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小さな神さま

翌朝、紫乃は物置の床の上で目を覚ました。


ぼんやりと天井を仰ぎ、数拍ののちに――飛び起きた。


小窓からは、すでに朝日がまぶしく差し込んでいる。


いつもなら夜明け前から働いているのに、奉公人が寝坊などあってはならないことだった。


肚を蹴られる覚悟で台所へ駆け込むが、どうしてか誰も何も言ってこない。


「あれ? あんた。今日は非番じゃなかったっけ?」


年嵩の女中が、訝しげに眉を上げた。


「……え?」


「ほら、旦那さまが昨日言ってただろう。今日は客人もいらっしゃらないしって」


「そんな、お話……聞いてません……」


紫乃は目を瞬かせた。


昨夜、誰からもそんなことは言われていない。


頭の中が混乱していく。


そこへ、別の女中が手にした膳を差し出してきた。


「まあまあ、せっかくだからこれ持ってきな。焼き魚、うまく焼けたんだから」


差し出されたのは、白飯に焼き魚、湯気の立つ味噌汁の膳だった。


紫乃は呆然と膳を受け取り、そのままふらふらと物置に戻った。


――こんなこと、今までに一度もなかった。


いつもは残り物をこっそり口にできれば良い方なのに。


首を傾げながら神棚の前に膳を置いた、その瞬間。


「遅いぞ、紫乃! 早うこちらに来い!」


「ひっ……!」


神棚の扉が、勢いよくひとりでに開いた。


中から、背丈一尺ほどの若い男がひょいと飛び出してくる。


切れ長の瞳に、濡鴉の髪を高く結い上げた風貌。

身にまとうのは上質な絹の小袖。


細部の文様は見慣れぬ古様式で、時代がかった気品を漂わせていた。


神々しさと、小ささのアンバランス。


「に、人形が……動いて……!?」


「ふん。おぬしの夫に対して随分な言い草ではないか」


「お、おっと……?」


紫乃の顔が強張る。


「昨夜、夫婦の盃を交わしたであろう。まぎれもなく、婚姻は成った」


「ええ……!?まさか、昨日の、あのお酒が……?」


「おうとも。まさにその『盃』こそ、千年前より伝わる神婚の儀。巫女の血を引く者と我が神威が交われば、力の契りとなる。おぬしには資格があると見込んでおったのじゃ」


紫乃はあんぐりと口を開けたまま、呆然とする。


小さな男は、ふんぞり返りながら胸を張った。


「我が名は壱継命イチツグノミコト。かの少名彦スクナヒコナの末裔で、人と鬼の境を守る護神なり。夫婦と成ったからには、これからはそなたの守り神を務めてやろう。ありがたく思え」


「……守り、神……?いち……すくな?」


あまりの非現実的な状況に、頭が追いつかない。


「ふふん、知らぬのか? 我が祖先は人の世では『一寸法師』として知られておる」


「一寸法師……!」


小さな身体で勇敢に姫を護り、鬼を討ったというお伽噺とぎばなしが、紫乃の脳裏に浮かぶ。


心底驚きはしているものの、紫乃は自分がこの不思議な現象をすんなり受け入れていることに気がついていた。


それというのも、紫乃も感じていたからだ。


神棚を掃除していたとき、時折吹く、あたたかい風のような気配を。


もしや、この小さな神様が、ずっと見守ってくれていたのだろうか。


「えっと……あの……いち……さま?」


壱継命イチツグノミコトじゃ!」


「はっ、はい!申し訳ありません!」


反射的に謝ると、小さな神様は頭を掻いた。


その仕草はどこか人間臭く、思わずじっと見つめてしまう。


「謝るな。……それに、そんなに見るでない。我のことはおぬしの好きに呼んで良いから」


「あの……では、イチさまとお呼びしても?」


「好きにせいと言うた」


ふんぞり返って偉そうにしているが、なにせ小さい。


最初こそ恐怖を感じたが、こうして見ると意外に可愛く思えてくる。


紫乃は改めて居住まいを正した。


「では……イチさま。いつも水しかお供えしていなくて、ごめんなさい。今朝は、なぜか朝餉をいただけたので……その、お召し上がりになりますか?」


「ふふん、当然じゃ。巫女の供物、受け取らぬ道理がない」


イチさまはにやりと笑い、ひょいと紫乃の膝に乗る。


「ほれ、食わせろ」


「えっ」


いにしえより夫婦は、ひとつ膳を共にし、心を分かち合うと申すではないか。ほれ、早う」

……そうなのだろうか。


紫乃には判断がつかず、とりあえずイチさまの言う通りにする。


焼き魚の一切れを箸でつまみ、そっとイチさまの口元へ運んだ。


イチさまは満足そうに小さな口で噛み締め、うん、と頷く。


「……なかなか、うまい。米も寄越せ」


「は、はい」


なんだか奇妙な朝餉の時間だった。


だが、食べ終えたとき、不思議なことが起こった。


神棚に供えてあった榊の葉が、いつの間にか青々と若葉をつけていた。


湯飲みの中には、入れた覚えのない茶が波々と注がれている。


台所に戻ると、女中頭が珍しく声をかけてきた。


「……それにしても、あんたって、こんな顔してたのねぇ。なんだか初めてちゃんと見た気がするよ」


「……え、あの……」


紫乃は何と言っていいかわからず、思わず口ごもる。


「ま、非番なんだからゆっくりおし」


そう言って紫乃の手から空の膳を取り上げ、洗い場に持って行ってくれた。


……本当に、何がどうなっているのだろう。


「……イチさまの、ご加護なの……?」


紫乃の胸の奥で、あたたかい何かが静かに灯っている気がした。


まるで、長い長い冬が、今まさに終わろうとしているかのように。

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