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太秦右京が暗闇でのキスを勧めてくる

「……どうかした?大丈夫?やっぱり皆の前でこんなことするのは━━」


 太秦にその言葉の続きを口にさせないために、俺はおもむろに立ち上がり、


「いくぞ」


 そう言うと強引に橋立の手を引いて、机と机の間を歩き出した。

 彼女の手は小さくて、柔らかくて、ほのかにあたたかかった。


「えっ、ええ……」


 そう言いながら俺についてくる橋立は、頬を若干赤らめている。


 手を繋いだくらいでそんなことじゃ先が思い知らされるぞ。


 これは俺たち二人で団結して、何とかして乗り越えなきゃならない壁なんだ。

 橋立と俺のどちらがギブアップしたって成り立たなくなっちまうんだ。


 だから同世代の男とこんなことをするのは恥ずかしいかもしれないけど、橋立にも頑張ってもらわないと困る。

 

 それに俺だって本音を言えばかなり恥ずかしいんだよ?女子と初めて手をつなげてラッキーなんて別に思ってないんだからね?


 俺たちが歩き出すと、クラスメイトたちはぞろぞろとあとをついてきた。


「おっ、ついにあの教卓のシーンの完全再現だな!」

「きたきた!」

「待ってました!」


 などと宴会で一気コールをするかのようなテンションで次々と興奮気味に叫ぶのが背中越しに聞こえてくる。


「いくってどこにいくのよ?」


 橋立はグイグイ突き進む俺を不安に思ったのか、小声で聞いてきた。


「教卓の下だよ」

「なんでよ?」

「だってガタラブの二人が初めてキスするのって確か教卓の下だっただろ?」

「……そっか」


 最初のシーンの記憶がかなりうろおぼえだったが、それでも主人公たちが教卓の下でキスをしたのはかろうじて覚えていた。


 二人でくっつきあって隠れるというドキドキのシチュエーションだ。

 でもそのとき二人どんなことを話していたかまでは思い出せない。


 くそ、もうちょっと細部まで意識的に読んでいれば思い出せていたかもしれないのに。


 ━━まあ何を話すかは机の中に逃げ込んだときに考えればいいか。


 そんなこんなでやや行き当たりばったり感が否めないながらも、とりあえず橋立を納得させた俺は、皆の歓声を背に浴びながら教卓のそばに来て、橋立とともにしゃがみ込んだ。


 教卓に潜り込む前に一応小声で

「入るぞ」


 と確認する。


「ほんとにやるの……?」


 橋立を見ると、この期に及んでまだ教卓に入るのをためらっているようだった。


 まずい。ここで俺たちがやるやらないで揉めて、手こずっていてはこの場のせっかく盛り上がった空気を悪くしてしまう。


 それに本当の恋人同士じゃないんじゃないかって余計な勘ぐりも入れられかねない。そう思った俺は、


「いいから!」


 そう言って、無理やり橋立の腕を引いて中に駆け込んだ。


 その反動で橋立は教卓の角に思いきり額をぶつけた。その拍子に猫耳がとれて地面に落ちる。


 俺は慌てて手を離し、振り返った。


「もう、何すんのよ。痛いじゃないの」


 猫耳についた埃を丁寧に拭き取って、頭につけ直しながら、橋立は不満を口にした。


 猫耳ってそんなに大事なもんなのか。

 いくらくらいするのか今度聞いてみよう。


「すまん。お前のこと考えずに無理やり引っ張ってしまって」

「たく、もう少し人のこと優しく扱いなさいよ!あんたに思いやりの心はないわけ?」

「……今まで俺の周りには敵しかいてこなかったからそんな心見失っちまったのかもな」

「それは遠回しな自慢なの?」

「どうしてそうなる!?」

「だってすれ違っただけの他人まで敵にするなんてそうそうできることではないわ」

「そういう意味じゃねーよ」

「とにかく思いやりなんていう人として当然の心を失ったあんたはただの鬼畜下衆野郎ね。ロボットのほうが何倍もかわいげがあるってものだわ」

「悪かったな、ロボット未満で」

「あんたのような存在がロボットに始末されるシンギュラリティが早く来ないかしら」

「シンギュラリティが来ても別に俺は死なねーよ?」


 そんな不快感だけが蓄積される小声のやり取りをしつつ、俺は頭の中で、ガタラブの二人はどういうふうに教卓に隠れていたかな、と考える。


 たしか横に長い教卓の端と端に背中をくっつけて、向かい合わせでしゃがんでいたような気がする。


 ━━ほとんどのクラスメイトたちが教卓の周りに集まってきたことを確認してから、俺たちは衆人環視のもとで公開処刑もといガタラブの演技を始めることにした。想像してたよりかなり恥ずかしいなこれ。


