ゼブレストでの謝罪
謁見の間は異様な空気に包まれている。
凍りついていることもあるだろうが、キヴェラが敗北を認めたからだ。しかもそれを成し得た功労者はキヴェラがかつて滅ぼしてきた国の復讐者達。
『滅ぶ』か『栄えるか』という決着ではない、キヴェラは傷を抱えながらこれからも続くのだから。
対して復讐者達に先は……無い。彼等はそれを判っていて一矢報いる事に全てを賭けた。死すら恐れるべきものではなかったのだろう。
その願いが叶ったからこそ、あれほどに明るい表情を見せている。
「それじゃ、交渉は成立ってことね」
「そうだね。君は我々の御願いを聞いてくれるだろう?」
とりあえず今後は決まった。そう確認するように魔王様に問えば軽く首を傾げながらも微笑み『御願い』とやらをしてくる。
天使の微笑みですねぇ、魔王様。でも威圧を込めまくってる所為か『さっさと退けや、この馬鹿猫ぉっ!』と叱られているようにしか聞こえません。
いや、実際叱ってるんだろうな。ここで『やだ』とか言った日にはアルあたりに脇に抱えられて強制退場だろう。きっと荷物扱い。イメージとしては子猫を運ぶ親猫。
「……聞きますよ、保護者様ですから。じゃあ、次はゼブレストですね。キヴェラ王だけだといまいち大国っぽさが無いんで護衛に騎士を一人だけ許します。怪我も治しますので」
護衛を許可するという私の言葉にキヴェラ王は意外そうな顔になる。
「ほお? 儂に身を守る術を与えるのか」
「身を守る術というより、私は『王として』謝罪させたいんですよ。捕虜とか罪人ではなく」
にこりと笑いながら告げると意味の判った人達は納得したような顔になる。
「つまり敗者の謝罪ではなく、大国の王として跪かせたいと」
「そんな感じです。負け犬を這いつくばらせるよりも牙がついたままの狼に頭を下げさせた方が価値があるでしょ?」
「……君は本当に容赦無いんだねぇ」
セシル兄よ、民間人の私がそんな御上品な解釈をする筈無いじゃないか。そもそも言葉こそ違いはあれど、意味というか行動は同じじゃん!
そして引き攣った顔をしているキヴェラ勢よ、お前達が敵対したのはそういう奴だ。精々、魔王様や宰相様に感謝するがいい。
「それから復讐者達は一時的にイルフェナで預からせてもらうよ。彼等はキヴェラの貴族でもあるが、ミヅキも彼等に聞きたい事とかあるだろう?」
「ありますね。知らない所で助けてもらっていたみたいだし、このまま放置して何も聞けないままキヴェラで処罰……なんてことになったら暴れます」
「……という事だ。承諾していただきたいのだが」
いい笑顔で『それでも良いよ♪』と言わんばかりの私に魔王様は溜息を吐きつつ、キヴェラ王に意見を求める。
キヴェラ王は私を危険人物認定したのか、それとも彼等の扱いに困るのか、やや顔を引き攣らせながらも頷き了承した。
自分が居ない間に忠誠心にかられた者達が裏切り者である彼等を害さない保証などないのだ、そこで殺されようものなら災厄第二弾が待ち構えている。王としては魔王様の提案がありがたいというのが本音だろう。
「よかろう。処罰もそちらに一任する。……魔導師にこれ以上暴れられてはかなわん」
「賢明ですよ」
流石だ、キヴェラ王。こんな状態でも状況判断能力は優れていると見た。私と一度会えばそれなりの対応はできるっぽい。今回は初対面だからこそ、この結果を得られたのだろう。
……魔王様の微笑みでも微妙な空気は隠せないけどな。まあ、魔導師相手だからまだ負けを認められるのかもしれん。扱いは回避不可能な災厄だし。
「では同行者は……」
「私を御連れ下さい!」
周囲を見回したキヴェラ王にかかる声。視線が集中する人物は……あ、さっきの騎士団長(仮)さんか。
身動きが出来ない状況ながら、彼は必死に視線で王に訴える。王はやや瞳を眇めると頷いた。
「いいだろう。同行者は騎士団長を。ただし、この状況を見過ごすわけにはいかん。代理の者に対処と場の統率をしかと命ぜよ」
「はっ!」
「では、とりあえず氷結を解除しますね。治癒もしておきますか」
「いいのか?」
「ええ、何時でも殺せますから」
意外そうな王の声にさらっと続く私の言葉。誰もが一時動きを止め、物凄い目で私を見る。
嘘は言って無い。この程度なら楽勝。そもそも酸素を意図的に無くすだけで可能だと思うんだ、窒息死らしいのに死因不明とかいう状況になるかもしれないが。
「ミヅキ。余計な事を言うんじゃない!」
溜息を吐いた宰相様がぺしっ! と頭を叩く。
いいじゃないですか! これだけ脅しておけば妙な行動しませんって!
