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魔導師は平凡を望む  作者: 広瀬煉
キヴェラ編
125/697

舞台の幕が下りる時

――ブリジアス領・ある館にて―― (エレーナ視点)


 空には二つの月が輝き、星が瞬いている。

 そして地上では人の手による『光』が数多く揺らめいていた。

 

「見事なものだね」

「ええ、本当に」


 窓際で隣に立つ父の嬉しそうな言葉に笑顔で同意する。

 ああ、何て暖かい光。あれは私達と亡きブリジアスの皆に捧げられた蝋燭の明かりなのだ。

 これから私達は最後の晩餐の後に覚めぬ眠りにつく。それを惜しみ、功績を称え、そして……『後は任せろ』という想いの現れ。

 『眠りの森による自害を命ずる』という沙汰が下されてから――各国がキヴェラにそう求めたらしい――其々の名を得た領地には復讐者達を慕って多くの民が集うようになった。それがこの明かりの正体なのだ。今夜は一晩中、窓際に蝋燭を灯すと決めたと聞いた。

 共犯となった二人は『最期は祖国の名が付いた地で仲間達と飲み明かす』と楽しげに笑っていた。互いの健闘を称え合い、笑って別れるのだと。


 私達は皆、悲しみも恐怖も感じてはいないのだ。己が生き方に満足したからこそ、笑って逝ける。


 悲願を叶えた記憶と喜びを胸に冥府へ下る自分達のなんと幸せな事!

 これほど自分勝手に生きた者もそう居ないだろう。しかも罪人と罵られるべきなのに、多くの人に見送ってもらえるなど。


「御二方、お食事の用意が整っておりますよ」


 穏やかな声に目を向ければ、父と同じ歳くらいの料理人が笑みを浮かべて着席を促す。

 そのテーブルには料理と酒が用意されている。材料は全て『最後の晩餐に』と各国から贈られたものらしい。

 半分ほどがイルフェナとゼブレストからなのは、ミヅキの保護者を名乗る者達が手配したからだろうか? 随分と豪勢な気がするのだけど。


「おや……これは見た事の無い酒だね?」


 食前酒に、と注がれたグラスを明かりに透かしながら父が不思議そうに尋ねる。香りを嗅ぐと花の香りがするような……?


「あ……」

「おや、どうしたんだい?」

「これ、ミヅキが作ったお酒ですわ。確か『花弁そのものが甘い食用のものを使って作った』とか言っていたのです。コルベラで飲んだ時は量がないから試飲程度と言っていたのですが」


 そうだ、グラスに漂う花弁と花の香りが珍しくて皆ではしゃいだ。砂糖漬けになったものは食べた事があったが、酒になったものは初めて見たのだ。

 ミヅキの世界では『りきゅーる』とか言われていて、割と何からでも作れるらしい。あの時はミヅキの世界には本当に色々な物があるのだと驚かされっぱなしだった。それに確か……


「……。ミヅキ、これ魔王殿下にも内緒で作っているとか言っていなかったかしら」


 思わず呟くと父もぎょっとしたように紅い液体が揺れるグラスに目をやる。すると僅かな手の揺れにグラスの中の花弁がふわりと舞った。

 ……『異世界の物は価値がある可能性があるから、見せる場合は気を付けるよう言われている』とも言っていたような? 確かに異世界人の技術を狙う者もいるだろうから、迂闊に披露しない方が良いのだけど。

 まじまじとグラスの中の液体を眺める。原液はもっと赤みが強かったが、これは飲みやすいよう薄めてあるようだ。中で氷と花弁が舞う様が美しい。

 魔王殿下すら知らぬ秘蔵の酒。あの方の目を盗んで製作・横流しするミヅキの根性と懲りない姿勢を褒めるべきだろうかと、暫し迷う。

 おそらくは試験的に作っただけで味見程度しか量が無い所為だろうが……いいのだろうか。意外とあの方達はミヅキの再現する異世界の食べ物に期待している気がするのだが。


「……お説教は確定かな」

「ええ、おそらく」


 良いのだろうかと思う以前にもう手遅れな気がする。まあ、セレスティナ姫も共犯だろうから心配はいらないのかもしれない。


「まったく……最期まで楽しませてくれますわ、ミヅキってば!」

「いや、楽しい子だね。魔導師ともあろう者が説教を受けるとは……っ」


 保護者達にお説教をされる姿が容易に浮かび、耐え切れず笑い声を上げる。父も同じく想像できてしまったのか、口元に手を当てて声を耐えていた。尤も……表情を見れば一目瞭然だ。


