第二十九話 病床
白い天井、柔らかいベッド。
剣が目を覚ましたのは病室だった。
傍らに父、藤四郎の姿。
看病に疲れているのか、淀んだ雰囲気が漂っている。
だが、剣の様子に気づくとすぐに笑顔を浮かべる。
「……気がついたかい、剣」
藤四郎の声は優しかった。
剣は、言いようのない感情が胸に詰まるのを感じる。
申し訳無さも嬉しさも同時にこみ上げてきて、何を言ったら良いか分からない。
「ごめん、お父さん」
思わず謝る。
だが、藤四郎は首を横に振った。
「また野球を始めたらしいじゃないか」
嬉しさを隠せない声。
藤四郎は剣の頭を撫でる。
この年齢でやってもらうようなことではない、と思ったが、剣は口に出さなかった。
父の思いがそこに篭っているのだろう、と悟って受け入れた。
「中学の、あの時以来か。
もう剣は野球をやらないかと思っていたよ」
「うん。そのつもりだったよ」
頷く剣。
でも、と続けて語る。
「でも、やっぱり私、野球が好きだった。
ごめんねお父さん。
私、弓ちゃんが死んでもまだ野球がやりたいの。
どうしても、諦められない。
多分、この気持ちってどんなことがあっても止められないと思う」
剣の言葉に、藤四郎は頷くだけだった。
肯定の意味を含んでいることは、表情を見れば明らかだった。
笑顔で剣の言葉に、何度も頷いている。
語りが終わると、今度は藤四郎が口を開いた。
「分かってる。
剣は野球が好きだからな。
きっとそれが一番いい。
無理に諦めようとしたって、必ずどこかでボロがでるさ。
それに、お母さんもきっと望んでいるよ。
剣が野球をやってくれるように」
言って、藤四郎は窓の外へと視線を向けた。
病院の窓が切り抜く空は青空。
剣は知っている。
かつて父が教えてくれたこと。
自分の母は、ずっと昔にこの空へと魂を返した。
今はどこにも居ない人だということ。
そして、母もまた野球が好きだったということ。
詳しいことは教えてくれない。
だが、何となく剣も察している。
母は野球に生きた人であった。
そして野球を愛していた。
剣も窓の外を見る。
姿も名も知らぬ母を懐う。
どんな野球をしていたのだろう。
どれだけ必死に戦ったのだろう。
どれだけのものを残してくれたのだろう。
父の中に生きる、母の魂。
それはどんな形をしているのだろう。
分からない。
ただ、許されていることだけは感じていた。
父も、父の記憶の中に眠る母も。
剣がここまでして野球に生きようとすることを許している。
認め、どうかその先に勝利と幸福があるように祈ってくれている。
「――ありがとう、お父さん。元気が出てきたよ」
剣は笑った。
心の温度を顔に乗せて、父を見た。
父も頷き、暖かく笑った。
「さあ、もう少し寝ていなさい」
藤四郎の言葉に剣は甘える。
こく、と首を小さく動かして、声も返さぬうちに眠りについた。
自分は疲れているんだな、と、ここで初めて実感した。
その後、諸検査も終わった。
異常無し。
超野球少女という宿命が、剣に倒れることを許さない。
たった一晩眠っただけだ、と医者は語った。
あれから一夜で怪我の治癒も随分と進んでいた。
裂けた皮膚の傷もほとんどが塞がり、見た目には何事も無いように見えた。
剣は、これは戦いが続いているからだ、と考えた。
元野球部の暴力野球に勝利してもまだなお続く戦い。
来週に控えている盾との決闘があるからこそ、超野球少女の力が眠りきらず、人間の肉体の限界を超えた状態が維持されているのだ、と。
医者の話では、来週の試合に出場することは不可能、との事だった。
現状のまま怪我の治癒が進んだとしても、試合までに完治することはありえない。
またその試合で無理をした場合、重度の筋剥離を起こす可能性さえあるとのこと。
病院内を歩くことぐらいは構わないが、必ず補助を使うこと。
そして病院外へ勝手に外出しないこと。
この二点を守るよう念押しされた。