「……。とりあえず謝罪させるならさっさと行きなさい。キヴェラにも迷惑だろう」
保護者な魔王様の一言にとりあえず周囲は動き出した。ただし、キヴェラ勢の保護者二人を見る目に何だか怯えが混じっているような気がするのだが。
そんな感じで私と宰相様とキヴェラ王、そして騎士団長はゼブレストへと向かった。護衛の騎士はセシル兄や魔王様に付けてコルベラに一時帰還。私達に付いて来させるわけにもいかないのだ、謝罪はあくまでゼブレストとキヴェラ間でのものなのだから。
この時、私とクラウスの気持ちは一つだったことだろう。
さようなら、死霊の町! 畜生、混ざりたかった……!
未練がましく、ちらちら羨ましげな視線を町に向けてみたり。……楽しそうだ、物凄く盛り上がっていて楽しそうだ。時間的にもう暫くすれば収まるだろうけど。
クラウスも似たような事をしているので参加できないことが悔やまれるのだろう。
気分はドナドナされる子牛。事情が事情でなければ『やだ! もっとここに居る!』と子供の様に駄々を捏ねるのに。大人しく運ばれるなんて真似しないのに……!
「魔導師よ、町は……」
「もう暫くすれば消えます。本当に、本っ当に残念なことに!」
「そ、そうか。……交渉は成った、怒りを抑えてくれないか?」
「色々と思う事があるのです。気にしないで下さい」
「う、うむ」
私の言葉をどう捉えたかは知らないが、騎士団長さんは何だか引いていた。
気にしないでおくれ。城を壊せなかった事を惜しんでるわけじゃないからさ?
※※※※※※※※※
と、いうわけで! やって来ました、ゼブレスト。宰相様から通達があったらしく、謁見の間にはルドルフどころか主だった貴族や近衛騎士達がスタンバイしてました。
ちなみに隅にはリュカも居た。貴族を恐怖のどん底に突き落とした牢の主は、今や近衛の末席に名を連ねている。功績によって男爵位を与えられたからなのだが、本人は騎士になれれば満足なので名前だけのものなんだとか。相変わらず牢の主だしな。
さて、キヴェラ王? きちんと『ごめんなさい』ができるかな? 私は『誠心誠意謝罪する』という条件で見逃したのであって、言葉だけの謝罪だと意味が無いぞ?
「……宰相より話は聞いている。御互い忙しい身だ、手短に済まそう」
ルドルフは粛清王モードなので、いつものフレンドリーな雰囲気が欠片も無い。どこか面倒そうに、けれど明らかな上からの物言いにキヴェラ王はぴくりと反応した。
そういや、若造って言ってたもんなぁ……プライドが邪魔をするか?
私は魔導師という誰から見ても災厄なので謝罪し易かったとも言えるのだ。しかし、ルドルフは同じ王という立場。しかもキヴェラより小国。
見下してきた連中に見守られながら公の場で謝罪するというのは結構な苦行だろう。
キヴェラ王は一つ溜息を吐くとルドルフに視線を合わせ頭を下げる。
「聞いているならば話は早い。……これまでの事は詫びよう。すまなか……っ!?」
「はい、やり直しー」
ぱちりと指を鳴らし、キヴェラ王の頭に水を落とす。ルドルフ以外はぎょっとしたようだが、私はつまらなそうにキヴェラ王を見る。
「跪け」
「く……っ」
「足を叩き折られたい? 這いつくばる方がいいかな?」
軽い口調だが、脅しが言葉だけで済まない事を察したのかキヴェラ王は跪く。
……後ろで「御労しい」とばかりに表情を歪める騎士団長さん? この程度を御労しいとか思うなら、ルドルフの辿ってきた道は地獄か何かか。元凶は首すっ飛ばされても文句言えないでしょ?