「ふふ、でも嬉しいですわ。今だけ守護役達に勝ったような気分です」


 ここにセレスティナ姫達がいれば間違いなく『愛情より友情が勝ったな』と守護役達に恨まれそうな台詞を言っただろう。だが、この一時くらいは許して欲しいものだと思う。

 おそらく……彼等の執着は一生続くような重いものだろうから。ミヅキの身を案じる者としてはとても頼もしく感じ、女性としての幸せを願うならばあれほど遠ざけたい人選も無いだろう。

 彼等の最上位はミヅキではなく、主。主の為ならば彼等は必ずミヅキを頼る。そしてミヅキ自身もそれを推奨してしまうという、困った傾向にあるのだ。あの娘は本当に別方向に突き抜けている。

 自分とて騎士に守られるのが当然の乙女だという自覚があるのだろうか? ……いや、無いだろう。そもそも乙女は拳で王子を殴ろうなどとは思わない。

 一番強い筈のミヅキが最も心配されるというのも妙な話なのだが、悲しい現実である。最期の逃げ道とも言うべき婚姻もきっと守護役達以外から選ぶ事などできまい。絶対に邪魔が入る。


 まあ、難を除けば最上級の物件なのだろう。羨ましくは無いが。


 そう結論付け思わず溜息を飲み込む。怪訝そうな父に何でもない、と首を横に振った。こればかりはミヅキとその守護役達を知らなければ理解できない。父とて今更、心残りを作る必要もあるまい。


「楽しそうでございますなぁ、エレーナ様」


 それまで黙っていた料理人の言葉に視線を向けると、安堵したような笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「私の父は城の料理人だったのですよ。家族の為に他国へと移り住む事を選びましたが、死ぬまでブリジアスのことを忘れはしませんでした。そして私は受け入れてくれたイルフェナの恩に報いるべく、城の料理人となりました。ミヅキとは同僚なのです」

「まあ!」

「……そうか、お父上が」


 イルフェナに逃れても祖国に心を寄せてくれていた者がいる。その事実が素直に嬉しい。


「私がこの役を仰せつかったのもエルシュオン殿下の指示なのです。……誇り高き鋼の忠誠持つ一族の最期を見届けろと。イルフェナは民を第一に考えたブリジアスの在り方を高く評価してくださっていたのですよ」


 敗戦国と言われてしまえばそれまでだろう。だが、当時逃げ延びた者は王族や忠誠心厚い貴族達がどんなに民を慈しんだか知っている。

 イルフェナは自国に在りながらもブリジアスに想いを寄せる者達を守り、見守ってくれたのだろう。

 何故なら彼等は国を、民を守る事を最優先に考える。それは最期のブリジアス王の考えにとてもよく似ていた。


「感謝しております。誇らしく思います。ですが……同時に悔しくも思うのです。何故貴方様方にばかり背負わせたのかと」

「君達とて他国で存えてくれた。それが望まれた事じゃないか」

「それでも! それでも自分にも出来る事があったのではないかと思うのですよ。ここに来るまで随分と悩みました。私が貴方様方にブリジアスの者だと名乗る資格があるのかと」


 俯きながら手をキツク握り込む男は本当に思い悩んだのだろう。だが、私は素直に嬉しかった。祖国を愛する人を目の前にできたのだから。


「そして悩んでいたら……ミヅキに殴られました」

「「は?」」

「『できなかった事を後悔してるなら今回はさっさと行け、それ以上悩むなら解雇通知でも出してもらう?』と。あれは間違いなく本気でしたな」



 人はそれを脅迫と言う。一歩間違えば犯罪だ。



 思わぬ暴露に父共々微妙な表情になるのは当然だろう。だが、ミヅキならばやると確信できる。優しさが決して善意に見えないあたりがミヅキなのだ。お陰で彼女の評価は人によって天と地ほども分かれている。


