第二十六話 第一歩
続く打者は剣。
だが、現在は部室で寝ているはず。
ダイヤモンドを回り終え、ベンチで三人と相談する真希。
「剣は打席に立てるような状態やない。
ここはバッターアウトっちゅうことで、剣の打順は飛ばしてもらおうや」
提案に、一同が頷く。
これを確認してから、真希はベンチを離れ、グラウンド上へと宣言する。
「剣は今打席に立つことが出来へんのや!
ここはバッターアウトで、次の打順に回させてもらおうで!」
元野球部員のほぼ全員が頷く。
元部長だけが答えず歯ぎしりするのみ。
了解を得て、真希は次の打者、ナイルへと視線を送る。
「任せてくれ。
僕でこの試合は終わりにして見せるさ」
言いながら、バットを持ってバッターボックスへ。
いよいよ日も沈む。
グラウンドを照明が照らし始める。
これで最後と理解した投手は、一球を躊躇う。
得体の知れない感覚。
恐怖でも高揚でもなく。
白球を手放し難い感情で一杯だった。
と、その時。
不意に、部室の扉が開く。
身体中に包帯を巻いた、痛々しい姿の剣が姿を現す。
足をずりずりと引きずりながら、バッターボックスへと向かう。
「剣サン!
君は休んでいてくれ!」
ナイルは驚きながらも、剣を声で制止した。
だが、剣は言うことを聞かない。
「ナイルさん、退いて。
私の打順です」
言い返す剣。
見ると、傷からの血で包帯も所々が赤く滲んでいる。
こんな状態で打席に立たせるのは無理というもの。
ナイルは剣とバッターボックスの間に立ち塞がり言う。
「通さない!
剣サンは、もう十分戦った。
だから、後は僕達にまかせてくれ」
頼み込むナイル。
声色も必死の様相。
しかしやはり剣は聞かず。
ナイルの肩に手を置くと、どうにか退いてもらおうと押しながら語る。
「ナイルさん……大丈夫ですよ。
みんなを信じていないわけじゃない。
任せるつもりですよ。
私がこの打席、アウトに倒れたら。
後はナイルさんが打って終わりにしてくれるって。
信じているから安心して打席に立てるんです」
「だったら何故!
剣サンはもう限界だ。
無理に打席に立たなくとも、ここはアウトということにして休んでほしい」
「いいえ。
私は限界でも休みませんよ。
ようやく始まったんですから。
私はまた、野球道を走っていける。
最初の一歩は、今以外はありえない」
剣はナイルを押し退け、バッターボックスへと入る。
何を言っても聞かないだろう。
ナイルは諦め、バットを剣に渡す。
「剣サン、気を付けて」
せめて剣が無事に打席を終えるよう祈り、ベンチへと戻っていく。
いよいよ勝負が始まる。
投手は手加減なし。
まずは鋭いストレート。
剣は負傷故、スイングもままならず。
金属バットは空を切る音も立てず、ふらふら宙を泳ぐ。
ボールはとっくにミットの中。
まるで焦点の合わないスイング。
「剣!
どうせやるんやったらでっかいのぶっ放せ!」
ベンチから真希の声援。
剣は頷く。
もちろん最初からそのつもりだよ、と。
だが、腕が追いつかない。
怪我で力が入らず、バットを持ち上げることも難しい。
そんな状態で、どうやってホームランを打てようか。
いいや、そもそもボールにバットを当てることさえ難しい状況。
超野球少女と言えども限界がある。
今の剣の身体能力は、並みの野球少女より劣る。
負傷故に満足なプレイが許されない。
しかし、問題はそこではない。
身体が動かないなら動かないで構わない。
どうやって打つのか。
そこが重要だ。
剣は考える。
身体が言うことを聞かなくとも打つ為にはどうすれば良いのか。
どのような策であれば、バットはボールへ当たるのか。
答えは無い。
考えるほどに、剣には不可能だと理解できた。
今の状態で出来る策など存在しないと。
阿呆でも分かる結論を、しっかりと頭の中に覚え留める。
第二球。
投手は、再びストレート。
剣は先程よりはタイミングを合わせてスイング。
だが、まだ遅れている。
それに白球を捉える気配も無い。
剣は考えるのをやめた。
残る力の全てで、本能で白球を捉える。
他の方法は無いように思えた。
実際に打つ手なし。
情けなくとも、バットを振るしか無いのだ。
第三球。
タイミングを外す緩いカーブ。
危うく手を出すところだったが、剣は見逃す。
ボール球。
続く第四球はインコースを突くストレート。
詰まりながらも剣のスイングは白球を捉える。
フェアゾーンへ飛ぶことはなく、ファール。
カウントは変わらず。
剣は集中する。
青い闘気が滲み出る。
全力でなければいけない、という観念が、剣に身体の限界を忘れさせる。
今の状態で超野球少女の力の負担を受けるのは危険だ。
にも関わらず、剣は闘志を燃やす。
青の炎がちりちりと舞う。
第五球。
投手、渾身の高速スライダー。
剣は必死に腕を振った。
どうにか振り絞った力で白球を捉える。
だが、それでも絶好と呼ぶには程遠い。
詰まった打球。
レフト方向へふわりと上がり、外野が少し前進して捕球。
ワンアウト。
剣は項垂れ、ゆっくりとバッターボックスから離れる。
己の新たな野球人生。
一歩目は敗北からのスタート。
それも悪くないかな、と考え剣は顔を上げた。
ナイルが居た。
そして剣の肩を軽く叩く。
「任せてくれ。必ず次で終わらせる」
剣は頷き、ベンチへと引き返す。
ベンチでは、仲間が出迎えてくれた。
よくやった、後は任せろ。
大丈夫か、という声が飛び交う。
一方で、バッターボックスのナイル。
銀色の闘気を巻き上げ、構える。
「さあ来い! これが最後の勝負だッ!」
宣言。
投手も頷き、放球。
最初から、渾身の高速スライダー。
だが、これをナイルは打ち砕く。
容易くバットが白球を捉え、まるで弾丸のような勢いで弾き飛ばす。
弾道は比較的低く、ライナーともフライとも区別を付け難い軌道。
そのまま外野の頭も超えて、フェンスギリギリを超えてのホームラン。
試合終了。
十点差によるコールドゲームの成立だった。




