色褪せてゆく夢物語
興味深げに向けられる人々の視線と無責任な噂。
それを感じ取った令嬢は益々俯き、フェリクスは彼女を気遣い慰めの言葉を送る。
それを見て私は悟った。
……ああ、そりゃ嫌味の一つも言われるだろうと。
至らないからこそ注意されるのだ、言われたら即座に謝罪し直せば努力する気があると判る。
だが、彼女は俯くばかり。自分が悲しむだけで改善しようという姿勢は見られない。そもそも妃になろうという女がこの程度で傷付いてどうする。
尤も彼女の教育者だろう人物――フェリクスとその母親あたりだろうな――にも問題があると見た。
奉仕活動に熱心で、『着飾るより子供達にパンを』なんて言葉が出る令嬢が野心を胸に社交界に赴く日々を送っていたとは思えないのだ。
ライナス殿下達とて『彼女もその家も善良な部類』だと言っていたのだから、政略結婚狙いの野心など欠片も無かったに違いない。
同じく信仰心厚い下級貴族あたりに嫁げば穏やかな日々を送れたことだろう。
それを狂わせたのが王族……フェリクスとの恋。
玉の輿を狙う野心家ならば現実が見えているし努力もするだろう。だが、彼女は素敵な恋に憧れるただの娘だった。
年頃の女性達が憧れる恋物語そのままの『運命の出会い』とやらを選んでしまった。
それに共感したのがあの侍女なのだろう。彼女にとっては恋人達こそ『物語の主役』なのだから、邪魔をする者達は全員が『悪役』。
……実はもう一つ気になることがあったりする。
彼女と侍女に関する悪い噂は聞いても、彼女の実家に関しては全く聞かないのだ。
野心家でなくとも娘の事なのだから、影ながら支えるとか娘を諌めるとかしていそうなもの。
その場合は『娘を諌めきれない不甲斐無い親』とでも噂されるのだろうが、そういった事も聞かない。というか、姿を全く見かけない。
これに当て嵌まる状況として浮かぶのが『既に亡くなっている』か『娘とは縁を切った』ということ。
ただ、両親が亡くなっていた場合は呑気に奉仕活動などできるはずもないので後者の可能性が高い。
絶縁し自分達が今後一切関わらないと宣言でもして社交界から遠ざかれば、周囲とて令嬢の実家は彼等とは違うのだと認識し罵るまい。
彼等は子爵家、身分制度を理解していれば王子と伯爵家に逆らえる筈は無い。押し切られた可能性とて十分にあるからだ。
ある程度貴族社会での付き合いを知る親ならば、娘ほど楽観的な思考はしていないだろう。己が娘の性格だってよく理解できているはず。
婚約自体に反対してたんじゃないのか? 令嬢の実家は。
相手の王子がきちんと娘を教育できるような人ならばまだ違ったのかもしれないが、フェリクスでは全く期待できない。
何より娘の性格上、王族の妃が務まるとは思えなかっただろう。幸せな結婚を望むならば絶対に止めた筈だ。
というか野心家でもない限り普通の親は止める。義務に縛られる生活など誰が望むものか。
ただ、この憶測が合っていた場合は令嬢の今後はかなり悲惨な事になる。案じてくれた者の手を振り払って恋を選んだ代償は決して安くは無いのだから……。
「そろそろ落ち着かれましたでしょうか。ご挨拶に向かわれては?」
「……いや、大丈夫だ」
半ば呆れながらも二人に声をかければフェリクスはやや私を睨みながらも素っ気無く答えた。
お前が良くても私達は良くない。そもそも許されてたのって成人前とか、周囲に呆れられたからじゃね?
『構わないよ、ミヅキ。そのまま会話を続けなさい』
どうすっかなー、と思っていたら魔王様から念話で指示が来た。こちらからは見えないが、どうやらこの状況をバラクシン王共々見ているらしい。
『ライナス殿下がそちらに行くから彼と比べてあげればいいよ』
……。見守るどころか兵を放ってましたか、魔王様。
ライナス殿下って立場的に常に隙を見せないよう、完璧に振舞えるようにしてきたって言ってなかったか?
