小話集12
キヴェラ編はこれで最期です。
小話其の一『悪役の思う事』 ――キヴェラ王妃視点――
供の者を連れて人気の無い通路を歩く。
コツコツと響く足音はそこに幽閉されている者の孤独を現しているかのようだった。
そう、『幽閉』。かつてはキヴェラの王太子であった我が子は今やその地位を剥奪され、王籍すら奪われようとしている。
犯した過ちを客観的に見るならば仕方の無い事であろう。寧ろ軽いと思う者すらいるのかもしれない。
それでも自分は――魔導師に『偽善者』と言われたからこそ。向かい合わなくてはいけないと思ったのだ。
「ここで待っていてください」
「しかし!」
「大丈夫。扉越しに話すだけですから」
暗に『逃がすなど愚かな真似はしない』……そう告げれば、護衛の騎士も侍女も顔を見合わせて私の意思を優先してくれた。
……ああ、そうだ。彼等の信頼も長い時間をかけて得たものだった筈。
『信頼』が積み重なって強固な絆となるならば、『憎しみ』だとて同じ事が言えるのだ。それこそ人生を賭けるほどの重いものになってもおかしくは無い。
何故それに気付かなかったのかと、今更ながらに思う。復讐が『自分の人生を捨てる愚かな事』だとは限らないのに、と。
それは他者が決め付けて良い筈はないのだ、本人ではないのだから。
キヴェラの敗因は何処までも自分達を基準にしか考えなかったことなのだろう。
そんなことを考えながら目的の場所に到着する。厚い扉には頑丈な鍵と……一部窓の様になった部分に鉄格子。それは罪人を閉じ込める為の部屋なのだと、明確に告げていた。
「ルーカス。……聞こえているのでしょう」
僅かに物音がした。だが、言葉を返す気は無いようだった。ルーカスにとって自分は幽閉に賛同した側なのだから当然と言えるのだが。
「……。復讐者達……いえ、エレーナ様は永い眠りについたそうです」
「……っ」
ルーカスとてその意味を理解したのだろう。
永い眠り……即ち自害。処刑ではないので惨い様は晒さなかっただろうが、死ぬ事には変わりないのだ。
唯一の妃と定めていた女性なのだから、騙されていたと知っても冷静ではいられないのだろう。ましてルーカスは自制心が足りない。感情を完全に殺すなどできないに違いない。
「彼女達は多くの人に惜しまれながらも最期を笑って過ごしたそうです。決して憎まれたり罪人と蔑まれる事は無かったそうですよ」
彼女達の最期にはキヴェラから派遣された者達が立ち会っている。彼等は揃ってこう言った……『あれほど愛される罪人など居ないだろう』と。
それはキヴェラが憎まれていたという事か、それとも彼等が愛されていたという事か。
どちらにせよ、悲劇の主役にはならなかったということだろう。『笑って逝く』最期に悲劇は似合わない。
「ねぇ、ルーカス。私ね、あれからずっと考えていた事があるの。私は……王妃としてでしか貴方に接していなかったって」
返事は無い。いや、無くてもいい。ただ、聞いてもらいたかった。
「王妃はこの国第二位である王太子殿下に劣るから、諌める事はできなかった。……私が無理にでもセレスティナ姫やエレーナ様と言葉を交わしていれば避けられた筈なのに」
それは事実だった。『偽善者』と言い切られた今ならば、目を背けてきた幾つもの選択肢が見える。
選んでいれば今とは違った未来へと続く可能性もあったのだと。
「『何もしない事は受け入れた事に該当する』。本当にそのとおりよね、私は……責任を放棄していただけだった。思うだけでは何の意思表示にもならないというのに」
戦に赴く兵達にかけた言葉と心に偽りなど無い。だが、その事実を受け入れ侵略者としての自覚があったかと言えば否だ。
もしも自分の言葉の意味を正しく理解していたら……そう思わずにはいられない。自分の言葉に従って勝利を齎すと決意した者も居るだろうから。
兵といえども民、その守るべき存在に自分は『国の為に罪人となれ』と言ったのだ!
「思い返せば貴方の事も後悔ばかり。王太子だから出来て当然、将来国を継ぐ存在ならば誰より優れていなくてはならない――こんな言葉はどれほど貴方を傷つけたのかしらね? どれほど努力しても上が居るなら認められないなんて」
「……」
立場を最優先にしなければならないのは当然だ。それが王族として生まれた義務なのだから。
だが。
努力する者を否定する権利など誰にも無い筈なのだ。例え望んだ結果を出せずとも。
誰もがルーカスを王太子という『役割』でしか見なかった。
そしてその立場に『彼では力不足』という失望を隠さなかった。
その果てが今のルーカスならば、彼を追い詰めて来た者達に罪は無いのか?
