二話 魔法の残響
灰色の空が大地を覆い、焼け焦げた集落の残骸が風に揺れていた。ルシアは膝をついたまま、目の前に広がる母と弟の亡骸を見つめていた。血が土に染み込み、彼女の拳から滴る赤がその色に混じる。耳にはゼラークの冷たい笑い声が響き、心は憎しみで煮えていた。「あいつらを殺す」。その言葉が、彼女の喉から漏れた唯一の音だった。
生き残った村人たちが焚き火を囲み、呆然とルシアを見つめていた。年老いた男ハンスが震える声で言った。
「ルシア……あれは、なんだったんだ?」
彼女は答えなかった。涙が頬を伝い、握り潰した拳が震える。村長が立ち上がり、力強く叫んだ。
「彼女は希望だ! 光の力で悪魔族を退けた!我々にはまだ未来がある!」
ざわめきが広がり、やがて拍手が起こる。だが、ルシアの耳にはその音が届かない。ただ、あの赤い目をした悪魔を殺したい。それだけだった。
その夜、ハンスがルシアに近づき、肩に手を置いた。
「砦へ行こう。そこでなら安全だ。お前のような子が生き残ったんだ、俺たちを守ってくれ。」
ルシアは黙って頷くが、心は別の場所にあった。幼い頃の記憶が疼き始める。森の奥に住む不思議な魔法使い、エドラ――白髪に覆われた瞳と、風のように揺れるローブを纏った老女が、ルシアに「光」を教えてくれた。
「お前の血には天使の力が眠ってる。癒しと破壊、両方を宿す。お前が選ぶ道が、その力を決める。」
エドラの言葉は、母が子守唄のように語る「天使の末裔」の話と重なっていた。ルシアは物心ついた時から母と弟と暮らしていたが、エドラの手で育てられた時間が長い。彼女の家に預けられ、森で魔法を学び、力を隠す術を叩き込まれた。だが、家族が殺された今、その教えが何の役に立つのか。エドラはどこにいる? あの魔法使いなら、この力をどう使うか教えてくれるはずだ。
翌朝、ルシアは村人たちと共に砦へ向かった。灰色の大地を踏みしめ、風が焼けた匂いを運んでくる。背中の痕跡が疼き、光の暴走を思い出すたび、頭が締め付けられるように痛んだ。砦の門が軋みながら開き、人族の兵士たちが現れる。村長が前に出て叫んだ。
「我々の集落が悪魔族に襲われた! だが、この娘が光の力で奴らを退けた! 彼女は我々の希望だ!」
兵士たちの目がルシアに集まり、ざわめきが広がる。ルシアは俯いたままだった。希望? そんな言葉は彼女の胸に届かない。ただ、あの悪魔を殺したい。それだけだ。
砦の中へ案内され、ルシアは粗末な毛布を渡される。兵士の一人が近づいてきた。
「俺はトランだ。お前が本当に光の力を持ってるなら、俺たちを救えるかもしれない。」
ルシアは黙って毛布を握りしめる。救う? 誰かを救う力なんて、自分にはない。母も弟も救えなかったのに。トランは彼女の沈黙に眉を寄せるが、それ以上は言わなかった。
その夜、砦の広間に人々が集まった。中央に立つ男――人族の指導者ガルドは、厳つい顔に野心的な笑みを浮かべていた。鎧に刻まれた傷が、彼が戦ってきた証だった。
「ルシア、だったな。村長から話を聞いた。お前が悪魔族を倒した光の力……それは我々が待ち望んだものだ。」
ルシアは顔を上げる。ガルドの声は力強く、だがどこか冷たく響いた。
「悪魔族は我々の敵だ。お前の力なら、奴らを滅ぼせる。どうだ、俺たちと一緒に戦ってくれるな?」
ルシアの胸が熱くなる。あの悪魔を殺せるなら。ゼラークの首を切り落とせるなら。
「……戦うよ。あいつらを殺すためなら。」