ちらりとアルに視線を向けると、アルにも聞こえていたのか軽く頷く。反撃開始に異論は無い模様。
「そうですか。……そういう方、なのですね」
隠す事無く失望を滲ませながらそう言えば、フェリクスは怪訝そうに見返してくる。
「王族としての最低限の礼儀も義務も放棄し好き勝手になさる方だと噂で聞いておりましたが、噂ではなく事実だったようですね。ライナス殿下はイルフェナでも認められるほど御立派ですのに」
「な……」
「他国の者、しかも私は異世界人として報告の義務がございます。ああ、友人達にも情報として伝えますよ? 貴方様を普通の王族として扱えばどれほど勝手な真似をされるか判りませんし」
ライナス殿下と比べられ、更には『出来損ない』と遠回しに言われたフェリクスは私を睨み付けた。
だが、話を聞いていた周囲は別の意味で顔色を変えている。『他国に国の恥どころか弱点として伝えられる』ということに気付いて。
フェリクスを狙えば間違いなく成功する。しかも王族だからこそ切り捨てるだけで済む筈は無い。
そして私はほぼ国の上層部にしか知り合いが居ないのだ、カルロッサの宰相補佐様あたりに暴露すれば嬉々として外交に活かしてくれるだろう。
「貴方様がこれまで国の恥と広まらなかったのは偏に王家の皆様のお陰なのですね。冷遇どころか随分と守られているじゃないですか」
「国の恥だと……? ほう、是非とも聞かせてもらいたいな」
溜息を吐きながら挑発する私に怒りを滲ませながらもあっさり乗ってくるフェリクス。対して私は笑みを浮かべて相手をする。
「おそらくは王を始めとする王族の皆様が謝罪し事を収めたからなのでしょう。公の場ですら相応しい振る舞いができない方ですもの! これまで切り捨てられなかったのは成人すらしていない事と家族としての情でしょうね」
「ああ、それは割と知られていますよ。自国内ならばともかく、他国との公務に失敗は許されませんから……未だに重要な公務に参加されない、それを『許されていない』のはそういった事情だと言われているのですよ」
「やっぱり? そうよね、普通ならば私などに頼らずとも何かしらの人脈があるもの」
アルも私に解説するという形で参戦してくる。二人揃って言いたい放題なのだが、今回に限りこれを咎められる事は無い。それは王が許しているから、ということだけでなく。
私達が言っているのは紛れも無く『事実』だから。
今、フェリクスを庇ったらそれで国の評価が確定。
しかも私は『他国にも話す』と明言している。
予防線として『ライナス殿下は御立派です』と言っているのだ、このままならば評価を地に落とすのはフェリクスだけで済む。
私達を諌めようものなら即座に「貴方もそういったお考えなのですか?」と巻き込まれる可能性がある――実際に来たら巻き込む気は満々、フェリクス擁護も同罪です――ので迂闊に言えない。
普通、ここまで王族が言われたら取り巻きや忠誠心厚い人が出て来るはずなのだがそれも無し。
冷静に考えればフェリクスが見限られている……いや、『王族の血』にしか価値が無いと誰でも判る。
だが。
「言いたい放題ですね、さすがは世界の災厄と恐れられる魔導師殿! 貴方には身分など何の意味もないのでしょうな!」
「……まあ、何を今更? 我侭放題、甘やかされ放題のフェリクス殿下?」
「く……っ」
皮肉を言ったつもりなのか身分による不敬を匂わせるような事を言い出すフェリクスに、余裕の笑みで嫌味を言い返す。
アルもひっそりと笑みを深め、私は続く展開を期待し心を躍らせた。
そして、その期待が裏切られる事は無い。
「確かに貴女はこの世界の事を知らず、身分さえその実績により特異なものとなっている。しかし! 如何なる理由があろうとも王族への侮辱が許される筈はない!」
「私は事実を申し上げただけですのに?」
「……っ! それでも、だ! いや、相手が私ではなく貴族だろうとも貴女が民間人でしかない以上は処罰されても文句は言えない!」
言い切ったフェリクスに私達は……クスクスと笑い出す。怪訝そうな表情になる周囲やフェリクスを他所に二人揃って顔を見合わせ。
――罠にかかった獲物に、更に笑みを深め視線を向けた。
よっしゃぁぁぁ! 言質は取った!
