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妹の葵が超人気ラブコメのオタクぶりをひけらかしてくる

 どうしても必要な漫画が手に入らなかった無念さをずっと引きずったまま、俺は入試直前の模試でE判定だった受験生のような気持ちで玄関のドアを開ける。


「ただいま」


 その気配をいち早く察したらしい妹の(あおい)が二階から降りてきて聞いた。


「おかえり。お兄ちゃん、何かあったの?帰ってくるなり暗い声出して」


 悲しいことに葵は、コミュ症の俺が唯一まともに目を見てしゃべれる相手である。

 そんな気心のしれた妹にだからこそ、俺は自分の懸案事項を包み隠さず打ち明けて、アドバイスを乞おうと思った。


「ちょっと長くなるが、俺の話聞いてくれるか?」

「いいよ、全然聞いてあげるよ。一万円でね」

「一万円てことは時給の相場がだいたい千円くらいだから、俺は十時間程度話し続けることになるがいいか?」

「だったら全然タダでいい笑」


 という軽いジョークのようなやり取りを挟んだあと、二人で二階に上がった。


 そして俺は、事情があってクラスのヤツと今日中にガタラブを読む約束をしたのに一冊も手に入らなくて困っているということを簡潔に説明した。


 ━━俺の話を全て聞き終わった葵の口から出たのは、実に意外な言葉だった。


「てかガタラブなら私の本棚にも全巻揃ってるよ?」

「マジ?」


 まさかこんな身内にガタラブファンがいたとはな。

 しかも葵がそうだとは。


 身の回りのことでも案外知らないことはたくさんあるものだが、よく知っていると思っていた妹にまでまでこんな意外な一面があったなんて━━シスコン呼ばわりされるのを臆さずに言うと━━兄としてかなりショックだった。


「うん。全然貸すけど?」

「それはありがたい。すごく助かる」

「ちょっと待ってて。今から取ってくるから」


 そう言い残すと、葵は自分の部屋に入っていった。

 俺は言われた通り廊下で待機する。


 素晴らしく役に立つ参考書のように、何度も読むために敢えて目立つところに置いていたのかもしれない。


 葵はガタラブを本棚からすぐに見つけ出してきて、何巻か俺に手渡してくれた。


「手始めにまず三巻まで読んでみて。読み終わったら全然また私の部屋に続き借りに来てくれたらいいし」

「わかった。貸してくれてありがとな」

「ガタラブは笑いあり、涙ありですっごく面白いアニメだから、今回のこと関係なく全然オススメだよ!読まないなんて損だよ!」

「てか俺はお前までガタラブのことを知ってるのが未だに驚きなんだが。お前普段からアニメとかよく見るようなタイプじゃないだろ?」


 近ごろはアニメという文化がそこまで流行っているのか━━。

 俺がそんな風に抱いた疑問を素直に口にすると、


「ガタラブは全然社会現象だよ?逆に知らないとか頭おかしいでょ」


 何いってんだコイツみたいな感じで一蹴された。

 流石になんとなくはわかってきていたが、やっぱガタラブはいろんな世代でめちゃくちゃ有名なんだな。


「情弱なめんなよ」


 俺はこれ以上自分の無知を指摘されるのを恐れ、間違いだらけの某ラブコメの主人公のように自虐して抵抗するしかなかった。


 葵はそんな俺を見てひとしきり可笑しそうに笑ったあと、


「でも成績学年トップのお兄ちゃんならきっとガタラブの面白さとかもすぐに理解できるね」


 と風が吹けば桶屋が儲かるくらい因果関係のよくわからないことを言って俺を励ました。


 葵に再び礼を述べたあと、俺は本当に面白いかどうか半信半疑のまま、自分の部屋に入ってさっそくガタラブを読み込み始めた。

 その頃になってようやく妹の言っていることの意味が理解できてきた。


 確かにガタラブには常人が読んでもすぐには到底理解しきれないような深い描写がたくさん練り込まれているのだ。

 一回読んだだけではキャラの言動の本当の意味や設定の緻密な伏線、そしてそれらに秘められた作者の真の意図を見逃す可能性さえある。


 近年のアニメ作品はどれもこれも薄っぺらいものだろうとろくに見もせずに決めつけていた俺だったが、まさかこんなに作り込まれた素晴らしい作品があったとはな。


 これは大幅に認識を改める必要がありそうだ。猫耳に対する認識も。


 そしてそんなガタラブの情景描写を細部まで理解し作者の意図を汲み取ることは、国語の試験で一位常連である俺の得意とするところだ。だから何も難しくはないはずなのだ。

 別にガタラブを理解することなど、俺にかかれば一瞬だ。


 そう考えるとなんだが急にやる気が出てきた。よし、集中してパパッと読んでやるぞ。

 あまり時間をかけるのも非効率的だからな。


 ━━そのつもりで読み始めたのだが、思いがけず読了に三時間もかかってしまった。でもまあ十分味わって読めたからよしとするか。


 そう自分の中で納得し、読み終えた三巻分を返しに行く。


「三巻まで読めた」

「どうだった?」

「いやあ、よかったよ。表面的な面白さこそあまりないが、実に奥が深い話だったな。特に細部に散りばめられた作者の独特な、象徴的かつ偶像的表現の数々はもはや芸術と言ってもいいくらいだ」


