第3節:科学する忍びと、世界の果て
どれくらいの時間が経っただろうか。
嵐は、唐突に去ったように思えた。
光圀が目を開けると、そこには満天の星空が広がっていた。
波は穏やかで、まるで何事もなかったかのように静かだ。
「……生きてるか?」
「は……なんとか」
格さんが荒い息を吐きながら、まだ舵を握りしめている。
「無事です。船の損傷も軽微」
助さんがキャビンから顔を出した。
「水!」
緊張が解けた途端、喉の渇きが襲ってきた。
だが、積んでいた水桶は嵐で流されてしまっていた。
「若殿、水が……飲み水が尽きております」
格さんが青ざめる。海の上で水がないのは死刑宣告に等しい。
「ご心配なく」
助さんが涼しい顔で言った。
彼は防水キャビン内の竈に火を入れ、鍋に海水を満たしていた。
その上には、斜めに切った竹筒と、濡れ手拭いで冷やした別の鍋蓋がセットされている。
奇妙な装置だ。
「何をしておるのだ、助?」
「海水を沸騰させ、その湯気(蒸気)を冷やせば真水に戻ります。塩分は鍋に残る……南蛮の『理科』の応用です」
ポタ、ポタ。
竹筒の先から、透き通った水滴が垂れ落ちる。
助さんはそれを柄杓で受け、光圀に差し出した。
「どうぞ」
光圀は一口飲んだ。少し金気臭いが、まごうことなき真水だ。
「……うめぇ! お前、すげぇな! 忍者って化外の者と呼ぶ奴がいるが、理の塊なんだな」
「ええ。理論さえ分かれば、道具はどうにでもなります」
格さんも感心したように唸る。
「ほう、これが書物で読んだ『蒸留』……! まさか実演で見ることになろうとは」
水と食料(家康こだわりの堅焼きビスケット)は確保できた。
だが、問題は解決していない。
夜が明け、太陽が昇る。
周囲は360度、見渡す限りの水平線。
陸地の影一つない、絶望的な青の世界。
「……現在位置は?」
光圀が問う。
格さんが船にあった六分儀(使い方は書物で勉強済み)を太陽に向け、計算する。
その顔色がみるみる悪くなっていく。
「……申し上げにくいのですが」
「言えよ」
「計算が間違っていなければ、ここは扶桑国の近海ではありません。遥か東……太平洋のど真ん中です」
沈黙。
戻る手段はない。風任せ、潮任せの漂流。
だが。
光圀は船首に立ち、昇る太陽を見つめていた。
その横顔には、絶望の色は微塵もなかった。
「……腹は決まったな」
彼はニヤリと笑った。
それは、江戸で暴れていた時のような退屈しのぎの笑いではない。
もっと大きく、もっと獰猛な、野心の炎が宿った笑みだった。
「戻れねぇなら、行けるとこまで行くしかねぇ。
世界ってやつがどれだけ広いか……この目で確かめてやろうじゃねぇか」
暴れ龍は、檻を壊して空へ――いや、大海原へと解き放たれたのだ。
(誤字報告も助かります……!) それでは、また次の冒険でお会いしましょう!