「ふふっ、聞いた? アル」
「ええ、勿論。『如何なる理由があろうとも身分制度は絶対』だとフェリクス殿下御自身が言い切りましたね」
「そうね、普通ならばそれが当たり前よ……『そうしなければならない事情』がある場合を除いてね。ああ、事情があっても許可を取らない限り許されはしないと思うけど」
「一体、何を言っている……?」
警戒心を滲ませたフェリクスの背後に視線を向ける。その問いに答えるのは当然、私達……ではなく。
「ほう? お前でも理解できていたか」
「え? お、叔父上!?」
「王に挨拶もせず何をしているかと思えば……客人に迷惑をかけているとはな」
――断罪者其の一、ライナス殿下。
魔王様達より送られた伏兵が彼のすぐ傍に現れた。おそらくは出て行くタイミングを魔王様から聞いていたのだろう。比較対象としても最適だ。
彼の立場は王弟で継承権さえ破棄しているが、フェリクスよりも遥かに影響力を持つ。
そして過去フェリクスと同じ立場にありながら全く違う道を歩んだ、フェリクスが最も苦手とする人物だった。
「誤解です! 迷惑を掛けてなどっ」
「黙れ。自国の貴族どころか王を蔑ろにして民間人に話し掛ければどうなると思う? 王の権威が疑われ、王族に見向きもされぬ貴族と思われ、我が国の身分制度の在り方が疑われた挙句に『何様のつもりか』と魔導師殿にも批難が向くのだぞ!?」
「そ、そんなつもりは……」
「王族としての教育や義務を放棄し、多くの事に至らぬお前を基準とするな! 言い訳も必要無い!」
ライナス殿下がぴしゃりと言い切るとフェリクスは顔色を悪くしたまま俯く。そこに今度はサンドラ嬢が心配げに寄り添った。
そこだけ見るなら支え合う恋人同士といったところだろう。フェリクスも顔を上げてサンドラ嬢に淡く微笑み、その手をしっかりと握っている。
……。
スポットライト、要る? 周囲も一時的に暗くしよっか?
いや、本人達にとっては見せ場っぽいからさ? 日頃から自分達の状況に酔っているみたいだし、ここは演劇のごとく演出で盛り上げてやろうかと……
『やめなさい、気持ちは判るけど』
「今は諦めましょうね、笑い出してしまいそうです」
アルの制止と魔王様によるお叱りが来た。すっかり行動パターンが読まれている。
二人とも私を諌めている割に賛成っぽいのは、きっと気のせい。
クラウスは役者二人の事など全く気にせず演出を期待してそうだが、状況的に「やれ」とは言えないのだろう。魔王様同様念話ができる筈なのに無言だった。
そして周囲は二人の姿に感動して言葉も無い……のではなく。
呆れているだけだ。どちらかといえばライナス殿下がヒーローとして「よくぞ言ってくださった!」という感謝の目で見られている。
うん、これで国としての面子は保たれるものね。確かに喜ばしかろう。
やがてライナス殿下はこちらに向き直ると深々と頭を下げた。
「申し訳ない。私が代わりに謝罪しよう」
「いいえ、我々にも非がありますので」
「御気になさらず」
私達も謝罪と共に頭を下げる。これで私達とフェリクスの問題行動に関しては一応決着。
さて、本命の話題に移りましょうか。
「私達がこういった話題を振ったのには訳があります。……先ほどアルと共に、侍女が高貴な方に対し強気に意見するという信じられない場面を目撃いたしまして。一体どういう事かと思っていたのですが……」
「聞いた話ではフェリクス殿下がお許しになられているということでした。ですが、先ほど殿下御自身が『如何なる理由があろうとも許される事ではない』と明言なさってらっしゃいます。……あの侍女は下賎の身でありながら高貴な方に無礼を働いた罪人として処罰されるのですね」
「な!?」
「そ、そんな!」
私とアルの言葉にフェリクスとサンドラ嬢が悲鳴のような声を上げる。だが、今更だ。ついさっき王族としてそう言い切ったのはフェリクス自身であり、周囲もそれを聞いている。
「当然だ。彼女に関しては以前より苦情が寄せられている。いくら主を守れと言われたといっても立場を踏まえた守り方があるというもの。決して身分を忘れていいものではない」
「それを許してしまえば身分制度そのものが成り立たなくなってしまいますし、フェリクス殿下の独断ならば『自分にとって都合のいい事ならば国の法さえ無視できる』と王族が証明してしまったことになりますもの」
ライナス殿下と私のやり取りに二人は反論できないようだ。……当たり前なんだけどね。