「私は……私だけは。貴方を褒めるべきだったのよ。母親として努力する息子を認めるべきだった。王太子としては拙くとも貴方は昔は精一杯努力していたのだもの」
「母、上……」
「王妃としては認めてはならない、国を託す者に妥協してはならない……そう思っていたわ。だけど母親としては最低よね、何もしなかったのだから」
ルーカスがエレーナに依存するのは当然だったのだ。彼女だけが建前とはいえ『ルーカスを認めていた』のだから。
自分が個人として居場所を得る為にエレーナは必要だった。今ならばそれがよく判る。
だから……エレーナが裏切り者だと知った途端、ルーカスは自分を悲劇の主人公として彼女を悪と認識したのだろう。本当に愛していたというのならば感情を揺らすどころでは済まず、彼女の死に取り乱すくらいはしていた筈だ。
「貴方はもう王太子ではなく、幽閉される身です。それは貴方自身が罪を犯したから。それは理解できますね?」
「……はい」
「ですが、これで私達の関係は王妃と王太子ではなく母と子になりました。……もう遠慮はしません。心置きなく口を出せます。私は少しだけそれが嬉しいのですよ」
本心からの言葉にルーカスは僅かに動揺したようだった。
このような状況が嬉しいなど狂気の沙汰だろう。だが、王族とは立場が優先される……親子であろうとも上下関係が存在するのだ。
それが無くなったからこそ、こうして母親としての言葉が口に出せる。
「ルーカス。これから沢山話しましょう。私も貴方と居られる時は王妃の肩書きなど無い、一人の母親に過ぎません」
「……母上」
「何かしら?」
「御迷惑を、お掛けしました……」
戸惑ったような、これまでのルーカスからは考えられないような謝罪の言葉に笑みを浮かべる。
ああ、自分は嬉しいのだ。この子の、母親でいられたことが。
王に反発しながらも王妃たる自分には決して頼ろうとはしなかった息子。王太子より立場が弱い事から価値の無い存在だと思われていたのかと思っていたが、未だ母と慕ってくれているらしい。
「馬鹿ね、そんなことどうでもいいのよ。私も十分愚かな王妃なのだから」
「そんなことは……!」
「それにね、馬鹿な子ほど可愛いって言うでしょう? 貴方の愚かさは私から受け継いだ。それでいいの。二人で色々と考えていきましょう。きっと今とは違った見方で国や陛下を見る事ができるわ」
この子にとって父親であるよりも自分の比較対象という認識が強いであろう、王。国を統べる者として王太子を切り捨てはしたが、父親として息子を見限ったわけではない。
幽閉とはそういうことだ。処刑し怒りを内外に示す事で大国の王としての厳しさを示すことができるというのに、そうしなかったのは……親子の情と己にも責があると自覚する故だろう。
あの人も魔導師や復讐者達を目の当たりにして思う事があったのだと思いたかった。
結果的にルーカスを裏切る事になった騎士も近衛の地位こそ剥奪されはしたが、騎士として国に仕える事は許されたのだ。王の独断に近い処罰ではあったが、彼を知る者達の嘆願もあったと聞いている。
……やり直す機会を与えるなど、これまで無かったことだ。あの人も少しだけ変わったのだろう。
「それでは、また来ますね」
随分と穏やかな気持ちになりながらその場を後にする。
ルーカスからの返事は無い。未だ戸惑っているのか、受け入れ難いのかは判らぬが……嫌悪や拒絶は感じられなかった。
これから話す時間の中で親子の絆を取り戻せればいい。今はただそう願った。
※※※※※※※※※
小話其の二『幕は下りて』 ――キヴェラ王視点――
「……そうか、奴等は逝ったか」
「はい。多くの人々が彼等の喪に服しているそうです」
それは敬意を示してのものだろう。決して逆らう事が叶わなかった存在へと見事一矢報いた彼等に対して。
魔導師達がキヴェラに与えた傷は浅くは無い。だが、やり直せぬほど深いものでもなかった。その余裕が今回の事について考えさせている。
かつてキヴェラは小国を纏め上げ一つの大国とした英雄のような存在だった。それがどうして周辺諸国に敵意を抱かれる対象となってしまったのか。
理由は簡単だ。侵略行為による領土の略奪と……圧倒的優位な立場ゆえの高圧的な態度。
何の為に大国となったかを忘れ、自身の為に他者を踏みつけてきた。そのつけが今回の事なのだろう。
魔導師は確かに恐ろしかった。だが、それだけではない。
『勝てる可能性があるならば』と魔導師達に協力する者達が居たことこそ、敗因なのだと思う。
魔導師は圧倒的な力を見せ付けても殺したわけではないのだ。しいて言うなら……キヴェラが他国に向ける圧倒的優位な立場を崩しただけ。