「お互いが向かい合うような配置にしたい。だから、とりあえず俺がこっち側の隅に行くから、お前は反対側の隅に行ってくれ」

「わかったわ」


 それから俺たちはすばやく自分の陣地に移動した。


「準備はいいか?」

「ええ」

 そして俺たちは向かい合い、至近距離で見つめ合う。


 今こうしてみると、改めてお互い唇と唇が触れ合いそうな距離まで近づいていることがわかり、不覚にもドキドキした。


 密閉された薄暗い空間のなかで、お互いの息遣いがひしひしと伝わってくる。

 高鳴る心臓の鼓動さえも伝わってしまいそうだ。


 騒がしいはずの周りの音ももう何も聞こえてこない。ガタラブのセリフも何一つ頭に浮かんでこない。


 正直こうしているだけでも気がおかしくなってしまいそうだ。

 なのにこの上キスをしろというのか。出会ったばかりの女の子と?


 そんなの正気の沙汰じゃない。狂ってやがる。 


 ━━なんだかキスという行為が急に現実味を帯びてきて、俺はどうしたらいいか分からず、ただひたすら戸惑っていた。


 言葉で語られるほど簡単なもんじゃないなキスって。アニメなんかで見るんじゃなくて、いざ実際に自分がやるってなると。


 目の前の、この艶のある柔らかそうな唇と俺の唇を━━。俺は想像して、ゴクリと唾を飲み込む。


 別に変な妄想をして興奮したわけではない。ただ、怖いのだ。こんな経験、人生で一度だってしたことがないのだから。


 まるで金縛りにあったかのように体が動かない。

 動け。動くんだ。

 皆が待っているんだ。これはやらなければならないことなんだ。


 橋立も意を決したように目をつぶった。今だ。

 今いくしかない。


 この機会を逃したらもう二度と臆病な俺は、目の前のこんな可憐な少女にキスなんてできっこない。

 そしたら俺たちが人気者になる道のりも永遠に閉ざされてしまう。


 そう思い、俺は精一杯の勇気を振り絞って自分の唇を、橋立の唇に持っていって━━そっと重ねた。


 橋立の唇は柔らかくって、ほのかに熱くって、そこに触れた瞬間、俺の全身のあらゆる細胞が震え立つのがわかった。


「おーーー!」


 しばらくのタイムラグがあってから、再びひときわ大きな歓声が上がった。

 中には、


「お似合いのカップルだぜ、お二人さん!」

「ヒューヒュー」


 などと死語のような典型的な冷やかしをする者もいた。

 まあお気に召したんだったらやりがいがあったってもんだ。


 しばらくして、頬を赤らめていた橋立は、慌ててすばやく唇を離した。


「ご……ごめん」

「いや、こちらこそ」


 こうして俺たちが恋人同士という演技から束の間解放され安堵しきっていたその瞬間、


「━━なんで二人謝りあってんの?」


 喧騒には加わらず、俺たちの行動を真剣に見ていた女子生徒がそう聞いてきた。


 しまった、全て終わったと思ってすっかり油断していた。


 ━━でもこの顔どこかで見たことがあるような……。


 その女子生徒は言葉を続ける。


「だって二人は恋人同士なんでしょう?キスぐらいして当たり前なんじゃないの?」

「いや、あたしたちはピュアでプラトニックな関係を大切にしていて」

「隠しても無駄だよ。たしかあなた、橋立さん……だよね?昨日の朝ウチと電車の中で話したの覚えてる?」

「ええ……覚えているわ。渡月(とげつ)さん、だったかしら?」


 そうだ。やっと思い出した。


 あのとき橋立と話してた女子生徒か。どおりで見たことのある顔だと思った。


「そうそう、渡月きょうこ。それでさ。あのとき橋立さん、ガタラブの主人公みたいな彼氏がいて、あんなことやこんなことをやってるって言っていたような気がするんだけど」

「ええ……」


 俺がちょっと聞いていなかった間にそんなこと話してたのかよ。

 だから二人がガタラブ似の恋人同士かって聞かれたとき、そうだって即答したのね。


「あんなことやこんなことって?」


 俺がそう尋ねると、またもやそれが橋立の勘に障ったようだ。


「あんた察しが悪いわね」

「空気を読まないのは得意なもんで」


 橋立は俺を無言でジロリと睨んだあと、


「まあいいわ。あんなことやこんなことってのは、口にするのも憚られるようなことよ」


 と簡潔に説明した。


「そういうこと。日頃からそんなことをしてるような二人が、まさかプラトニックでキスの一つもできない関係だなんてことはないはずだよね?」

「まあたしかにそうだけど……」

「もっと深いキスとかも当然毎日のようにやってるんでしょ?」

「……ま、まあ」


 ━━そうやって俺たちが何も反論しないのをいいことに、渡月はものすごく無茶な要求をしてきた。


「じゃあ今ここでやってみせてよ」

「は!?」


 ━━何を言い出すんだコイツ。出会って二日の橋立に対してそんなこと出来るわけないだろうがなめてんのかお前。


「何?できないの?」

「いや、たしかにそういったことも毎日のようにやってるんだけど、流石に皆が見ている前でするのはちょっと恥ずかしいというか……」


 だが、俺たちが必死でそう説明するも虚しく、


「今から橋立さんたちがディープキスするってよ!」


 渡月はあろうことか大声でそう叫びやがったのだ。 


「ちょっ、何言って……」


 だが大衆に向かって一旦放たれてしまった衝撃的な言葉が容易く取り消せるはずもなく、渡月の言葉をきっかけに、クラスメイトたちの注目は再びこちらに集中し始めた。

 

