橋立あまのが俺の超ピンチを見放してくる
「こんなにギクシャクしちまったあとで、もっかい良好な関係を築けるわけがねえだろ?本気でそう思ってんのかお前?
だったらさぞかし人間関係に恵まれてきたんだろうな、お前は。
でなきゃお前みたいに頭ん中がお花畑なヤツは散々周囲に見下されまくって、今頃とっくに耐えられなくなっていただろうよ」
目の前のコイツは、俺みたいに会話の中のどんな小さな失言に対しても逐一嫌味を言われてきた人間とは、生きる世界がまるで違う。
だから同じ土俵で会話しようとするなんてそもそも無理な話なんだ。分かり合うことなんてできやしない。
「そ、そんな言い方することないだろ?」
案の定、太秦は机を叩いて立ち上がり、本音むき出しでキレてきた。これでいい。
どうせお互いのことなんか何もわかっちゃいないんだから、中途半端な気遣いなんて不要なんだ。
「……取り乱してごめん。このまま冷静さを欠いた状態で話し合っても互いを無意味に傷つけ合うだけで、埒が明かなそうだ。
それにホームルーム開始までに時間もない。だからとりあえず今日のところは一旦これでおしまいにしよう。
チャイムが鳴る前に、早く君たちも自分の席に戻ったほうがいい」
言いたいことをすべて伝え終えると太秦は再び椅子に座り、机に突っ伏した。
そして、その後まもなくして本鈴が鳴った。
それと同時に教室の前扉が開かれ、担任が入ってくる。俺たちと目が合った。
「あれ、なんでお前らそんなとこにいんの?」
ちょうど橋立が猫耳が教卓に触れないように器用に教卓を抜け出して立ち上がるのを見届けた瞬間だった。
「いや、ただ教卓の中で駄弁っていただけですよ」
「━━もしかしてガタラブの真似事?」
「聞いてたんすか?俺たちの話。いつから聞いてたんすか?」
「お前たちが教室に入ったのを見かけたときからだな」
「最初からかよ!?」
━━ということはさっき俺が太秦らと言いあっていたのも聞かれていたのか。
ふとそんな疑問が脳裏に浮かんだが、それを確かめる前に
「ウソウソ、冗談だ」
とお茶を濁され
「まあとりあえず席につきなさい」
そう諭されてしまった。
本当に冗談だったらいいんだが━━どっちにしろそれを確認する術はもうなさそうだな。
そう思い、俺はしぶしぶ橋立と席に戻った。
その後担任は教卓の中央に立つと、皆のほうを見やり、
「あれ、なんか今日クラスの空気超よどんじゃってない?気のせいだったらいいんだけど」
そんな意味ありげなことを呟いた。それで俺は確信に至る。
やっぱりさっきの太秦と俺のやりとりを見ていたんだ、コイツは。そして━━見て見ぬふりをした。この最悪の状況を。阻止できたかもしれないのに。
「まあ何があったのかわからんけど、何かあったんだとしたら、面倒なことになる前に自分たちで早く解決してくれよ。もし大きな問題が起きちまったら、担任として流石に見過ごせなくなるからな」
━━んじゃ、辛気臭いことはこれで終わり。
問題を見過ごす気満々の教師はそう締めくくってから、さっさと本題に入っていった。
そしてひとしきり連絡事項述べたあと、
「今日の四時間目に委員会決めを行いたいと思う。だから自分がどれになりたいか皆考えておくようにな」
最後にそれだけ告げると、昨日と同じように教室を大急ぎで出ていった。
毎度毎度、見たいアニメでもあるのだろうか。勤務中に?