冷めた視線に気付いたのか騎士団長は私に視線を向ける。そこに明らかな侮蔑を見つけ表情を強張らせた。
「……ねぇ、団長さん? キヴェラは国を守ろうとする王の懇願を、その姿に胸を痛める騎士をどんな目で見てきたのかしら?」
「……」
「今この状況で貴方が個人の感情を表に出してどうする。反省は無しか」
そう言うと団長は黙って目を伏せる。この場に集っている者達もまたキヴェラの被害者なのだと思い至ったのだろう。騎士としては無力な自分を恥じる場面かもしれないが、元凶である以上それは身勝手というもの。
『見られているのは貴方も同じ』と暗に言えば、自分もまた評価対象なのだと悟ったらしい。その後は視線こそ王に向けたまま、けれど表情を動かす事はなくなった。
「これまでの事を詫びよう。どうか許してもらいたい」
跪き頭を下げるキヴェラ王にルドルフは……相変らず退屈そうな表情を浮かべていた。
自身の苦労の元凶とも言えるキヴェラ王の謝罪には何の興味も無い、と言わんばかりに。
「……それは『何』に対しての謝罪だろうか?」
「何?」
顔を上げて怪訝そうな表情をするキヴェラ王にルドルフは重ねて尋ねる。
「貴方は我が国に対し随分と野心を剥き出しにしてきた。……で? その程度の謝罪で済む事とは一体何を示しているのだろうか?」
ルドルフの言葉は感情が込められていない分、内容は酷く重い。それだけ被害を被ってきた事実をルドルフは『知っている』のだ、しかもルドルフには『一度見た事・聞いた事は忘れない』という特技がある。
半端な誤魔化しは絶対に通用しないだろう。一番の被害者でもあるのだから。
「……細かい事は省くが十年前に侵攻した事と内部に裏切り者を作ったことだ」
「そうだな、大きく言えばその二つだろう。その中に俺の暗殺もあった程度で」
「……っ!」
「知らないと思ったか? 随分と嘗められたものだ」
低く笑うルドルフは身内に見せる無邪気で人懐こそうな面など欠片も見受けられない。
個人と王という立場を分けなければやってこれなかったのだと宰相様は言っていた。そうなった元凶を前にしてもルドルフは王の仮面を完璧に被っている。
この時点でキヴェラ王は判断すべきなのだ、子供だって成長するのだから。キヴェラの策を抑え生き残ったルドルフは今や青年、経験を積んだ子供は魔王と呼ばれる王子を味方につけるほどの成長を見せた。
加えて魔導師を味方につけるような王が凡才である筈はない。
私がキヴェラにとって脅威となったならば尚更に。
……まあ、それは一般的な解釈であって私に該当するかは判らんが。
「もしかして有り過ぎて判らないとか? それともとても許してもらえる内容ではないと?」
「そのどちらでもあるだろうよ。正直に言えば言うほど俺が許す可能性がなくなるからな」
ルドルフの言葉になるほどと頷く。そりゃ、態度にも出るわな。
キヴェラ王はルドルフを未だ侮っていたのだろう。ゼブレスト内での警戒対象が宰相様だったのだ、ルドルフの正しい評価が伝わっている筈も無い。
だからこそ謝罪に応じた。誤魔化せると思ったから。
いやぁ、物凄く馬鹿にした対応ですね! 怒って良いぞ、ルドルフ。
そこに気付いたなら謝罪も好意的になど見られないだろう。許さないという選択も十分有りだ。
「じゃあ、許さない? 『ルドルフが許す事』が重要なんだけど」
「そういうわけにはいかないだろう……お前がキヴェラを標的にしている限り」
「うん、現在絶賛甚振り中! まだ城は壊してないよ」
『リアル災厄になってます!』と明言した私にルドルフはやや片眉を上げただけだった。セシル達を連れて来た段階でキヴェラに対する怒りを知っているのだ、何もしないとは思ってなかったらしい。
キヴェラ王は顔色を悪くしながらも無言。私だけではなくルドルフもまた彼の予想を覆す存在だっただけに即座に対応が思いつかないに違いない。
「……。じゃあ、許す方向で私が死なない程度の事をやらかしてもいい?」
「何?」
「言葉だけの謝罪で許す気はないんでしょ? ゼブレスト側が手を下すわけにはいかないし」
「まあ、死なせないというならお前に任せるのも一つの手か」
私の提案にルドルフは首を傾げながらも同意する。と言うか、ルドルフも良い対処法が思いつかないというのが正しい。