 そして、渡月の発言に呼応するような形で他のクラスメイトたちも、若干ためらいがちながらも、


「……え?嘘!?マジでディープキスすんの?ここで?すげーな。思い切ったな二人とも。どんだけ体張るんだよ」

「てか公開ディープキスとか前代未聞なんじゃね?なんか感動してきた」

「ガタラブではキスまでしかなかったから、その先が見れるとかめっちゃ熱いな」

「ガタラブカップルのディープキスとか、めっちゃ興奮するわー。こんなん生で見れるなんて俺ら、なんて幸運なんだ」


 などと、好き勝手ほざき出した。

 他人事だからって言いたい放題言いやがって。

 ガタラブのことになると何でもありなんだな。


 そもそもディープキスの意味わかって言ってんのか、コイツら。

 わかってんだったらコイツらには公衆の面前で羞恥の欠片もないのか。

 そんなにビッチやヤリモクだらけなのかこの教室は?


 それに下手すりゃ、いや下手しなくてもディープキスの強要なんて強制わいせつなんじゃないのか。


 ━━次々とクラスメイトたちの好奇のまなざしが向けられる。


 やがて、一人のクラスメイトが手を叩きながら、「やーれ、やーれ」と低く小さい声でコールをし始めた。


 その後、他のクラスメイトたちも便乗し、徐々にその声は大きくなっていく。


 橋立はどうしたらいいかわからず涙目になっているし、俺も正直かなり辛い。

 吐き気さえ催してくる。ギブアップボタンがあったら連打してやりたいくらいだ。


 キスでさえかなり抵抗があったというのにディープキスなんて絶好に無理だ。できっこない。

 

 読者の皆も俺の立場になってよく考えてみてくれ。恋人でも何でもない相手とディープキスだぞ?

 拷問でしかないだろ、そんなの。橋立にとってもそうに違いない。


 キスならまだぶつかった弾みに、とかそんな苦し紛れな言い訳が使えなくもないが、ディープキスとなるとそうはいかない。

 

 つまり、後戻りができなくなるのだ。

 本当にやってしまったら、一歩間違えりゃ豚箱行きだ。そうじゃなくとも間違いなく俺の今後の人生は変わっちまう。


 こんな現実離れした悪意丸出しの展開を作り出した神様的存在がもしいたら、全力でソイツを恨んでやりたいね。


 ━━それでも泣き言を吐かず、我慢してやるしかないのか。人気者になるためには。


 ああ、人気者になるのがこんなに大変だったとは。売れないアイドルの苦労が今ならありありと実感できそうだ。


 やるのか。やったほうがいいのか。やるべきなのか。わからない。判断がつかない。こんなの俺の理解の範疇をとうに超えている。

 

 一体なんの罰で俺はこんな残酷な選択をしなけりゃならんのだ。

 どうして俺なんだ。こんな役割、もっと向いている人が他にいくらでもいるだろうに。なんで俺だけが、こんな目に遭ってしまうんだ。


 ああ、俺たちが恋人同士だって嘘をつかなければ。

 ずぶ濡れの橋立を見た俺が、雨のなか外に飛び出さずに他の選択をしていれば。

 俺が電車の中に傘を置き忘れなければ。

 一本前の電車に乗っていれば。

 俺が別の高校に通って、橋立と出会わなければ━━それでよかったんだろうか。


 いや、そうじゃないはずだ。

 俺たちがこうして出会ったこと自体は何も間違っちゃいないはずなんだ。


 たしかに俺たちの二人の今の関係は最悪だ。恋人どころか、友達にすらなれちゃいない。

 だけど、それでもゆくゆくは━━橋立とちゃんと仲良くなりたい、嘘偽りない本当の意味で。

 少なくとも俺はそう思う。

 

 うまく言葉にできないが、この猫耳少女━━橋立あまのの中には、そう思わせるだけの何かがたしかに感じられたのだ。


 俺はそれを橋立と関わっていく中で見つけていきたい。そして一緒に育てていきたい。

 

 だから、俺なんかにそんな資格ないかもしれないけど、それでももし橋立が、俺が隣にいることを許してくれるなら、多くの嘘偽りにまみれた関係性の中で、橋立との本当の関係を少しずつでいいから、深めていきたい。

 

 ━━だとしたら俺が今すべき選択はただ一つだ。

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