彼女の声は低く、憎しみに震えていた。ガルドは満足そうに頷き、広間に歓声が響く。だが、ルシアは気づかなかった。ガルドの目が、彼女を見つめるたびに冷たく光っていることを。
深夜、ルシアは砦の片隅で眠れずにいた。月光が窓から差し込み、灰色の世界を薄く照らす。すると、風が不自然に渦を巻き、暗闇から見覚えのある姿が現れる。エドラだ。白髪が月光に揺れ、瞳はルシアをじっと見つめていた。
「エドラ……!?」
ルシアが立ち上がると、エドラは静かに手を上げる。
「お前が力を目覚めさせたことは感じた。だが、その使い方は間違ってる。」
「間違ってる?」
ルシアの声が尖る。エドラは無表情で続ける。
「お前の光は憎しみで歪んでる。天使の力は癒しと裁き、両方を持つが、今のお前は破壊しか見ていない。」
「家族を殺した悪魔を許せって言うの!?」
ルシアが叫ぶと、エドラは一歩近づき、杖を地面に突いた。瞬間、ルシアの周りに光の輪が浮かび、彼女を締め付ける。
「力を制御できねば、お前自身が滅ぶ。来い、私と修行するんだ。」
ルシアは歯を食いしばるが、エドラの瞳に逆らえなかった。彼女は知っていた。この魔法使いが、自分を育て、力を与えてくれた存在だと。幼い頃、森の小屋でエドラに手を引かれ、光の粒を追いかけた日々が蘇る。あの時、エドラはいつも言っていた。「お前の力は、お前自身だ」と。
翌朝、ルシアはエドラに連れられ、砦の外れの森へ向かった。そこに立つ古木の下で、エドラは杖を構える。
「私と一対一だ。お前の光を私に向けてみろ。制御できなければ、お前が死ぬ。」
ルシアは目を閉じ、ゼラークの顔を思い浮かべる。赤い瞳、歪んだ笑み、母の首を砕く音。憎しみが胸を焼き、手から光が溢れ出す。
「殺す……!」
光の刃がエドラに迫るが、彼女は杖を振るい、風の壁でそれを弾く。光が木々を切り裂き、地面に焦げ跡を残す。ルシアは膝をつき、頭が割れるように痛む。
「まだだ。憎しみだけじゃ力は暴走する。お前が何をしたいのか、心で決めろ。」
エドラの声が響き、ルシアは立ち上がる。もう一度光を放つが、今度は母と弟の笑顔が浮かび、力が少し安定する。光の刃が鋭さを増し、エドラの風の壁を切り裂くが、彼女は杖を一振りしてそれを消し去る。エドラは小さく頷いた。
「少しは見えたか。だが、まだ足りん。お前の心は揺れてる。」
ルシアは息を切らし、エドラを見つめる。
「どうすれば……あいつを殺せるほど強くなれる?」
エドラは静かに答えた。
「強さは憎しみだけじゃ生まれん。お前が何を守りたいのか、何を裁きたいのか。それが分からねば、光はお前を焼き尽くす。」
修行が続く中、ルシアはエドラの言葉に苛立ちを覚えながらも、光を放つたびに何かを感じていた。憎しみだけではない、別の力が背中の痕跡から疼き始める。だが、その感覚を掴む前に、森の外から足音が近づいてきた。ハンスとトラン、そして数人の兵士が現れ、驚いた顔で告げる。
「ルシア、ガルド様が呼んでる。悪魔族の小隊が近くにいる。お前の力が必要だ。」
ルシアは拳を握り、エドラを振り返る。エドラは静かに言う。
「お前が選ぶ道だ。だが、覚えておけ。力は使い手次第で変わる。行くなら、私もついて行く。」
ルシアは立ち上がる。ゼラークがそこにいなくても、悪魔を殺せば一歩近づける。だが、エドラの言葉が胸に引っかかっていた。森を出る背中に、ガルドの野心的な笑みが重なるのを、彼女はまだ知らない。