適の場所だな』
彼が見取り図を見ながら言った言葉は私にとって非常に都合のいいものだった。
どうも目的の部屋の縦並びは現在空き部屋になっているらしい。すぐ下は彼等の内の一人の部屋、その下は客室だそうな。
教会派貴族達が集まる事があるから、だとさ。秘密の御話には最適の場所ってことかい。
まあ、私としては個別撃破をしなくて済むのでありがたい。さくっと〆てさっさと裏方に回ろう。
で。
先ほどと同じように窓から内部を窺い、無人である事を確認後に室内に転移。魔血石を置いて小細工完了。
なお、位置合せは簡単な方法を共犯者が教えてくれた。天井の中央の模様に合わせればだいたい部屋の中心、縦一列になるんだとか。
溜息を吐きつつも情報をくれるあたり、作戦の成功を願う事にしたのだろう。人間諦めが肝心です、利害関係の一致は素敵な絆。
そして残るは断罪もとい、襲撃です。窓から入ると丁度逆光になるから顔は見えないだろうけど、念のために幻影を纏ってゲーム内の姿になっておく。
影は本来の姿になるから、奇妙さの演出としても丁度いい。
さあ、レッツ御礼参り!
『神の怒りを買った証』の準備も当然してある!
いざ、敵地へと乗り込まん!
外から室内で楽しく会食する姿を確認し、私は口元に笑みを浮かべる。
ほほう、室内も居住棟に比べて内装が立派だとは思ったけど、食事も豪華っぽいな。明かりは蝋燭と魔道具か……魔石は破壊して、蝋燭はお約束どおり風を起こして消せばいいか。
室内なのに風が吹いて蝋燭が揺らめいたり消えたりするのは、ホラーのお約束!
でも残念な事に今回はそれだけ。一応『奇跡』という神聖な方向に持っていかなきゃならないし。
黒い影が徐々に迫るとか、ポルターガイストもどきを起こしても雰囲気たっぷりな環境なのに残念だ。
……次があったら絶対に試そう。
そう心に誓って彼等に気付かれないよう転移魔法で室内へ。かなり広い客室? らしく、彼等が使っているテーブルもそれなりに大きい。
そして現在、テーブルの下に潜入中。魔法による転移とテーブルクロスのお陰で誰も気付きません。
手品じゃあるまいし、いきなりテーブルの下に人が湧くとは思わんよね。様子を探るには良い場所だ。
テーブルクロスは床上四十センチほど。そこから窓が見えるから、ここから出て行く時は窓が背になるよう再び転移すればいい。
「……ん?」
「どうかしたのかね?」
ふと会話を止めた男に多分右隣の男が声をかける。
室内には三人だけ。教会派貴族は夜会があるから、極々身内の晩餐というところか。
――では、そろそろ始めましょうか?
「今、風が吹かなかったか?」
首を傾げる動作でもしたのか、笑い声が二人から起こる。
「風? もしやテーブルの蝋燭が揺れたからとか言わないだろうな?」
「おいおい、私は何も感じなかったぞ? 窓は閉まっているしな」
彼等の様子が見えないのでよく判らないが、他の二人は軽く起こした風に当らなかったらしい。からかい混じりに否定の言葉を紡いでいる。
そんな仲間の言葉に本人も気の所為だと思うことにしたようだ。再び会話を始めている。
……ターゲット決定。狙いが定まれば後は同じ事の繰り返し。
その後もちょくちょく気付いた一人のみを狙って風を起こしていたら、やがて呆れたように一人が立ち上がった。
「判った、判った。多分、窓に隙間でもあるんだろう。私が確認してやろう」
そう言って席を立ち窓の方へと歩いていく。そして窓が閉まっているか確認し、手を当てて隙間風が無いかも確かめると振り返り。
「ほら、気の所為だ。何も……」
ない、とでも言おうとしたのだろうか。それより早く私が室内中の明かりを全て落とし、男の背後に転移する。
気配に気付いて振り返ろうとした男の腹部に衝撃波を一発。突如明かりが消えた事に驚いていた二人は、男の崩れ落ちる音に窓の方へと顔を向けた。
その頃には私は窓を背にして立っている。二人から見れば黒一色の不審者、というところだろうか。
……私は崩れ落ちた男を踏んでいるのだが、そこまで気がつかないようだ。驚いているからなのか、その程度の仲なのか疑問に思う光景である。
「き……貴様、どうやって入ってきたっ!」