「魔導師殿……なんと言うか善人に聞こえないのだが」

「御父様、ミヅキはあれが素ですわ。悪意も善意もありません」

「そ、そうか」


 何をやっているのだ、一体。早めに帰ったと思ったら、この男の脅迫……いや、説得を行なっていたらしい。

 「最終的には皆に簀巻きにされてここに放置されましてな」と言う男の目が虚ろなのは気の所為だ。あれでも背中を押したつもりなのだろう……ミヅキ的には。しかも話を聞く限り、多数の協力者達による拒否権無しの実力行使。

 強引なやり方だが、この料理人の事情を知る者達の総意と思われた。


「ですが、来て良かったと今では思います。貴方様方の満足そうな御様子……それだけで十分です。アディンセルは己を誇って逝ったのだと伝えることが出来ます。何より……」


 そう言って私の方を向き微笑む。それは亡くなった母様が向けてくれていたものと似ていた。


「最も辛かったであろう、エレーナ様が楽しそうなのですから。この一月、とても健やかに過ごされたのだと確信できます」

「そうね……とても楽しかった。貴族令嬢が一生かかっても得られないくらい幸せだったわ。私が後の事に不安を感じていないのは信頼できる友人達がいるからだもの」


 魔導師に、ブリジアス領の未来の奥方に、共にキヴェラで抗った姫。

 彼女達が自分を友だと言ってくれる。後は任せろと、憂いを払うと約束してくれた。それはとても幸せな事ではないだろうか? 特に貴族など他者を貶める事が常なのだし。

 何よりこの地に集ってくれた者達がいるではないか。それがとても嬉しく誇らしい。


「お前は『可哀相な子』ではなかったのだね?」


 父の問い掛けにはっきりと頷く。それは御父様だけではなく、御爺様も憂えていたことなのだから。

 満面の笑みで頷く私に父もまた頷き笑みを浮かべた。


「ええ! 御父様、私は御爺様に自慢するつもりですのよ? 『アディンセル一族の悲願を成し遂げました。そして私を受け入れ、後押ししてくれる友人達を得ました!』って。自分の意思で復讐を遣り遂げ、友を得た……もう『可哀相な子』などとは言わせませんわ」

「そう、か」

「それに御母様とて御父様からの報告を今か今かと待っていらっしゃる筈です」

「はは! 今際の際にさえ『不抜けた貴方など要りません。私に相応しくなってから、いらしてください』と言われたものな」

「あれには御父様に同情致しました」


 当時もどうかと思ったものだが、今なら判る。母は……生きる目標を示したのだ。

 私に友人達ができたように、父にも母が傍に居た。全てを知り、なお受け入れてくれる存在が。


「さあ、食事を楽しもう。我々の物語は幸せな親子の語らいで終わるのだからね」

「ええ、そうですわね」


 僅かに涙を浮かべた侍女や給仕が見守る中、私は父との食事を心から楽しんだ。

 最期に出される茶には優しく眠りに誘う緑の毒。幸せなまま私達は眠り逝くのだろう。

 窓から見える明るい月に、不意に友人の名を思い浮かべた。


『ミヅキの国の文字は変わっていますわね』

『そう? 字ごとに意味があったりするんだけどね』

『ミヅキはどんな字を書くんだ?』

『私の名前? 御月はこんな字』

『なんだか難しそうですわねぇ……意味はどのような?』

『月だよ、月。今上空に出てる奴。私の世界には一個しか無いけど』

『……。ミヅキ、月の言い伝えを御存知?』

『ううん、知らない』

『月は何処までも優しく無慈悲。闇を照らし人に安息を与える姿も、冷たく屍を照らし恐怖を与える姿も月の真実である……という話があるのですわ。二つの相反する顔を持っているという事ですわね』

