第十四話 反撃
「……貴方たちは分かってない」
不意に、剣が口を開いた。
静かで、怒りよりも、悲しみに偏った声。
「こんなことをして何になるんですか。
奪われる側の人間だと言うなら分かるでしょう。
奪われることの苦しみが。
なのに、何でこんなことをするんですか」
「それはお前らの仲間が肯定したことだ。
勝った人間が負けた人間から奪う。
それが勝負の世界だと言ったのはあのキャッチャーだ」
部長の反論に、剣は首を横に振る。
「そんな話じゃない。
奪う側に居て、貴方たちは平気なのかと聞いているんです。
苦しい思いをしたんですよね。
だったら奪うということがどういうことか分かっているはずです。
それでも、こんな邪道野球で私たちから勝利をもぎ取ろうというんですか」
「知ったようなことを言うなよ!
お前も突然現れて私らの練習、努力を全て否定した悪魔の一人だ。
分かるわけがあるか、この憎しみが。
青春を奪われた絶望が、地獄が理解できるはずがあるか!」
「地獄を知らないのは、貴方たちですよ」
剣は、変わらず冷たい声で語り続ける。
「地獄は、奪われることだけで出来ちゃいない。
奪うことも地獄なんだ。
貴方たちは自分から地獄に落ちようとしている。
邪道の先にあるのは勝利じゃなく、地獄へ続く奈落だ。
第一、貴方たちはまだ地獄にすら落ちていない。
それでもまだ、邪道野球を続けるのですか?」
言葉を受け、元部長は怒りのままに反論を叫ぶ。
「バカはお前だ!
奪うことも地獄だというなら、とっくに人間はみんな地獄の中だ!」
「そうですよ。
人は、生きる限り何かの勝負をしなければいけない。
奪うことも、奪われることも繰り返して生きる。
人生は、人により程度は違っても、みんな地獄だ。
私たちは誰でも、苦しい思いをしながら生きる」
言うと剣は、バットを掲げる。
そして、遠く空の彼方を指すようにヘッドを向けた。
ホームラン予告。
「だからこそ、正道から外れた奪い方をしたら駄目なんだ。
邪道邪悪に落ちたら。
自分だけが地獄に生きると勘違いしたら。
そこからが本当の地獄の始まりなんだよ」
剣は語り終えて、バットを構える。
これからデッドボールを投げられるであろう。
にも関わらず、打つ気力を漲らせ、戦う意思の宿った瞳でピッチャーを睨む。
元部長は舌打ちをする。
どうせ才能に恵まれ、生まれてから一度も理不尽な敗北を経験したことなど無い人間の言うことだ。
戯言に他ならない。
やれ。とピッチャーに命じる。
結果は変わらない。
例えデッドボールを避けようとも、四球で塁上に出れば暴力に抵抗など出来ない。
ラブ将軍が負傷した状態で三塁が埋まっていれば不可能なのだ。
故に真希も歩かせた。
生意気に講釈を垂れた二人、纏めて身を砕いてやろう。
部長の計画に従い、剣を狙っての放球。
剣は打つ気満々でテイクバック。
誰もがデッドボールを確信した。
このスイングも、ホームラン予告も。
今まで真希やラブ将軍がやってきたような、抗議の一つと考えられていた。
だが――剣は違った。
テイクバックから前足をバッターボックス一杯外側に開いて踏み込む。
それと同時に背面へと倒れこむ。
まるで白球から逃げるような動き。
だが違う。
体幹はしっかりと維持したままの倒れ込み。
故に、まだバットはスイング出来る。
白球は死球を狙って放たれた為、ちょうど倒れこむ剣の正面を通過する。
これが狙いだった。
前足を外へ運び、後ろへ倒れ込むことで擬似的に白球をインパクトゾーンへと誘いこんだのだ。
無論、剣も超野球少女。
体勢を崩したからといって空振りするような人間ではない。
バットは見事に白球を捉えた。
そのまま勢いを殺さず、地面へ叩き付けるようにスイング。
後ろ足を浮かせながら、バットで地面を叩いた瞬間に手を離す。
地面からの反動と、バットを離すことで運動エネルギーを制御して身体を起き上がらせる。
白球は伸びていく。
外野の頭を超え、ワンバウンド。
そして仮設フェンスの外側へと入り込み、ツーバウンド。
レフト線ギリギリのエンタイトルツーベースだ。
唖然。
元野球部員全員が、信じられないという顔で白球を追い、そして剣を見た。
「――進んで!
真希、ラブ将軍!
これで一点だよ!」
剣は笑顔だった。
真希とラブ将軍に言いながら手を振り、二塁まで進塁していく。
真希は二塁を少し離れて剣の到着を待った。
「ホンマ、ようやってくれるやないか!
あんたホンマに最高やで剣!」
真希は喜びのあまり、剣にがっしりと抱きつく。
「もう、そんなことより進塁。
あと、報復は来るだろうから覚悟してね。
本当はホームランで全員無事に帰りたかったんだけど」
言いながら。
剣はラブ将軍の方へ顔を向ける。
ちょうど、どうにか歩いてホームベースを踏んだところだった。
日佳留とナイルが肩を貸し、ベンチへと引き返していく。
最中、ラブ将軍は剣を見て、笑う。
やってくれたな、剣君。
今にもそんな声が聞こえそうな表情。
「とにかく、ここからだよ、真希。
私も真希も、これからあいつらの報復を受けることになる。
でも、勝負を捨ててわざと盗塁死するつもりも無い。
――でしょ?」
「へっ、よう分かっとるやないか」
「まあね。
でも、もう何の策も無い。
だからここからが本番だよ。
どうやってホームまで無事に生還するか」
真希は剣の言葉に驚く。
ホームまで生還する。
それはつまり、点を取るつもりでいるということ。
この状況で、まだ点を取る意思を失っていない。
真希でさえ、無事に『ベンチ』へ生還することを考えていた。
最高や。
愛しとるで、剣ちゃん。
真希は頭の中に言葉を留め、三塁へと向かう。