『さあ? 最初から居たのかもしれないね?』
ゲーム内の声と本来の声の二重音声で紡がれる言葉に二人は顔を引き攣らせる。女とも男とも判断がつかないようにする為なのだが、結構不気味だな。意外と使えるようだ。
なお、幻影は通常自分の記憶を元に再現するだけである。影は出来ないし髪や衣服が風に靡く事も無いので、不自然さから幻影と判るんだそうな。
声も自分が聞いた台詞に限られるので、会話などは勿論出来ない。私がゲーム内の姿に限り可能なのは『自分自身だったから』。
砦イベントで幻影と思われなかったのは、会話が成立していたからである。それ以外は当時の仲間の姿を再現しただけだったしね。
『これが聖職者の姿とはねぇ……恥ずかしくはないのかい? 貴族達とも随分と仲良しみたいだね?』
「何を……」
『ああ、言い訳は結構。全部判っているからさ?』
「勝手な事ばかり言いおって! 私達に危害を加えればどうなると……」
その言葉は最後まで紡がれなかった。私が一瞬で男の足元から鋭い氷の刃を発生させたから。
キィン……と澄んだ音が複数響くと同時に首筋や体周辺にひやりとした感触。足元から突如生えた氷の刃に『動けば死ぬ』と本能で悟ったのか、縋るような視線が私へと向けられる。
もう一人は状況を理解できた恐怖ゆえか目を見開いて尻餅を搗き、ガタガタと震えだした。
だって、私は彼等と会話をしていたのだから。
詠唱なんて『できる筈が無い』のだ。
魔導師という発想はまずないだろう。何せこの世界の魔法は詠唱するのが『常識』。
無詠唱が受け入れられたのは『魔導師という曖昧な存在だから』。魔導師だから無詠唱、というわけじゃない。
攻撃系の魔道具ならば無詠唱も可能だろうが、それでも今の状態には無理があった。
魔血石でも設置しておかない限り魔法の発生源は術者や魔道具の魔石。いきなり何も無い足元から氷の刃が生えたことも二人を怯えさせた要因だろう。
黙った二人ににこりと微笑みかけると、月明かりだけの室内でも彼等の顔が益々恐怖に歪むのが判った。
まあ、向こうからは黒い人物の口元だけが笑みを浮かべたように見えるんだろう。断罪の使者というより悪霊の方が似合っているに違いない。
得体の知れない化物とでも思われているのかもしれないが。
『だから、何? 私には君達のことを気にする義務は無い。そう……』
片手を挙げて魔力を集中し、置いてきた魔血石の気配を辿る。そして。
『こんな風に』
勢いよく振り下ろすと同時に全ての魔石を中心に上下へと衝撃波を発生させた。
丁度テーブルの下が通過地点だったらしく、盛大な音を立ててテーブルごと粉々になる。
料理の乗った食器、ワインのボトルにグラス、割れたテーブル、そして……空が見えるようになった天井の破片。
パラパラと落ちてくる小さな破片に二人は思わず上を見上げていた。そこに穴を見つけてそのまま視線を下に向ける。下にも同じような、階下をぶち抜いた穴。
『さあ、断罪の時間だよ』
にやり、と笑い。彼等の命乞いを聞く前に、私は二人を先の男と同じように昏倒させた。そして起き上がらないか暫し待つ。
……。
よーし! 任務完了!
あれ、そんなに怖かった? 視線を上に向けた隙に氷の刃を消した事さえ気付かないほど吃驚した?
私は満足した! ハロウィンかエイプリルフール的イベントが成功したような達成感だ!
あらやだ、意外と悪霊役って楽しい。今度イルフェナで提案してみよう。
……さて、いつまでも馬鹿やってないで次の行動に移りますか。
実を言うと魔血石を置いた部屋に防音結界を組み込んだ魔道具――黒騎士製――を設置してきたので、この音で人が集まる事は無い。この部屋に関しては私が同じ物を所持している。
この後に残りを回収すれば証拠隠滅も完璧です。今の音さえ気付かれなきゃいいんだもの。
それでも時間を気にするのは証人となるべき人達の就寝時間が迫っているから。居住棟はともかく、周辺に住む信者達が眠ってしまう。
で。
ごそごそとポケットから取り出したのは一辺が十センチくらいの紙。そこには漢字で『怨』と書かれている。
イルフェナで作ってきた刺青の元ですよ。黒インクだけど筆を用意してお習字して来たさ……!