『優しくも無慈悲……』

『本当に名は本質を顕すのですねぇ……』

『ちょ、皆で何納得してんの!? その生温い視線は何!?』

『いや、意外と的確だと思っただけだ』


 そう言って笑いあった時間を思い出し、そんな事ができるようになった自分を不思議に思う。

 彼女達は今宵、コルベラで過ごすのだと聞いている。きっと彼女達……いや、全ての者達を月は優しく照らし見守るのだろう。その光を受けて蝋燭の明かりも揺れる。

 それが私の『幸せな最期の記憶』。



 ――私は。

 私はエレーナ・アディンセル。

 ブリジアスの忠臣にして復讐者、アディンセル一族の娘。

 復讐に心を染めながらも、同志達と必死に生きて参りました。

 先の無い勝利に賛同してくれる仲間が居た、誇れるものがあった、そして……復讐を遂げた先に得難い友を得た。

 人から見れば私は愚かな罪人かもしれません。悲劇の復讐者かもしれません。ですが、私はただ誰より自分の心に正直に生きただけなのです。

 もはや私には恨みも後悔も無く、迫る死の恐怖さえ遠く……後は幕を下ろし物語を完成させるだけ。

 誰よりも身勝手に生き、目的を果たして幸せなままに去り逝くでしょう。

 後にどう噂されようとも、真実は極一部の人だけが知っていればいいのですから。

 『エレーナ』という個人が彼等の記憶にほんの少しでも居場所を残せるなら、信じた者達が覚えていてくれるなら。それは私にとって最高の喜びとなりましょう。


 最期にそう願うほどに私は。暖かい記憶を抱いて眠る私は。



 ――幸せで、ございました。



※※※※※※※※※


 ――コルベラ・セレスティナ姫の部屋――


 月明かりに透かしたグラスの中に花弁が踊る。エレーナ達に贈ったものと同じ、花の酒。

 今頃、父親と最後の晩餐を楽しんでいるのだろうか?

 それとも残していく仲間達と語らっているのだろうか?

 ……判っているのは朝日が昇る頃に彼女達が永い眠りにつくというくらい。


「エレーナは笑っているだろうか……」


 グラスを持ち、やや俯いたセシルがぽつりと呟く。

 あの日の女子会と同じ部屋、テーブルも椅子も同じ配置。ただし、テーブルの上にはエレーナ達が最期に食べるものと同じ料理。

 そして……座る者の居ない椅子が一つに、手をつけられていないグラスが一つ。

 あの場に居る事は出来ないが、それでも一部を共有したかったのだ。


「笑っているわよ。一人勝ちして舞台を降りるんだもの」

「そうですわねぇ……エレーナは暗い顔を全く見せなくなっていましたもの」


 エマの言葉は正しい。エレーナは本当に『おまけのような時間』を楽しんでいたのだから。

 「最期は御父様と沢山語り合いますわ。漸く、『過去のこと』として笑って話せるのですから」とエレーナは言っていた。確かに結末が見えなければずっと『復讐中』なのだから、あの二人が心から笑える事など無かっただろう。


「明日は多くの人が自主的に喪に服すでしょうね」

「だろうな。コルベラは国全体で喪に服す予定だ」


 きっと様々な人達が復讐者達の為に祈りを捧げるのだろう。

 悲劇の復讐者として。

 鋼の忠誠を持つ者として。

 意図せずとも人々は復讐劇のフィナーレを飾り、物語の登場人物となる。


 だけど、私達にとっては『友の死』なのだ。私達にとってエレーナは綺麗な言葉で飾られ、都合よく作られた『物語の主人公』ではないのだから。


「晴れるといいわね、見送る日なんだから」


 そう言って席に戻り、エレーナのグラスと自分のグラスを軽く触れ合わせる。カチリ、と軽い音がして中の液体が少し揺れた。


「お疲れ様、エレーナ」


 それに倣うようにセシルとエマも同じようにグラスを合わせ、誰も居ない席へと声をかける。


「ゆっくり御休みなさいませ」

「御爺様に会える事を願っている」


 私達が思い出すのはいつかの、楽しそうなエレーナの姿。

 私達に涙も嘆きも不要なのだ。彼女はそれを望んではいないと知っている。

 いや、『それを知ることを許された』。

 ……だから。


「見事終幕を迎えた復讐者達に喝采を!」


 酒に潜ませた花は最期まで遣り遂げた役者に贈る花束代わり。

 ――幕を下ろした悲劇とも喜劇ともつかぬ復讐劇に、心からの賞賛を。



酒は薔薇のリキュールをイメージしています。

後はキヴェラの小話かな。

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― 新着の感想 ―
久しぶりに最初から読み直してるのですが、一番好きな話だ…エレーナの独白でうるってきて、『それを知ることを許された』でおまけのような時間で育まれた友情にしんどみを感じ、喝采を!で涙がこぼれてしまいます…
この話が一番心に刺さる…
[一言] 悲しいけれど、良かったです……(;ω;´)
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