キヴェラは今後も続くのだ、ここでゼブレスト側が手を上げれば『何も行動しなかった癖に何様だ』と言われてしまう可能性がある。今回はゼブレストが無関係ということになっているからね。魔導師に縋ったくせに云々と言われるとルドルフ本人の評価に響く。
謝罪で済ますという提案をしたのは宰相様――実際は私――だが、その後のキヴェラ王の態度と思惑を知る限り簡単に許すとも言えまい。
うん、お前等やっぱり親子。誠心誠意「ごめんなさい」は無理だったか。
国の危機だから謝罪するという時点で誠実さは疑われるが、更に誤魔化そうとしたもんな。これであっさり許しちゃったら犠牲となった者、尽力してきた者双方に示しがつかない。
だったら部外者の私が何らかの報復をこの場で行い、納得させるのが最良か。
「じゃあ、立って歯を食い縛れ。ああ、騎士団長さんに体を支えてもらうと良いよ」
「……何をする気だ?」
「一発殴る」
正直に答えれば揃って訝しそうな顔をする主従。ただ殴るだけとは思っていないらしい。
まあ、その予想は大当たりなのだが。
私だってゼブレスト側を納得させる行動をとらなきゃならんのだ、普通に一発殴るだけで済む筈はなかろう。
主従だけではなく多くのゼブレストの人々が怪訝そうな顔をする中、私はリュカに貰った短剣を取り出す。それに目を留めたルドルフは瞳を眇めた。
……いや、刺す気はないからね!? 武器は扱えないから!
「ルドルフ、これ覚えてる?」
「リュカがお前に渡した父親の形見だろう。十年前の侵略の際に志願兵達に配られた王家の紋章入りの短剣だ」
「そう。だからこれを使うつもり」
そう言って鞘から引き抜くと刃の部分だけを使って『別の物』を数個作り出す。その光景に軽く目を見開いたルドルフは出来上がった物を見て訝しげな表情になった。
……うん、そうだろうね。短剣として使うなんて言って無いし。
「……。ミヅキ、俺の目には指輪らしきものに見えるんだが」
「うん、指輪。詳しく言うと王家の紋章が浮き彫りになったかなりゴツイ幅広のもの」
刃の部分はそこまで大きくは無い。だが、頑丈そうな四個の指輪を作るには十分だ。
尤も指輪と言ってもイメージが『幅広』『王家の紋章が浮き彫り』『ゴツイ』程度のものなので装飾品的な価値は無いに等しい。ぶっちゃけて言うと指輪と言うより王家の紋章がついた短い筒。
残った柄と鞘はリュカに渡す。困惑気味に受け取るリュカに「形見は持っているものだよ」と言って押し付け、私は指輪(仮)を右手の人差し指から小指まで嵌めた。
人はそれをメリケンサック(仮)と言う。この世界にあるかは知らないが。
未だ意味が判らず首を捻る人々を放置し、私はキヴェラ王に向き直り。
にこりと笑って即座に笑みを消し。
「歯ぁ食い縛れ!」
声と共に殴りつけると浮き彫りになった王家の紋章がキヴェラ王の頬を抉り血で染まる。
微かに聞こえた鈍い音と手に走る痛みが攻撃を加えた証。これで一応ゼブレストは納得したことになる。血で染まった顔は誰の目にも明らかだ。
実際には殴るというより抉るの方が近いだろう。私の目的はこれだけではないのだから。
それに殴ったと言っても私にはそれほど力が無い。キヴェラ王は騎士団長に支えられながらも無様に転がる事はしなかった。
「く、う……」
「ああ、手を退けて。治すから」
「な、に……」
キヴェラ王は痛みに呻きながらも無意識に血に染まった頬を抑えていた。その直後に元凶から『治す』という言葉を聞き体を強張らせる。
……まあ、まともな治療と思う方が無理だろうな。でも安心しろ。普通に治療だ。返事を待たずにキヴェラ王へと治癒を施す。
「……? 痛みが無くなったのに傷跡が?」
「血も止まっているようですが……古傷、のような」
傷に触れたキヴェラ王と傷の状態を見ていた騎士団長が不思議そうに傷に触れる。
そこに抉れたような傷は確かにあるのだ。元の世界ならば時間をかけてこうなる。ただし、治癒魔法が当たり前のこの世界では傷跡が残る治癒というものに馴染みが無い。
民間人ならばともかく、王族や貴族は治癒魔法による治癒が当然なのだ。だから騎士だろうとも古傷が無い人も多く存在する。見た目で経験を判断してはいけないと教わった。