とにかく教師という人間をあてにすべきではないな。
そういえば小学生のときにいじめを教師に相談したら、儀式的な和解だけさせられ余計エスカレートしたことがあったっけ。思い出すたびに悲しくなる。
やはり当たり前だが、自分たちの問題は自分たち自身で何とかするしかないってことだな。
俺自身が蒔いた種なんだから俺が何とか解決する方法を見出さなけりゃならない。
そうしなけりゃ今後日常生活に支障が出る━━いや、実はもう現時点で実際に支障が出始めている。
……というのもさっきから休み時間の度に突き刺さる周囲の殺戮とした視線がものすごく痛いのだ。過去に散々いじめ抜かれた俺でもこんなの久しぶりの感覚だ。
十中八九俺が太秦に楯突いたせいだから、自業自得と言われればそれまでなのだが。
だけどディープキスを拒絶しただけだったら、クラスの全員が俺たちに関心を抱かなくなることはあっても、ここまであからさまな敵意をむき出しにされることはなかっただろう。
マジできつい。このままじゃ身が持たない。
━━そして三限目になる頃には、すでに俺はすっかりヘトヘトになっていた。
授業中は一番後ろの席だからそういった視線を回避できた分だいぶ恵まれてるほうだといえるが、それでもかなりきつかった。
このまま三限目、四限目が終わって昼休みを迎えたらガチで俺、死んじゃう自信あるぞ。
そしたら何死だ?過労死か?
昼休みは結構長いから、間休憩では陰口を言って遠巻きに視線を送るだけだったクラスメイトたちも、直接俺のとこに来て色んな罵倒をしてくるかもしれない。
いや、それだけなら別に問題ないんだが、もっとひどい場合、今後長期に渡って陰湿ないじめにあう可能性だってある。
孤立はこの際仕方がないとしても、小中学校の頃のようにいじめを受けることだけはなんとしてでも避けたい。
でも、そのために俺はどうしたらいいんだろう。何ができるというんだろう。
絶望的な状況下で、極度の疲労も相まってか、なかなかいい方法が思い浮かんでこない。
四限目は委員決めで皆バタバタするから、自由に考えを巡らせるのは昼休みまでじゃ今しかないのに。
━━そうだ、同じガタラブの再現を実際にやって、俺と似たような境遇にある橋立なら、何か力になってくれるかもしれない。
そう思い立ち、板書が終わり演習の時間に入ったときに、思い切って隣の橋立に相談してみることにした。
肩を何回か叩き、小声で耳打ちする。
「助けて、橋立ちゃん」
ちょっと仲良くなれたかと思い、親しみを込めてちゃん付けで言ってみた━━わけでは当然ない。
そんな度胸など毛頭ない。ただ自分から女子に話しかける緊張のあまり、噛んでしまっただけだ。
「何そのキモい呼び方は。殺すわよ」
勘違いされて危うく殺されかけた。
その間も真面目な橋立はずっと、演習問題を解く手を止めない。
「……すまん」
「謝るくらいなら警視庁吉行対策課はいらないわ」
そんなピンポイントな課ねーだろ。
「許してくれよ。さっきは噛んだだけでわざとそう呼んだわけじゃないんだ」
「噛んだからって変な呼び方してくれてんじゃないわよ!今度そんな呼び方したらあたしがあんたに噛みつくわよ?」
「猫だけに?」
俺の発言は華麗にスルーされた━━わけではなく、直後橋立は、俺が手を引いたときと同じくらい恥ずかしそうな表情をした。
「……あんまり猫耳イジらないでよね」
どうやら橋立の弱点は猫耳らしい。こいつは有益な情報を得た。
「……とっ、とにかくその気に食わない呼び方を訂正してもっかい言って!」
「助けてください、橋立様」
「その呼び方も一周回って人を不快にさせるわね」
「……橋立さん?」
「ダメダメだわ」
「は?じゃあ、なんて呼びゃいいんだよ!?」
「あんたがあたしに話しかけきゃいいだけじゃない?」
「いや俺は会話する権利すらないのかよ?」「だいたい今は授業中よ?話しかけるなんて何を考えてるの?」
「それはすまん」
じゃあ授業中くらい猫耳外せよ何考えてるの?