ただ、フェリクスが我侭を言い出す可能性があるから先手を打っておかねばなるまい。
「もし……この処罰にフェリクス殿下が異を唱えるようならば」
ちら、とフェリクス達に視線を向ける。アルはずっと二人の行動を監視するように眺めているし、ライナス殿下も私に倣って彼等に視線を向けた。
二人は軽い混乱に陥っているようだが、視線を受けてびくりと体を震わせる。
「この責任はお二人にも背負ってもらわねばならないでしょうね。その場合は侍女の罪だけではなく、国にとっての不穏分子として処罰……いえ、処分されることも考えられますね。このまま放置することだけは絶対にできませんもの」
「そのとおりだ。王族の持つ権限は強い。ゆえに己が感情のままに振り翳せばとんでもない事になるだろう。王であろうとも例外ではない、守るべきは国だからこそ処罰される」
暴君と呼ばれた者達の末路はお前でも知っているだろう? と続けられフェリクスは反論を完全に飲み込んだ。
まさかそこまで言われるとは思っていなかっただろうが、フェリクスのやっていた事は暴君と大差無い。単なる規模の問題なのだ、重要なのは『影響を全く理解せず個人的な感情のままに王族としての権利を行使したこと』なのだから。
「反論は認めない。もしも異を唱えるならばそれなりの処罰を覚悟しろ」
「……わかり、ました」
「そんな!? 殿下……っ」
「サンドラ、聞き分けるんだ」
大切な友人だからなのか、それとも自分の所為だという負い目があるのか。サンドラ嬢は何とかして侍女を助けたいようだが、フェリクスは頷かない。
いや、自己保身から『できない』と悟ったのだろう。
では、少々状況説明をしてあげようか。聞けば彼女も黙るだろう。
「貴女もその対象となりえるのですが? サンドラ様」
「え?」
「本来ならば貴女も何らかの処罰を受けても不思議ではありません。フェリクス殿下が侍女の行動を許していた事から見逃されているに過ぎないのですよ」
突如声をかけられ、きょとんと私を見るサンドラ嬢。その表情を見る限り現状には未だ気付いていないようだった。
「元は貴女が原因です。それに貴女自身が侍女の不敬を謝罪していればまだ救う術はあった」
「で、でも……」
「ミヅキの言うとおりです。己が侍女の不敬を詫びるのは主としての義務ではありませんか? それに貴女は殿下の婚約者であろうとも未だ妃ではない以上、子爵令嬢に過ぎません。貴族の身分制度は貴女にも当て嵌まります」
「それともフェリクス殿下に縋るのでしょうか? もしや、王族の婚約者ならば既に立場は王族と同等とでも思っていましたか? 随分と傲慢な方なのですね」
「違います! そんな事は思っていません!」
私とアルの指摘に即座に反応するサンドラ嬢。だが、否定するばかりで反論は無い。
彼女は自分が『特別扱いされているだけ』だと理解していなかったんじゃないかな。フェリクスやその母親はその扱いを当然だと言っただろうし。
「王族・貴族の婚約が破棄されることなど珍しくはありません。ですから、婚姻していなければ本来の身分でしかありませんよ?」
「それを踏まえてなお侍女への恩情を願うならば……それこそ物語に登場する悪女そのものですわ。自らの我侭を叶える為に権力を行使させようとするなんて」
「それ、は……」
「我が身が可愛いならば口を挟まない事です。子爵令嬢の我侭が国の法より勝るとでもお思いですか?」
公爵子息であるアルの婚約者に対する扱いの説明と『これ以上口を挟むな』という警告、そして私の『物語の悪女そのもの』という言葉。
さすがに理解できたのか、彼女は言うべき言葉を見つけられず俯く。感情では助けたいのだろうが、ここまで説明されれば次は自分なのだとはっきりと理解できてしまって。
まあ、フェリクスならば彼女だけは助けそうな気がするが。駄目な子だし。
過去は変わらない。侍女の罪も彼女の愚かさも全ては立場に対する責任と自覚さえあれば防げた事。
一度や二度ならば見逃せても苦情の数が多過ぎるのだろう。『何故そう言われるのか』と反省し、フェリクス達以外の言葉に耳を傾けていればまだ違った結末もあったのに。
「あの侍女を拘束しろ」
控えていた騎士に命じるライナス殿下の声が冷たく響き。
サンドラ嬢はフェリクスに抱き締められたまま、静かに涙を零した。
泣くのはまだ早いですよ? サンドラ嬢?
――物語の『主役』になった以上は最後まで逃げられないのですから。
腹黒騎士と魔導師の組み合わせは危険。
※活動報告に書籍関連の詳細を載せてあります。