「そう。私が使うのはこの世界の治癒魔法じゃなくてね、調整可能なの。その傷跡は残る……ううん、残すようにしたから一生つけておいて」
「何故そのような真似を?」
「ゼブレストにしてきたことを覚えておいて欲しいから。……この場でルドルフに感じた恐怖と共に」
やや低くなった声にキヴェラ王はぴくりと肩を跳ねさせ、ルドルフは小さく「ほう……」と感嘆の声を漏らす。
屈辱の記憶を忘れる事ができないというのは中々に辛い日々だろう。しかもこれからはその古傷を抉るような事が多々起こるのだから。
「かつてゼブレストを追い詰めた『誉』は『国の汚点』となった。これから幾つの行動がその評価を覆すのかしらね?」
「……ああ、そういうことか!」
私の言葉にルドルフは声を上げ、満足したように笑う。……そう、『笑った』のだ。魔導師の言葉の意味を理解して。
「どういう……ことだ?」
傷跡を残す意味さえ判らない騎士団長が問い掛けてくる。それを見て私達は顔を見合わせ笑い合う。
「それがミヅキの復讐ということだ」
「復讐? 傷跡を残すことが、ですか?」
「傷跡ってのは判り易い例えだ。ミヅキが今言っただろう? 『誉は国の汚点となった』と。ここに謝罪に来た時点でキヴェラは強国とはいえなくなっているんじゃないのか? 過去は変わらない、今後報復に出る国がある可能性は? 民はこれまでと違った生活を容易く受け入れるのか? その不満は何処へ向かう? ……王家はどういった評価を『自国の民』からされるのだろうな?」
ルドルフの言っている事はある意味正しく一部が間違い。他国が報復をするのではなく、キヴェラが圧倒的優位な立場を失っただけなのだから。
だが、キヴェラの民はそうはいかない。自分達を反省し、これまでとは違った生活を素直に受け入れる者達がどれほどいるというのか。
戦に参加していなければ王妃の様に部外者という認識は強いだろう。そうなった場合、無意識にその批難の矛先は王家や上層部へと向く。
……自分達がそれまで侵略行為による豊かさを称えてきた事を綺麗に忘れて。
「ミヅキの復讐は一時的なものじゃない。……違うか?」
「うん、正解。『過去の出来事の評価を逆転させる』なんて私にしかできないでしょう?」
手を未だ血に濡れさせたまま、くすくすと笑いルドルフの言葉を肯定する。傷跡は自己反省を促す切っ掛けというか、過去に対する戒めのような役割なのだ。王の顔についているならば周囲も自然と己を戒めるだろう。
「今回の事が起爆剤となってどれほど罪深いと知るのかしら、キヴェラの民は。貴方と王太子は間違いなく『偉大な大国キヴェラを貶め衰退させた王族』として歴史に名を残すだろうけど」
「中々に壮大な罰だな、それは」
「守ってきた者に責められる……王としてはやるせない話よねぇ、貴方の人生を否定されるようなものかな?」
キヴェラ王。貴方が『絶対に許される筈は無い』というほどの事をゼブレストにしてきたと思うのならば。
彼等を納得させるだけの私の復讐が軽いものである筈ないでしょ?
半ば呆然とするキヴェラ主従をそのままに私は指輪を抜きつつルドルフの傍に行く。
そして血塗れた手で同じく血塗れの指輪を差し出した。
「この指輪はゼブレストの短剣から作り出した。国を守って死んだリュカの父親の形見であり、志願兵となった者達の誇り」
「ああ、知っている。志願兵達には俺が渡したんだ、本来ならば守るべき民である彼等を戦わせる事が申し訳なくてな」
なるほど。そんな背景もあって民は『ルドルフ様ならば』と慕ったのか。志願兵とか出した割にルドルフは民に好かれてるんだよね、普通なら家族を奪ったと恨まれることもありそうなのに。
「戦が終わっている以上、貴方達は何も出来ない。どんなに納得していなくとも」
「当然だ。生きている者達を危険に晒すわけにはいかない」
「だけど私には柵なんて無いわ」
視線を掌の指輪に向けるとルドルフも同じように視線を向けた。
そこに浮かぶ感情は無い。ただ、肘掛に置かれたルドルフの掌に力が篭る。
握り込めば掌を爪で傷付けてしまうほど、ルドルフの抱く感情は強い。
それはキヴェラに対してであり、無力だった自分の不甲斐無さに対してであり、ゼブレストの民に対する申し訳なさでもある。