「まあ授業中じゃなくてもお断りなんだけど」
「なんでだよ!?」
俺が盛大にツッコむと、ようやく橋立は問題を解く手を止めた。
大きくため息をついて、かなりめんどうくさそうにこちらを見る。
「もう一緒にガタラブを再現しなくてよくなったんだから、今のあたしはあんたと友達同士ですらないはずなんだけど。そんな赤の他人同然のあたしに一体何の用があるってわけ?」
前置きがあまりに長すぎたが、これでようやく本題に入れそうだ。
「いや、用ってわけじゃないんだが……」
俺はそこで一旦ためて橋立の表情をうかがい、このまま続けても問題なさそうなことを確認してから続きを話した。
「なんかさっきから休み時間の度に、クラスメイトたちがちょいちょい俺に向けてくる視線が痛いんだけど。
━━まあロ◯ジュリのように敵や障害が多いほうが俺たちの恋が盛り上がっていくってのも事実なんだが」
おっといかん。最後つい余計なことを口走ってしまった。
「何寝ぼけたこと言ってんのよ?あたしだってあんたの敵じゃない?」
「何!?」
せめて味方ではあってくれよ。
「てか二度と言わないでねそんな鳥肌の立つようなセリフ。あたしたちに今後愛が芽生える可能性なんてこれっぽっちもないわ。
それより、こんなちょっと共同作業をした程度で愛が芽生えたとか思ってる、あなたのそのストーカーじみた考えを一刻も早く矯正したほうがよさそうね」
「言いたい放題だな、お前は」
あまりにひどい言われ様だ。自死を真剣に検討するレベル。
「ていうかそもそも今回のことは全部あんたが自分で招いたことじゃない?あたしは別にあんたの母親じゃないし、助けを求められても困るだけなんだけど」
「いや、たしかに太秦に喧嘩ふっかけるような物言いをしたのはまぎれもなく俺の責任だけどさ」
「それだけじゃないわよ、あんたが皆の期待に応えるって言ってガタラブの再現を始めたくせに、その舌の根も乾かないうちに、もうできないって投げ出しちゃったのがそもそも大問題なんでしょ?」
「じゃあお前はあの場でマジで俺がディープキスすべきだったと?」
俺の発言を聞いた橋立は、照れたようにみるみる顔を真っ赤にさせ、
「ちっ違うわよ、バカ」
怒ったように口をとがらせてそう言った。
「本当はあたし、キスだってあんたとするつもりはなかったんだからね?」
「……どういうことだよ?」
意味がわからずにそう尋ねると、
「だから立ち位置を工夫して、皆から見えないように口元を手で隠してキスをするとか、もっと他に色々と上手いやり方があったでしょうが!」
橋立は唾を撒き散らしながら、至極当然のようにそう答えた。
━━まったくそのとおりだ。
俺は対処の仕方を根本から間違えていたんだ。
だからクソ真面目に橋立にガチのキスをしちまった。
だがたしかにあの場で、橋立の言ったような手をとることも十分できたはずだ。
今さら悔やんだって仕方がないが、どうしてそんなことすら思いつかなかったんだろう。
非日常的な状況で極度に追い詰められてパニック状態に陥り、冷静な判断ができなくなっていたのかもしれない。
━━俺がそんなことを考えている間に、橋立はまたひときわ大きなため息をつき、頭を抱えた。
「……ああ、なんでよりにもよってもうガタラブの再現をしないなんて言っちゃうかな、あんたは。せっかくクラスで人気者になるまたとないチャンスだったのに、それを失ってまた振り出しに戻っちゃったじゃないの」
「……すまん」
そうだ。俺のやらかした一連の行為は、ただ単に自分自身を窮地に追いやっただけじゃない。
結果的に橋立をも裏切って、迷惑をかけることになってしまったのだ。
━━俺はそのことに対する自覚が全然足りていなかった。
だとすれば橋立のためにも、なんとしてでもこの窮地から脱しなければならない。
……いや、それだけじゃダメだ。橋立の願いをかなえるためには、もっかい確実に人気者になるためには、皆との関係を修復して、もう一度橋立とガタラブの再現ができるようにしないと。
こんな橋立の悲しげな顔なんてもう二度と見たくないしな。
━━とかなんとかいって、本当のところは結局ただきっかけがほしかっただけなんだろうか。
俺の次の行動を促すきっかけというヤツが。
「で、話はもうこれで終わり?」
橋立はそう言って再び演習問題を解き始めた。
これ以上時間を取らせるわけにはいかないと思いつつ、それでも確認しておきたいことが一つあった。