刺青は基本的に皮膚に色を入れるものだ。ぶっちゃけると針で皮膚を刺し、色を埋め込むという超簡単な手段で出来てしまう。
今回は文字の転移の応用で紙に書かれた文字を皮膚の下に移してしまおうと思っているのだ。大丈夫、数は十分用意してきたから!
漢字アートって言葉もあるし?
この世界では日本語はグレンぐらいしか判らないだろうし?
意味が判らない分、不気味じゃないか!
絵として認識されるかもしれないけど、込めた気持ちは文字のまま。
私にとってはキヴェラよりも色々やらかしてくれた元凶なのだ。これで懲りなきゃ次は『呪』とか『殺』にしてやる。
暫く顔に浮き出ていればいいので、一発勝負です。きっと解毒魔法とかを試すだろうし、人体に有害なことにはならん。寧ろこの状態で治癒魔法をかけると色素が定着するだけじゃないかと思ったり。
そんなことを思いつつ、さくさく作業。刺青前に治癒魔法をかけて腹部の痛みをとっておくことも忘れずに。
これで目が覚めた時は襲撃が夢か現実か判らないだろう。現実だった証拠は顔の黒い文字――彼等の認識は絵かな? ――と破壊された数々の物、そしてこれから彼等が体験する苦痛の時間。
怪我をしたわけじゃないから、刺青は治癒魔法をかけても無駄だ。だって、色素が定着してるだけだもの。
得体の知れない黒い刻印の恐怖に怯えるがいい……!
その後。
奴等を放置し防音結界を回収・ぶち抜いた穴を確認、その傍ら結界を張った内部に悪魔の霧(笑)を充満させ。
彼の元へと報告をした後に一旦外に出て教会の一部を破壊。同時に強い光と音で『雲一つ無い空なのに落雷発生』という不思議な現象を模造した後は、音に驚いて様子を見に来た周辺の人に混じった。
そして何食わぬ顔で彼の指示に従い被害者達救助のお手伝い。頑張れ、聖人(予定)。私はここでやらねばならんことがある。
内部は悪魔の霧の被害がばっちり出ていたらしく『突然の落雷に上の指示を仰ぐ』という名目で特別棟を訪れた彼は、即座に救助活動に切り替えていた。
初めて被害者を見た時、ちょっと涙目になったみたいだが。そういや被害者がどうなるか詳しく説明していなかったけ。そりゃ、怖いか。
『水で洗えばそのうち落ち着くよ』と教えてあったので、咳き込む程度を予想していたのかもしれない。すいません、これは騎士を黙らせる威力があります……!
一番最初に運ばれてきた警備兵――入り口近くに居たそうだ――の様子に集まってきた人々もビビる中、彼は必死に救助活動を行なっていた。
他の人が手伝おうとしても中には入れないのだ、結局、彼以外は被害者の手当てをすることになり恐怖を募らせていく。
……伝染病か何かと思われたんだろうか。確かに目は真っ赤になって涙が止まらないみたいだけど。
私は手当てをしつつ『彼は特別な存在なのですね!』と言わんばかりに褒め称えて聖人ルートへと誘導。
救助活動に参加しようとして被害にあった勇気ある人達は気の毒なので、手当てをする振りをしつつ成分を除去。これも奇跡にすべく幻影で上空から透ける羽根を降らせてみる。
ゲーム内で散々お世話になった広範囲治癒魔法のエフェクトだったのだが、人々の目には奇跡として映ったようだった。それも『勇気ある行動に神の慈悲が与えられたのでしょうか』と言ってさらに誘導。
被害者があまりいなかったので救助作業はそれほどかからなかったのだが、その頃には彼へと向けられる眼差しが尊敬に満ちていたのは言うまでも無い。
……そして私に向けられる彼の眼差しが『何をしやがった、貴様ぁっ!』と語っていたのも言うまでも無い。疑いどころか確信だ。
やだなー、予定通りじゃん? 細かい事を気にしていたら大物になれないぞぅ。
人々に囲まれて被害者達を治療すべく指示を出す彼を微笑ましく見守りつつ、私はひっそりと結界の破壊と悪魔の霧の後始末をして部屋へと戻った。
姿を消すのはこのタイミングしかないので仕方ない。
……仕方ないのですよ、逃げたんじゃないやい。
遅くなると親猫様が怒る、という理由もあったんだけどね。だってこの後は報告タイムなんだよ!?
断罪どころか状況を楽しんでいるお馬鹿さんが一匹。