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第1章:白銀の飛沫、青天の霹靂 第1節:凪の海と、退屈な暴れ龍

 天は抜けるように青く、海は鏡のように凪いでいた。


 水戸沖、数里。

 陽光を浴びてキラキラと輝く海原に、一艘の釣り船が浮かんでいる。


「……ふわぁぁぁ」


 船べりに寝そべった若者が、顎が外れんばかりの大あくびをした。

 逞しい胸板をさらけ出し、まげも結わずに総髪を風になびかせている。

 その顔立ちは凛々しく、眼光には隠しきれない理知的な光が宿っているが、今は退屈という病に侵されていた。


 徳川光圀とくがわ・みつくに

 水戸藩主・徳川頼房の三男にして、天下の副将軍……になるのは、まだ少し先の話。

 現在は、ただの「謹慎中の暴れん坊」である。


「平和だなぁ。……平和すぎて、死にそうだぜ」


 光圀は釣り竿を放り出し、うつ伏せになって呻いた。


「若殿。謹慎中なのですから、お静かに願います」


 船の中央で端座していた巨漢の男が、呆れたように書物から目を上げた。

 岩のような筋肉を上質な着物に包んだその男は、渥美格之進あつみ・かくのしん

 通称「格さん」。

 手には『論語』を持っているが、その眼差しは光圀への小言の準備で満ちている。


「うるせぇな、格。誰のせいでこんな暇を持て余してると思ってるんだ。……そもそも、あの悪徳商人が民を泣かせてたのが悪いんだろうが」


「だからといって、商人の屋敷を爆破する必要がありましたか?」


 格さんは眼鏡(南蛮渡来の高級品だ)の位置を直し、ピシャリと言った。


「用心棒たちを素手で叩きのめしたまでは、百歩譲って『若気の至り』としましょう。ですが、不正の証拠がある蔵を、あのような……ええと、なんと言いましたか」


「【雷公らいこうの槌】だ」


 光圀はニヤリと笑った。


「屋根ごと吹き飛ばしてやったんだ。おかげで隠してた帳簿が空から降ってきて、民衆は大喝采だったじゃねぇか」


「そのせいで幕府の役人が真っ青になり、父上様が頭を抱え、若殿はこうして水戸へ強制送還されたのです。……まったく、自業自得です」


「へいへい」


 光圀は耳の穴をほじりながら、船尾へと視線をやった。

 そこでは、もう一人の従者が黙々と釣り道具の手入れをしていた。


 佐々木助三郎ささき・すけさぶろう。通称「助さん」。

 細身で涼しげな目元をした優男だが、その指先はまるで精密機械のように動き、釣り針の切っ先を研いでいる。それは魚を釣る道具というより、暗殺者の武器の手入れに見えた。


「助、釣れそうか?」


「いえ。……潮の流れがおかしいですね」


 助さんは手を止めず、水平線を見つめたまま答えた。


「魚が一匹もいません。何かに怯えて逃げ出したかのような」


「ふーん? お前が殺気を出しすぎなんじゃねぇの?」


 光圀が軽口を叩いた、その時だった。


「……風が変わりました」


 助さんが弾かれたように立ち上がった。

 その鋭い視線は、一点を見据えている。


 晴天の空。しかし、水平線の彼方から、墨汁を流したようなドス黒い雲が湧き上がっていた。

 同時に、鼻をつく異臭。

 磯の香りではない。鉄が錆びたような、あるいは古びた血のような匂い。


「ただの時化しけじゃありません」


 助さんの声が低くなる。


「磁場が狂っています。……何か、良くないものが海を渡ろうとしている気配です」

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