 十分ガタラブについて理解した今の俺なら、クラスメイトたちが教室で言ってたガタラブの魅力についても、ある程度共感できる気がした━━のだが、俺の発言を聞いた葵はなぜか、何いってんだコイツ、とでも言いたげに首をかしげた。


「それ、日本語だよね?」


 言葉すら通じていなかったらしい。


 ひょっとして俺はガタラブについて、良さを勝手にわかった気になっていただけなんじゃないか。


 何か致命的な読み違いをしていたのかも……いやそんなはずはない。

 俺はちゃんと読み落としがないように注意深く読んだはずだ。俺の国語力なら理解できているはずなんだ。


 ━━だから傲慢なのは承知で、間違っているのは俺じゃなく世間の理解の方だとさえ思っていると、葵が慌てて早口でこう付け加えた。


「ちょっと観点がズレているような気がするけど……とにかく全然面白いでしょ?その調子で六巻まで読んでみて。どんどん面白くなってくからさ」


 そして次巻以降の数冊分を、品出しでガムテープを剥がすときのように乱暴に取り出し、無理やり押し付ける。


 その様子は俺との話をさっさと終わらせたがっているかのようで、兄としては少し悲しかった。


 妹を鬱陶しがらせたことへの落ち込みを引きずって部屋に戻り、俺は何も考える気力がないまま機械的に続きを読んだ。


 ━━全然泣けた。先ほどまでは涙一つ出なかったのに。感動し、泣きに泣けた。


 その感動は、理屈とかそういったものを超越したところに作用していて、だからこそさっき俺が象徴だの表現だのと仰々しく言っていたとき葵がポカンとしていたのも大いに頷けた。


「読み終わった!」

「今度はやけに早!てか……全然泣いてる笑?」


 葵も俺の豹変ぶりにはかなり驚いている様子だった。


「ごめん、めっちゃ泣けるわガタラブ」

「でしょでしょ」

「さっき俺、表現方法がどうとか言ってたけどそんなん全然関係ないわ」

「だよね笑!」


 そうしてようやく本当の意味でガタラブについての理解レベルが一致した俺たちは、幼馴染と数年ぶりに再会したときのような喜びをおぼえ、ガタラブの面白さについて長く語り合った。


 それからも俺は黙々とガタラブを読み進め、葵ももう一度感動を味わうために再読に勤しんだ。


 お互い話しかけるのもためらうくらいの、かつてない集中力だったと思う。


 その結果、俺は正真正銘、完全なるガタラブファンになったわけで。当然猫耳ファンにもなったわけで。


 結果的に自分が大好きなラブコメを猫耳のクラスメイトと演じる、というなかなか憧れるシチュエーションにもなってきたわけなのだが……物事には限度ってものがあるのかもしれなかった。


 俺はどうやらガタラブに中毒を名乗れるくらいのめりすぎてしまったようで、夜も眠れずにずっとガタラブのこと『だけ』を考えていた━━。


 そのせいでとは言わないが、このとき俺は一体何のためにガタラブを読んでいたのかについてすっかり失念していたのである!


 そして俺は次の日の登校時にそれをようやく思い出すことになる。


 ヤバい。どうやったらガタラブの主人公に似せられるかってのを考えなければいけなかったんだった。

 

 そう思い、俺は主人公の細かい人物像を必死に思い返すが、インパクトのある感動場面ばかりが脈絡なく次々頭に浮かんできて、よく思い出せない。


 この時ばかりは、理屈でうまく説明できない漠然とした感動の数々が恨めしくなった。

 これじゃガタラブのキャラの根幹を猫耳以外全く再現できないじゃないか。


 メインキャラたちの詳細な描写がそれ自体としてあったのは確か三巻目くらいまでだったと思われるが、それ以降の巻の感動がでかすぎて、その内容は綺麗さっぱり忘れてしまっている。

 昨日あれだけ精密に分析したはずなのに俺としたことが。


 こうなりゃクラスメイトたちが、俺たちがガタラブの二人に似てるって話題を完璧に忘れ去ってくれていることを願うしかないが、昨日もその話題で持ちきりだったし、普通の話題よりかなり爪痕を残しちまったようだから今日再びほじくり返さない可能性は限りなく低い。


 それでも高校生の興味ってのは移り変わりが激しいようなイメージがあるから、案外俺たちが教室に入ってももう誰も注目しないかもしれない。そうだ、そうに違いない。


 でももし本当に昨日のことが綺麗さっぱり忘れ去られていて、何事もなかったようになっていたら。

 俺の今後の学校生活はまた、暗く沈んだものになってしまうかもしれない。


 まあもともと俺は素の性格に難があるから、高校デビューなんてどうせはなから無理だったんだ。

 だから俺の存在なんて忘れ去ってくれた方がありがたい。


 こんなコミュ症野郎が変に目立ちすぎると、地雷を踏みまくって取り返しのつかないことになりそうで怖いしな。


 ━━って思ってるはずなのに、なぜかもやもやしてくるのは何でだろうか。

 

 まるで自分が嘘をついているかのような、そんな感じ。


 俺はそんなに目立ちたかったのか。


 俺は隠された自分の本心の出現に戸惑い、葛藤し、最終的に、目立たなくなるのは本望なんだとなんとか自分を言い聞かせる━━結局それも無意味な努力だったが。

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