脱走
「消えたい……」
精魂尽き果てたようにそう呟く俺は、部屋の片隅で蹲っていた。
大学受験に失敗し早一年、そして先日二浪目が決定し……無能さと疲労故にミスを連発しバイトも軒並みクビ。
無駄に親の脛を齧りたくなくて浪人した瞬間から家を出たが……孤独も相まって底知らずに気分が墜ちていく。相談できるような知り合いも……居るにはいるが皆私生活で多忙だろう。しかも、唯一親友と呼べていたアイツは……
『最年少でホムンクルスの製造に成功した樋口ララフォード埜乃華さん19歳!!……今日は、そんな天才の裏側に密着したいと思います!!』
狙ったようなタイミングで、聞き馴染んだ名をニュースキャスターが読み上げる。……埜乃華、言うなれば俺の幼馴染であり……一度は同じ大学への進学を志した親友の女性。まぁ見事に俺だけ落ちたんですが。
今や世界中の研究機関で主軸になっているホムンクルス研究……それを日本で最も盛んに行っている楼ヶ峰研究所、そこが次世代の才能を育成するために設けた楼ヶ峰大学。察しの通り馬鹿みたいに偏差値が高く、入試においてもあまりに変則的かつ難題過ぎて対策のための参考書の類が一つとして存在しない。
よって求められるのは……純然たる”才能”のみ。
「すげぇなぁ……埜乃華」
昔から神童として一目を置かれていた彼女は、小学生の時には既にホムンクルス研究に関心を向け……年一ペースで論文を発表し全国区でも度々ニュースになっていた。一方俺は微塵もそんな才能は無く、同じ時期にはカマキリとかを捕まえていた。
「いや、才能だけで片づけてっから成長しねぇんだよな俺………あ~~~でもどうしようもないじゃんも~~~~消えた~~~~~い!!!!」
死にたくはないので消えたいという表現を使っているが、実際はかなりギリギリの精神状況である。ホムンクルス分野に於ける学習しかしていないため、今から他の一般的な大学へのシフトチェンジはかなり厳しいし金も無いし彼女もいない。八方どころか十方以上塞がりである。
『では早速!ご本人にお聞きしてみましょう!』
テレビには、巨大な研究施設をバックに……白衣に身を包んだ、艶やかな茶色のセミロングを靡かせる埜乃華が立っていた。
高校辺りから彼女の才能が眩し過ぎて、そして自分の醜さが見ていられなくて自ら距離を取っていたため、実際は数年くらい会話をしていなかったし、受験に失敗してからは顔を合わせてすらいない。………研究ばかりしてそうで心配していたが、血色も良いし元気そうだ。てかこうテレビ越しに改めて見ると顔まで整ってるんだなコイツ………逆に何が無いんだよ。
『樋口さん、ホムンクルス製造についてなんですが……』
「……”製造”って……このキャスター………」
『その言い方はやめてください』
俺が製造という言葉に眉を潜めた瞬間、埜乃華も同じような表情でキャスターに対し指摘した。
『人工的に生み出されたというだけで、彼らは当然意思を持ち行動が出来る生命です。無機物の様な扱い、並びに見世物の様な取り上げ方は控えて早急に取材を終わらせて下さい。……何度も執拗に取材を求めてきて、研究所にまで押しかけてくるなど言語道断……』
『あーーーー!!!あ、あれはもしかして!!研究所のマスコットキャラ、ローガ君じゃないですか!!?きゃーーーローガくーーん!!』
埜乃華の氷の様な発言に慌てふためくキャスター。と同時に、思わず吹き出してしまった。……相変わらずだ。何も包み隠さずに社交辞令など一切無く常に無表情。だがホムンクルス……いや、生命全てを純粋に尊重し愛するあの性格。何も変わってはいなかった。
「………よし、取り敢えず消えるのはやめにして………新しいバイトでも探すか……」
足の踏み場も無い程散らばった無数の論文や文献、呪詛の様な走り書き達を掻き分けて、俺は貴重品を持ち家を出ようとした。
……その時だった。
「……ん?電話?」
ポケットの中でスマホが震える。取り出して画面を見ると着信があった。
……表示されていた名前は、”埜乃華”。
「あれ!?埜乃華!?………いや、でもこれ……生放送でやってるよな?……電話かけてる感じじゃないし………え、誰!?怖!!!」
リアルタイムでインタビューを受けている人間からのあり得ない着信に恐怖する。……だが、何故か体は勝手にその着信を受け入れてしまい、震える手でスマホを耳元へと運んでいた。
「………は……はい……」
すると、電話越しからは途方もない程に明るい調子の……女性の声が聞こえてきた。
『あ!!!哉太!!?哉太だよね!!』
「え!?………だ、誰!!?」
哉太。富和哉太が俺の本名だ。だがマジで誰だ……?声は明らかに埜乃華ではないし口調もこんな明るい筈がない。
『あ……そ、そうだよね!初めましてだもんね!えっと……あ!哉太、今テレビ見てる!?』
「テ……テレビ……!?は、はい……見てます……けど」
『じゃあそのまま見ててね!!』
次の瞬間、爆音……具体的には、扉か何かが弾け飛ぶような音がスマホ越しに聞こえる。思わずスマホを落しそうになった。
それが連続し続け、次第に彼女以外の人間の声が混じり始める。しかもそれは皆、驚愕であったり叫びであったりと、とてもじゃないが穏やかではない阿鼻叫喚の様なものだった。
『それでは早速!!研究室の内部へと案内して頂きましょう!!』
呑気な声色のキャスター。それを見て嘆息し、白衣のポケットに手を突っ込み歩き始める埜乃華。
しかし、そこで彼女が何かに気付いた。
『あれ……無い』
『……どうかされました?』
『私の………スマホが………』
刹那、彼女たちの眼前に聳える巨大な研究施設、その真正面に存在するガラス張りの入口が……弾け飛ぶように内部から破壊される。
『きゃああぁああ!!な、何!!?』
『…………嘘……』
カメラが動揺しつつもズームを始める。……ずれるピントの中で微かに映ったのは……白い布で体を覆った、一人の女性だった。
「………って………埜乃……華……!?」
ぼやけていてはっきりとは見えないが、体格や全体の雰囲気から一瞬、彼女と空見してしまった。
俺の反応を聞いた電話の主が、再び口火を切る。
『ははは!埜乃華じゃないよ?私は私。……名前は、哉太がつけていいよ!』
「はぁ!?……何言って………」
そこで、やっとカメラのピントが完全に合う。その姿を見て数秒後、漠然と状況を理解した俺はスマホを持ちながら戦慄し、声を上げた。
『………あ、やっほー!哉太!見てるーー!!?』
「……………うわぁあっ!!!?」
……画面に映る少女も、右手にスマホを持っていた。動く口元の軌跡は、たった今耳朶に触れた文言を少し遅れて完璧になぞっている。そして……先程の直感は的中しており、彼女の姿形はどう見ても、埜乃華と瓜二つだった。
『……ホムン……クルス………』
最後に聞こえたのは、放心したかのような埜乃華の言葉だった。