「受け取って。死を悼む花はこの国の民が捧げれば良い。私は死んでいった者達にこれを捧ぐ。あんたが今こうしてこの場に居る未来を作ってくれた全ての者達に感謝を。……これが私が彼等に捧げられる唯一のもの」
懐から布を取り出し渡そうとする宰相様を遮り、ルドルフは己が手で指輪を受け取った。その手もまた指輪に触れて血に染まる。
「……お前、自分も怪我しただろ」
「それを着けて殴ればね。でも、痛い思いをしない復讐なんてないと思うの。ゼブレストやキヴェラに比べたら些細なものじゃない」
そう言ってもやや辛そうな表情を見せるルドルフに苦笑し、治癒と水を作り出しての洗浄を行なう。元通りの手を見せて「ほらね?」と言えば若干その表情が和らいだ。
そして改めてキヴェラ王を見るとルドルフははっきりと宣言する。
「キヴェラ王。我が国はこれでミヅキを諌めよう。俺が望むのは貴方がこれからも王であることだ。……責任を取れ。……逃げる事は許さない」
許された筈なのに断罪にも聞こえるその言葉。
だが、キヴェラ王とて理解しているのだろう。何より彼の望みは叶えられたのだから。
ただ……気付かなかった部分を気付かされただけ。今知るか後で自覚するかの差でしかない。
主従は顔を見合わせ、ゆっくりと再び跪き頭を垂れると連れて来た騎士達に付き添われ謁見の間を後にする。そこに強者の威厳は無い。あるのは国を守れた事への安堵のみ。
「それじゃ、私も帰るわ。まだ今回の後始末が残ってるし」
「ああ、宰相に聞いた。お前を助けた復讐者達の処遇やイルフェナの方の条件か」
「まあね。イルフェナの方は関わらないから今回の報告書の作成ってとこかな」
面倒よねぇと呟くとルドルフが小さく笑う。……うん、こんな顔が出来るなら大丈夫だろう。今回の謝罪はルドルフにとっても唐突過ぎて気持ちの整理などする暇が無かっただろうし、ゆっくり休んでおくれ。
「じゃあね」
「ミヅキ様!」
ひらひらと手を振りながら謁見の間を後にしようとすると涙声のリュカから声をかけられる。珍しい……『主の恥になるから』という理由で礼儀は完璧なのに。
ルドルフに視線を向けると頷き許可を与えていた。そういえばリュカは何故ここにいたんだろう?
「ありがとうございます……! 十年前に亡くなった志願兵の、いえ全ての志願兵の家族の一人として御礼申し上げます! キヴェラを恨まなかったと言えば嘘になりますが、国を守る事を選んだ我々の判断は間違ってはいませんでした!」
そうか、ある意味リュカは被害者の代表としてここに呼ばれたのか。民がキヴェラを憎むのは当然、そして恐らくはそうさせた王家を恨む気持ちもあるだろうと。
『志願兵の家族』という立場はそういうものだ。働き手を失った家族の暮らしが楽だったとはとても思えない。
「……そう。家族よりも国を守る事を選んだお父さん、誇りに思う?」
「はい! ミヅキ様に認められた事、それ以上にルドルフ様を御守りできたと親父達は鼻高々ですよ!」
「自慢の息子はルドルフに認められて騎士になるしねぇ?」
「当然だ。こいつの二つ名は『血塗れ姫の番犬』だぞ? 基準がお前と紅の英雄な事に加えて、お前直々に俺の盾となるよう命じられているからな……」
ややからかいを含んで言えばルドルフから妙な情報が追加された。……何だ、その物騒な渾名は。いや、本人が喜んでるみたいだからいいんだけどね。元気に暮らしているようで何よりだよ、リュカ。
呆れた視線をルドルフに向けても、面白そうな表情を返すだけ。それを見て私も肩を竦めると背を向けて歩き出す。
その背にルドルフの声が追い駆けて来る。
「ミヅキ。……ありがとな」
それに振り向くこともなく、聞こえた事を示すように再度手を軽く振る。『感謝する』ではなく『ありがとう』という言葉は『ゼブレスト王』ではなく『ルドルフ』という個人からのもの。
この場所が何処か、それ以上に立場を判っているルドルフが敢えて口にした一言の価値は一部だけが気付けばいい。
そして今度こそ私は謁見の間を後にした。
「捧げる物がメリケンサックってどうよ?」な感情の下、指輪で代用した主人公。指輪なら『彼等の忠誠心に敬意を』と言ってもイメージ的に問題無し。……多分。