それだけにも関わらずここまで押さえ込まれるというならば、キヴェラは思うほど強国ではなかったということだ。小国ながらこれまでキヴェラに抗ってきた者達の方がよほど優秀だったのだろう。
「思い上がった故の敗北か。今後は国を見直さねばならんだろうな」
そう呟くと側近達は揃って俯く。
「そうですね。外交もこれまでと同じというわけにはいきません。……あれほど簡単にイルフェナに押さえ込まれるとは」
「だが、それが現実だ。能力に圧倒的な差があった、ということだろう?」
「はい。お恥ずかしい話ですが、あれでも有能な者達を向かわせたのですよ。……我が国は『圧倒的に優位な立場』という恩恵に縋り過ぎていたのでしょうね」
言葉を返す宰相も深々と溜息を吐く。それも当然だろう、今後は対等な外交しかできなくなるだろうから。
これで個人的な人脈を他国に作ってあるならばまだマシなのだろうが、キヴェラは常に強者として見下してきたのだ……助けるどころか報復される可能性の方が高い。
さすがにイルフェナと同等な国はそうそう無いだろうが、国を支えてきた者達の中に一人二人はそれに匹敵する者も居るだろう。
今後を考えると実に頭の痛い話だった。
「幸い……と申しましょうか。王都の民は先日の亡霊騒動に酷く怯えていまして。自分達の豊かさがどういうものなのかを知ろうとする者が増えております。また、他国の目を恐れ国を離れる者も少ないようです」
「ふむ、不幸中の幸いというわけか」
「上手く誘導すれば国の新たな在り方に賛同が得られるでしょう。数年かけて民の意識を変えていかねば、この国は崩壊するかと」
集っていた者達に衝撃が走る。だが、それを誰もがおぼろげには感じ取っていた筈だ。
宰相の言葉は不吉だが可能性としては十分ありえることなのだ。領土を失ったとはいえ、それでも未だこの国は広い。民の不満から内乱が起き、分裂する可能性が無いとは言い切れないのだ。
「尤もそうなっても長続きはしないだろうがな」
半ば確信を込めて口にすれば周囲は怪訝そうな表情になる。
「陛下? 内乱が起きようとも長続きしない、とはどうしてでしょう?」
「キヴェラは今回関わった国の中央に位置している。……あの魔導師が他国に影響を及ぼすような騒動を黙って見ていると思うか?」
「ああ……そういうことでございますか」
決して良い意味ではない事情に誰もが顔を青褪めさせる。
あの魔導師はキヴェラの為には動かない。だが、自分の平穏を乱すようならば容赦無く反乱を潰すだろう。
そこに正義などある筈も無い。ただ偏に『鬱陶しい』という個人の感情があるだけだ。
キヴェラにとってはありがたいと言えるのかもしれない。後に必ず『管理ぐらいしっかりしておけ!』と怒鳴られる事さえ我慢すれば、だが。
何より騒動を起こした連中が一体どんな目に合うか誰も想像できないのだ……できるなら後始末までやってもらいたいものである。中途半端に甚振られた犠牲者達を見るのは精神的に宜しくない。
「過去に魔導師とやりあった国は壊滅一歩手前までいったとも聞く。それに比べれば今回は被害はほぼ無いに等しいとは思うのだがな……」
「……今後の対応の為に残された、と見るべきでしょうな。我々が苦労するという点では現状の方が酷いような気が致します」
思わず宰相の言葉に頷く。
魔導師に徹底的に潰されたのならば滅亡原因は魔導師なのだ。それは誰もが認める災厄であり、圧倒的な力なのだから。
だが、今回は誰の目から見ても被害は領地を奪われた――しかも交渉によっての譲渡である――ことのみ。これで国が沈めば滅亡原因は国の上層部の無能ぶりということになる。
ある意味最も酷い報復だ。奴は冗談抜きに災厄か。
自分達で責任を取ると言えば聞こえはいいだろうが、実際はそう仕向けられたのだ。『身を粉にして働け』と嘲笑う魔導師の姿が容易く思い浮かび、思わず首を振って想像を打ち消す。
今回の事を振り返っても、魔王の後見を受けるあの魔導師は本っ当に性格が悪かった。魔導師を名乗るだけあって優秀ではあるのだが……どうも方向性がこれまでの魔導師とは異なる気がする。
しいて言うなら『性質が悪い』。ある意味、災厄の名に相応しい存在だ。
「当面は内部の見直しが主な課題だな。民にも魔導師の名を出せば理解は得られるだろう」
「そうでございますね」
我々は決意も新たに今後の方針を決め。
誰とも無く深々と溜息を吐いた。
※ルーカスが幽閉で済んだのは一応彼も被害者と言えるから。その原因が王自身にあることも影響しています。
※キヴェラ上層部の皆さんの一コマ。自己反省しつつも(主に主人公が原因で)心に残った傷は深い。